ジャイジョニ 全年齢


  想いが届きますように


 風のない夜だった。ぱちぱちと鳴る焚き火以外に、聞こえてくる音はない。大勢いるはずの競争相手達の姿も、全く見当たらない。視界の隅で眠っている愛馬のヴァルキリーと、協力関係を結んだ少年――とその馬――が見えない方へ顔を向けてしまえば、この世界に存在するのは自分1人なのではとさえ思えてしまえそうだ。
 他の走者達は、今どの辺りにいるのだろうか。自分達がこうして交代で見張りを務めながら野営をしている間にも、ゴールへ向けて馬を走らせているのだろうか。今の先頭は誰だろう。『優勝候補』と言われていたいくつかの顔が思い浮かんだが、焦ってはいけない。休みなく走り続けて、勝ち残れるようなレースではない。辿り着くべき場所はまだまだ遠い。目先だけを見ていては駄目だ。「落ち着け」と自分に言い聞かせ、ジャイロは右手の中にあるペンを持ち直した。
 昨夜宿を取った小さな町で、彼は祖国から送られてきた封書を受け取っていた。便箋にはイタリア語が並んでおり、冒頭に、兄弟全員からの手紙を一番上の弟が代表して書いている旨が記されていた。その後にはどうやら変わっていないらしい家族の様子と、長兄の心配をしつつも応援していますというような文章が続いている。封筒の中から香ってくる祖国の匂いは気の所為にしても、慣れ親しんだ言語と身内の言葉は、彼を穏やかな気持ちにさせた。
 この夜の内に返事を書いてしまえれば、次の町に立ち寄った際にすぐそれを送ることが出来る。見張りを交代するまでの時間に書き上げてしまおうと決めて、予め購入しておいた便箋を広げた。
 下敷きにする硬くて平らな物に選んだのは小さな手鍋だ。『弟達へ』と書き出して、『兄はこの手紙を鍋の底で書いています。』と始めたら、彼等はどんな顔をするだろうかと想像した。が、そういうボケとツッコミはテンポと鮮度が大事だ。次に届く手紙に、『あれはどういう意味ですか?』とでも書かれていたら、せっかくのジョークが台無し以外のなにものでもなくなってしまう。無難に『アメリカの星空の下でこれを書いています。』と、まずは1行。
 思いがけぬ道連れを得たことを皮切りに、予想外の出来事に幾度も遭遇しつつも、順調に旅を続けていることを書いてゆく。一番上の弟に、下の兄弟の面倒を良くみるようにと書こうとして、これでは遺言染みて聞こえると思い直し、頭に『兄が不在の間――』と文章を加えた。
「ジャイロ?」
 掛けられた声は全くの不意だった。顔を上げると、同行者のジョニィ・ジョースターが上半身を起こしてこちらを見ていた。
「なにしてるの?」
 そう尋ねたジョニィが起き上がっていること以外、周囲の様子は何も変わっていなかった。焚き火は絶えず燃えているし、相変わらず風はない。馬達は静かに眠っている。ジョニィが何か異変を察知して目を覚ましたということはなさそうだ。
「起きてたのか」
「今起きた」
 地面を這って移動してこようとするジョニィを広げた片手の平で制し、便箋とペンを持ったままジャイロの方から彼に近付いて行った。ジョニィの眼はジャイロの手の中に向いている。
「弟達に手紙を書いてたんだ」
「ああ」
 ジョニィは納得したように相槌を打った。昨夜の宿の従業員がジャイロを呼びとめ、お手紙をお預かりしていますとそれを手渡すところを、彼はすぐ近くで見ていた。その眼が、少し寂しげに微笑んでいたことに、ジャイロは気付いていた。ジョニィが思い浮かべたのは、幼い頃に喪ったらしい兄との思い出か、それとも、同じ空の下にいるはずなのに心を通わせることの出来ない父との確執か……。
 予備の便箋を差し出して、「お前も誰かに書くか?」と尋ねると、ジョニィは「いいよ」と答えて首を横へ振った。「そんな相手いないし」と、口には出さなかったが、その声は聞こえた気がした。
「まだ交代の時間じゃあないぜ。寝てろ。寝坊したら、容赦なく叩き起こすからな」
 冗談でも「置いていくからな」とは言わない。ジョニィは「うん」と頷いて姿勢を元に戻した。その頭を軽く撫でてやると、彼は毛布を引き上げ、“怒ったような”というよりは、照れたような顔をその下に隠した。
 ジャイロはふっと息を吐くように笑うと、元いた場所へと戻った。
 書き終えた手紙を封筒に入れ、失くさないようにカバンの奥の方へしまい込む。それから、残りの便箋に手を伸ばした。

 部屋へ向かおうとしたところで呼び止められた。ジョニィは、それが自分に向かっての声だとは思ってもみなかったようだ。「お手紙をお預かりしています」と言われて、怪訝そうな顔をしている。
「ぼくに?」
「はい。ジョニィ・ジョースター様、貴方宛です」
 ジョニィは驚くというよりも不審そうな表情をしながら、それを受け取った。飾り気のない白い封筒。書かれた宛名は『To Jhonny』でも『Dear――』でもなく、『Garo――』となっている。
「え、これ、ジャイロっ?」
 戸惑っている様子のジョニィをほうっておいて、ジャイロはさっさと荷物を持って廊下を進んだ。慌てて追いかけてくる車椅子の音が聞こえる。
「ちょっと、待ってよジャイロ!」
 ジャイロが脚をとめたのは、ジョニィに呼ばれたからではない。目的のドアに辿り着いたからだ。鍵に付けられた札とドアプレートのナンバーが一致していることを確認しながら、ジョニィの斜め下からの視線を感じていた。
「なんなのさ、これっ」
「開けてみれば?」
 ドアを大きく開き、車椅子の背後に廻りながら言う。
 星模様の帽子に隠れて、封筒から取り出された紙に書いてある文字はジャイロからは見えない。が、もちろん彼はそこにある文章を知っている。なにしろ自分が書いたのだから。長い文章ではない。見なくてもまだ覚えている。数日前の夜、焚き火の明かりに照らされながら彼が書いた言葉はこうだ。『やっほー、ジョニィ。元気? 私はこの手紙を鍋の底で書いています。明日もガンバロー。』
「……なにこれ」
 呟くように言ったジョニィの表情は見えない。ジャイロは車椅子を部屋の中心付近まで押した後、一度離れてドアを閉めに行っていた。
「こんなものわざわざ郵便代払って送ったの?」
 肩越しに振り返った顔は、眉間に皺が寄っていた。
「正解」
「馬鹿じゃあないの」
「だって大事な話は必要になった時にすぐその場でちゃんと言うべきだろ。『この先のルートどうする?』なんて内容、受け取った時にはもう過ぎちまってる。そうなると、くだらないことしか書けないんだよ、逆に」
 ジャイロの完璧な理屈に、ジョニィは呆れたような溜め息を繰り返した。「くだらない」とその眼が言っているが、それはジャイロも自覚している――実際に自分でも口に出してそう言った――ので、全く構わない――むしろ思惑通りだ――。そんなことよりも、そんな表情の中に、かすかに笑っているような様子が混在している――おそらく初対面の者では気付けない。ジャイロもこれまでの付き合いの中でようやく見分けることが出来るようになった――ことの方が重要だった。
「返事をくれてもいいんだぜ?」
「『鍋の中のジャイロへ』って? 嫌だよ」
 ジョニィは眉を顰めて笑った。それを見て、ジャイロも金色の歯を見せて笑った。

 次の大きな街へ辿り着いた頃には、レースの上位者の名はかなりの範囲に知れ渡っていた。宿に入るなり、2人の手には束になった“ファンレター”が渡された。手紙のやり取りをする相手がいないジョニィを気遣った数日前の自分が、なんだか滑稽なほどだとジャイロは思った。
 部屋に入ってそれ等を見てみると、ジョニィに宛てられたものは『ジョニィおにぃちゃんがんばって。』という物から、『孫と同い年の選手なので応援したくなる。』なんて物まで様々だった。若い女性から容姿について褒めちぎるような内容の物があるかと思えば、『お嫁さんにしてください。』なんてぶっ飛んだ物もザラだ。そんな物に混ざって、どう見ても男の筆跡で『君の馬になりたい』等という危険な臭いを感じる物もあった。そしてそれと同じにしか見えない字で、ジャイロの許には『ジョニィから離れろ』、『今すぐ消えろ』という文章が届いていたりもした。ジョニィはそれ等を全てジョークの一種だと思って疑っていないらしく、笑いながら眼を通し、「見て見て、こんなのきた」とジャイロにも廻してきた。ジャイロはというと、カーテンの隙間から何者かの視線が向けられているような気がして落ち着かない。車椅子での移動が不便でも、上の方の階に部屋を取るべきだったろうか。
「すっかり有名人だ」
「お前は元々有名だったんじゃあねーの?」
「『元々』じゃあないよ。『元』だ」
 翌日の出発のために荷物をまとめる段になって、この手紙の束はどうしようかとジョニィが首を傾げた。一通一通は大したことないが、全てまとめるとそれなりの体積にも重量にもなるそれは、持って走れば邪魔になるだろう。しかも今後もまだ増えるかも知れない。ジャイロはやれやれと溜め息を吐いた。
「要るのと要らないのに分けて、要らないのはここで処分してもらうように後で従業員に言っておく」
「要るのは?」
「ひとまとめにしてニューヨークに送る。ゴールした後で受け取れるように手配しときゃあいい」
「なるほど」
「後で出しに行ってやるから、それまでにまとめておけ」
「OK」
 ジャイロが自分宛の誹謗中傷の手紙を選り分けている横で、ジョニィは全ての封筒を紐で縛っている。“要らないの”はないとでも言うのだろうか。あの変態染みた手紙だけでも処分していって欲しいとジャイロは思わずにいられないのだが……。
 そんなことを考えていたジャイロの眼が、ジョニィの手の中が空になっていないことに気付いた。手紙は全てまとめ終えたのかと思ったが、彼はまだ1通、白い封筒を手にしている。
「ジョニィ、それは?」
 ジャイロは指を差した。
「それは処分するやつか?」
 それなら自分の分と一緒にと言おうとしたジャイロに、ジョニィは慌てたようにふるふると首を振った。そしてその封筒をさっとカバンの中にしまった。
「これはいいの」
 捨てもせず、ゴールに送りもしないということか。ジャイロがいぶかしんでいると、「いいからいいから」と言ってジョニィはカバンの口を閉めてしまった。封筒は中に入れられたままだ。
「さ、ジャイロ。食事に行こう?」
「お、おう」
 車椅子を動かして外へ出ようとするジョニィを、ジャイロは慌てて追いかけた。自分の足音を聞きながら、思い出す。
(さっきの封筒)
 どこにでもある、ごく普通の封筒だった。宛名は見えなかった。この宿で渡された物と比べると、少しよれていたように思う。もっと前に受け取っていた物で、何度も繰り返し読んだ後であるかのように……。
 ジョニィはなんだか上機嫌そうだ。やはり、応援の手紙をもらえたことが嬉しいのだろうか。
(1人1人に返事を書くとか言い出したらどうしよう)
 ジョニィの車椅子を押しながら、ジャイロはこっそり溜め息を吐いた。


2015,05,30


ラルト様からほのぼのジャイジョニのリクエストをいただいて書きました!
ほのぼのになったかな!?
なってると、いいね……(笑)。
少なくとも殺伐とはなってないはずだ。
ジョニィがジャイロからもらったアホみたいな手紙を、毎晩寝る前に読んで「うん、明日も頑張ろう」とか思ってたらかわいいと思いました。
完成までに思いの外時間がかかったことをお詫びしますと共に、リクエストくださったことにお礼申し上げたいと思います。
ほんっとうにありがとうございます!
これからもがんばっていきたいと思いますので、よかったら今後も応援してくださいませ〜!!
<利鳴>

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