ジャイジョニ 全年齢 現代パラレル


  時なんてとめてしまえばいい


 使い終わった食器を片付けるのを手伝いながら、ジョニィは壁掛けの時計に眼をやった。さっきからもう何度同じ仕草をしただろうか。その度に、時計の針は時間を飛ばしてしまったかのように、思いがけないほど先へ進んでいた。じりじりと動く秒針は休む素振りを見せなかったが、いつの間にか、ジョニィの手はとまっていた。
「どうした」
 ジャイロの声に、ようやく我に返る。ジャイロはジョニィから拭き終わったカップを受け取るべく伸ばした手を空中にとどめたまま、訝しげに首を傾けた。
「あの時計、あってる?」
 クマのイラストが描かれたマグカップを手渡しながら尋ねると、ジャイロの眼も同じ方へと向いた。
 時計と日付を知らせる以外の無駄な機能を持たないシンプルなデザインのアナログ時計は、ジョニィがジャイロの部屋を尋ねるようになった頃にはもうそこに掛かっていた物だ。きっとあの位置から住人や訪問者の姿をずっと見てきたのだろう。あの時計から見れば、自分はまだまだジャイロとの付き合いの浅い、謂わば新参者だということになるわけか。そんなことを考えていると、文字盤の下にある日付を表示させるための窓が、小馬鹿にしたように笑う口に見えた。
(精々笑ってろよ。お前はそこから降りてジャイロの近くへ行くことも、触ってもらうことも出来ないくせに)
――おやおや、そんな口を利いていいのかな、ジョースター君? 君がここにいられる時間が、あと何分残っているのか分かっているのかい? ほら、また1分経った。次の1分もすぐだよ。もちろん、きっかり60秒はあるがね。でも、その1秒1秒が全て同じ長さだと、果たして断言出来るかな?
(人の頭の中で勝手に喋るなよ、この無機物め)
「どうしたジョニィ。怖い顔して」
「なんでもない」
「たぶん、あってると思うぜ。確か電波時計だったはずだしな」
「そう」
「時計がどうかしたのか」
「ずれてたらいいのにと思って」
 表情を変えずに言うジョニィに、ジャイロは再度首を傾げた。
 例えば、あの時計が30分進んでいたらどうなるだろう? つまり、実際の時間は3本の針が示している時刻よりも30分前であることになる。“今の時刻”だと思っていた時間がくるまで、あと30分。そしてそれと一緒に、全ての時がずれる。バラエティでも活躍中の人気アナウンサーがテレビの中で「おはようございます」と言う時間。朝陽が昇る時間。日付が変わる時間。ジョニィが乗らなければならない終電の時間。実際に30分の余分な時間が生じるわけではない。現実と認識のずれが修正されるだけだ。だが人の感覚というやつはいい加減なもので、帰らなければならない時刻までの猶予が増えたと錯覚してしまう。
 逆に、時計が30分遅れていたら……。その場合はもう帰るための手段がない。では「帰らなくていい」ということになるのだろうか。いや、まだタクシーがあるか。そうでなくとも、数日前にうっかり終電を逃した――映画のDVDを見ていたのだが、映像特典のアナザーエンディングを見ていたらそれが思いの他長くて時間の読みを誤った――時は、ジャイロが車で送ってくれたのだった。
「あの時計があってるなら、そろそろ帰る時間を気にしないといけない」
 ストレートに「帰りたくない」と言えない自分は素直じゃあない。そんな心の声がどこまで聞こえたのか、ジャイロは数秒の間を置いてから「ああ、そうだな」と返した。
 何故か急に沈黙が訪れた。いつもなら耳に入らないはずの秒針が動く音が聞こえる。果たしてその音は、本当に正しい速度で鳴っているのだろうか。
 月並みな言葉だが、楽しい時間は早く過ぎる。もちろん実際に時計の動きが加速するなんてことがあるはずはない――あったらそれは時計の故障だ――。あくまでもそう感じるというだけの話。全く、人間の身体は本当にいい加減で、しかも不合理的に出来ている。
(楽しいことが短く感じて、嫌なことは長く感じるなんて、反対の方が絶対にいいのに)
 そうすれば、ストレスを感じることなく平穏に過ごせるのに。生命にとってはそっちの方が遥かに良いではないか。
 バタンと音がして思わず視線をそちらへ動かした。それはジャイロが食器棚の扉を閉めた音だった。今時計から眼を離したから、きっとこの隙にまた時間はスキップされているに違いない。“だるまさんが転んだ”のように、針は見ていない時に一気に進んでいるのだろう。
(なんかそんなような諺があったな。見ている湯は沸かない? ……少し違うか? そもそもこれって諺だっけ? どうでもいいけど、“水”じゃあなくて“湯”って言ってる時点で、それもう沸いてないか?)
 思考がずれてきた。
「別にいいんじゃあねえ?」
「え?」
 “何が”別にいいのか、理解出来ずにジョニィは一瞬戸惑った。何の話をしていたのだっけ。
(ええっと、ストレスが人体に与える悪影響……)
「時間とか、……別に気にしなくても」
「あ、違った」
「ん?」
「なんでもない。こっちの話」
 時間を気にするのをやめると、おそらく終電を逃すことになる。にも関わらず「それで良い」とは、また送ってくれるつもりなのだろうか。しかしジャイロは、それが聞こえたかのように言い加えた。
「ガソリンないから送っていけないけど。もうスタンド閉まってるし。明日の朝入れるつもりだったんだ」
 だから今夜は走れないと言う。
「ぼくタクシー代持ってない」
 バイトの給料が入るのはまだ一週間も先だ。
「オレも貸せるほど手持ちはない。明日降ろすつもりだった」
 いよいよ帰れなくなってしまう。つまり、
(帰らなくていいって意味?)
 ジョニィはジャイロの顔をじっと見た。が、ジャイロの視線は返ってこない。彼の眼はどこか横の方へ向いている。その方向に、何か変わった物があるようには見えないのだが。まさかジョニィには見えない“ナニカ”がいるとでも言うのか。
(ちょっと、やめてよ)
 少しでも表情を窺おうと、ジョニィはジャイロの顔を下から覗き込んだ。
「……いいの?」
 帰らなくても。つまり――
 ジャイロは不意に身体の向きを変え、件の壁掛け時計に眼をやった。
「あの時計、とまってないか?」
「え?」
 ついさっきまでは間違いなく動いていたはずのそれは、今見てもやはり動いていた。長針は先程よりも“12”に近い場所に移動している。それなのにジャイロは、
「な? とまってるよな? もう電車行っちまったんじゃあないか? ガソリンもタクシー代もないし、しょうがないから、泊まっていけば?」
 ジャイロは視線を下げようとしない。見上げた頬に、かすかな赤みがさしているようだ。
 ジョニィは未だに手に持っていたままだった食器拭きをハンガーラックにかけながら言った。
「……うん、言われてみればとまってるかも。そうだね。帰れないんじゃあ仕方ないや」
「野宿するわけにはいかないしな」
「どこかに泊まるお金もないし」
「じゃあ、……決まりか?」
 ちらりと視線が――ようやく――こちらを向いた。どうやら、この男もあまり素直ではないようだ。
「うん。決まり」
「OK」
 示し合わせたわけでもないのに、ふたりはそろって時計を見上げた。いつの間にか短針の位置も動いている。やはり見張っていないとデタラメな速度で動くようだ。まあ、この時計は今動いていないことになっているのだから、もう関係のないことだが。
「電池外すか?」
「そこまではいい」
「良かった」
「?」
「あの時計、いちいち椅子持ってこないと外せねーんだ」
「置時計にしたら?」
 それならもう上から見下ろされることはないわけだ。
(いや、そもそも新しく買ってきた時計なら、ぼくよりそっちが新参だ)
 ジョニィは少し笑った。
「あ、待って。この部屋、ユーレイなんて出ないよね?」
「は? なんだそれ、おいやめろ」


2016,05,14


つまりお部屋デートが時間延長でお泊りになったというだけの話。
別のジャンルで書けば現代パラレルとかにする必要なかったのですが、アホな会話繰り広げてるGJが書きたくて生まれた話だったのでそのままで。
<利鳴>

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