アバブチャ 全年齢


  うそとうそ


 外から開けられたドアの先にレオーネ・アバッキオが見たものは、この世で最も信頼を向ける相手の柔和な微笑み……ではなく、その人物が流している――と思われる――、赤い液体の色だった。
「なっ……、お前それっ……」
 思わず椅子から立ち上がり、言葉を詰まらせていると、ブローノ・ブチャラティは左の二の腕の辺りから手の先までを赤く染めたまま、呑気な声で「ただいま」と告げた。
「お前ひとりか? フーゴ達の方が早いかと思ったが、何か問題でも起きたかな」
「言ってる場合か! どうしたんだ“それ”はッ!」
 『問題』が起きているとすれば、それは間違いなく“今”“ここ”でだ。胸倉に掴みかからんばかりの形相と勢いでブチャラティに近付くと、その赤い色がペンキやインクの類ではないことを証明するかのように、血の臭いが鼻先を掠めた。
「大したことはない」
 ブチャラティはこともなげに言った。
「外を歩いていたら、ちょっと引っ掛けてしまって……」
 何にどう引っ掛ければ片腕が丸ごと血塗れになるような傷が出来るんだと突っ込むより先に、ブチャラティは突然言葉を発するのをやめてしまった。痛むのかと尋ねようとするも、むしろ何も感じていないような無表情に、アバッキオまで無言になってしまう。
「……おい?」
「やめた」
「は?」
 ブチャラティはやれやれと言うように溜め息を吐いた。
「すっとぼけようと思ったんだが、ムーディー・ブルースを使われたら一発でバレるな」
 そう言うと彼は、服の襟を大きく開いて左の肩を露出させてみせた。すると、素肌に大きなジッパーがついているのが見えた。それで傷を閉じているのだとは、すぐに分かった。
「敵に遭った」
 その簡潔な説明に、アバッキオは無自覚のままに身構えるように拳に力を込めていた。本人より先にそれに気付いたブチャラティは、「もう倒した」とこれまた簡潔に告げた。
「完全に不意打ちだったな。後ろから『ざっくり』。だが、すぐに塞いだから大したことはない。一見派手だが、服に血が付いたからそう見えるだけだ。すぐに治る。もう出血もほとんど止まっている」
 本当に壁から突き出た釘にでも引っ掛けたようなあっさりした口調で言うが、公衆の往来がまだ多いこんな時間帯では、おそらくちょっとした騒ぎにくらいはなっただろう。イカレたジャンキーだか酔っ払いだか、あるいは敵対する組織の人間だかは知らないが、ずいぶんと舐めたことをしてくれる。だが握った拳をぶつけるべき対象はここにはいない。アバッキオは苛立たしげに舌を鳴らした。
「倒したって、殺したのか」
「いや、ジッパーでバラバラにして人目の付かないところに転がしてあるだけだ。後始末は組織の者に任せる。もう連絡もした」
 それなら、まだ急げば不意打ち野郎の顔くらいは見に行けるかも知れない。組織に回収される前に、7、8発くらい殴っておこうか。それとも、後からゆっくり――それこそムーディー・ブルースの能力を使って――探しに行くことにするか……。
 顔も知らない相手を頭の中で睨み付けていると、不意に、深い海を思わせるような色をした目が真っ直ぐに――もう少々聞こえの悪い表現を用いれば、「じろじろと」――こちらを見ていることに気付いた。
「なんだ」
 不機嫌そうに尋ねると、ブチャラティは真逆の表情を見せた。
「心配したか?」
 悪戯めいた笑みに、アバッキオは眉間に寄せた皺をより深くさせながら返した。
「たりめーだろ」
「お、素直に認めたな」
「それこそ嘘吐いたってバレるだろ。スタンド関係なしにおかしな特技持ちやがって」
 ブチャラティはくつくつと笑った。
「お前のスタンドと比べると、的中率は低いけどな」
「当たり前だ。生身でスタンドを越えようとしてんじゃあねーよ」
「でも、舐めればほぼ確実だぜ」
「顔を舐められるのは好きじゃあない」
「顔以外なら?」
「“どこか”にもよるな」
 いつの間にか、2人はお互いの顔を覗き込むようにその距離を詰めていた。ブチャラティの瞳に映った自分の顔が見える。きっと、自分の目の中にもブチャラティの姿があるのだろう。
 その距離がそろそろなくなろうかというその時、外の階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「ただいまぁー!」
 ドアが開くと同時に響いた子供のような声は、ナランチャ・ギルガのものだった。目を向ければ、その後ろにパンナコッタ・フーゴの姿もある。
「ご苦労だったな、2人とも」
 ブチャラティが何食わぬ顔で――「何もしていませんよ」と言うような表情と距離で――2人を出迎えたので、アバッキオも無表情と無言――つまり完全にいつも通りの彼――で先程座っていた椅子へと戻った。冷静に考えれば、今ここで“何か”するのは得策ではない。自分にそう言い聞かせながら。その耳に、少年達の声が届く。
「うわぁ!? ブチャラティ、それどーしたんだよ!?」
「血塗れじゃあないですかっ。一体何がっ……」
「ああ、外を歩いていたら、ちょっと引っ掛けてしまってな」
 どう返すつもりだろうと思っていたら、ブチャラティはいけしゃあしゃあとそう答えた。アバッキオは表情を変えずに3人の様子を眺める。
「まじでぇ? あっぶねー」
「結構深いんですか? 包帯持ってきましょうか」
「いや、もう塞いである。原因も取り除いておいたから、もう大丈夫だ」
「えええ、本当に大丈夫かよぉ」
「ほら、ちゃんと動くぞ」
「むしろ動かさないでください。傷口が開きます」
 なんだか急に賑やかになってきた。
「おい、ナランチャ。フーゴも」
 アバッキオは椅子の背凭れに体重をかけながら少年達の名を呼んだ。
「ん、なに、アバッキオ」
「大袈裟に騒ぐな。うるせーぞ」
 低い声でそう言うと、不満そうな二対の目がこちらを睨んだ。
「ナランチャが煩いのは同意ですが」
「おいフーゴ、なんだとてめー」
「貴方のそのリアクションは淡白過ぎませんか」
「そーだそーだ! アバッキオは冷たい!」
 アバッキオはふんと鼻を鳴らした。
「もう塞いだっつってんだろ。医者の縫合よりよっぽど安心だ」
「それはそうですが」
「もうちょっと心配するとかないわけぇ?」
「別に」
「冷たい! 恩知らず!」
「薄情というか」
 ぶーぶーと文句を言う少年達の向こうにいるブチャラティと、目があった。彼は肩を竦めるような仕草をしている。少々悪乗りしてきたらしい部下達を咎めるつもりはないようだ。アバッキオは、それで構わないと思った。誰に何を言われたところで、それは小鳥の囀りに等しい。真実の共有は、それを一番望む相手とだけ出来ていれば良いのだ。
「アバッキオの冷血漢!」
「お、難しい言葉知ってるじゃあないですか」
「もしかしてオレのこと馬鹿にしてる?」
「いいえ、ちっとも」
「えーっと、後は……、恥知らず?」
「って、ブチャラティ、なに笑ってるんですか?」
「なにも」
 ブチャラティは首を横へ振った。その嘘だけは、なんの能力も持たない者でも容易に見破ることが出来たようだ。少年達はそろって訝しげな表情をしている。


2019,11,23


お子様2人はあっさり信じてる。
わたしが書くフーゴとナランチャって(今回はいないけどミスタとジョルノも)、何故かアバッキオに対してちょっと辛辣になりがちです。
年上だから……と距離を感じたりせず、他と変わらぬ友情を感じているからなんだと言い張ります(笑)。
<利鳴>

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