ジャイジョニ 全年齢 現代パラレル


  one second


「お前、うるう秒って知ってる?」
 ジャイロにそう尋ねられた時、ジョニィはまだ半分眠ったままの頭で食卓にいた。手の中にあるクロワッサンは、最初のひと口以降減っていない。コーヒーの香りを嗅ぎながら、何故か船に乗る夢を見ていた。カモメらしき鳥がジャイロの声を運んでくるのに、少々の時を要した。
「ん、なに?」
 ようやく眼を擦りながら顔を上げると、ジャイロは同じ食卓の向かい側の椅子に腰掛け、朝刊を読んでいるところだった。もちろんそこは、船の上なんかではない。
「うるう秒」
 ジャイロがもう1度言う。
「なにそれ」
 素直に「知らない」と答えると、ジャイロは新聞を畳んでテーブルに置き、こちらへ滑らせてきた。受け取って広げながら、先程まで彼が見ていたのであろう記事を探す。
「簡単に言うと、時間のズレを修正するための1秒だな」
「時間のズレ? ……うるう年みたいなものか」
「まあ、感覚としては似たようなもんだな。理屈は全然違うんだが」
「ふうん?」
「地球の自転の速度は一定じゃあないんだよ。その所為で人間が作った“時間”とのズレが生じる。いつどのくらいズレるかは予想出来ないから、4年に一度のうるう年みたいに、決まった周期で修正が行われるわけでもない」
 まだ少しぼんやりしているジョニィと違って、ジャイロの眼はもうすっかり覚めているようだ。今日は朝から仕事だと言っていた――それに合わせてジョニィもベッドから這い出てきた――のだから、まだ夢の中にいるようではもちろん困るのだが。食後のコーヒーも粗方飲み終えた彼は、持ち前の饒舌っぷりを遺憾なく発揮している。
「ちなみに前回は3年前」
「全然記憶にない」
「トラブル起こしたサーバーなんかはあったらしいが、一般人にはそんなもんだよな」
「で、それがどうしたって?」
 尋ねたのとほぼ同時に『1秒長い1日』と書かれた文字を新聞の見出しの中に見付けた。記事の内容はおそらく今ジャイロが言ったようなことを小難しい言葉で綴ってあるだけだろうと読み飛ばしたが、『本日』の文字だけは眼に入ってきた。
「今日なんだ」
「そ。“今日”はいつもより長い、1日が24時間と1秒の日。影響受けそうなところはもう対策練ってるって、結構前から新聞にも出てたぜ」
「見てない。初耳」
 ジョニィは新聞を畳み直してテーブルの隅に置くと、食べかけの朝食を片付ける作業に戻った。
「たった1秒だけって、そんな短い時間じゃあ何も出来ないな」
 つまらなさそうに言って、パンに噛り付いた。
「いっそ5分くらいあるなら、その分長く寝てられるのに」
「5分長く働けって言われたら嫌だけどな」
「5分じゃあ残業代付かないもんね」
 そう返しながら壁にかけられている時計をちらりと見た。あの時計も、半日後には1秒ズレていることになるのか。いや待てよ、そもそも秒単位で合わせた時計なんてなかったはずだ。本当に一般人への影響はないも同然らしいなと、ジョニィは頭の中で呟いた。
「その1秒でメリットやデメリットがある人間っているのかな」
「バスケやサッカーの試合時間が延びるわけじゃあないしな」
 ジョニィは再び時計に眼をやった。うるう秒の件は一先ず置いといて、そろそろジャイロが出掛けなければならない時間だ。お喋りはこのくらいにしておいた方が良いだろう。そう思ったのに、ジャイロの方は――出掛ける準備はともかく――喋るのをやめるつもりはないらしい。空になった食器を片付けながらも、口を休めようとはしない。これから仕事だと言うのに、元気な男だ。お陰でジョニィの朝食はなかなか終わらない。今日は何も予定のない日だから、ジャイロが出掛けた後でゆっくり済ませることにしても、何の支障もないのだが。
「お前、その瞬間何して過ごす?」
 右手にカップを、左手に皿を持った状態でジャイロが尋ねる。ジョニィは口の中の物を呑み込んでから首を傾げた。
 たった1秒。それでも間違いなく普段は存在しないはずの時間。しかも次はいつあるか分からない。何か特別な行動をしようという人間は、おそらく大勢いるのだろう。その気持ちは、全く分からないわけではない。
「電波時計の時間が修正される瞬間を見るとか?」
 そんなものが特別見たいとは思えなかったが、他に思い付いたこともなかった。案の定ジャイロに駄目出しをされた。
「そんなのいつでも見られるだろ。うるう秒なんかなくても、時々は狂うんだから。暗いところでは完全に止まる時計だってあるくらいなんだぞ」
「だよねぇ」
「昔よくやったのは、年明けの瞬間にジャンプして、『オレ今年になった瞬間、空中にいたんだぜ』ってやつ」
「馬鹿みたい」
 ジャイロがくだらないことを思い付いた小学生のような顔で笑うので、ジョニィも同じ表情で返してやった。以前のジョニィだったら、今のセリフを歩けない自分への当て付けだと感じていたかも知れない。そんな捻くれた思考回路をいつの間にか手放すことが出来ていたのは、ジャイロとの出逢いが切欠だった。彼と出逢い、共に過ごした1秒の積み重ねがなければ、ジョニィは今でも自分の殻に篭って、その外に広がる世界とそこを流れる時間から眼を背けていただろう。ジャイロには、いくら感謝しても足りない。時が永遠に等しく延び、その全てを使ったとしても、「ありがとう」を言い切ることは不可能であるに違いない。
 ジョニィがそんなことを思っているとは知らずに、ジャイロは「なんか面白いアイディアねーかなー」と楽しげだ。ジョニィはそれを見ながら、少し微笑んだ。
「その時間って、仕事中じゃあないの?」
「いや、今日は半日で終わる。自由になるからこそ、なんかしたくなるわけよ」
「でもあんまりおかしなことすると、ひとりだけその時間に閉じ込められて他に置いていかれたりしないかな」
「なにそれ、お前のオリジナル? 何気に怖いこと言ってくれるじゃあねーか」
「それよりそろそろ出なくていいの? 遅刻の方が怖いと思うけど」
 「どうせ早上がりなら帰って来てから考えたらどうか」。そう言おうとしたジョニィの唇に、いつの間にかジャイロの親指が触れていた。そのまま顎を持ち上げられ、自然と視線はジャイロの方へと向く。椅子に座ったままのジョニィのすぐ傍で、仕事中は1つに束ねているらしい長い髪がさらりと揺れた。
「その瞬間」
 ジャイロはにやりと笑った。が、先程の“くだらないことを思い付いた小学生のような顔”とは違う。“何か企んでいる大人の顔”だ。その顔が、すっと距離を縮めてくる。
「いつもより余分な1秒の瞬間、恋人とキスしてる。……ってのはどうよ?」
 ジョニィは瞬きを2回した。
「2人一緒なら、時間に閉じ込められても平気だろ?」
「……解決になってないと思うけど」
 ジョニィが肩を竦めたのにも構わず、ジャイロは更に近付いてきた。接触まで、あとわずか十数センチ。声より先に呼吸が触れる。
「で? 返事はYes? それともSi?」
「一択じゃあないか、それ。ぼくがイタリア語分からないと思って馬鹿にしてるだろ」
「別にフランス語でもドイツ語でもかまわねーぜ?」
 ジョニィはくすくすと笑いながら、ジャイロの肩を押し戻した。
「何語でもいいけど、1秒増えるタイミングは今じゃあないだろ。遅刻してその所為で残業させられて、間に合わなくなっても知らないから」
「お? 今『いい』って言ったな?」
「えー? それ有効カウントなわけぇ? ってか本当に遅れるよ。マジで」
「はいはい」
 “お預け”になったキスの代わりのように、ジャイロはジョニィの頭を撫でた。
「んじゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
 ようやく玄関に向かった背中を見送りながら、“そのタイミング”をうっかり逃してしまわないように、今日やる予定の家事は全部早い時間に済ませてしまおうとジョニィは決めた。半身が不自由な彼は、常人ならすぐに出来てしまうようなことでも時間がかかる場合がある。それでも秒針が時を1秒ずつ刻んでゆくように、1つ1つ着実にこなしていけば、出来ないことはほとんどない。それに気付かせてくれた男の顔を思い浮かべながら、手始めに皿の上のパンを手に取った。


2015,11,22


今日はいい夫婦の日なのでジャイジョニアップしました。
だってジャイジョニは公式(百人一首の解説)で夫婦みたいって言われてたから!!!
それはさておき超今更うるう秒ネタです。
だってしょうがないじゃない。思い付いちゃったんだもの。
そして思い付いたのがうるう秒あった日の翌日だったんだもの。
次のうるう秒がいつかなんて分からないので、それまで取っておくってのはなしだ。
それならもういつアップしたって同じだよね! と思ってゆっくり書きました。
イタリアではうるう秒あるのが夜中になってしまうので、現代アメリカで同棲中のジャイジョニってことでお願いします。
<利鳴>

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