フーナラ 全年齢


  冷たいと温かい


「ただいまぁ」
 いつも通りの声でそう告げたナランチャの左腕は、いつもとは違い、赤く染まっていた。
「なっ……、どうしたんですかそれッ!!」
 フーゴは驚いて椅子から立ち上がった。空気の動きに乗って、鉄のにおいが鼻先を掠めたような気がした。
「『おかえり』は?」
「言ってる場合かっ!」
「大袈裟だなぁ。ちょっと切られただけだって。もう血もほとんどとまってるし……。あ、でも、任務はちゃんと終わらせてきたぜ。えーっと、なんだっけ? 報告書……だっけ? 書くんだよな?」
 呑気というよりも何も考えていないような顔で、そんな彼から『報告書』なんて単語が出てきたことを、普段のフーゴだったら「よく憶えていましたね」と褒めていたかも知れない。しかし今はどう見てもそれどころではない。
「手当てが先に決まってるだろうがッ!! この――」
 フーゴは清く正しく生きている青少年達にはとても聞かせたくないような暴言を吐いた。
「おい、今なんっつったぁ!? 誰が――」
「動くな! 喋るな! 手上げてろ! 心臓よりも高く!! そこを1歩も動くな!!」
 連射式の銃のように怒鳴ると、ナランチャは慌てたように両手を高く上げた。「床に伏せていろ」と言えば即座にそうするだろう。「『手を上げろ』の意味が違う」と思いながら、フーゴは事務所に常備してある救急箱を取りに走った。それを持って戻ると、ナランチャはまだ両手を上げていた。
「右手はおろしていい」
 フーゴが傷のある方の手をとると、ナランチャは驚いたように身体を撥ねさせ、腕を引くような仕草をした。
「あ、傷に障りましたか?」
 フーゴも慌てて手を離した。
「あ、いや、そうじゃあない。平気」
 ナランチャの答えを訝しげに思いながらも、今は何よりも手当てが先決だと判断し、フーゴは再び傷の具合を診始めた。
 自分の足で歩いて帰ってきたくらいだ。案の定生死に関わるような傷はなかったが、出血は少ないとは言い難い状態だった。フーゴは一先ずナランチャをソファへと座らせた。
「また無茶をしたんでしょう」
「ごめん」
 それでも大事には至らなかったことに安堵の溜め息を吐くフーゴの手を、ナランチャはじっと見ていた。
「……どうかしましたか?」
 ナランチャは「なんでもない」と首を振ったが、相変わらず視線は動かない。包帯を巻き終え、フーゴの手が彼の腕から離れても、まだその動きを追っている。
「なんなんですか」
 フーゴは少し苛立ったように尋ねた。ナランチャはようやく「うん」と頷いた。
「フーゴの手って冷たいなぁと思って」
 その言葉に、フーゴは瞬きを繰り返した。
「そう……ですか?」
「うん」
「普通だと思うけど……」
「そんなことねーって。ほら」
 ナランチャはぱっとフーゴの手を握った。今度はフーゴが思わず飛び退きそうになる番だった。
「な?」
 ぎゅうっと握ってくるナランチャの手は、確かに自分の体温よりも温かかった。むしろ熱い。手どころか顔まで温度が上昇していくようだ。
「君これ平熱?」
「そうだよ」
 「子供だから体温高いんじゃあないの」と思ったが、そんなことを言えば彼はあっと言う間にこの手を離してしまうだろう。自分の手が冷たいなんて思ってはいなかった。それでも、今与えられているこの温もりを、心地良いとフーゴは思った。出来ることなら、もう少しの間、離してしまいたくないと思う程に。
「フーゴ?」
 急に黙り込んでしまったのを不審に思ったのだろう。ナランチャはフーゴの顔を覗き込もうとした。
「な、なんでもないですっ」
 フーゴは慌てて手を離した。今見られたら、顔が赤くなっていることを知られてしまう。手当てに使った道具を片付けるフリをして、ナランチャに背を向けた。
「と、とりあえず、しばらく大人しくしててください。動き廻ると傷口が開きますよ」
「ん。分かった」
「その辺血塗れにしてきてないでしょうね?」
「この辺? してないよ。一応床とか汚さないようにって気を付けてきたんだから」
 救急箱をしまいに行くフーゴの背中を、ナランチャの視線が追ってきていることは、フーゴ本人も気付いていた。もしかしたらさっきの一瞬で何か悟られたのではないかと、気が気ではない。そんなフーゴに、ナランチャは再び声をかけた。
「なぁ」
「なんですか」
 まだ紅潮した頬が元に戻っている自信がなかったフーゴは、無意味に救急箱を棚に入れなおしながら尋ねた。
「手が冷たいやつって、心は暖かいんだって」
「はぁ?」
 思わず振り向いたフーゴの視界で、ナランチャは笑っていた。それを見て、フーゴは再び慌てて眼をそらせた。
「誰に聞いたんですかそんなこと」
「えー、わかんない」
「それ、『人は見かけによらない』って意味の言葉なんですよ」
「そーなの?」
「そうなの」
 やっと少しは落ち着いたと思い、もう一度フーゴが振り向くと、いつの間に移動してきたのか、ナランチャが至近距離からこちらを見ていた。背中を押されれば鼻と鼻がぶつかりそうだ。フーゴは驚いて声を上げそうになった。
「ッ……!! ……じっとしてろって言っただろッ」
「ゆっくり歩いてきただけじゃん」
 ナランチャは平然としている。そしてフーゴの眼をじっと見ている。
「な、なんですか。人の顔をじろじろと……」
「見た目はどうかよくわかんないけど」
「?」
「フーゴは暖かいよ」
「意味が――」
 「分からない」そう言おうとしたフーゴの頬に、温かくて柔らかい感触が、一瞬だけ小さな音を立てた。それがなんだったのか理解し切る前にナランチャはくすりと笑い、軽いステップを踏むようにして顔を真っ赤にしているフーゴから離れた。
「グラッツェ。手当てしてくれて」
 硬直しているフーゴをその場に残して、ナランチャは事務所の奥へと姿を消した。


2012,03,27


フーナラ更新したいと思ったらなんか暗いネタばっかりで焦りました。
1つだけでも暗くないのあってよかった……。
タイトルは「冷たい&温かい」と「冷たい=温かい」だと思っていただけると嬉しいです。
ナランチャの体温が高めなのは公式ですよね!
だってグレイトフルデッドの効果がやたらと早かったもの!
<利鳴>

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