ジャイジョニ 全年齢


  PALETTE


 ホテルの外に出ると、地面は少し濡れて黒っぽく変色していた。どうやら明け方に雨が降ったらしい。幸いにも今はやんで晴れているし、水溜りもない。これから進む先に泥濘がないとは言い切れないが、さしあたっては出発の障害となるものは何もなさそうだ。
「舗装された平らな地面ってさ、誰が考えたのかな。そいつって天才じゃあない?」
 ジョニィ・ジョースターは慣れた手付きで車椅子を操りながら、その場でくるくると廻って見せた。馬に乗っていれば多少足場が悪くとも、段差があろうとも、問題なく移動出来る。だが、車椅子ではそうはいかない。ここの前に宿泊したホテルでも、車椅子を借りることは出来た。が、ホテル前の地面はフラットであるとは言い難い状態で、とてもストレスなく移動出来るとは言えなかったのだ。それに比べると、ここは楽でいい。車椅子が届けられたのはホテルに入ったあとだったために、それを使って屋外に出たのは今朝が初めてだったが、実に快適だ。雨上がりで埃が舞わないことも実に良い。
「出入り口の眼の前で止まるなよ。それに、『回転』がなってないぞ、『回転』が」
 ジョニィの車椅子を後ろからぐいっと押して、ジャイロ・ツェペリは彼等の馬の元へ向かう。
「それともなにか? お前さんはスロー・ダンサーからその借り物の車椅子に乗り換えるってのか? 乗り物の交換は反則だったはずだぜ」
 ジャイロは金色の歯を見せ、笑いながらそう言った。
「そうは言ってないじゃあないか。ここからゴールまで、ずっと舗装された道が続いてるっての? こんなものでアメリカ大陸横断なんて、『出来るわけがない』。それにぼくは、馬の方がずっと好きだ」
 ジョニィは拗ねた子供のように、頬を少し膨らませた。それを見てジャイロが再び笑う。
 『回転』を利用した馬の乗り降りに、ジョニィはもうだいぶ慣れてきていた。難なく車椅子から乗り移ると、先に外へ向かって歩き出したジャイロを追う。ジャイロは、このレース用に作られたいくつかの建物の並びがなくなった辺りで、ジョニィを待っていた。
「忘れ物はないな?」
「ないよ」
「トイレは?」
「済ませた」
「歯は磨いたか?」
「みが……君さぁ、ぼくのこと子供扱いしてるだろ。それとも馬鹿にしてるのか?」
「さ〜ぁ?」
「ったく……」
「よーし、行くぜぇ」
「あ、待てよ。地図くらい見ろって、もう……」
 地図を広げ始めたジョニィを、「早く」と急かすような眼でジャイロが見る。しかしその視線が、ふと、ジョニィを通り過ぎて更に後方へと向く。
「おい、ジョニィ。見ろよ」
 ジャイロは顎で遠くを指した。
「なに?」
 そちらの方へ視線を向けてみても、今出てきたホテルやその他の建物が見えるだけで、変わった物は何もない。ついてくる人物も馬も見当たらない。もう一度「なに?」と尋ねようとしたところで、ジョニィはそれに気付いた。ジャイロが指していたものは、もっと視線を上げた先にあった。そこに、大きな光の橋が架かっている。
「虹か」
「おたく、虹の色全部言えるか?」
 地図を畳んだジョニィが隣に追いつくと、ジャイロは馬を歩かせながら尋ねてきた。車椅子と徒歩の時には斜めにしか合わない視線をほぼ真っ直ぐに向け合い、この数日間、彼等はこうして様々な会話を何度も交わしてきた。ジョニィから話題を振ることもあったが、多くの場合はジャイロが唐突に思い付いたこと――他人から見ればくだらないことが多い――が主だった。今日も最初のテーマが決まったようだ。
「言えるよそのくらい。『Read Out Your Good Book in Verse(君の良い本を韻文で読め)』だろ。だから、馬鹿にしてるの?」
 ジョニィは少しだけジャイロを睨みながら言った。
「そうじゃあねぇって。っていうか、なにそれ」
「覚え方。単語の頭文字が色の頭文字と一緒になってる。知らないの?」
 ジャイロは「ああ、なるほど」と頷いた。そういえば彼はこの国の者ではなかったなと、ジョニィは頭の隅で思い出した。
「で、それぞれの色は? 言ってみろよ」
「Red、Orange、Yellow、Green、Blue、Violet」
 ジョニィが口にするその色を、赤、橙、黄、緑、青、紫と、ジャイロは順番に指を折って数えた。
「6色か」
「そうだよ」
 何を当たり前なことを聞いてくるんだ、と、ジョニィは眉を顰めた。しかしジャイロの口から発せられた言葉は、少なくともジョニィにとっては意外なものだった。
「アメリカ人はそう答えるらしいな。でも、科学的には虹は7色なんだぜ」
「え」
 ジョニィは思わず振り返り、記憶の中ではない、実際にそこにある実物の虹に眼を向けた。じっと眼を凝らし、外側の赤から順番にその色を数える。前に進みながら、振り向いて空を見ながら、喋りながら。普通にそんなことをやっていたら、今頃1回くらいは転んでいたかも知れない。車椅子だとこうはいかなかっただろう。やっぱり馬の方がいい。ジョニィはそんなことを思った。
「7色目はなにさ」
 虹を睨んだまま尋ねると、ジャイロは「藍色」と答えた。
「ええっ? 見えないよそんなのっ。なんか、内側の分け方だけ細かくない? それなら赤っぽいオレンジとか、黄色っぽい緑とか、他ももっと分けろよ」
「オレに言うなよ。とにかく、虹は7色なの。実際に見えるのは6色だっていう声も多いみたいだけどな」
「じゃあ、本当は見えてないのに7色でみんな『納得』してるの? なんか腑に落ちない」
「お前が腑に落ちようが落ちまいが、そう決まってるんだから仕方ないだろ」
「『納得』は必要だよ。それ、誰が決めたのさ」
「イギリス人」
「それじゃあ『君の良い本を韻文で読め』はどうなるの。ああ、『in』をIndigoにすればいいのか。えっ? これって偶然?」
「5色だとか3色だとか言われてる国もあるらしいぞ」
「それは少なすぎでしょ。っていうか、どうせはっきりは分かれてないんだからさ、好きな色で言えばいいじゃあない」
「じゃあ、お前さんならどれを選ぶ?」
「そうだなぁ……」
 ジョニィはもう一度肩越しに後ろを見た。
「とりあえず、赤だろ。最後はやっぱり紫。で、その間に、とりあえずオレンジがあって、黄色で、緑、青……ほら、やっぱり6色がいいよ」
 ジョニィは暫くそんなことをぶつぶつと繰り返した。やがてジャイロが、
「そろそろちゃんと前見ろよ。遅れるぜ」
 と言って、虹の話はそこで終わってしまった。ジャイロは既に次の話題を見つけたらしく、もう背中を振り向こうとはしなかった。
 「そう言えばよぉ」と、新しい話を始めるジャイロの顔を、ジョニィはそっと覗き見た。
(聞きそびれちゃったな)
 口には出さず、頭の中だけでそんなことを呟いた。
『ジャイロだったらどの色を選ぶ?』
 その返事が聞けなかったことを、ジョニィは少し残念に思う。
 ジャイロは、色々なことを知っていて、いくつもの新しいことを教えてくれる。この数日間ずっと同じ2人で顔を合わせているというのに、少しも飽きてこないのは、彼の頭の中からいつだってジョニィの知らない新しい物が飛び出てくるからだ。
(ジャイロって単純じゃあなくて、……。うん、それこそ虹色みたいだ)
 ジャイロには、ジョニィが見ているのとは違う世界が――違う色が――見えているのかも知れない。彼に会わなければ、そんなものが存在するかも知れないということすら、きっと気付けずにいただろう。彼と一緒にいると、自分までがどんどん新しいものに生まれ変わっていくように思える。もっともっと新しいことを知りたいと思うようになる。不思議な男だ。彼の国の国民性なのだろうか、それとも、彼独自の性格なのだろうか。
(ジャイロは虹色のパレットだ)
 自身が虹色のジャイロには、見えていたのだろうか。7色目のその色が。ジョニィは、出来ればそれを、自分も見てみたいと思った。と言っても、何も虹の7色目が見たいと言うのではない。ジャイロが見ているものと、同じものを見てみたいのだ。
(馬に乗ってさえいれば、目線だけは同じになるんだけどな)
 背後を振り向くと、既に空の虹は消えていた。


2010,11,17


アメリカでは虹は6色って言われているそうです。
そういわれてみれば、藍色ってあんまり見えないかも……。
国や時代によって、虹は5色だったり3色だったり2色だったりもするそうです。
見えてる虹は同じはずなのに、変ですね。
ジャイロの国では6色なのか7色なのか良く分からなかったから、その辺は曖昧に誤魔化して書きました。
個人的には、グラデーション描くなら藍色よりも黄緑を入れたいです。
<利鳴>
そ、そうか…虹って藍色だったのか…
せっちゃん黄緑が入って7色だと思ってました。
赤外線で赤の外、紫外線で紫の外で、赤の外(内)の色は無く、紫の外の色も無い、って意味で、
藍色は紫よりも外の色だと可笑しな所を勝手に誤解してた。
君の良い本を韻文で読めってのも初めて知ったというか、アメリカが6色なのも初めて知ったというか。
国によって違うっていうのは聞きますが…もう一層「虹色」という1つの色で良いと思う(急に適当)
だってほら、もう同じ物を見てるワケじゃないですか、此の2人も。
何だ結局ラブラブしいのか!
<雪架>

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