ジャイジョニ 全年齢


  たぶん「ただいま」と「おかえり」も


 「買い出し行ってくるわ」とジャイロが言うと、「ぼくも行く」とジョニィが言った。ジャイロが短く溜め息を吐くと、ジョニィは「なんだよ」と抗議した。
「お前は待ってろ」
 「ここで」と言うように、ジャイロは足元を指差した。
 案内されたその部屋は、思ったよりも広く、ジョニィが車椅子で移動することに関して、さしあたっての問題はなかった。が、建物の外はそういうわけにはいかなかった。元々勾配の多い土地を大急ぎでレース用に整備したらしく、宿に向かうための通りにはいくつもの階段や段差があった――おそらく他にちょうど良く空いている場所がなかったのだろう――。その凹凸は、選手が馬に乗ったまま通行出来るように配慮された幅や高さにはなっていたが、車椅子がそこを通ることまでは誰も考え付かなかったようだ。来る時は馬に乗ったままだったので問題はなかった。出て行く時も同じだ。だが、ちょっと外出しようとなると話は大きく違ってくる。
「お前、ちょっと買い物に行くためだけにせっかく休んでるスロー・ダンサーを無理矢理働かせる気なのか?」
 ジャイロが尋ねると、ジョニィはむっとした表情を作った。が、すぐに外に広がる段差だらけの風景を思い出したらしい。困ったように視線が宙を彷徨った。
「それとも、オレに担いで行けって?」
「言ってないよ! そんなこと……」
 これまで、短い距離のちょっとした段差であれば、ジャイロは迷わずにジョニィを負ぶって歩いた――「乗り物の交換は反則だ」等と冗談を言いながら――。しかし必要な物をあれこれ購入して廻らなければならない時に――しかもつい先程宿に到着したばかりで疲れている状態では――それはきつい。そんなことは、もちろんジョニィも分かっている。元々彼は、ジャイロの手を煩わせることを、快く思っていないようであった。
 何か手はないかと、ジョニィは悩んでいるようだった。このままでは「這って行けばいい」とでも言い出しかねない。それを阻止するように、ジャイロはもう1度「大人しく待ってろ」と告げた。最終宣告だ。
「……一緒に行きたいのに」
 拗ねた子供のように頬を膨らませたジョニィが言った。
 ジャイロには、大して面白くもないただの買い出しにジョニィがわざわざ行きたがる理由が分からなかった。体力を消耗し、疲れたから先に休むと言われてもおかしくないような状態だというのに。だがジョニィは今、「一緒に」と言った。「一緒に行きたい」と。外出が目的なのではなく、ジャイロに同行することこそが、つまりジャイロの傍にいることが、彼の望みなのだ……としたら……? もし、そうなのなら、
(正直、嬉しい)
 ジャイロの心の声は素直だった。が、無理なものは無理だ。残念ながら。
「すぐに帰ってくるから」
 そう言ったジャイロの口調は、先程よりもいくらか穏やかになっていた。身体は疲れ、相棒の無理な要望に困っているはずなのに。
 拗ねたような顔をしているジョニィは、実際の年齢よりも幼く見える。普段の険しい表情を思えばそれはそれで微笑ましいが。それが、不意にぱっと明るくなった。何か思い付いたようだ。一瞬、いたずらを考え付いた子供のそれのようだとジャイロは思った。が、すぐに誤りであったと気付く。彼の眼には、子供には宿りえない光があった。
(なんか、嫌な予感が……)
 ジャイロがわずかにうろたえると、ジョニィはそれを面白がるように顔を覗き込んできた。ジャイロが立っていてジョニィが座っている所為で、その視線は否応なしに上目遣いだ。だが、本当にそれは不可抗力だけだろうか。もしジャイロの目線が同じ高さにあったとしても、彼は同じ眼を向けてきたのではないか……。何故か、ジャイロにはそう思えてならなかった。
 ジョニィがゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、キスして?」
 ジャイロは我が耳を疑ったが、聞き取りを誤るような長いセリフではなかった。そうでなくても、彼は通常のコミュニケーションに何の不自由もしない程度の英語はマスター済みだと自負している。
(なんてことを言い出すんだこいつは……!!)
 ジャイロのモノローグが聞こえたかのように、ジョニィが言う。
「『行ってきます』のキスしてくれたら、大人しく留守場しててやってもいい」
 ジャイロがそれを拒むはずがないと思っているのだろうか――おそらくそうだ――、ジョニィは、すでに両方の眼を閉じて、唇をわずかに突き出している。
 ジャイロは小さくはない舌打ちをすると、長い髪を耳にかけて押さえ、ジョニィに近付いた。
「とんでもねーこと思い付きやがって」
 ジョニィはくすくすと笑った。
「笑うな! 舌入れるぞこのやろー」
「やればぁ?」
 まだ笑っているジョニィの口元に、ジャイロは自分の唇を押し当てた。口を塞がれた状態でなお、ジョニィは笑っている。
 ジャイロが離れると、ジョニィは「入れないんだ?」と首を傾げながら言った。その表情はどう見ても馬鹿にしている。
「クソガキが」
 ジャイロはその眼を睨んだ。「舌だけで済みそうにない気がして」とはまさか言えない。
 「いってらっしゃい」と言いながらひらひらと手を振るジョニィに背を向け、ジャイロは部屋を出た。わざと大きな音を立ててドアを閉める。同じく大きな溜め息を吐く。それでも収まらない自分の「もう買い物とか放り投げて早くも帰りたい」という気持ちに、彼は悪態を吐きながら建物の出口を目指した。


2014,10,27


先に書いた別ジャンルのネタとすごく被ってる気がしつつ、バカップルが書きたかったのです。
でもそろそろかっこいいジャイロを書いてみたくもある。
<利鳴>

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