ミスジョル 全年齢


  Temporary Closure


 バンと響いた大きな音に、書棚の整理をしている最中であったフーゴは、思わず両手で抱えたファイルの束――足に直撃すればそれなりに痛い思いをしそうなくらいの重量はある――を、危うく落としそうになった。視界の隅では、ソファで寛いでいたミスタが、びくりと飛び跳ねたのが見えた。
 音の発生源へ目を向ければ、開け放たれたドアの内側に、ジョルノの姿があった。全力疾走の直後であるかのように、彼の肩は大きく上下していた。
「ジョルノ……?」
 どうかしたのかと声を掛けるよりも早く、ジョルノは――冷静な彼にしては珍しく――堰を切ったように喋り出した。
「ミスタ! フーゴ! 敵です! 今そこで、敵のスタンド攻撃に遭いました!」
「なにッ!?」
「スタンド攻撃!?」
「敵襲ダト!?」
 フーゴは両手の中の荷物を手近な机の上へ放り上げ、すぐさま開け放たれたままになっているドアへと飛び付いた。素早く外の様子を窺うが、人の気配はないようだ。ドアを閉め、鍵を掛け、念の為にチェーンも掛けた。その間にミスタは、ソファの背凭れを跳び越えて、彼のスタンド達と共にジョルノの傍へと駆け寄っていた。
「大丈夫か、ジョルノ!」
「ドコのドイツダカ知ラネーガ、ブチノメシテヤルゼ!」
「アア! オレ達がツイテルカラナ、ジョルノ!」
「ジョルノ、手当の必要は……」
 「怪我はありません」と断言した声は明瞭で、その言葉を疑う要素は少しもなかった。
「どこのどいつだ」
「分かりません。あっと言う間のことで……後を追うことも出来なかった」
 年齢にそぐわぬ冷静さを持つジョルノが全く対処出来なかっただなんて、一体敵は何者で、どんな鮮やかな襲撃を喰らわせてきたのだろう。
 ジョルノは先程、「怪我はない」と言った。では、ギリギリのところでその攻撃は避けられたのだろうか。……いや、それにしては、妙な焦りが見える。彼らしくない。おそらく、物理的なダメージとは別の何か……。そうだ、彼ははっきりと――ただの攻撃ではなく――「スタンド攻撃だ」と言ったではないか。
 フーゴの思考が見えていたかのように、ジョルノは小さく頷き、言った。
「スタンド能力を奪われました」
「なっ……!?」
 ついに告げられた事実に、その場にいる全員――ジョルノを除く――が一斉に息を呑んだ。
「背後から急に襲われて、すぐに反撃しようとしたんですが、ゴールド・エクスペリエンスを出すことが出来なかった。おそらく敵は、“スタンド能力を封じるスタンド能力”なんだ」
「ジャア、ゴールド・エクスペリエンスは、消サレチマッタノカ!?」
「スタンドを消ス!? オ、オソロシイヤツダゼ!」
「ドウヤッテソンナヤツト戦うンダ!?」
「おいオメー等、少し静かにしてろ!」
 ミスタが己のスタンド達を制すると、ジョルノは一瞬だけ不思議そうな表情をしてみせた。が、すぐに納得したように口を開く。
「そうか。ピストルズがいるんですね?」
「エッ!?」
 ピストルズの甲高い声は、無視するのが難しいほどに響いていた。にも拘わらずそんなことを尋ねる理由は、おそらくひとつしかない。
「見えていないんですか、ミスタのスタンドが……?」
「ソンナァ!」
「ウエエェェン! ソンナノ嫌ダゼジョルノォ!」
 どうやら自身のスタンドを封じられただけではなく、他者のスタンドを見ることすら出来なくなってしまったようだ。これでは、敵と遭遇しても、攻撃するどころか身を守ることすら出来ない。
「そんな状態で、敵の追撃にあったら……」
 早急になんとかしなければならない。
「敵はまだ近くにいると思います。おそらくぼくにとどめを刺すために。この付近に潜んで機会を窺っているはずだ。フーゴ、不審な人物がいないか、捜索してください! ミスタは――」
「ミスタは、ジョルノの護衛を」
 フーゴがジョルノの指示を引き継ぐようにそう言うと2人――とスタンド6体――の視線が彼へと集まった。
「今の状態のジョルノをひとりにしておくのは危険です。……ここにいるのも危ないかも知れないな。入ってくるところを見られていたかも。ミスタ、ジョルノを連れて、どこか安全な場所に避難していてください」
 フーゴは机の引き出しから車のキーを取り出してミスタに渡した。
「お前ひとりで敵と戦う気か? どんな相手かも分からねぇってのに?」
 ミスタは眉をひそめた。どうやらフーゴの身を案じてくれているようだ。ミスタのスタンドと比べると、フーゴのそれは――殺傷力の面では申し分ないが、本体も危険であるという意味で――戦闘には少々不向きである。それ以上に、前線での戦いなら、ミスタの方が遥かに手馴れている。その辺りが彼の不安材料だろう。一方ジョルノは、その表情から何を考えているのかは読み取り難い――いつもの通り――。少なくとも、勢い良くドアを開けてこのアジトへ駆け込んできた時よりは、いくらか落ち着いた様子ではあるが。
「スタンド能力を封じるスタンド使い……ですよね。実はひとり、心当たりがあります」
「え」
「本当かっ」
「ええ」
 希望が見えたとばかりに、ミスタの表情がぱっと明るくなる。ジョルノはの方は……どうやら相変わらずだ。
「ここはぼくに任せてくれませんか。人手が要ることになれば、部下を何人か動かします。……まあその必要はないと思いますが」
 フーゴはジョルノの方へと視線を向けた。それを、フーゴの命令で部下を動かすことへの許可を求めていると解釈したようで、ジョルノは「手が空いている者は自由に使ってください」と頷きを返した。
「しかし安全な場所って言ってもな……。いっそローマ辺りまで逃げてみるか?」
「長距離運転カヨォ」
「デモ電車ハ逃ゲ場がナイゼ」
「あー、そんなに遠くまで行かなくても、ミスタの部屋とかでいいんじゃあないですか。ねぇジョルノ」
「おいおいおいおい、それはいくらなんでも近過ぎないか。敵がオレ達のことを調べてたとしたら、すぐに見付かっちまうぜ」
「大丈夫です。ぼくがちゃあんと食い止めますから。ね、ジョルノ」
「でもよぉ、敵がひとりとは限らな――」
「いませんよそんなの。ね、ジョルノ。いいからさっさと車廻してこいよこのチンピラが」
「……行ってくる」
 ミスタはまだ何か言いたそうな顔で、それでも車のキーを片手に外へと向かった。彼がドアチェーンを面倒臭そうに外してから出て行くのを、フーゴとジョルノは無言で見送った。
「……で」
「はい」
「なんでバレたんです?」
 然程身長の変わらないフーゴを、ジョルノは器用に上目遣いで見ながら尋ねた。フーゴは溜め息を吐いた。
「ぼくがそのスタンド使いだったら、ジョルノの能力を奪うだけでなんて終わらない。無防備になった相手をあっさり逃がすなんて、非合理的だ。仲間を呼ばれるかも知れないのに」
 現にジョルノはフーゴとミスタがいるこのアジトへと駆け込んできた。必死に逃げてきたというような形相で。
「でも、ジョルノは最初にこう言っていました。『後を追うことも出来なかった』と。逃げたのはジョルノではなく、敵の方だった。明らかに矛盾している」
「……なるほど」
 ジョルノはあっさりと頷いた。どうやら、あれやこれやと言い訳をするつもりはないようだ。
「それを前提に考えれば、ジョルノの様子は妙だった。妙に取り乱し過ぎている」
「いきなり攻撃されれば無理もないと思いますけど。ドアに指を挟んだだけで顔色が悪くなる人間だっているかも知れません」
「それでも」
「過剰でした?」
「ジョルノらしくなかった」
 すっかり落ち着きを取り戻した……いや、落ち着きを失っているフリをやめたジョルノは、やれやれと言うように肩をすくめた。
「いつの間にそんなにぼくに詳しくなったんですか? ファンですか?」
「サインなら要りません。念の為聞いておきますが、ゴールド・エクスペリエンスはそこに“いる”んですね?」
「ええ。“ここ”に」
 ジョルノの背後に現れたのは、間違いなく彼のスタンドのヴィジョンだった。金色のそれは、「ごめんね」と言うように両手を顔の前で合わせてから再び消えた。
「嘘だと分かっていながら話を合わせてきたのは何故です?」
「予想出来ているのでは?」
「そうする動機まで察したから……ですか?」
「ご名答」
「流石フーゴだ」
「休みが欲しいなら素直にそう言え」
「休みが欲しいです」
 ジョルノの即答に、フーゴは深い溜め息を吐いた。
 確かにここ最近の彼等は、毎日慌ただしさに追われていた。それでも休める日が皆無だったということはないし、予定よりも1日多くジョルノが休みたいと言い出しても、フーゴとミスタの2人でカバーすることは充分可能なはずである。わざわざこんな雑な芝居を打ってみせたのには、何か他にも理由があるに違いない。フーゴはすでに、その見当も付いている。だからこそ、本当なら必要がない護衛をと、ミスタに指示した。
 早い話が、ジョルノはミスタと2人で過ごせる時間が欲しかったのだ。流石に2人同時に休ませろと言っても要望が通らない可能性があると踏んで、こんな手段を取った。
(これは果たしていじらしいと言っていいんだろうか……)
 そのわりにはなかなかの力業である。
「ちなみに、ぼくが気付かず敵を探しに行っていた場合、どういう形で決着させるつもりだったんですか」
 存在しない敵を追って、いつまでも走り廻っている己の姿を想像しただけで疲れてしまいそうだ。
「その時は、封じられたスタンドは24時間で自動的に戻るとかそういう設定だったことにします。そのあとで自分で敵の居場所を突き止めてきっちり報復も済ませたことにする」
 ということは、短くても丸一日は架空の敵との追いかけっこをさせられていたということか。
「お願いですから次からは普通に休ませろと言ってください」
「次があってもいいんですか。それはいいことを聞いた」
「はぁ……」
 淡々と話すジョルノの表情はいつも通りだが、フーゴには心なしか浮かれているようにも見えた。こんな様子で、ミスタに真相がバレないのだろうか。……あるいは、バレたところでミスタなら「じゃあ休みを満喫出来るな!」くらいは言うかも知れない。
「そうだ、一応確認しておきますが、敵のスタンド使いに心当たりがあると言っていたのは……」
「もちろん嘘です」
 そんな便利そうな――あるいは危機となりかねない――スタンド使いがいると分かっていれば、とっくに接触して、その能力を有効利用出来ないかと――あるいは害になる前に“どうにか”しておこうと――しているところだ。
「それを聞いて安心しました」
 ジョルノは満足そうに頷いた。そこへ、窓の外から車を止める音が聞こえた。ミスタが戻ってきたのだろう。
「じゃあ、後は適当にお願いします」
「仰セノママニ、ボス」
「君は本当に優秀だ」
「早く行け」
 珍しく少年らしい笑顔を見せて、ジョルノは「チャオ」と片手を上げた。ドアを出て行く足取りは軽く、あのままではあっと言う間に嘘がミスタにバレそうなものだが、その瞬間を見届けるつもりは、フーゴには微塵もなかった。
 振り返れば、机の上でファイルのタワーが完全に崩壊しているし、応接よりも休憩に使われることが多いソファの傍では、ミスタが読んでいたらしい雑誌がその紙面を床へと披露している。ジョルノとミスタがやるはずだった仕事の中に急ぎの物がなかったかどうかも確認しなければ……。
「ああぁっ、もうッ!!」
 今邪魔が入れば、フーゴはその相手が唯一無二の親友であろうが、心からの尊敬を向ける上司であろうが、ためらわず殴り掛かっていただろう。そうならないためにと、彼はドアを今一度施錠し、チェーンまで掛けた。例えジョルノやミスタが何か忘れ物をして取りに戻ってきたとしても、ここは開けてやらないつもりだ。


2022,05,22


またフーゴを苦労人にしてしまいました。
<利鳴>

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