ジャイジョニ 全年齢


  君の高さ


 外にテントを張って野宿をするのは、思ったよりも苦痛ではなかった。一日中馬を走らせた疲労がそうさせているのかも知れないが、眠りに付くまでの間に自分がいる場所に関して不満を抱いたことはなかった。しいて言うなら隣にいる陽気なネアポリス人のお喋りが時々ちょっと煩いなと思う程度で、しかしそれもぼくが自分で決めて彼に同行しているのだ。文句は言わない。遅い時間になれば彼だってしっかり眠っているわけだから、その間は静かなので充分だ。
 そんなわけで、野宿については特に何も思わなかった。それでもやっぱりきちんとした屋根と壁がある場所でベッドに横になって眠れるのは有難い。その日のホテルは決して大きくはない、むしろどちらかというと質素な感じの建物だったけど、寝具は清潔にされていて、ドアにもちゃんと鍵を掛けられるみたいだった。それ以上を望むのは贅沢だ。
 そのホテルには貸し出し用の車椅子は存在しなかった。それを聞いて、ぼくはそれほど落胆はしなかった。馬の上からホテルの概観を眺めた段階で、おそらくそうだろうなと予測出来ていたからだ。ここに何日も滞在するわけではない。たった1日だ。いや、明日の朝までだから、数時間だ。その間くらい、部屋でじっとしていれば移動手段はなくてもなんとかなるだろう。仮に貸し出し用の車椅子があっても、もしくは自分の車椅子をなんとかしてここまで運んでくることが出来ていたとしても、この建物には段差が多い。元々普段は客なんて入るのかどうか危ういような場所のホテルだ。障害者が使いやすいように……なんて考えは最初からなかったのだろう。
 車椅子がなくても、ぼくは少しの距離なら腕の力を使って這うように移動できる。が、やはり段差があるのでは少々きびしいこともあるし、人前でそれをやるのは少なくとも嬉しくはない。ホテル側としても、他の客が「なんだあれ」なんて顔をするのは望んでいないだろう。結果、ぼくはホテルの従業員に負ぶわれて部屋まで運ばれることとなった。荷物を運ぶ従業員を先頭に、その次にジャイロが、そしてぼくを運ぶ従業員が続く。隣り合わせの部屋の片方に入ると、ぼくはベッドの上におろされた。「用があったら呼べ」というようなことを少しやりすぎじゃあないかと思うほど丁寧な言葉で言うと、従業員はフロントへ戻っていく。
 ドアが閉まって1人になると、ぼくはベッドの上に仰向けに寝転がった。足はさっき座った状態のままベッドの外にあるが、とりあえずそれを引っ張り上げる前に少し休みたかった。さすがに疲れたみたいだ。寝転がったまま両手をいっぱいに広げると、やっと緊張が解けていく。今日はもうこのまま動きたくない……。
 目蓋を閉じた直後に、ドアがノックされた。動きたくないんだってば。狸寝入りを決め込もうかと思っていると、再度のノックとジャイロの声がそれを阻止しようとする。仕方なく返事をすると、ジャイロはドアを開けて部屋の中に入って来た。そう言えば鍵を掛けてなかった。
「ジョニィ、寝てるのか?」
「起きてるよ。返事したじゃあないか」
 ジャイロはドアを閉めるとぼくに近付いて来た。
「出られるだろ? 飯食いに行こうぜ」
「ああ、うん、食事ね」
 簡単に言ってくれる。いや、実際にジャイロにとっては簡単なことなのだろう。でもぼくは違う。外に出るならまたホテルの従業員を呼ばなくてはいけない。それも面倒だし、知らない人に抱えられて歩くのもやっぱり出来ればやりたくないというのが本音だ。従業員としても、同じ「運ぶ」なら、「客を外へ」よりも、「食事を中へ」運ぶ方が楽だと思うだろう。
「ぼくはいいからさ、ジャイロ行ってこいよ」
「どうした。腹の調子でも悪いのか?」
「いや、そうじゃあないけど……」
 こいつは時々ぼくの足のことを忘れているんじゃあないだろうかと思うことがある。気を使われないのが気楽だと考えるのか、少し位配慮しろよと思うのかは、その時々の状況によって違ってくる。
「食える時に食っておかないともたないぞ。ほら」
 ジャイロはぼくに背中を見せる向きで、ベッドの前にしゃがみこんだ。そして手をぼくの前へ――ジャイロ本人にとっては後ろへ――伸ばした。そしてそのまま動かない。…………ええっと……?
「あの、……ジャイロ?」
「ん?」
 ジャイロは肩越しに振り向いた。
「なんだ」
「なにをして……?」
「ん? ……ああ、こっちの方がいいか?」
 今度は立ち上がって此方を向き、両手で何かを抱えているような形を作る。
 ぼくは漸くジャイロが何をしようとしているのかを察した。彼の腕の中に、彼が何を入れるつもりなのか――ぼくだ。とすると、さっきの変な姿勢は『おんぶ』の形だったのだろう。
「えっ、いや、いいよ、ぼくはッ」
 ジャイロが近付いてこようとするのを、両手をぶんぶん振って阻止した。
「何遠慮してるんだ?」
 遠慮じゃあない。そんな、俗に言う『お姫様抱っこ』、拒否するに決まってるじゃあないか! 確かに従業員を呼び付けるよりは簡単かも知れないが……。
「で、でも……」
「さっさとしろよ。おんぶか? 抱っこか?」
 そろそろジャイロは怒り出しそうだ。わがままを言う子供をしかりつけるような眼でぼくを睨んでいる。ぼくはどちらかを選ばざるを得ないらしい。
「……背中」
 消え入りそうな声で言うと、しかしジャイロにはちゃんと聞こえたらしく、最初のポーズをもう1度取った。
「早くしろよ。この体勢、案外疲れるんだぜ」
 のろのろとジャイロの肩に手を置くと、それをぐいっと引っ張られた。バランスを崩してジャイロの背中にもたれかかるように倒れ込むと、彼はぼくの足を掴んで――ぼくには触れられたという感覚はないのだが――さっさと立ち上がった。ぼくは反射的に彼の首に腕を廻す。
 高い。馬に乗っているのよりは勿論低い。けど、車椅子よりもずっと高い。これがジャイロの高さなのだ。さっきホテルの従業員に運ばれた時だって似たような高さから地面を見ていたはずだけど、その時には何も思わなかった。今は、ジャイロの背中に負ぶわれて、ジャイロの肩に腕を廻して、ジャイロと同じ高さの視点で物を見ている。そう意識すると、急に顔が熱くなったように感じた。暖かい空気は上の方にいく。とか、そういうことじゃあない。前で抱えられてジャイロの顔を見上げたまま運ばれるよりはましだろうと――ジャイロからはぼくの顔が見えないのが救いだと――は思うけど、それでもこれは、一言で言えば「恥ずかしい」。しかし、「やっぱりいいよ」と言うこともさせずに、ジャイロはすたすたと歩き出した。
 テーブルの上に置かれていた鍵を持って通路へ出る。擦れ違う人達が「なんだろう」という眼で此方を見ている。ああ、結局こうなるのか。これなら這って進んでも大差かったかも知れない。重なるみたいにジャイロの頭がすぐ近くにあることに加えて、そのジャイロが何の前触れもなく『作詞作曲:ジャイロ・ツェペリ』の変な歌を唄い出すのだから余計に恥ずかしかった――しかも前に唄っていたのとは違う、新作のようだ――。当のジャイロはお構いなしで漂々としているのがまた腹立たしい。何でぼくだけが変にどきどきしなくちゃあいけないんだ。その心音も背中越しに聞こえてはいないかと慌てたくなる。
「……絶対もう1度歩けるようになってやる」
 そんなつもりはなかったのだが、ぼくはその思いを口に出して言っていたらしい。
「ん? おお、頑張れ」
 ジャイロは気にした風でもなくあっさりと返してきた。
 我ながらおかしなことで目標の再確認をしているなと思いながら、それでも誓わずにはいられなかった。ぼくの足がこうなっていなければ、こんな状況になりっこない――ありえないんだから。こんな、ジャイロの背中にくっついていなければならないのは、今だけだ。きっと、絶対に歩けるようになってやる。そしたらこんなことは、二度とないはずなんだから。そう、『二度と』だ。だからそれまでの間だけは……。
「……ん?」
「あ? どうかしたか?」
 ジャイロが立ち止まり、肩越しに後ろを――此方を――見ようとする。ぼくは慌てて否定した。
「なっ、なんでもないっ!!」
「おかしなやつだな?」
 ジャイロは訝しげに首を傾げながらも視線を前に戻し、再び歩き出した。
 ぼくは何を考えてるんだ? どうしてさっきよりもしっかりとジャイロの背中にしがみ付いているんだ?
 どうやらジャイロの高さは、他の場所よりも変な考えが浮かんできやすい場所らしい。きっとジャイロが変だからだろう。その証拠に、『作詞作曲:ジャイロ・ツェペリ』の歌は、2番に突入しているようだった。


2010,09,03


ジャイジョニは、少しだけジョニィの方がジャイロを意識してる感じが強いのが好きです(2010年9月3日現在)。
ジャイロ←ジョニィ?
でもジャイロもジョニィに関して無関心なわけじゃあなくてっていう微妙なバランスを、わたしでは表現しきれないみたいです。
これじゃあいっつーみたい。
ジョニィが好きなジャイロを書けるようになりたいよぅ。
<利鳴>
自分だったら間違い無く「抱っこ!」って答えてる!(聞いてない)
今現在障害者(身体・知的・精神問わず)だと無料で利用出来る=客の5分の4以上は障害者で儲けが無い所でアルバイトしておりまして。
障害者と介護者でちゃんとやってくれれば良いのに…という間違った観点から読んでいたという。
そんな話は置いといて。ジョニィさん可愛い子だなぁもう、と思ったのでした。
<雪架>

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