アバブチャ 全年齢


  よくあるくだらない“もしも”の話


 昼食には遅過ぎ、夕食には早過ぎ、なおかつお茶の時間からもやや外れた、そんな時間帯。彼等がいつも利用しているレストランは準備中の扱いにこそなってはいないが、客の入りは皆無か「それよりはいくらかマシ」程度であることがほとんどだ。この日も、あるいは申し訳程度には人の出入りはあったのかも知れないが、少なくとも店内の奥まった位置にいる彼等の視界には、お互い以外誰の姿も存在していなかった。
 控えめに流れる店内BGMと、カップとソーサーが触れ合う音が時折小さく響く以外は実に静かだ。チームメンバーの10代組3名――今はそれぞれ簡単な任務に就いているはずだ――が近くにいれば、こうはなっていなかっただろう。少々喧しい、もとい賑やかな仲間達を邪険に扱うつもりではないが、どちらかと言えば貴重なこんな過ごし方を、レオーネ・アバッキオは素直に心地良いと感じていた。テーブルを挟んで正面にいる人物は、沈黙が気まずいような相手ではない。むしろその逆で、打ち合わせや報告等必要なことが何もない状態でもこうして傍にいることを許されていると思えば、喜ばしくすら思えてくる。
 だがもちろん、会話を拒否しているわけではない。口を開くのが煩わしいというのでもない。相手がそれを望むというのであれば、喜んで受け入れるつもりだ。早い話が、なんでも良いのだ。ブローノ・ブチャラティの傍にいられるのであれば。
「映画を見たんだ」
 実に唐突に始まった会話に、アバッキオは顔を上げた。
「映画?」
 繰り返すように言うと、ブチャラティはゆっくりと頷く。
「そう」
「いつ」
「昨日」
「打ち合わせだと言っていなかったか」
 ブチャラティは「良く知ってるな」と言うように少しだけ笑った。
「先方の予定が変わってな。急に3時間ほどの空き時間が出来た」
 空いた時間に自分の金でどこへ行って何を見ようが、それはブチャラティの自由だろう。だがここに残りのチームメンバー達がいれば、その内の1人か2人は「えー、ずるい」等と言い出しそうだ――むしろ突然の予定変更に振り廻されて気の毒だと思われても良いくらいなのに――。そんなことを言うつもりのないアバッキオは、「それで?」と促した。
「まあまあ面白かった」
「それは良かった」
 ブチャラティがティーカップに手を伸ばしたので話はそこで終わったのかと思ったが、彼はお茶を一口飲むと再び口を開いた。
「所謂タイムループ物だな。主人公は死んだ恋人を助けるためにタイムマシンで過去へ戻るんだ」
 「わりとよくあるテーマだな」と、アバッキオは心の中で呟いた。あるいは知っている作品かも知れないと思い、映画のタイトルを尋ねてみたが、聞いたことのない物だった。それだけ似たような作品が多く作られているのだと言えるのかも知れないが、言い方を変えれば、それだけ支持されているジャンルなのだということになるのだろう。
 「それで?」と尋ねると、首を傾げる仕草が返ってきた。
「助かるのか?」
「ん?」
「死んだ恋人」
 ブチャラティは質問なんてされなかったかのように、ゆっくりとカップを傾けた。
(こいつ、言う気ねーな)
 知りたかったら自分で見に行けとでも言いたいのだろうか。それほど興味があるわけではないが、そういう態度を取られると妙に気になってくる。と同時に、意地を張って見に行きたくなくなってくる。かと言ってムキになって「教えろよ」と詰め寄るのも癪だ。あとでこっそりネット検索でもしてみようか。
「お前なら、何をする?」
 ただまあまあ面白かった映画の感想を聞くだけの時間かと思ったが、予想外に質問をされた。アバッキオはカップに伸ばしかけていた手をテーブルの上に置いた。
「タイムマシンがあったら?」
「スタンド能力の方がありそうだな。まあ手段はなんでもいい」
「そうだな……」
 過去に戻ることが出来たなら……。
「答える前に」
「うん?」
「それは今の自分が過去の自分に“なる”のか? それとも、オレが同時に2人存在することになるのか?」
 要はタイムリープとタイムスリップの違いだ。前者ならもちろん、自分が生まれるより以前の時代には行けないという制約は発生するが、例えば大人の記憶を持ったまま子供の頃に戻って天才児を演じるなんてことは容易だろう。そういえば、仲間内に13歳で大学入学を果たしたという男がいるが……。
(まさかな)
 年を取れば誰もが大学に入れるというわけではないのだから、仮に件の男がタイムトラベラーであったとしても、やはり本人の才能や努力は存在したのだろう。
 それは置いといて。
 後者であれば、過去の自分と現代の自分がそれぞれ同時に別々の行動を取ることが出来るのがメリットだ。ヴェネツィアで組織の要人を護衛する任務に就きながらネアポリス市内のショップへ限定版のCDを買いに行けるだとか、スケジュールの確認を怠って予定をダブルブッキングさせてしまった時にどちらもキャンセルせずに済むだとか、それ以外にも、アリバイ工作には大変便利そうだ――年齢の違いがはっきり分かってしまうほど昔のアリバイは作れそうにないが――。
「よくあるくだらない“もしも”の話のつもりだったのに、意外と細かいところまで拘るな」
 ブチャラティは肩をすくめた。少しだけ笑ったのかも知れない。
「でもまあ、それによって出来ることと出来ないことはあるか」
「ああ」
 映画の主人公はどっちのタイプだったのだろう。
「まあそれ以前に」
「うん?」
「例えば今のオレが2年前のオレに会いに行ったとして、今のオレの話を2年前のオレがすんなり信じるとも思い難い」
「確かに」
 今度こそ、ブチャラティはくつくつと笑った。
「それなら、過去の自分の肉体に今の自分の意識が入り込む形の方がいいかも知れないな」
「じゃあそれで」
 その設定で改めて考えてみる。
 もしそんな機会を与えられたとしたら、具体的な行動がどういったものになるかはともかく、ほとんどの者が「より良い人生」を望むだろう。映画の主人公のように親しい人間の命を救うだとか――そういえば恋人の死因を聞いていなかった。事故なのか、病気なのか、そもそも救うことが可能なのか……――、先程上げた例のように天才として過ごすだとか、結果が分かっているギャンブルで大金を得るだとか、自身の不運な出来事を回避するだとか、預言者として世を騒がせるなんて者もいるかも知れない――ただしその場合予言出来るのは精々数十年以内の出来事だけだが――。
(変えたい出来事……)
 先程、アバッキオは例として「2年前」と言った。無意識に出たその年数には、おそらく意味がある。
 今までの人生に何の後悔もないと言えば嘘になる。ふとした瞬間に脳裏に浮かび上がる人物は、もうこの世にいない。
 彼が死んだ責任は自分にある。その過去を変えられたとして、「助ける」という言葉は相応しくはないだろう。助かりたいのは自分の方だ。
(だが、もし……)
 アバッキオは過去の幻影から、現代の実在する光景へと視線を戻した。正面にいる男が、「どうした?」と尋ねるように首を傾げる。切り揃えられた黒い髪がさらりと揺れた。
 アバッキオはあの時、間違いなく道を踏み外した。そして、踏み外した、道ではない場所でブチャラティに出会った。過去をやり直したばっかりに、あの出会いも全て“なかったこと”になってしまうのであれば……。
(オレはそれを望みはしない……)
 アバッキオは小さく頭を振った。
「アバッキオ?」
 大海原を思わせる色をした瞳がアバッキオの表情を覗き込んできた。
「寝たか?」
「まさか」
 くだらない冗談を言う相手を、少しだけ睨んだ。
「過去に戻れたら、だな」
「ああ」
「とりあえず、昨日に戻る」
「昨日?」
「ああ」
 その理由を考えている顔を横目に、アバッキオはわざと焦らすようにティーカップを口へ運んだ。“やり直し”が叶うなら、すっかり冷めてしまったこのお茶も熱々の状態で味わえるのだろう。
「昨日に戻って、映画館前であんたを待ち伏せる。で、『映画を見るならオレも誘え』と言う」
 アバッキオがそう言うと、ブチャラティは目を細めるように微笑んだ。
「それはいいな」
「だろ?」
 それとも、1本早い回の上映を見終えておいて、ブチャラティに映画の結末を聞かせてしまう方が面白いだろうか。そんな意地の悪い考えは思うだけに留めておいて、アバッキオは「あんたは?」と聞き返した。
「そうだな……。じゃあ、オレも昨日に戻って、ワイングラスが割れるのを阻止するか」
「割ったのか」
「……割れた」
「割ったんだな」
「…………割った」
「“それで”、か」
 アバッキオはブチャラティの手元を指差した。本人はティーカップの陰に隠しているつもりなのかも知れないが、人差し指の先に絆創膏が貼られていることに、アバッキオはとっくに気付いていた。割れたグラスの破片で切ったのだろう。この男は、鋭いように見えて時々抜けているところがあるので危なっかしい。
 本当に過去に戻れたら、ワイングラスが失われることだけではなく、恋人の危機を救うことも出来るようだ。そんなことを言えば、きっとブチャラティは「大袈裟だな」と笑うのだろうが。


2023,07,29


最近タイムループ物のアニメを見たので。
そして最近やったゲームも過去に戻ってやり直す系だったので。
もしわたしが過去に戻れるなら、ひと月くらい前に戻ってパソコンのデータ全部バックアップ取りたいです(1週間ほど前にまるっと初期化するはめになりましたー! AHAHAHAHA...)。
<利鳴>

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