徐倫とF・F 全年齢


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 目を覚ますと同時に、間近から覗き込んでくる2つの目に気付いた。この刑務所で迎えた初めての朝にも同じようなことをされたのを思い出し、徐倫は壁ぎりぎりまで飛び退いた。
「うわあぁあッ!? ちょっ……、なんなのよグェスッ!!」
 しかしベッドの縁にしがみ付くようにして人の寝顔を凝視していたのは、同じ房で寝起きしているグェスではなかった。髪はグェスよりも短いショートカット。トレードマークのオーバーオール姿で、片方の手には、蓋の付いた飲み物のカップを持っている。
「……F・Fっ?」
「おっはよー、徐倫」
 呑気な声でそう告げたのは、フー・ファイターズ――通称F・F――で間違いなかった。濡れ衣を着せられたグェスは、彼女の後ろで「自分ではない」と必死に主張するように首を激しく左右に振っている。
「なんであんたがこんなとこにいんのよ。なんかあった?」
 何を考えているのか分からない……というよりも、何も考えていなさそうなのほほんとした表情と口調は、何か緊急の出来事があったようには見えない。徐倫がそう思っていると、案の定、
「別に。ただ早く目が覚めて暇だったから、それなら徐倫でも起こしに行こうかなーって」
 それを聞いた徐倫は、やれやれと溜め息を吐いた。
「あたしはあんたの暇潰し道具? ……まあ、別にいいけど」
 起こそうと思ったと言うわりに、F・Fは声を掛けてくるわけでもなくじっとしていた。徐倫が目を覚ましたのはあくまでも自発的にであって、安眠妨害等をされたわけではない。F・Fがいなければ二度寝していた可能性もなくはないが、どちらにしても一日中寝て過ごすつもりがあったわけではないのだから、咎め立てする気にはならない。
(それにしては……)
 お望み通り起きてやったというのに、F・Fは何をするでもなくこちらをじっと見ている。食事に行こうだとか、運動場へ行こうだとか、今日は図書室にだとか、そんな言葉を発することもなく。
「……なに見てんのよ?」
 徐倫はなんとなく居心地の悪さのようなものを覚えて、それを誤魔化すように髪をかき上げながら尋ねた。と同時に、「もしかして」と思い付く。F・Fが口を開いたのも、また同時だった。
「髪」
 やっぱりか。
「いつもと違う」
 徐倫はいつも、お団子と三つ編みを組み合わせた髪型をしている。だが今は、そのどちらも解いた無造作な状態だ。そういえば、その状態でF・Fと対面したことは、これが初めてだったかも知れない。
「昨日髪を洗って、そのまま寝たのよ。それだけ」
 特別な事情等ありはしない。今日このまま過ごすつもりも全くなかった。顔を洗って、髪を結ぶ。当然のように、そうするつもりだった。それを、F・Fは物珍しそうな顔で見ている。まさか、少しでも外見が変わると個体を見分けることが出来なくなる……なんて言い出すつもりでは……。
(でも人間だって、例えば毛を刈られた状態の犬が目の前にいたら、それが自分の家の飼い犬でも、すぐには気付かないかも知れないし……)
 “絶対”とは、言い切れないのかも知れない。「お前は本当に徐倫か」なんて言い出す前に、さっさと身支度を済ませてしまった方が良いかも知れない。
「今やるから、ちょっと待ってて。……ん? 別に待たなくてもいいわね。先行ってていいわ。食堂? 運動場……は、行くにしても食事の後の方がいいわね」
「ううん、待ってる!」
 宣言するようにそう言うと、F・Fは傍にあるスツールに飛び乗るように腰掛けた。徐倫が2段ベッドの下段から出てくると、元々2人用の監房はずいぶんと狭くなる。だが、F・Fはその場から動くつもりはないようだ――というよりも、狭さになんて気付いてもいない風だ――。数秒の間の後に、本来であればこの場所にいる権利を持っているはずのグェスが、「なんで自分が」と言いたげな顔をしながら出て行った。
 徐倫は壁に固定されている鏡の前に立って、櫛で髪を梳かし始めた。F・Fは、その動きをじっと見ている。
(なんか落ち着かないわね……)
 待たせているという意識と、見られていることによる妙な緊張感が重なって、さっさと済ませようと思うのに、却って髪の束は上手くまとまってくれない。左右のバランスは狂っていないだろうか。結び目が曲がっていないだろうか。普段以上に心配になりながら、それでもなんとか形を作ってゆく。
「はい、お待たせ」
 ほら、いつも通りでしょ? と尋ねるように振り向くと、F・Fは小さく口を開けて、ぽかんとした表情をしていた。まさか本当に人の区別が出来ずに、目の前にいる人物が空条徐倫の姿に変わったと驚いているのでは……。いや、さっき彼女は確かに「おはよう徐倫」と名前を呼んでいた。
「どうしたってのよ。寝ぼけてるの?」
「……すごい」
「……すごい?」
 徐倫が眉をひそめると、F・Fは跳ねるように立ち上がり、徐倫の腕を掴んだ。
「なんでそんな短い時間でそんな風に出来るのっ? さっきまで全然違ってたのに! なんでそういう形になるの?」
 どうやら、髪を束ねる徐倫の手際に驚いたようだ。
「なんでって……」
 確かに、単純に縛るよりは手間暇も技術も必要ではあるだろうが、
「まあ、慣れ……よね」
 ずっとやっていれば、よっぽどの不器用でもなければ出来るようになるのではないだろうか。だがそもそも“髪を結う”という発想を数日前まで持っていなかったのであろうF・Fにとっては、それは“すごい”ことになるらしい。
「そんなにすごい?」
「うんっ。魔法みたい」
 思いもせぬ言葉に、徐倫は小さく吹き出した。
「あんた大袈裟よ」
 その言葉は、F・Fが肉体を使っている女囚人――確か名前はエートロ――の記憶から引っ張り出されてきたものなのだろうか。だとしたら、出典はあっと言う間にヒロインを美しく着飾った姿へと変える魔法使いが出てくるシンデレラあたりか。スティック一振りでヘアスタイルが整えられたら、それは楽で良さそうだとは思うが、
「ファンタジーやメルヘンじゃあないんだから、魔法だなんて、非科学的だって」
 軽い口調で笑いながらそう言うと、F・Fはまだ不思議そうな顔をしている。
「非科学的……って、えーっと、科学で解明されてないから、実在しないってこと?」
 彼女は「じゃあ」と続けた。
「スタンドも科学的じゃあないから、本当は存在しない……?」
「あ……」
 F・Fが生物学的にどのような存在であるのか、徐倫は良く知らない。むしろ、それこそ科学的には解明出来ない存在なのかも知れない。少なくとも、スタンドと呼ばれる力がなければ、彼女が今ここにいることはなかっただろう。軽い気持ちでの発言が、彼女の存在を否定していることに繋がってしまうとは、思ってもみなかった。
「ごめん、そういうつもりじゃあなかったの」
「そういうつもり……って、なに? なんで謝るの? 徐倫なにかした?」
 F・Fは、きょとんとした顔をしている。それはどうやら、とぼけているだとか、誤魔化しているだとか、強がっているだとか、徐倫に気を使っているだとか、そういった類の感情からきているわけではないようだ。本当に、徐倫が思ったようなことにまで、考えが至っていない。「スタンドが存在しているのは間違いないのに、それを科学で証明出来ないから認められないなんて、人間は変な考え方をするなぁ」なんてことすら思っているかも知れない。なんにせよ、彼女を傷付けたのではないのなら、良かった。
「……まあ、科学とか魔法とかは別として」
「うん」
「これは魔法なんかじゃあないわよ。技術よ、技術」
「技術」
「そう」
「ボール投げるのと同じ?」
「そう」
 F・Fはなるほどと頷いた。
「じゃあそれ、あたしにも出来る?」
 そう尋ねたF・Fの目は、小さな子供のそれのように輝いている。いや、誕生から経過した時間を考えれば、本当にまだ子供なのかも知れない。そんな彼女からの質問に、徐倫は首を傾げた。
「うーん、技術はともかく、あんたの髪じゃあ無理ね……」
「そっかぁ、駄目かぁ」
「駄目とかじゃあなくて、単純に長さが足りないのよ」
 徐倫は手を伸ばしてF・Fの髪をつまんでみせた。肩にすらかからないこの長さでは、編むどころかただ1つに束ねることだって無理だろう。今度もF・Fは、「なるほど」と呟いた。
「もっと長くなったら、教えてあげてもいいわ」
「ほんとっ?」
「いいわよ」
 それが先程の失言の“お詫び”になるのであれば、喜んで。
 F・Fの表情はますます明るくなった。
「ねえ、それよりもエルメェスの髪の毛の方が気にならない?」
 徐倫はいたずらを思い付いた悪ガキのような笑みを浮かべながら言った。
「エルメェスの? ああ、なんかロープみたいになってるやつ」
「そうそう。ドレッド……っていうの? あたしはあっちの方がどうなってるのか気になるわ」
「うん! 確かに!」
 言うや否や、F・Fは徐倫の手を引いて駆け出した。不意のことに、徐倫の足は縺れかける。
「行こ!」
 どうやら早速エルメェスの監房へ向かうことになったらしい。
「あ、エルメェスの髪の長さだったら、徐倫の髪型出来る?」
「長さは問題ないと思うけど……」
 その姿を想像して、徐倫は噴いた。
(でも……)
 エルメェスの髪型を徐倫のそれとお揃いにしたら、F・Fだけが違っていることになってしまう。どうせやるなら、3人一緒の方が笑えるに違いない。
(どっかでウイッグでも手に入れば……)
 わざわざそんな物を調達してまで同じ姿をしている3人を他の囚人や看守達が見たら、どんな顔をするだろう。それを想像しながら、徐倫はF・Fと一緒にもうひとりの友人の名を大声で呼んだ。


2020,10,10


あみだくじによって決まった今回のお題は『魔法』。
魔法……メイン要素って感じではなくなってしまった……。
でも今までちゃんと書いたことがなかった6部が書けて、それだけでも満足です!!
<利鳴>

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