ジャイジョニ 全年齢


  Rain rain...


 時刻は、そろそろ昼食の時間が近付いてきたかという頃。昨夜から鳴り始めた雨音は、相も変わらず続いている。「朝食を済ませた頃には快晴とまではいかなくとも、小雨くらいまでには回復しているかも……」なんて淡い期待は、残念ながら叶わなかった。それどころか、雨脚は強くなってきているようにすら思える。
「どう?」
 ジョニィ・ジョースターは、窓ガラスに両手と額を押し当てながら外の様子を窺っているジャイロ・ツェペリに――駄目元で――尋ねた。
「あー、微妙」
 ジャイロがそう答えた直後、薄暗い空が一瞬明るく光り、続いて雷の音が空気を振動させた。
「あ、無理」
 彼は前言を撤回すると、やれやれと溜め息を吐きながら窓から離れた。
「多少の雨ならともかく、雷はな」
 「その通り」とでも言うように、再び雷鳴。今度のそれは、先程よりも大きかったように思えた。
 ここから先のルートでは、しばらくの間、開けた土地を走る必要がある。遮蔽物のない場所で雷を避ける術があるはずもなく、彼等は足止めを余儀なくされてしまったようだ。雷が鳴っていなかったとしても、雨はジャイロが言う『多少の』とはかけ離れた勢いで降り続いている。いつまでもこんなところ――レースのために作られた簡素な宿――に留まっていたいだなんてことは微塵も思っていないが、流石にこの天候の中を出て行くのは無謀以外のなにものでもない。条件は他のレース参加者達も同じだ。焦る必要はない。ジョニィは自身にそう言い聞かせた。
「いや、ちょっと待って。ぼくに考えがある」
「お?」
 振り向いたジャイロの背後で、再び空が光った。
「考え?」
「ああ。ぼくよりもジャイロの方が座高が高いだろう?」
「背が高いって言えよ」
「雷はより高い物、つまり、君の方に落ちる」
「却下」
 もちろんジョークだ――それも、面白くはないと承知した上での――。
「だいたいそれ、最初の一発しか防げねーぞ。いや、防げてねーけど」
「そうか。じゃあ駄目だ」
「ああ。諦めようぜ」
 それしかないようだ。ジョニィはベッドに腰掛けたまま小さく溜め息を吐いた。その音も、雨音と雷鳴がかき消してしまった。
 こうなってしまっては、やれることは何もない。カードゲームの気分でもない――「やろうぜ」と持ち掛けてこないところを見るに、それはおそらくジャイロも同じだ――。
 ただじっと外の音を聞いているのに飽きた頃、ジョニィはふと思い付いた疑問を口にしてみた。
「どうして雨が降っていることを『天気が悪い』って言うんだろう」
 太陽が出なければ、植物は充分に育つことが出来ない。そうなれば、植物を食料とする動物達もいずれは飢えて死んでしまう。長雨が続けば川の氾濫なんかも起こるかも知れない。アメリカ大陸横断レースに参加している者にとっても、もちろん雨は降っていない方が『良い』。
 だが人間に限らず、全ての生き物にとって、水は生きていく上で必要不可欠である。ずっと雨が降らなければ、植物はやはり枯れてしまう。生き物達に待っている未来は先程の仮定と同じである。
 つまりは晴天と雨天、どちらにもメリットとデメリットがある。それなのに一方は『良い』とされて、もう一方は『悪い』とされる。
「雨的には、たぶん理不尽だろうね」
 雨が感情なんてものを持つことがあるとするならばの話だが。
「たぶん誰かが言ったんだぜ。雨が降ってるのを見て、『今日は悪い天気だなぁ』とかなんとかよ。こういうのは大抵、最初に言ったもん勝ちだ」
「雨について最初にコメントした人類の好き嫌いってだけの話?」
「きっとな」
 やっぱり理不尽だ。
「じゃあ、人類第一号が雨を口実に外に出たくない引きこもりだったら、逆になってたかも知れないわけだ」
「どっちにしろ、必要な場所に必要な時に降らないなら、やっぱり『この雨』は『悪い天気』だな」
「なるほど」
 案外、理不尽なんかではなく、雨も嫌がらせのつもりで降っているのかも知れない。だとすればやはり性格が『悪い』――雨に性格なんてものがあるとするならばの話だが――。
「必要な場所に必要な時に、か。雨、雨、どっか行け、別の日にこい。だね」
「ん?」
「知らない? マザーグース」
「いや」
 ジャイロは首を横へ振った。彼は非常に流暢な英語を話すが、イギリスから渡ってきた童謡の類までは知らないようだ。
「雨、雨、どっか行け、別の日にこい。小さなジョニーは遊びに行きたい。……そんな内容」
「ジョニー?」
「まあ、珍しい名前じゃあないから。子供に聞かせる時は、その子の名前に変えて歌うみたい」
「なるほど」
「うちはそのままでOKだったってわけ」
 ああ、そうだ。思い出した。
「兄さんがよく歌ってくれた」
 兄の存命中、乗馬の練習が出来なくなるほどの雨が降ると、よく2人で外を眺めながらその歌を口ずさんだ。記憶の中のその時間は、ゆったりとしていて、温かく、優しく、ジョニィは少しも『悪い』と思っていなかった。だというのに、現実の今この時は、少し肌寒く、なんとなくネガティブな気分になってくる。その所為だろうか。視線が勝手に自身の動かない脚へと向き、口が勝手に言葉を紡いだのは。それとも、その言動が先にあって、気分を沈ませているのだろうか。どちらにせよ、ジョニィは“それ”を口にしていた。タイミング良く雷が鳴って、かき消してくれるなんてこともなく。
「今はもう天気なんて関係ないけど」
 歩けない子供には、きっとその歌が歌われることはない。その子の耳に届けられるのは、雨の音だけだ。
(ああ、これは『良く』ない)
 ジャイロは何も言わなかった。言うべき言葉を見付けられないのだろう。仕方がない。最早天気は関係ない。空気を『悪く』したのは間違いなく自分だ。
 ジョニィは小さく頭を振った。「そろそろ食事にしよう」とでも言って、無理矢理この空気を変えてしまおう。そう思ったのに、
「そうだな」
 そう言いながら、ジャイロは近付いてきた。どうしたのかと尋ねるよりも早く、ジョニィの体は抱き上げられていた。
「うわっ!? ちょっ、なに!?」
 一気に顔が熱くなる。肌寒さは一瞬で忘れた。ジャイロは金色の歯を見せて笑っていた。
「もう大人に言われるがままの子供じゃあねーんだ。遊びたいなら、雨だろうがなんだろうが、飛び出していきゃあいい!」
 言うや否や、彼はジョニィを抱えたままドアを蹴り開けて外へと飛び出した。もちろん、そこはまだ雨の真っただ中だ。2人はあっと言う間にずぶ濡れになった。
「何してくれるんだよっ!」
「ニョホホホホ。たぶん今日はもう無理だぜ。出発は早くて明日。ってことは、乾かす時間はたっぷりある。建物の傍なら雷も平気だろうしな」
「ばっかじゃないの」
 ジョニィの苦情も暴言も気にせず、ジャイロはその場で踊るようにくるくると廻った。ジョニィは反射的にジャイロの首にしがみ付いた。降ろせよと言いたいところだが、こんなところで降ろされてはずぶ濡れになるだけでは済まず、泥塗れになってしまう。
「ぐえ。首絞まる」
「誰の所為だよっ」
 ジャイロは笑っていた。いつの間にか、ジョニィも怒りながら笑っていた。
 不思議とその雨は冷たくはなかった。いや、ジャイロの体温が伝わってくるからそう思えるだけだろうか。
 せっかく外に出たのだからと――ジャイロが言うので――、愛馬達の様子を見に行くことにした。宿の裏に作られた厩舎の中で、2頭の馬は寛いだ様子でいた。が、ずぶ濡れになった主人達の姿を見て、心なしか呆れたような顔をしてみせた。
「誤解だ、スロー・ダンサー。これはジャイロが勝手にやったことなんだ。ぼくの意思じゃあない。ヴァルキリー、残念ながら君は誤解じゃあない」
「こらこら、なすり付けるな。ジョニィが外で遊びたいって言ったんだぜぇ」
「言ってない!」
 2人がふざけ合っている光景にはもうすっかり慣れたのか、2頭の馬は我――我等――関せずといった様子だ。
「お、そういえば」
 何か思い付いたように、ジャイロが言った。
「なに?」
「さっきの歌はそれで終わりか?」
「歌? マザーグース?」
「そう」
 雨、雨、どっか行け、別の日にこい。小さなジョニーは遊びに行きたい。
「まだ続きがある」
「へぇ」
 ジャイロはマザーグースに興味を持ったのだろうか。もし他にも聞かせてくれと言われたら、今後悪天候による足止めの度に訪れる退屈な時間を潰すのにはもってこいかも知れない。短い物ばかりとはいえ、作品数は大量にある。ジョニィが知っているのはその極一部でしかないというところが難点だが、いっそのこと襲撃してくるライバルやテロリスト達に、「こちらがまだ知らないマザーグースの歌を歌えれば少しは大目に見てやってもいい」とでも持ちかけてみようか。
「続きはね、雨、雨、スペインへ行け。二度と顔を見せるな」
「ぶはっ。急に巻き込まれたスペイン可哀想過ぎるだろ」
「きっとスペインの農家が日照りで困ってルンダヨ」
「いや、絶対違うだろそれ」
 ジャイロは愉快そうに笑った。それを見て、ジョニィは思った。
(雨、雨、明日までは降ってもいい。ジョニィは、もう少し、ジャイロと遊びたいんだ)


2023,12,16


最後にいきなり巻き込まれてるスペインほんとに可哀想w
<利鳴>

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