ジャイジョニ 全年齢


  北緯45度地点の2人


「寒い」
 ジョニィがそう呟くと、彼の手が触れている窓ガラスは白く曇った。外では凡そ45度の角度で限りなく氷に近い雪が降り注いでいる。この中へ馬を進めて行くのは無理だとの意見は見事に一致し、しかしそれさえやめばすぐにでも出発出来るようにと、彼は睨むように空を見詰めている。その背中に、ジャイロは声をかけた。
「そんなところにへばり付いてるから余計寒いんだろうがよ」
 窓の縁にしがみ付くその姿は、散歩に出たくて仕方がない仔犬のよう……と称するには、表情が少々険しい。それが、寒さの所為なのか、それともレースの状況、あるいは“遺体”を廻る戦いを思ってのことなのか、ジャイロには判断出来なかった。
「外ならオレにも見えてるし、聞こえてもいる。そこから離れろ」
 大股で近付いて行って取り上げた手は、想像通り、冷たかった。冷え切ったガラスに触れていたのだから無理もない。
「あーあ。こんなに冷たくして。末端が冷えると余計寒いだろ」
「でも、触る前からもう寒かったもん」
「じゃあなんで追い討ちかけるようなことしてんだ。寒いなら毛布にでも潜ってろよ」
 言うや否や、ジャイロは窓際に置かれた椅子からジョニィの身体を持ち上げた。驚いた顔をすることもなければ、咄嗟の声を上げることもない――つまり慣れてしまっている――ジョニィを、近い方のベッドの上に放り投げる。「ぼくは物じゃあないぞ」と抗議されたが、その口調は本気で怒っている時のそれとは程遠い。むしろ、兄弟とじゃれ合う子供のようですらあった。
「じゃあ、体調の管理くらい自分でしっかりやってくれよな。せっかく天気が回復したって時に、風邪でも引いてたら馬鹿馬鹿しいぜ」
 よりいっそう固形物の落下音染みてきた雪の音を聞きながら、それを遮断させるようにジョニィの頭に毛布をかけた。今度は「わぁ」と小さな声が上がった。毛布を手繰って顔を出そうとしたところへ、もう片方のベッドの毛布もくらわせる。さらにその上からぐしゃぐしゃと頭を撫でた。
 「溺れる溺れる」と喚きながらしばし上半身だけで暴れたジョニィは、ようやく顔を出すと、真っ直ぐにジャイロの方を見た。
「ジャイロは平気なの? 寒さ」
「いや、まあ寒いけど」
 貴重な体温をガラスに分け与えていたお前よりはマシだと返しながら、2枚の毛布に巻かれた少年の姿を見る。頭だけが出ているその格好は、クオリティの低い照る照る坊主のようだ。
「そもそも、だ」
 ジャイロがジョニィの鼻先を指差すと、蒼い瞳が少し中心へ寄った。
「熱を作り出すのが筋肉で、それを留めるのが脂肪だ。お前の場合、筋肉はともかく、脂肪が少なすぎんだよ。熱を維持出来てない」
「そうか。熱までぼくを見捨てるのか」
「何の話だ」
「『宿命』の話」
「わけ分かんないこと言ってないでもっと太れ」
「体重が増えたら馬の負担が増えるじゃあないか」
「これだからプロのジョッキー出身は。程々にっつー言葉を知らんのか」
「知らない」
「もっと飯食え!」
「オカンか君は」
「それじゃあせめて服装もっとなんとかしろ!」
「えー?」
 今は毛布の中で見えないが、今日のジョニィの服はいつもとさほど違いはなかったはずだ。流石に降雪地帯に入ってからは袖の長い服を着ているし、時にはいつもの星柄の帽子の上にさらにフードを被っていることもあるが、それよりも先にもっと改善すべき部分があるだろうとジャイロは詰め寄った。
「普通にちゃんと着てるじゃあないか」
 ジョニィは毛布を脱いで「何が問題なんだよ」と両手を広げて見せた。
「お前自分で気付いてないのかよ!? しょっちゅうヘソとか背中とか出てるだろうが! お前はあれか! 出さずにはいられないタイプの人間か!」
「人を露出狂みたいに言わないでよ」
「医学の世界では“そーゆー人”のことは『露出“症”』と呼ぶ」
「どうでもいい」
「とにかくヘソと背中をしまえ! 脇腹を見せるな! 人の集中力殺ぎやがって!」
「はあ?」
「それともあれか! 誘ってんのかこのエロリストめ!」
「なに言ってんのか分からない」
 ジャイロは素早く窓の外へ視線を走らせた。まだ雪はやんでいない。多少小降りになったようではあるが、まだ出発するのには適していない。
(それならむしろ好都合)
 ジャイロはサイドテーブルに置かれていた鍵を掴むなり、ドアに向かって歩き出した。
「ジャイロ?」
「決めた。服買ってくる」
「その服やめるの?」
「お前のだよ! 腹と背中出ない服を探してくるっつってんだ」
「雪降ってるのに?」
「やんだら出発するんだろうが」
「ぼくの服のサイズ知ってんの?」
「知ってる」
「なんでだおい」
「行ってくる」
「ジャイロが買ってくれるわけ?」
「おうよ」
「え、まじで? あ、でもぼく、趣味じゃあない服は着ないから」
「お星様だらけの探せばいいんだろ」
「なにそれ。完璧じゃあないか」
「行ってくる!」
 淡々としたジョニィの声は、放っておけばずっと続くだろう。自分をおちょくって遊ぶなら、せめてもっと楽しそうな顔をすればいいのに。そう思いながら、ジャイロは部屋を出て、ドアに鍵をかけた。
 ホテルを出ると、空から降り注いでいる物は白くてふわふわした雪らしい雪に――やっと――なっていた。まさか本当に“照る照る坊主”の効き目があったのではないだろうが……。このくらいなら、帽子とマントだけで凌げるだろうと判断する。降り方が大人しくなると、周囲はやけに静かだった。雪が音を吸い取ってしまっているのだろう。
 ホテルを出てすぐの所にある小屋に、繋いである愛馬の様子を見によってみた。ヴァルキリーは、「出発するの?」と尋ねるような眼を向けてきた。「もうちょっと待ってくれな」と撫でた頸から、温かさが伝わってくる。馬の体温は人間よりも少し高い。が、その背に乗るからと言って、防寒は手抜きで良いということはないだろう。
「ちょっとそこまで行ってくる。いい子で待ってろよ」
 隣にいるスロー・ダンサーの様子にも異常がないことを確認し、再び雪の中へ出て行く。それを待っていたかのように――おそらく実際に待っていたのだろう――、頭上から声が降ってきた。
「ジャイロ!」
 見上げれば、ジョニィが顔を出している。あいつまた窓のところにと、ジャイロは呆れて白い息を吐いた。それが見えているのかいないのか、ジョニィは「行ってらっしゃい」と手を振った。
「馬鹿。本当に風邪引くぞ。つーかそんなに乗り出したら落ちるぞ。言っておくが、そこ2階だからな」
 手振りで「さっさと閉めろ」と指示すると、「はいはい」とあしらうような顔でジョニィは従った。
(まったく……。見送ってくれるのが嬉しいと、素直に思いづらいじゃあねーか)
 「いい子で待っているように」と告げるべきなのは、愛馬よりも相棒の方だったかと思いながら、ジャイロは歩みを速めた。


2016,01,18


書き終わってからググったら、アメリカにもイタリアにも照る照る坊主存在しないぽ。
そんなことより道中一度くらい体使って温めあう展開があってもいいはずだと思ってやまないわたしガイル。
むしろあれと願っている。
誰かください。
<利鳴>

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