ジャイジョニ 全年齢 並行世界ジャイロ


  交差する平行線


 その時ぼくは、港の近くにとったホテルのレストランで、少し遅めの朝食をとっていた。レース終了のお祭騒ぎの余韻に浸っていたい観衆達を回避しようと思って選んだ時間帯だったが、どうやらあまり意味はなかったようだ。大きいとは言い難いレストランのテーブルは、その大半が埋まっていた。聞くつもりはなくても聞こえてくる会話の内容は、やはりレースに関するものが多い。優勝者のルール違反による失格。最後まで姿を見せなかった大統領。何故か傷を負って現れた主催者……。人々の話題は尽きることがない。その中に、明日からの仕事のことや、ニューヨーク観光といった単語が時折姿を見せ、少しずつ彼等を『日常』へと引き戻そうとしている。誰も、1つの“遺体”を巡って繰り広げられた戦いのことなんて、知りもしない風だ。きっと、それでいいのだろう。そんなことを考えながら啜ったコーヒーは、味が薄くて香りも物足りなく感じた。
「お前、どの選手に賭けてた?」
 カップを置く音に重なって、そんな声が聞こえた。隣のテーブルに座った2人の若者達の会話だ。
「オレはマウンテン・ティム。正直、あんなに早く首位争いから抜けちまうとは思わなかったなー」
「確かになー」
 レースの勝者を予想しての賭け事が行われていたことは知っていた。若者達もそれに参加していたようだが、その表情を伺う限り、もう1人の方の予想も的中はしなかったようだ。
 今名前があがったマウンテン・ティムは、すでにこの世にいない。若者達はそれを知っているのかいないのか、「もうちょっといいとこまで行ってくれると思ってたのによぉ」と愚痴を零している。
「オレが賭けてたのはジャイロ・ツェペリ」
 その名前が耳に飛び込んできて、ぼくは思わず動きをとめていた。持ち上げようとしていたカップが受け皿にぶつかって少々派手な音を立てたが、気に留めた者はいないようだ。
(……落ち着け)
 自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと息をした。だが、『彼』がいなくなってから、まだたったの数日……。名前を聞いただけでも、ぼくの心は容易に掻き乱された。いや、おそらくまだ、一時たりとも完全なる静けさを得られてはいなかったというのが正解だろう。周囲の穏やかなざわめきの中に、異様に大きな心音が混ざった。
「ああ、あの……ええっと、ネアポリス人の?」
「そうそう。なんだかんだでずっと上位にいたし、もしかしたらいけるんじゃあないかって思ってたんだけどなー」
「そう言えばあいつ、ゴールしてなかったよな。どっかで棄権でもしたのかねぇ?」
(違う……)
 カタカタと陶器が触れ合う音が聞こえた。その発生源が自分の手の中のカップであるということに気付くまで、数秒かかった。
(違う。……ジャイロは……)
 呪文のように、何度も「落ち着け」と自分に言い聞かせた。だが効果は少しもなく、心臓を直接掴まれているかのような胸の痛みは消えなかった。
 駄目だ。もう出よう。そう思って立ち上がろうとしたぼくは、次の瞬間、我が耳を疑った。
「噂だけど」
 と片方が言った。
「どうも様子がおかしいらしいぜ」
「なんの」
「だから、そのジャイロ・ツェペリの! ゴールから離れてる場所に倒れてるのが発見されて、この近くの病院に入ってるらしいんだけど、どうも言ってることが妙だって」
「馬鹿な……」
 知らず知らずの内に、ぼくはそう呟いていた。ちょうど席を立った集団の賑やかな会話にかき消され、誰の耳にも届かなかったその呟きは、そうと認識する前に、ぼくの足を動かしていた。今のぼくは、支えなしではあまり速くは歩けない。それでも可能な限りの速度で外へ出た。「そんなことはありえない」。そう思いながらも。
(ジャイロが、生きている……?)
 ありえない。ルーシーに頼んで見付けてもらったジャイロの遺体は、ホテルの部屋に――無断で――安置してある――遺体をホテルに持ち込むのはどうだろうかと少し迷ったが、他にどうすることも出来なかったので開き直ることにした――。あれは間違いなくジャイロだ。ぼくが知っているジャイロに間違いない。ただ生命だけがそこからなくなってしまった、ジャイロ・ツェペリその人だ。病院だって? なんのことだ? いつの話だ? いや、いつであってもありえない。レース中にそんなところに彼が立ち寄ったことはなかった。倒れているのを発見された? 意味が分からない。ジャイロはぼくがとったホテルの部屋にいる。他に存在するはずなんて……。
 そこまで考えたぼくは、1つの可能性に思い当たって足をとめた。
「他の、ジャイロ……?」
 いともたやすく行われるえげつない行為。

 「近くの病院」に該当する場所は、1つしかなかった。受付で何と説明すれば良いだろうかという思いは杞憂に終わり、「ジョニィ・ジョースターだ」と名乗るとあっさり病室の場所を教えてもらえた。ぼく達がコンビを組んでいたことは、新聞でも報道されていた事実だ。「患者の友人が見舞いに来た」。看護士はそんな顔をしていた。
 病室にはベッドが2つ置かれていたが、手前のそれは空だった。しかし使用者がいないわけではないらしく、その周囲には患者の私物と思われる物が散らばっていた。検査にでも出ているのか、あるいは容態が良くなって――そもそもの入院理由を知らないが――散歩に行っているのかも知れない。ぼくは無意識の内に『ベッドが急に空になる最悪の理由』を頭の中から排除しようとしている自分に気付いた。
 奥のベッドに近付いてみると、人が眠っているのが見えた。毛布から出た首から上しか見えない。だが、
「あ、ああ……」
 長い髪は清潔にされ、白いシーツにゆったりと広がっている。額には包帯が巻かれ、その白さが痛々しい。睫に縁取られた目蓋は閉じられている。しかし、毛布の中の胸が静かに上下しているのが分かった。生きている。
「ジャイロ……」
 眼の前にいるのはどう見てもジャイロ・ツェペリだった。何度言葉を交わしたか分からない、何度その身体に触れたか分からない、見間違うはずのない存在。だが、ぼくはこの眼で彼の死を見た。そんな彼が、生きてこんな場所にいるなんてことは、本来ならばありえない。そう、『本来ならば』。
 ぼくは嗚咽が零れそうになる口を押さえながら、近くにある椅子に腰掛けた。ジャイロを起こしてしまわないように、出来る限り静かに動いたつもりだった。だが心臓だけは、煩いくらいに鳴っている。
 ジャイロは死んだ。ジャイロは生きている。その同時に存在するはずのない2つの出来事を、可能にする力をぼくは知っていた。ファニー・ヴァレンタイン大統領。あの男のスタンド能力を使えば、『この世界と良く似た別の世界』から、人や物を移動させてくることが出来る。「別の世界のジャイロを連れてきてやろう」。それは、大統領が自分への攻撃の中止と交換に持ちかけてきた話だった。大統領は、『すでに』――死の直前に――それを実行していたのだ。その結果が、今眼の前にある。最終的に、大領領が銃を隠し持っていたり、別の世界のDioを連れてきていたことを考えると、「報復はしない」という言葉はやはりただの嘘であり、ジャイロを連れて来たのはぼくを完全に油断させるためだったのだろうということが分かるが、今はそんなことはどうでもいい。『こちらの世界』のジャイロは死んだ。確かに死んだ。だが、『別の世界のジャイロ』がここにいる。それは、果たして『同じ』ジャイロなのか否か……。
 ぼくは手を伸ばして、ジャイロの頬に触れてみた。温かい。箱の中で眠っているジャイロにはない、命の温度だ。生きている。間違いなく。
「っ…………ジャイロ……」
 堪え切れずに口から零れた声に、ジャイロが小さく身じろいだ。ぼくが慌てて手を引いた時には、両の目蓋がゆっくりと開かれていた。
「ジャイロ……」
 ジャイロはぼくの顔を見た後で、部屋の中に視線を廻らせた。ベッドの上に上体を起こし、開いた口から発せられた声は、ぼくの記憶の中のそれと完全に一致していた。しかし……。
「誰だ、お前」
「………………え?」

 傷の治療はもう済んでいるらしい。明後日には退院出来るだろうと医者は告げた。もうどこにも異常はないそうだ。ただ、彼はぼくのことを知らなかった。頭を打ったようだから、それが原因で一時的に記憶が欠けてしまっているのではないかというのが病院側の見解だが、本人に詳しい話を聞いてみると、どうやらそうではないらしいということを、認めざるを得ない状態だった。彼は、「自分はジャイロ・ツェペリだ」と名乗った。アメリカで開催されるスティール・ボール・ラン・レースに参加するために愛馬のヴァルキリーと共に海を渡ってきたネアポリス人で、この病院に連れてこられる前は、最終レースへ向けて、あと一息と言ったところだったと語った。レースのルール、日程、コースなど、尋ねれば彼はすらすらと答えた。そこに、おかしな点や不明確な部分はない。だが、ぼくのことは名前すら知らないと言った。彼はぼくに――ジョニィ・ジョースターに――は出会っていない。そう結論付けるしかない状況だった。大統領の言葉が蘇る。「君と友達でないジャイロ・ツェペリが来たとしても」……。
 医者の許可を得て、ぼく達は病院の中庭に行った。ジャイロは頭に包帯を巻いているし、ぼくは杖をついている。どちらが入院患者だか分からないなと思いながら、隣を歩くジャイロの横顔を見上げた。
「事情は大体分かってもらえた?」
 ぼくは『こちらの世界』のことを全て――ほとんど全て――彼に聞かせた。“聖人の遺体”のこと、『こちらの世界』のジャイロが死亡していること。大統領のこと。ぼくと出会ったこと……。ぼくがジャイロに『回転』を教わったということを、彼は最初は信じていないようだった。「代々伝わる大切な技術を簡単に他人に教えるはずがない」――そう言えば『こちらの世界』のジャイロも、最初は快くは教えてくれなかった――と彼は主張したが、実際にコルクを廻して見せると、やっと信じてもらえた。
 ぼくの話を、彼はほとんど黙ったまま聞いていた。見慣れたはずの横顔は、不思議と別人のもののように見えた。なんだか、ジャイロと一緒にいる気がしない。やはり、『別の世界』の彼は、ジャイロと同一人物ではないのか――大統領にもそう言った――。
「つまり、レースはもう終わってるんだな? オレは途中でリタイアしたと、そういう扱いになってるんだな?」
「たぶん」
 おそらく彼は、『あちらの世界』で『こちらの世界』の大統領にいきなり襲われ、『こちら』に連れてこれたのだろう。本人にその記憶がないところを見ると、それは鮮やかなほどに完全なる不意打ちだったに違いない。その際に、彼は気を失ってしまったのだろう。ぼくがそう答えると、彼は深い溜め息を吐いた。
 ジャイロがレースに参加した理由は、優勝して無実の罪で処刑されようとしている少年に恩赦を与えることだった。だがそれは、失敗に終わった。そのことに、彼はやるせない思いを抱えているようだ。それはそうだろう。『こちらの世界』に連れてこられずに、『あちらの世界』でレースを続けていたら、“遺体”の争奪戦に関わらなかった――『あちらの世界』に“聖人の遺体”はそもそも存在しないのだそうだ――彼は、その手中に勝利を収めていたのかも知れないのだ。
「……ごめん」
 ぼくの口からは、自然と謝罪の言葉が出ていた。
「どうしてオタクが謝る?」
「だって……、君は『こちらの世界』とは、本来無関係なのに……」
「オタクが『こっちの世界』の代表なのか?」
 茶化すようなその口調は、ジャイロに似ていた。
 彼は髪をかき上げると――しかし額の包帯のことを思い出したらしく、すぐにその手を下ろした――、再度長く息を吐いた。
「……これから、どうするの?」
 ぼくは勇気を出して尋ねてみた。何に対する、どういった類の勇気なのだろうかと言いながら思った。
「どう……するかな……」
 『こちらの世界』にもジャイロの故郷――彼の故郷に良く似た場所――はある。今後取れる行動は、大まかに言えば次の3つだ。1、『こちらの世界』のジャイロが生きていることにして、彼がジャイロに成り代わる。『こちらの世界』のジャイロの遺体は、誰にも見付からないように処分する。2、『こちらの世界』のジャイロの家族に事情を話した上で、彼がジャイロの代わりになる――ジャイロの家族がそれを了承すればだが――。3、彼の存在は『こちらの世界』のジャイロの家族へは知らせない。そして彼はどこか違う場所で、違う生き方をする。
 指を折りながら1つずつ数え上げると、彼は「そうだな」と呟いた。そしてそれっきり、黙り込んでしまった。
 いずれの場合も無実の少年を救うことはおそらく出来ない――何か他の要因が強く働きかけるようなことがない限りは――。仮に周囲の人間を説得出来たとしても、それは『彼の世界』の少年ではない。
 ぼく達は口を閉ざしたまま、中庭の隅にあるベンチに腰を下ろした。春になれば青々とした葉を茂らせるのであろう木々は、今はただ寒そうに佇んでいるだけだった。そんな景色を見るということもなく眺めながら、時間だけが無意味に過ぎてゆく。
「オタクは? このあと、どうするつもりだったんだ?」
 やっと口を開けた彼は、助言を求めるような眼をしていた。
「ぼくは、ジャイロを……彼の遺体を、彼の故郷に連れて帰るつもりだったんだ。彼を、彼の家族にかえして、彼がどんな戦いをしてきたのか伝えなきゃ……。だから、君がどうすることにしても、手伝ってあげることは出来ると思う」
 それは彼が望んでいたような返答ではなかったのだろう。少し落胆したような――しかしあくまでもそれを隠そうとしていると分かる――声が「そうか」と言った。
「君は、ずっと独りでレースに?」
 沈黙に耐え切れなくなったぼくは、少し気を紛らわせようと思ってそう尋ねた。すると彼は、「当然だ」と言うように頷いた。
「他の参加者もそうしてる。特別なことじゃあない」
「そうだね」
 そう。どちらかと言えばレース開始の1日前に知り合ったばかりでコンビを組んだぼく達の方が異例だった。彼は独りでどうやって戦い抜けてきたのだろうかと思ったが、そもそも“遺体”の争奪戦に関わらなかった彼には、誰かと戦わなければならない理由がなかったのかも知れない。だからこうして生き延びたのだろう。
(そう……。“遺体”に関わらなかったから……)
 それは、ある1つの可能性を示してはいないだろうか。
「ジョニィ……だったか?」
 彼はぼくの思考を遮って、ぼくの名を呼んだ。ジャイロの声で名を呼ばれ、ぼくの心臓が軋みを上げたように思った。
「うん」
 動揺を見破られないように、平静を装い短い返事をした。彼の視線がぼくの眼に向けられているのを感じたが、ぼくはそれに気付かないふりをして、空っぽのプランターを観察していた。妙に細長い、黄金比率からかけ離れた形をしているプランターだった。
「お前はオレの……つまり、『こっち』のオレの仲間だったんだよな?」
 違う。
「そうだよ」
 そうじゃあない。
「親友だった」
 それは事実ではない。ぼくはジャイロのことが好きだった。ジャイロもぼくを好きだと言ってくれた。分かり易い言葉を使えば、ぼく達は恋人同士だった――男同士だが――と言えるだろう。だが実際には、そんな簡単なものではなかった。既存の言葉を当てはめることが不可能なほど、大切な存在だった。他の何にも変えられない、たった1つの。
「……ジョニィ?」
 ぼくの顔を覗き込んだ眼が、驚きの形に見開かれていた。それでぼくは初めて自分が泣いていることに気付いた。頬が濡れている。拭っても、何度拭っても、それはとまらなかった。
「ごめん。ごめん、ジャイロ……っ」
 ジャイロは死んだ。“遺体”を追ったジャイロは死んだ。ぼくと出会って、ジャイロは死んだ。今眼の前にいるジャイロに良く似た彼は生き残った。ぼくには出会わず、“遺体”を追わなかった彼は生き延びた。その違いは歴然としている。“遺体”に執着したのはぼくだった。ぼくに出会わなければ、ジャイロは死ななかった。
 1つの要素が全てを決定付けるわけではない。そう思ってはみても、眼から溢れ出る液体はとまらなかった。ただ何度も、謝罪の言葉を繰り返していた。隣に座っているジャイロに良く似た人物は、その言葉が自分に向けて発せられているのではないと知っているのか、ただ困ったような表情を浮かべていた。

 いつの間にかぼくは、『別の世界』のジャイロにすがり付いて泣いていた。彼は黙って腕を貸してくれていた。その優しさは、ジャイロに似ていた。
「ごめん。ありがとう」
 かすれた声で言うと、彼は「ああ」と短く答えた。
「ただ、オレは『そいつ』の代わりにはなれない」
 彼は、表情を変えることなく告げた。ぼくは「そうだね」と答えた。
「ぼくもそう思う」

 翌日、ぼくはジャイロの遺体を入れた柩と共に船の準備が整うのを待っていた。『別の世界』のジャイロは、病院を抜け出し、見送りに来てくれていた。その頭には、包帯の代わりに見慣れた帽子が乗っていた。
「もう会えないね」
 ぼくはそんな風に最後の挨拶を切り出した。彼は、ぼくのジャイロではない。それが、ぼく達が出した結論だった。だが、こうして別れを告げなければならないことは、やっぱり少し寂しい。
「『この世界』のオレは死んだ。『向こうの世界』のオレはお前さんとは会わなかった。どちらの世界でも、道は分かれてたんだ。だから、元に戻るだけだ」
 『別の世界』のジャイロは、そう言って少しだけ微笑んだ。その表情が、なんだか寂しそうに見えたのはぼくの気の所為だろうか。
「でも、きっとあるんだと思うぜ」
「?」
「『オレ』と『お前』が出会って、2人共生き延びる『世界』が」
 今度の笑みは、力強かった。
「『君』がそう言ってくれると、少し気持ちが軽くなるよ」
 ぼくがジャイロを死なせてしまった。きっとその思いは、これからもずっとなくなりはしないのだろう。だがそれを持ち続けることで、ぼくはずっとジャイロの存在を自分の中に留めておくことが出来る。そうすることが、生き残った者の務めなのだと思う。代用品を見付けて、忘れてしまうことは許されない。
 『別の世界』のジャイロは、両手を頭の上で組むと「あーあ」と声を出して空を見上げた。
「オレも会ってみたかったな。『向こう』の『お前』に」
 ぼくはくすりと笑い、荷物を肩に担いだ。もう片方の手には、ヴァルキリーの手綱を握っている。
「そういえば、君の馬は?」
「たぶん、『向こう』においてきちまったんだな」
「そうか」
 ヴァルキリーは不思議そうに首を傾げている。彼女は、一見ジャイロに見えるこの男が、自分の主人ではないということに気付いているのだろうか。
「これからどうするの?」
 最後に――これが最後だと決めて――そう尋ねてみた。彼はそうだなぁと、再び空を仰いだ。
「『あっち』のヴァルキリーも待ってるだろうし、色々残してきちまったからな……。『向こう』に帰る方法でも探してみるかな」
 『基本世界』のヴァレンタインが死亡した今、そんなことが可能なのかどうかは分からない。ぼくはただ黙って頷いた。
「まあ」
 彼はジャイロそっくりの笑い方で、ニョホホと笑った。そして「もう間に合わないだろうけどな」と付け足した。
「でも、きっとあるんだと思うよ」
 ぼくはさっきの彼のセリフをそのまま口にした。彼は首を傾げた。
「その子が救われる『世界』。『君』が救う『世界』が」
 彼は少し考えるような仕草をした後、「グラッツェ」と言った。
「じゃあ、元気で」
「ああ、お前もな」
「もし『向こう』で『ぼく』に会ったら、よろしくね」
 軽く手を振り、ぼくは彼に背を向けた。船に乗り込み、港を見下ろすと、そこにもう知っている姿はなかった。彼は、彼の道を歩み出したのだろう。どこに通じていても、それは彼の道だ。
「ぼく達も行かなきゃ」
 ぼくはそっと柩に触れ、呟いた。
「帰ろう」
 それぞれが行くべき場所へ。


2013,12,03


ジャイロに帰ってきて欲しかったけど他の世界のジャイロを「ジャイロ」と呼んで欲しくない

他の世界のジョニィからジャイロを奪わないで欲しい複雑なヲトメ心。
<利鳴>

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