ジャイジョニ 全年齢


  言の葉の力


 目を覚ました時、ぼくは全身汗だくだった。暑い季節でもないのに……いや、むしろ夜が明けたばかりの空気は涼しい。直射日光が当たっていたわけでも、火の近くにいたわけでもないのに、体は熱を纏い、呼吸も荒い。この不快な感覚は、ぼくが夢の中から持ち帰ってきてしまったものだ。顔に張り付いた髪を耳にかけながら深い溜め息を吐くと、不意に視界に何か白い物が差し出された。
「ほらよ」
 ジャイロが手にしたタオルだった。近くの川で濡らしてきたのであろうそれは、受け取ると程良く水気が残されていて、朝の空気と同じように、少しひんやりとしていた。ジャイロは何も言わなかったが、それで顔を拭けということなのだろう。ぼくはそんなに見苦しい顔をしているのかと、恥ずかしくなる。
「ありがと……」
 表情を隠すように広げたタオルでごしごしと顔を擦ると、少しすっきりした。そこに吹いてきた風の心地良さは、しかし胸の中に残ったもやもやまでは消してくれなかった。口元に当てたタオルの下で、ぼくはもう一度溜め息を吐く。
「……夢を見た」
 尋ねられたわけでもないのに、ぼくはそう口を開いた。ただの夢だってことは、分かっている。くだらないことだと、充分理解している。でも今のぼくは、はっきりと「ただの夢だろ。くだらない」と自分以外の声でばっさり切り捨てられることを望んでいた。自分の頭の中の声だけじゃあ、信じ切ることが出来ない。何故ならその声も、その夢と同じ場所で作られているものだから。
 ジャイロは小さく「へえ?」と首を傾けた。さほど興味のある様子ではない。やはり「夢なんてくだらない」と思っているのだろう。それでも「お前が話したいなら話せば?」と促すように、視線はこちらを向いてくれている。
「君に……、おいていかれる夢だった」
 ジャイロの表情は変わらなかった。それでもぼくはそれを直視していることが出来なくて、両手で握ってくしゃくしゃになったタオルを見詰めるように顔を伏せた。
「待ってって言っても、聞こえてないみたいで、慌てて追いかけようとするんだけど、どんどん離れていくんだ。ぼくだって全力で走ってるのに」
 やっぱり言わなきゃ良かった。「くだらない」と言ってもらえることを期待しているということは、“言葉”が持つ“力”を――少なからず――信じていると認めるのと同義だ。今その夢の内容を口に出して喋ってしまったことによって、それもまた“力”を得てしまった。もっと大きな否定の力を持つ言葉をぶつけないと、それはきっと消せずに残る。勝手におかしな夢を見て、勝手にそれを言葉にして、他人になんとかして消してくれと望む。なんて身勝手なんだろう。そりゃあ愛想尽きておいていきたくもなるさ。いやいや待て、順番が違う。おいていかれ――る夢を見――たのが先だろう。前提と結果が逆になっているぞ。寝惚けているのか? 目を覚ませ。落ち着け、ジョニィ・ジョースター。
「それで?」
 ようやくジャイロが口を開いた。彼の手は朝食の準備に取り掛かっていた。
 「待ってくれったら」、そう叫びながら爪弾を10発全部撃ったところで目が覚めた――直撃したかどうかまでは確認出来なかった――。そう言うと、ジャイロは「撃ったのかよ。アブネーやつ」と笑った。でも実はそれは咄嗟に吐いた嘘だった。本当は何も出来ないまま夢は覚めていた。
「寝惚けて実際に撃つなよ」
「気を付けるよ。気を付けられればね。寝てる間のことはちょっと責任持てないな」
「おいおい。それにしてもくだらねー夢見てんだな」
 その言葉が聞きたかった、はずだった。なのに、ぼくの中のもやもやはまだ晴れない。何故? 空が曇っているから? 関係ないだろ。夢の内容を捻じ曲げて茶化そうとした所為か?
「くだらねーっつーか、ありえねーっつーか」
 鍋を火にかけながらジャイロは続ける。ぼくはその口を、手を伸ばして届くものなら押さえ付けて塞いでいただろう。
 やめて。
 何も言わないで。
 「オレがお前をおいていくわけないだろ?」とでも言うつもり?
 聞きたくない。
 ぼくは嘘を吐いた。
 実際には見ていない場面を見たと言った。
 だから君の口から出る言葉も、それは嘘になってしまっているかも知れない。
 聞きたくない。
 そんな出来すぎた言葉は。
 作られたみたいなセリフは。
 聞かせないで。
 言わないで。
 ああ、言葉が力を持つだとか、言えば逆に嘘臭くなるだとか、矛盾だらけだ。分かってる。でもどうすればいいか分からない。ジャイロの口が動く。お願い、黙って。いっそ本当に撃ったら――もちろん命中はさせない――、びっくりしてとまってくれる? いや、もう遅い。
「お前が『待って』なんて言ったこと一度もないってのにな」
 風がやんだ……ように思った。でもそれは錯覚だった。相変わらず冷たい風が皮膚を撫でているし、ジャイロの長い髪やマントも靡いている。でも音がやんでいた。いや、実際にはきっと鳴り続けている。でもぼくの耳にはジャイロの声しか届いていなかった。
「いや、その言葉自体は何度か言ってた気がするけど。砂漠に入ってすぐの頃とか。『ちょっと待て』とか。でもそれとは意味っていうか、用途が違うだろ?」
 ジャイロの目はぼくの方を見ていない――鍋を見張るのに忙しいようだ――。だからぼくの顔はジャイロに見られていない。見ていたら、きっと彼は笑っていただろう。その時のぼくは、アホのように口を開けて、間抜けな表情をしていただろうから。
「お前、誰かに連れてってもらわなくたって、自力でどこにでも行けるだろ。むしろ『ついてくるな』って言っても追ってくるタイプだ」
 口を開けてぎゃははと笑う。金色の歯が朝日を反射して光っていた。そこに刻まれた文字を初めて見た時のことを思い出す。そう、ぼくはあの時、何がなんでも彼においついてやると誓った。
「大人しくおいていかれるタマじゃあねーよなぁ」
 笑い方が「ニョホホ」に変わる。変な声に、力が抜ける。真面目に走っている時にはその声、やめてもらわないとな。
「よし、そろそろ朝飯の準備出来るけど、お前はまだ寝惚けたまんまでいるつもりか? あんまりゆっくりしてると、先に行っちゃうぜ〜?」
 笑顔がこちらを向いた。それにぼくが返すべき言葉は? 「待って」? いや違う。
「行ってやるさ」
 ぼくは行ける。彼と出会えたから。彼が先にいるから。どこへだって、追って行ける。ぼくが彼といるのは、彼の許しがあったからではない。ぼくの意思だ。“つれていって”もらったことは一度もない。
 ジャイロの顔からおどけたような笑いが消えると、代わりに現れたのは柔らかな微笑みだった。と思ったのも束の間で、またすぐ表情を崩す。大きなスプーンの先を真っ直ぐぼくへ向けてきた。
「だがな、オレが一着でお前はその次だ! もう二度と忘れねーようによぉ、何度だって言うからなコノヤロー。オレの後を来るのはいい。先に行くのは許可しないッ!」
「あーはいはい。分かったよ、もうっ。君まだそのこと根に持ってるの?」
「当たり前だろッ! いいか、ぜってーオレより先に行くなよ!」
「分かったってば。しつこいなぁ。ジャイロがしてないゴールはぼくもしません。神に誓って。これでいい?」
「うーむ、そこでいきなり信仰心アピールされると逆に嘘臭いな」
「面倒臭いなぁ」
 そうだった。ジャイロが先に行くのは、今に始まったことでも、夢の中に限ったことでもないんだった。ぼくさえ立ち止まってしまわなければ、彼はいつだってぼくが行くその先にいる。おいてなんて、いかれはしない。
 いつの間にかジャイロの顔が近くにあった。ぼくの表情を覗き込んでいるようだ。
「よし、起きたな」
 うん、やっとすっきりしてきたところだ。
「今日も飛ばすぜ。ついてこれるか? なんなら、待っててやろーか?」
 にやりと口角を上げるその表情は格好いいのに、右手に大きなスプーンを持ったままなところが残念だ。あと、少し離れたところに置いてある彼の鞄――少し口が開いている――の中から“クマちゃん”の顔と手が見えているところも残念ポイント追加。
「待たなくていいよ。絶対追いついてみせるから」
 自信たっぷりに言ってやると、ジャイロも満足そうに頷いた。


2017,05,10


ハンデあるのに弱音吐かずにジャイロについていく(いけちゃう)ジョニィマジすげぇ。
でもジャイロはジョニィをおいていったよね最終的には。
一回ジョニィに先にゴールされたのが悔しかったからって、そんなに先に行っちゃうことないじゃあないか。ぐすんぐすん。
まあ、いずれそこにも追いついてしまうんですけどねジョニィも。ぐすんぐすん。
<利鳴>

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