ジャイジョニ 全年齢


  H.O.N.E.Y.


 星でも流れないだろうかと思いながら眺めていた空は、次第次第に明るさを増し、もう“夜空”と呼ぶのを躊躇うような色へと変わり始めている。今正に昇ろうとしているはずの太陽は、おそらく低い位置に広がっている雲の向こうに隠れてしまうだろう。それでも、新たな1日がまた始まろうとしていることは、誰の目にも明白であると断言出来る。そしてそれと同時に、話し相手もなく、退屈で仕方がない――だがもちろん何事もないのが一番である――夜間の見張りも終了だ。そろそろ数時間前に見張りを交代した相棒を、起こしても良い頃だろう。
(コーヒーも入ったことだし)
 ジャイロ・ツェペリは腰を上げて振り向き、数時間前に張ったテントへと視線を移した。
 彼の相棒であるジョニィ・ジョースターは、日によっては入れたてのコーヒーの匂いに誘われて自ら外へ這い出てくることもあるが、どうやら今日は違うようだ。過酷なレースの最中で、しっかりと睡眠を取ることが出来ているのであれば、それは喜ばしいことである。
 今日のコーヒーには、砂糖の代わりにひとつ前の町で購入した――そして昨夜はうっかりその存在を忘れてしまっていたのでまだ口に出来ていない――ハチミツを入れてある。水や食料、その他の必要な物を買い揃えに行った際に、琥珀色の液体で満たされた硝子瓶が目に留まったのは、おそらくただの偶然ではない。その日の起床の直後に目にした、窓から差し込む朝陽に照らされてハチミツ色に輝くジョニィの髪は、『綺麗だ』としか表現しようがなかった――本人はまだ目が覚め切っていなかったようで、これでもかというほど眉間にシワを寄せた『ヒドい』としか表現しようのない顔をしていたが――。今日の頼りない日差しでは、同じ光景を期待するのは難しいかも知れない。なので、手元にある本物のハチミツで我慢することにしておく――「“本物”が代用品だなんて、普通は逆だな」と思いながら――。
「おーい、ジョニィ。朝だぞー」
 呼び掛けながらテントの中に顔を突っ込むと、穏やかな寝顔がそこにあった。胎児のように体を丸めた姿勢。薄く開いた唇からは、規則正しい寝息がかすかに聞こえてくる。前日に見た目覚める間際の――『ヒドい』――表情が嘘のようだ。そうしていると、どこにでもいる極普通の少年――と呼んだら、「子供扱いするな」と憤慨されるかも知れない――のようにしか見えない。傷だらけになりながらも「絶対について行ってやるからな」と食い付いてくる姿なんて、想像すら難しいだろう――ジャイロはすでにそれを見てしまっているが――。
 そんな無防備な寝顔を見ていたら、ふと、ちょっかいを出してみたくなった。並べて馬を走らせる最中にも時折思い付く、ちょっとしたジョークの一環のようなものだ。あるいは、それこそ子供が思い付くような、くだらないただの悪戯。ジャイロは地面に両手を付いて姿勢を低くし、ジョニィの耳元に囁いた。息が、いや、唇すら触れそうな、ギリギリの距離で。
「ハイ、ハニー。そろそろ起きる時間だぜ。もうコーヒーも入ってる」
 「それとも『おはよう』のキスの方がいいかい?」とでも続けようとしたその瞬間、下顎の辺りに強い衝撃を受けた。「殴られた」と気付いた時には、彼は仰向けにひっくり返っていた。
「いって……」
 ジャイロは、「舌を噛まなくて――噛み切らなくて――良かった」と思いながら起き上がった。すると、ジョニィも起き上がっていた。彼は拳を握ったままだった。
 これでもかというほど冷たい目で睨まれるか、それともジャイロの存在自体見えていないのではないかと思うほどの完全スルーのどちらかかと思ったが、それよりはリアクションがある分“こっち”の方が良いかも知れない。が、やっぱり痛い。スタンドを出されなかっただけましと思うべきだろうか。
「何、今の」
 地の底から響くような声で、ジョニィが言う。結局睨まれてしまった。では殴られ損か。
「目覚め最悪なんですけど」
 本人の申告の通り、ジョニィは昨日の目覚めよりもさらに『ヒドい』顔をしている。先程見た穏やかな寝顔は、別の世界――そんなものがあるとするならばの話だが――にまで飛んでいってしまったのだろうか。
「もうちょっとでぶん殴ってるところだよ」
「いやいやいやいや、ジョニィさん? 今思いっ切り殴りましたけど?」
 それとも目覚めより先に――意識のないまま――殴ったとでも言うのか。
「あーもー、マジで最悪。気色悪い冗談やめてよね。なんかおかしな物でも食べたの? それとも、頭でも打った?」
 打ったとしたら、それは今だ。
 ジョニィは毛虫でも入れられたかのように、頻りに耳を擦っている。まさか「ハァイ、ダーリン」と返ってくるとまでは期待していなかったが、この反応はなかなかにひどくはないだろうか。
「なんだよ、英語では、人のこと『ハニー』って呼ぶんだろ?」
「そりゃ呼ぶ人もいるけど」
 「恋人等の、特別愛しく思う者に対しては」。お互いに、同じ言葉を省略したことが分かった。ジャイロは、それを踏まえた上で、
(呼んだらいけないわけ?)
 首を傾げる仕草で尋ねると、まだ少しむっとしたままの顔が、朝焼けのように赤く色付いた。今すぐに地団駄でも踏みたいような様子だが、結局ジョニィは「駄目だ」とは言わなかった。拗ねた子供のような顔は、シンプルに『可愛い』と表現するのがベストであるように思える。正直に言うと、そんな彼をもうしばらく眺めてニヤニヤしていたいのだが、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。今日もゴールを目指して、馬を走らせなければ。
「ま、それは置いといて、だ」
 ジャイロは本音をぐっと呑み込んで、話題を打ち切った。
「そろそろ準備するぞ。今日中に次の町に着きたい」
 ジョニィはまだ何か言いたいような――それでいて言葉が出てこないような――顔をしていたが、それでも「うん」と頷き、テントから這い出た。
 外は先程よりもさらに明るくなっていた。もう一等星ですらどこにも見えない。風に乗って、鳥の囀りがかすかに聞こえる。所々に雲はあるが、雨の気配は今のところないようだ。トラブル――例えば他の参加者からの妨害や、テロリストからの攻撃等――さえなければ、今夜は野宿をせずに済むだろう。
「あ、コーヒーの匂い」
 ジョニィの声が言った。彼はすんすんと鼻を鳴らすような仕草をしている。どうやら、先程「コーヒーが入った」と教えてやったのは、聞こえていなかったようだ――あんなに至近距離で言ったのに――。
「お前を起こす前に入れておいた。今日のはハチミツ入り」
「飲む」
 一瞬で機嫌を直したらしいジョニィは、2本の腕で地面の上を器用に移動し、昨夜から燃やしっぱなしの焚き火――薪を足していないので炎は小さくなりかけてきている――の傍に座った。
「はいよ」
 湯気を立てる黒い液体が入ったカップを差し出すと、ジョニィはそれを早速口元へと運んだ。
「すっごいいい匂い。美味しい」
「甘さは?」
「んー、もう少しあってもいいかな?」
 ハチミツは同量の砂糖よりも甘みが強いと言われているので控えめに入れたのだが、減らし過ぎたか。
「足すか?」
「うん」
 ジャイロはそれを瓶ごと手渡し、自分の分のカップに口を付けた。確かにもうちょっと甘くてもいいかも知れない等と思っていると、ジョニィが小さく「あ」と声を上げた。
「ん、どした」
「零した」
「勿体無い」
「大丈夫。零したって言っても、手に付いただけだから」
 言うな否や、ジョニィは自分の指先に付いたハチミツを、ピンク色の舌でぺろりと舐め取った。
 それを見ていたジャイロは、真似したくなった。自分の手で、ではない――自分の手“で”真似を“させる”ならありかも知れない――。だがそんなことをしたら、今度こそスタンドを使われる恐れがある。今日も長い距離を走らなければならないのに、朝っぱらからいらん負傷をしている暇はない。
(うん、自重しよう)
 ただしその自制心が、ハチミツの瓶が空になるまで――おそらく数日はかかる――続くかどうかは、保証出来ないが。
「なに?」
 視線が気になったのか、ジョニィは訝しげに首を傾げた。
「いや、なんでもない」
「そう? 変なジャイロ。まあ、変なのはいつものことだけど」
 視線を真っ直ぐこちらへ向けるその顔を、朝陽の力になんかに頼らずとも充分『綺麗だ』とジャイロは思った。ただ少し欲を言えば、そこにある表情が甘い笑顔であったりしたら、もっと最高だったのだが。


2020,01,10


「HONEY」をお題にして何か書くことになったのですが、ジョニィの髪の毛の色を「ハチミツ色」って書きたい星人のこのわたしが7部以外を書くわけにはいかなかった!
ちょっと久々に7部書けて楽しかったです。
<利鳴>

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