ジャイジョニ 全年齢


  I Hate/Love You


 「準備出来たか?」と尋ねられて、ジョニィは「OK」と応えた。スロー・ダンサーとヴァルキリーは、すでにその背に主人を乗せ、出発の指示を待っている。荷物もきちんと全部持った。あとはジャイロが広げた地図をしまうだけだ。が、
「……ジャイロ?」
 ジョニィは訝しげな顔をした。相棒が地図を畳んで「よし、行くぜ」と言うのを待っているのに、ジャイロは何故かなかなか顔を上げようとしない。地図を畳むどころか、ガサガサと音を立てながら、それをぐるぐると廻し始めた。
「なにしてんの」
「いや、ちょっと」
 誰が決めたのか知らないが、地図は普通北を上にして描かれている。それを廻して実際の進行方向と方角を揃えないと道を読めない――つまり、自分が西を向いている時は、地図も90度右へ回転させて見る――タイプの人間は、おそらく一定数存在するのだろう。それはいい。自分にはそんなことをする必要性が理解出来ないが――普通に北が上のままで読めるではないか――、その人がそれで目的地まで迷うことなく辿り着けるのであれば、結果は同じだ。問題は、今眼の前にいる男が、地図を完全に逆さまに見ていることだ。広げられたそれは今、南が上を向いている。
「ぼく達がどこに向かってるか分かってる?」
 ジョニィは口調を変えずに、抑揚の乏しい声で質問した。
「ニューヨークだろ。レースのゴール」
 ジャイロはやはり顔を上げずに返した。
「ニューヨークがどこにあるか知ってる?」
「東」
「じゃあどうして君は西を向きながら南を上にした地図を見てるの?」
「……」
 再びガサガサと音が鳴って、地図の向きとジャイロの顔の向きが修正された。ジョニィは溜め息を吐いた。
「君、どうやってサンディエゴまで行ったの? 奇跡でも起こしたの? あと、ニューヨークは確かに東だけど、途中でチェックポイントを通らなくっちゃあいけないってのも、もちろん覚えてるよね? ただニューヨークに行きたいだけなら、海に出るまで東に進んで、あとは海岸に沿って走ればいいかも知れないけど。ぼく達はそれじゃあ駄目だってことは、当然分かってるよね?」
「分かってるって。大丈夫に決まってんだろ」
 そう返しながら、ジャイロはようやく地図を片付け始めた。それを鞄の中にしまう時、彼が“何か”に向かって笑顔を見せたのを、ジョニィは見逃さなかった。「宿に着いたら出してやるからな。いい子にしてろよ」と言う声まで聞こえた。
「はあ……」
 ジョニィは再度溜め息を吐いた。
「なんだよ、その溜め息。と、その顔」
 ジャイロは少しむっとした表情で言った。が、ジョニィこそ少しは怒っても許される立場にいるはずだ。一歩……、いや、半歩でも間違えば命を落としかねないこの状況で、よりによって道も把握していないなんて……。人ひとりの命を道連れにしていることを、果たして彼は理解しているのだろうか。もちろん、「嫌ならついてくるな」と言われてしまえば、それまでなのだが。
「どうして君はそんなに適当なんだ」
 腹が立つのよりも先に、本当にこんな調子で大丈夫なのかと心配になってくる。よくこれで独りでレースに参加する気になれたものだ。自分が同行していなかったら、どうやって進路を見定めていたのだろうか。適当な選手にぴったり張り付いてでも行く気だったのか。だが、誰かの後ろを走っていたのでは、優勝なんて出来るはずがない。ラストスパートで追い抜くつもりだったのか。しかし今、先を走る者の姿は見える範囲にはひとつもない。自分がいなかったら、今頃彼は逆方向に馬を走らせているのではないかとすら思った。
「ぼく、君のそういうところがきらいだ」
 不安になるから。自分のことが、ではなく、ジャイロのことが。
 思い切り呆れ顔で言ってやったのに、何を思ったのか、ジャイロはニイっと歯を見せて笑った。
「なんだよその顔」
 先程言われた言葉をほぼそのまま返した。
「てきとーなところが嫌いだって?」
「そう言ったよ」
 その程度の発言でジャイロが腹を立てたり、気を落としたりするはずがない。そう分かっていたからこそ、ジョニィはその言葉を口にしていた。だがまさか、不適な笑みが返ってくるとは、完全に予想外だ。なんだか嫌な予感がする。
 ジャイロが口を開いた。
「じゃあ、“それ以外のとこは好き”っつーことだな?」
「はあっ!?」
 ジョニィが顔を歪めると、ジャイロはニョホホと笑った。
「何馬鹿なこと言ってんの!? 誰がいつそんなこと言ったんだよ!」
「照れんな照れんな。大丈夫。ちゃあーんと分かってるって」
「人の話聞けよ!」
「赤くなっちゃってまあ。可愛い可愛い」
「ッ……、そーやって人の話聞かないところも嫌いだッ!」
「はいはい。じゃあさっきのと今の以外は好きで好きでたまらないってことね」
「言ってないッ! すぐ茶化すところも嫌いだし、むちゃくちゃなところも嫌いだし、クママニアなところも大っ嫌いだ!!」
「それもう好きなところ言った方が早いんじゃあねーの?」
「――ッ!?」
 ジャイロの好きなところを言うなんて、それはつまり「そんなジャイロが好き」と言うも同然だ。
「誰が言うかッ!!」
 すっかり慌てふためいてしまったジョニィは、否定ではなく拒否の言葉を放っていた。「好きではない」ではなく、それを「言わないだけ」だと。
「結局認めてんじゃあねーか。素直じゃあねーな」
「違うッ!! ジャイロッ、いい加減にしないと、本当に怒るぞッ!!」
 ジョニィの顔は真っ赤に染まっている。しかしその原因は“怒り”だけではない。ジャイロはそのことを百パーセント悟っているようだ。小馬鹿にしたような顔で、にやにやと笑うジャイロは、しかし不意にその表情を優しげな微笑みに変えた。
「まあ、お前のそういうところも、オレは好きだけどな」
 全力でからかっている。シリアスな表情が続いていたのはほんの数秒間だけだった。絶句したジョニィの顔がよほど面白かったらしく、ジャイロはぎゃははと声を出して笑い出した。そのジャイロ目掛けてジョニィは爪弾を撃った。有無を言わさず、片手分全部だ。放たれた爪は高速で回転しながらジャイロの帽子の鍔に空いた穴――ただのデザインなのか、何らかの機能があるのかはジョニィには分からない――のひとつを潜っていった。5発全て、ジャイロ自身はおろか、帽子にすらわずかな傷を付けることもなく、弾丸は彼方へ消えていった。
「な、ナイスコントロールじゃあねーか……」
 ジャイロの表情は引き攣り、声もわずかに震えていた。
「もちろん意図してやった。次は当てるから」
「おいやめろ漆黒」
「出発するの? しないの?」
「する。します」
 ようやく馬に指示を与えたジャイロの後を、ジョニィはしばし睨み付けながら進んだ。


2016,06,26


地図読める人をわたしは心から尊敬しています。
最初はシリアスにしようと思っていたのですが、なんか重くなりすぎたので軽く! もっと軽く! と思いながら進めていたら最終的にアホに納まりました。
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system