ジャイジョニ 全年齢


  小さな星の騎手


「もし、ぼくがもう1人いたらどうする?」
 夕食を終えて、眠りにつくまでのちょっとしたくつろぎの――それでももちろん周囲への警戒は忘れていない――時間に、ジョニィがそんなことを言い出した。
「なんだって?」
 突然すぎるその問い掛けに、ジャイロは英語の聞き取りを誤ったのだろうかとさえ思った。それほどまでに、質問の意味が分からなかった。
(そもそもこいつが振ってくる話題には脈絡と前振りがなさすぎるんだ)
「お前がもう1人?」
「そう」
 聞こえた質問文を聞こえたまま返すと、ジョニィはあっさりと頷いた。どうやらジャイロの聞き間違いではなかったらしい。
「双子だったら……って意味か?」
 確か兄弟がいたとは聞いていたが、それがそうだったというのだろうか。そう思って尋ねると、ジョニィは肩を竦めるような仕草をした。
「ちょっと違う」
 ジャイロはコーヒーがまだ僅かに残っているカップを地面に置き、ジョニィの方へと身体の向きを変えた。反対にジョニィは、両手で持ったカップに口をつけた。
 ジョニィが再び話し出すのを待ちながら、フと視線を上げると、北斗七星が光り輝いているのが見えた。空には1つの雲もない。加えて今夜は新月だ。北斗七星をスプーンの形であるとした時、柄の部分の先端から2番目に位置する二等星、ミザール、そしてそれに寄り添う暗い星、アルコルが、今日ははっきり見て取れる。その2つの星は、ミザールを馬に、アルコルを騎手に見立ててラテン語では『小さな星の騎手』と呼ぶ。その名称を、ジャイロは眼の前にいる少年――『青年』と呼ぶにはその顔付きにはまだ僅かに幼さが残っている――に、よく似合っていると思った。
(にしては馬が目立ちすぎか。おいミザール、お前はもっと主人をたてろ)
 視線を下げて地上にいる馬たちに眼をやると、2頭とも既に眠っているようだった。
 何の話をしていたのかを忘れかけた頃になって、ジョニィは――あるいは眠ってしまったのかと思ったが――ようやく口を開いた。
「ぼくじゃあないぼくがいるんだよ。そんな夢を見た」
「ゆめぇ?」
 ジャイロは眉を顰めた。しかし、ジョニィの表情は穏やかでありながらも真面目だった。「くだらない」と一蹴してしまうのを躊躇うには充分なほどに。
 ジョニィはなおも続ける。
「その『ぼく』はね、ぼくとは全然似てないんだ。背が高くて、筋肉質で、それから髪が黒い。あとたぶん、アメリカ人じゃあないな。喋り方はイギリス人っぽかった」
「それ本当に『お前』かぁ?」
 ジャイロが苦笑したような顔を作ると、ジョニィは極自然に笑ってみた。なかなかにレアな表情だ。
「それから」
 ジョニィは1度言葉を区切って視線を下へ向けた。その先にあるのは彼の動かない2本の脚だ。
「その『ぼく』はちゃんと歩ける」
 表情を変えることなく言うジョニィに、ジャイロはどうリアクションして良いのか分からずに「へぇ」と間の抜けた相槌を打った。
「そっちの『ぼく』はぼくと違って紳士なんだ。だからぼくが撃たれた原因になったようなことを、『ぼく』はしない。あれ、言ったっけ? ぼく撃たれたんだ。後ろから銃で。なんで撃たれたか聞きたい?」
「いや、いい」
 ジャイロは即座に首を横へ振った。わざわざ聞かなくても、それが愉快な話ではなさそうだということは、ジョニィの自虐的な微笑みを見ただけですぐに分かった。
「で?」
「あ?」
「どうする?」
「なにが」
 尋ね返してから、最初の質問文が「どうする?」で終わっていたことを思い出した。
「『どう』って……」
「じゃあ質問を変えるよ。君は今、ぼくと協力関係を結んでるわけだけど、ぼくともう1人の『ぼく』、どちらか片方としか組めないとしたら、どっちを選ぶ?」
 ぱちんと音を立てて焚き火の薪が爆ぜた。その音が、逆に静寂を呼び寄せたようだ。風の音すらなく、辺りは静まり返っている。だが、驚きと戸惑いの表情を凍り付かせたまま、蒼い瞳から視線をそらせることも出来ずにいるジャイロの耳には、冷たく微笑む少年の声が届いた気がした。『やっぱり迷ったね』。
「……違う」
 無意識の内に、ジャイロは否定の言葉を声に出していた。ジャイロが「聞いた」と思っただけで、実際には口を開いてもいないジョニィに対し、一体何が「違う」のか……。しかしジョニィはそれを尋ねてこなかった。尋ねるまでもなく、考えていることは全て分かっているんだと言うような顔をしている。
「お前、なんの話をしてる?」
「『もし』の話」
 ジャイロは小さく舌を鳴らした。
 ジョニィは時折、「自分にはなんの価値もないのだ」というような素振りを見せる。自分はマイナスで、必要とされることなど、ありはしないのだ、と。半身の自由を失い、騎手としての『価値』を失くし、競馬界から『必要』とされなくなったから……? いや、それだけではなさそうだ。おそらくもっと過去に、大切な誰かからそんな辛辣な言葉を投げ付けられたことがあるに違いない。ジョニィは家族の話を極端に避けていた。兄弟の存在を聞かされたのは、今になって思えば奇跡的なことだったのかも知れない。
 再び焚き火が音を立てた。それを合図にしたように、ジャイロはふっと息を吐いた。もとい、鼻で笑った。「愚問だ」と言うように。そして答えた。
「オレには、オレを必要としている方のお前が必要だ」
 意味を考えるように、ジョニィは瞬きを繰り返した。1つの文章に同じ単語が繰り返し出現したために、少し混乱しているようだ。
 ジョニィの気持ちは分かっているつもりだった。不安になる時があるのだろう。『誰か』のように、ジャイロがジョニィを見捨てる日がくるのではないかと。「そんなことはない」と否定してもらいたいがために、彼はこうしてジャイロを試そうとする。
「お前がさっき言った『お前』、どうやらパーフェクトじゃあねーの。そんなやつがオレについてきたがると思えねーんだよな、まず。そもそも、『そいつ』、オレと会ってるか?」
 回転の秘密を追ってきた少年との出会いは、彼が彼でなかったとしたらありえないものだった。
「パーフェクト野郎の引き立て役なんてごめんだね。わがままで、頑固で、生意気で、すぐ泣いて、ちっこくて、今は、歩けない、オレについてきてくれる『お前』を選ぶ」
 ジャイロには、そんなジョニィが必要なのだ。ジョニィがいなければ、おそらくここまで来ることは出来なかった。彼が自分を必要としてくれるのと同じくらい、自分には『彼』が必要だ。例え小さな星であったとしても、それが欠けてしまえば夜空に神話を紡げなくなってしまうように。
(まあ、アルコルは星座のパーツじゃあないけどな)
 しかしミザールが野生の馬ではない限り、主人がいなくてはならない。やはり間接的に、アルコルは欠くことの出来ない存在なのだ。
「他のお前はいらない」
 ジャイロは手を伸ばしてジョニィの頭を少々乱雑に撫でた。
「『この』『お前』がいい」
 ジョニィが求めているのであろう言葉よりももっとはっきりとした言葉で断言してやると、少し赤みの差した顔を隠すように、ジョニィはカップを口許へ運んだ。
「それまだ入ってるか?」
「入ってるよ」
 「うるさいなぁ」と呟くのを聞いて、ジャイロは笑った。
「ところで、その『お前』、身長どんだけあるって?」
「190以上」
「うわ。絶対嫌だね。人のこと見下ろしてんじゃあねーぞ。オレが上で、お前は下だ」
「結局自分が一番じゃあなきゃ嫌だってこと? 人のこと見下すなよ」
「お前はそのくらいでいーの。あんまりでかかったら、馬がカワイソーだろ。なあミザール」
「スロー・ダンサー。勝手に改名するなよ」
 「君の話って脈絡と前振りがないよね」と頬を膨らませながらも、小さな星の騎手アルコルは、少し笑っていた。


2012,06,18


最初は混部小説『七つ目の星』の続編のつもりで書いていたのですが、ジョナサン出てくるわけでもないしと思って普通に7部扱いにしました。
<利鳴>

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