ジャイジョニ 全年齢 ディエ→ジョニ要素有り


  トレ←→ド


 眼が覚めた途端に違和感を覚えた。彼の頭はまだ覚醒し切っていない。にも関わらず、「何かがおかしい」という確信だけはあった。
(なんだ……?)
 少々の間を要してから、彼は「場所が違う」と1つ目の答えを見付けた。昨夜の自分の行動を思い返してみる。やはりそうだ。「違う」。彼は昨夜、岩壁に朝陽を遮られない場所を選んで眠ったはずだ。翌朝うっかり寝過ごしてしまわないように、朝陽が登ればその眩しさに嫌でも眼が覚めるようにと。そうした上で、競争相手達から姿を隠すことの出来る場所を苦労して探し出したのだ。あれだけ探し廻ってようやく納得した場所を見間違えるはずがない。ここは昨夜野宿の場所に選んだのとは違う場所だ。まさか寝ている間に移動したとでも言うのだろうか。
 起き上がってみると、少し離れた所にジョニィ・ジョースターがいた。
(ここにも1つ……)
 違和感だ。
 ジョニィは平然とした顔で、焚き火のそばに座っている。どうやら朝食の用意をしているようだ。のん気なその様子を見ていると、いつの間にかコースから大きく外れた場所に迷い込んでしまったということはなさそうだと、その点に関しては一先ず安心した。
 彼の視線に気付いたのか、ジョニィは火にかけた鍋から視線を外して顔を上げた。
「おはよう」
 そしてまたすぐお湯の沸き加減を見るために、下を向いた。
 一体何がどうなっているのだろうか。何かが変だ。とにかく状況を整理しなければならない。彼は少しでも意識をはっきりさせようと、頭を振った。その動きにあわせて、長い髪が肩から落ち、頬を撫でた。
「何がどうなっている……?」
 知らず知らずの内に声に出してそう呟きながら、彼は長い髪へ視線を落とした。続いて髪に触れた手、手に繋がる腕、そして胴体。ゆっくりとした視線の移動距離に比例するように、彼の頭は事態を把握し始めた。
「これは……。まさか……?」
「なにしてるの?」
 顔を上げると、ジョニィがこちらを見ていた。僅かに首を傾げるような仕草をしている。
 毛布から這い出し、彼はジョニィに近付いていった。
「ジョニィ」
「何?」
「鏡を持っていないか?」
「鏡?」
「姿が映る物なら何でもいい。ああ、それを貸してくれ」
 彼はそばに置かれていた鍋の蓋を取った。少々歪んだ金属の蓋には、不鮮明ではあるが彼の顔が映り込んでいる。それは、どう見てもネアポリスからやってきた鉄球の使い手、ジャイロ・ツェペリの顔だ。
「ジャイロ? どうしたのさ」
「なるほど……な」
 彼はジョニィの質問には答えずに頷くように呟いた。
「何なの? どうかしたのかって聞いてるんだぜ。答えろよ」
 ジョニィの口調にはっきりと苛立ちが現れ始めた。彼はにやりと口角を上げながら、ジョニィの腕を掴んだ。
「な、なに」
「ジョニィ」
「……っなんだよ」
 やはり質問に答えず、彼は無言でジョニィに詰め寄った。ジョニィは逃れるように身を引いたが、動かない足が地面においていかれている。僅かに幼さを残す顔に浮かんだ苛立ちが、困惑へと変化していくのが手に取るように分かった。
「ちょ……、なに、を……」
「ジョニィ」
 彼は唇をジョニィの耳元へ近付けて、囁くようにその名を呼んだ。重なり合ったジョニィの身体からは、速さを増していく鼓動が伝わってくる。細い肩が強張るように震えた。
「ジャイ、ロ……っ」
「ジョニィ。オレの物になれ」
「な……」
 とそこへ……。
「おいッ!!」
 彼は後頭部に強い衝撃を受けた。その勢いでジョニィの顎に頭突きを食らわせた。「痛い」「舌噛んだ」と喚いているジョニィから離れて振り向くと、そこにはよく知った男の姿があった。男は彼の後頭部を蹴った足を上げたまま、こちらを睨んでいる。
「てめェ……」
 金髪の下の碧い眼の中で、怒りの焔が燃えていた。

 言い争いを始めた2人から、ジョニィはとっくに距離を取っていた。会話は完全に聞き取れるが、不意に飛びかかれるような心配はない距離だ。一先ず安全な位置から見た彼等は、「異様」としか表現できない有様だった。
「お前やっぱりDioだな!? てめぇ、ふざけんなよ! 今ジョニィに何をしてやがった!!」
「そういう君はジャイロ・ツェペリ……。おいおい落ち着けよ。ちょっと挨拶しただけじゃあないか」
「挨拶だァッ!?」
「お前の国では挨拶にキスはしないのか?」
「少なくとも唇に、しかも男同士ではな!」
「そうか。奇遇だな。オレの国でもしない」
「うぎいいいいいいいいいいッ」
 状況が全く呑み込めない。2人の姿だけ見れば、また、会話だけ聞けば、ジャイロとディエゴが言い争っているだけだ。が、ジャイロのようなセリフを口にしているのがディエゴで、ディエゴのようなセリフを口にしているのがジャイロであるという、なんともちぐはぐな光景が繰り広げられているのだ。ディエゴはジャイロのことをDioと呼んで罵倒し、ジャイロは余裕のある表情でディエゴを相手にしている。
「ちょっと、何がどーなってんのさ!? 説明しろよ!!」
 しかしジョニィの声は2人には届いていないようだ。それどころかジョニィの存在そのものをすっかり忘れてしまったかのように、言い合いを続けている。そんな状況が、ジョニィにとって面白いはずもない。
「いい加減にっ、しろおおぉおぉぉォッ!!」
 ジョニィが一度に全弾撃った『爪』によって、辺りはようやく朝の静けさを取り戻した。
「危ないやつだな。有無を言わさずスタンド攻撃とは」
「オレに当たったらどーしてたんだこのやろう!」
「人の話聞かないのが悪い!」
 とにかく落ち着いて話をしようという話にまとまり、3人は――ジョニィは元よりその体勢だが――それぞれ地面に腰を降ろした。
「で、どういうこと?」
 ジョニィが視線を向けると、ジャイロは「オレはジャイロ・ツェペリじゃあない」と答えた。
「で、オレはDioじゃあない」
 と、こちらはディエゴ。
 2人が眼を覚ましてからの状況を――途中何度もジャイロとディエゴが言い争いを始めるので――苦労の末纏めた結果は、次のようなものだった。
「つまり、入れ替わった。ジャイロとDioの精神が。ジャイロがDioに、Dioがジャイロになってる。そういうことでいい?」
 ジョニィが尋ねると、2人は不愉快そうに頷いた。
 ジョニィがジャイロだと思った相手、即ちジャイロの姿をしたディエゴが眼を覚ました丁度同じ頃、ジャイロはディエゴの姿で眼を覚ましていたらしい。近くにいるはずのジョニィの姿はどこにも見えず、代わりにディエゴの持ち物や馬があった。混乱しながらも何とか状況を呑み込み、では本物のディエゴはどこへ行ったのかという疑問が湧くと同時に、彼は走り出していた。そして間一髪のところで、ジョニィと、ジョニィに襲い掛かろうとしている自分の姿を見付けたのだ。
「それにしてもお前、よく自分の後頭部に躊躇いもなく蹴りを入れられるな」
「オレだってやりたくてやってんじゃあねーよ!」
「また撃つよ」
 『爪』は既に10発分全てが再生している。ジョニィはその指先をジャイロとディエゴに、交互に向けた。しかし2人の睨み合いはとまらない。
「さっさとオレの身体を返しやがれ」
「それはこちらのセリフだ」
 最初はディエゴが何か仕掛けてきたのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。ディエゴもこの状況に、大いに迷惑しているようだ。同じ悩みを抱えた同士ではあるが、それで友情が芽生えるようなことはなく、彼等は何度でも同じ遣り取りを繰り返そうとした。ジョニィは幼児の世話をする保育士の気持ちになっていた。
「もう、どうすんのさそれ。こんなところで言い合ってても、タイムロスだよ」
 現に出発予定の時間は大幅に過ぎている。
「ジョニィ、てめー、完全に他人事みたいに言いやがって。せっかく助けてやったってのによぉ」
「キモイ。Dioの顔近付けないでよ」
 冷たい眼と言葉に打ちひしがれているジャイロを、ディエゴは「その程度で凹むとは、鍛練が足りないぞ。軟弱ゥ軟弱ゥ」と言って囃し立てた。
「やめろって言ってんのになぁ! せめて、進みながらにしてくれない?」
 そう言うと、ジョニィはさっさとスロー・ダンサーの背中に乗った。
「あっ、待てよおいっ。ったく……。おい、ヴァルキリー!」
 ジャイロは自分の馬へ呼びかけた。が、応答がない。
「おい、どうした」
 手綱を掴んでいつものようにヴァルキリーの背に跨ろうとするが、何故か愛馬はじっとしていてくれず、どうもジャイロの騎乗を拒んでいるようにすら見えた。
「どうしたって言うんだよ」
「たぶん、ジャイロだって認識されてないんじゃあない?」
 ジョニィに言われ、ジャイロは自分の姿をしたディエゴを再度睨み付けた。
「おいおい、人の所為にするんじゃあないぜ。しかしそうなるとこっちも同じ状況ってことか。おい、オレの馬はどこだ」
「あ? ああ、お前が寝てたところにいるんじゃあねーの?」
 ディエゴは小さく舌打ちをすると、自分の馬と荷物の回収に向かって行った。
「くそッ……」
 ジャイロは苛立った様子で、岩壁に向かって拳を振った。小さな砂の粒がジャイロのものではない皮膚を傷付け、赤い血を滲じませた。
「ジャイロ、ぼく達も行った方がいい」
「ああ!? なんでそうなる!?」
「君は今ヴァルキリーには乗れないんだぜ。Dioの馬に乗るしかないんだ。まさか自分の馬にとは思うけど、可笑しな細工でもされたら困るだろ」
 「それに」とジョニィは続ける。
「仮にヴァルキリーに乗れたとしても、他人の眼から見たらそれは『馬の交換』にあたる」
「あっ……」
 それは即ち、レースの失格を意味する。ジャイロにとって、ディエゴが失格になるのは何の問題もない。だが自分の姿をしたディエゴにそうされるのは大問題だ。
「ジャイロ、とにかく冷静にならなきゃいけない。仮に、元に戻れないままレースが終わったら……いや、このステージだけでも充分だ。このままゴールしなきゃいけなくなったらどうなる? 君が1位でゴール出来ても、他人から見ればそれはDioのゴールだ。実は自分はDioじゃあないんだなんて言って、簡単に信じてもらえるか? 君の成績は君のポイントにならない」
「っ……」
「今のDioは君の姿で何でも出来る。わざとルール違反をして君を陥れることも。もっと簡単に、ギブアップしちまうことも。Dioは他人になっても平気かも知れない。それがのし上がっていく踏み台になるなら。他人の身体を乗っ取ったり、他人の地位や財産を奪うくらい、Dioならやる。きっとやる。ディエゴ・ブランドーとしてじゃあなくても、賞金が手に入るならこのレースの目的はクリア出来るんだ。でも君は違う。ジャイロはジャイロとして勝たなきゃならない」
「だからっ」
「だからこそ、Dioに『それ』をさせちゃあ駄目だ。Dioが君を陥れようとする理由を与えちゃあいけない」
 ジョニィはジャイロの手に視線を落とした。傷口から零れた雫が、地面に色を着けている。ジョニィは荷物の中から包帯を取り出し、ジャイロの手を取ってそれを巻き付けた。
「冷静になれ。Dioの行動は見張っていなきゃいけない。あいつを監視しながら、元に戻る方法を探すんだ。自分の身体も守らなきゃいけない。Dioからも、追っ手からも」
 不本意ではあるが、元に戻る方法が見付かるまではディエゴと共に進むしか――それどころか協力し合うしか――ないようだ。それが有利だからではない。一番被害が少なく済む――かも知れない――からという理由でだ。
 ジャイロは眉を顰めながらも頷き、ヴァルキリーと荷物をジョニィに任せてディエゴのあとを追った。

 ディエゴのキャンプ地は、ジャイロ達のそれからは岩壁があって見えない場所に位置していたが、距離は思いの他近くだった。ディエゴの馬は主が呼びかけても我関せずといった様子で、地面にわずかに生えている草を啄ばんでいる。
「ふん、やはり駄目か」
 ジョニィが指摘した通り、ジャイロを乗せるのとディエゴを乗せるのとでは、馬にとっては様々な違いがあるのだろう。例えば身長、体重、皮膚に触れる感触、呼びかける声も別の物だ。
 手早く荷物をまとめていると、自分の姿――即ちジャイロ――が近付いてくるのが見えた。
「こいつの名前は?」
 馬の背中に手をやりながら、ジャイロが尋ねる。
「シルバー・バレット」
「オレが乗るしかないんだろうな」
「ああ。さもなくば、馬を交換したと見られるだろうな」
 ジャイロもそのことには気付いていたようで――あるいはジョニィの指摘だろうか――、不満そうな顔をしながらも手綱を取った。シルバー・バレットはあっさりと彼の騎乗を許した。
「なんか慣れねーな」
「お前の馬は」
「ヴァルキリーだ。今ジョニィが連れてくる」
 ディエゴは8回呼吸をする毎に身体が左にぶれるクセを持った馬を思い出した。おそらく、乗り慣れない馬ではフルパワーを引き出すことは出来ないだろう。完全に捨てるつもりでもないなら、自分の身体や馬を置いて先行するわけにもいかない。厄介なことになりそうだ。
「おいジャイロ」
「んだよ」
「紳士協定を結ばないか?」
「紳士協定?」
 ジャイロは唇を歪ませるように笑った。
「へぇ、お前からそんな言葉が聞けるとはな」
「オレは真面目に話している」
 ディエゴはジャイロを睨み付けてやったが、自分の顔を睨むというのもなんだか落ち着かなくて、すぐにやめた。
「この状況だと、いつでもお互いを陥れることが出来る。簡単だ。ギブアップを宣言するだけでな」
 ジャイロは眉を顰めたが、今初めてそのことに気付いたといった風ではない。むしろディエゴの思考がそこへ辿り着いたことを「厄介だ」と思っているようだ。
「だが、それだと結局2人共リタイアするハメになって終わりだ。両者にとって、なんの利益もない。そこでだ」
 ディエゴの言葉の続きを、ジャイロが引き継いだ。
「お互いに危害は加えない。相手が不利になるようなこともしない。というわけか? 信用出来るか?」
「出来なくても、他にない」
「……くそ。分かったよ」
 やがてジョニィがジャイロの馬と共に追い付いた。ディエゴとジャイロは荷物だけは自分の物を持ち、相手の馬に跨った。と、そこでディエゴはジャイロの――自分の身体の――手に白い包帯が巻かれていることに気付いた。
「早速何かしでかしてくれたらしいな?」
 包帯には僅かに血が滲んでいる。
「少しすりむいただけだ。跡も残らない程度にね」
 ジョニィが答えると、ディエゴはふんっと鼻を鳴らした。
「全く、気を付けてほしいものだな」
 刺々しいその口調に、ジャイロの表情がぴくりと引き攣る。しかしぐっと声を呑んだ。おそらくジョニィに何か――例えば「Dioを怒らせるようなことはあまりするな」というようなことを――言われたのだろう。それを見たディエゴは、
「うかつな行動は避けてもらおうか。お前1人の身体じゃあないんだからな」
 笑いながら言い放った。ジャイロの中で、決定的な何かが切れたようだ。
「てめえぇッ! 絶対楽しんでるだろう! なんでわざわざそういう気色悪い言い方を!! しかもオレの顔と声で!」
「おっと、その思いっ切り握り締めている拳。いったいそれでどうする気だ? 自分の顔を殴る気か? 戻った時に痣が残っていないと良いがなぁ?」
「ジャイロ! 落ち着けって言ってんのに、もうっ!!」
 そんな騒ぎを起こしていたお陰で、結局その日は宿のある場所まで辿り着くことが出来なかった。

 2日連続の野宿。3人は順番に眠ることにした。夕飯も3人の食料を平等に分けた。
 最初に見張りについたのはジョニィだった。テントの中からは言い争うような声がしばらく聞こえていたが、それもやがて静かになった。ジョニィは月のない夜空を見上げながら、寝る前にジャイロがいれてくれたコーヒーを啜った。舌に広がるコーヒーの味は、いつもと少しも変わらなかった。
 独りで焚き火の音を聞いていると、足音が近付いてくるのが聞こえた。肩越しに振り向くと、ジャイロの姿のディエゴがいた。
(ややこしいな……)
 ジョニィは眉を顰めながら、視線を戻した。
「座っても?」
 ジャイロの声が尋ねた。彼はジョニィの隣を指差している。表情を変えずに「どうぞ」と答えると、彼は地面に腰を下ろした。
「オレはどっちだ?」
「Dio」
 ジョニィはジャイロの姿をした男の名を口にした。
「何故即答出来る? お前が知らない間に戻ったかも知れないだろう?」
「雰囲気が全然別だもの。態度も口調も違う。それに、元に戻ったなら真っ先にそれを報告してくる。ジャイロなら」
「なるほど」
 ジョニィが面倒臭いと溜め息を吐きながら答えると、ディエゴは納得したように頷いた。そしてそのまま焚き火を見詰めるように、黙り込んだ。
 ジョニィは視線だけでディエゴの表情を見た。この男は眠らないつもりなのだろうか。ジャイロとジョニィを信用していないのであれば、それも仕方がないだろう。だが、ジョニィ達にしてみても、ジャイロの身体を人質に取られているような状況だ。迂闊な真似は出来ない。そう言えば、ディエゴに限らず、協力者のいない参加者は野宿をする場合、おそらく何等かの対策はしているのだろうがそれでも――もちろんジョニィ達も楽をしているわけではないがそれ以上に――相当な苦労を強いられていることだろう。好意からの共同戦線ではないが、一応の協力者が出来た時くらい、きちんと休めば良いのに……。
(くそっ……)
 ジョニィは小さく舌を鳴らした。普段のジョニィなら、ディエゴに対してこのような『優しさ』に類する感情を向けることはない。外見がジャイロの姿だからだろうか、どうも調子が狂う。
(……むかつく。ジャイロの匂いがする)
「なあジョニィ?」
「ああ?」
 ジャイロの声が大嫌いな男の口調で話すのに、ジョニィは露骨に不機嫌な声で応じた。
「お前、ジャイロ・ツェペリとはどこまでいっているんだ?」
 焚き火がはじける音と同時に、ジョニィの顔は一瞬で熱を持った。時間が止まったような錯覚に襲われる。
「なっ……なあッ!?」
 ディエゴはくすくすと笑っている。
「な、なにをっ、馬鹿なことを!」
「今更何を隠している? あの男に惚れているのだろう?」
「馬鹿なこと言わないでよ!」
 しかも、ジャイロの姿と声で。
「ふうん、一方的なのか」
「何馬鹿なこと言ってんの!? 馬鹿じゃあないの!?」
「ボキャブラリィの貧困なやつめ。さっきから同じことしか言ってないぞ」
「うっ、うるさいなっ! このっ……馬鹿ッ!! だ、だいたいっ、なっ……、ッ……」
 声にならない声の代わりに、脳味噌が沸騰するような熱さだけは際限なく湧き出てくる。段々眩暈までしてきたような気がする。
「そ、そんなこと! べ、べつにっ、ぼくはッ、なななななんでジャイロなんか!!」
 喚き立てている間に、ディエゴは腰を浮かせてジョニィの正面へと移動していた。そのまま足の動かないジョニィに詰め寄るように顔を近付ける。長い髪が風に靡いて、ジョニィの頬に触れた。
「ちょ……っと……」
「ジョニィ」
「や……」
「素直になってみたらどうだ?」
 ジョニィは脇腹の辺りにジャイロの――つまりディエゴの――手が触れるのを感じた。意外なほどに柔らかく、暖かい大きな手だ。それがするりと服の中の素肌に触れる。
「やっ、ん……っ」
「かまわないだろう? オレは今ジャイロなんだから」
「っ……で、でもっ……」
 背筋をなぞるように、ジャイロの手は皮膚の上をすべっていく。ジョニィは自分の意思と反する声が咽喉から出るのをとめられなかった。
「アっ……」
「ジョニィ」
 それはディエゴの口調ではなかった。
「ジョニィ、オレはお前のことが好きだぜ」
「ジャイ……ロ……」
 抵抗の力がついに消えようというまさにその瞬間。重たく、鈍い打撃音がディエゴの後頭部を直撃した。地面にころころと転がったのは、ジャイロの鉄球だ。
「Dio! てめーまた!!」
 大股で近付いてきたジャイロは、倒れているディエゴの胸倉を掴んでガクガクと揺さぶった。
「人の身体で好き勝手すんなって言ってんだろうが! そもそもっ、展開が冒頭と丸被りなんだよッ!!」
「じゃ、ジャイロ?」
「お前も落とされそうになってんじゃあねーよ! これは偽者!!」
「あの、ジャイロってば」
「ああ!?」
「動かないよ? Dio……っていうか、ジャイロの身体……」
「あ」
 ジャイロの姿のディエゴは、完全に気を失っていた。
「てめっ、このやろー! この程度で脳震盪起こすやつがあるか!」
「いや、普通に起こすと思うよ!? 鉄球だよ!? 今手加減なしで投げたでしょ!?」
「いつもと手の形とか違うんだよ! 手加減とかそんな器用な真似出来るかっ!」
「逆切れ!? これ自分の身体なんだからね!? 分かってんの!?」
 しばらく後に、なんとか意識を取り戻したディエゴに向かって、ジャイロはほぼ同じ罵声をあびせた。
「どこが紳士協定だ! 勝手なことすんなっつーの! おいっ、イギリスとアメリカでは『好き勝手すんなアホ』は違う言い方すんのか!? オレの英語なんか間違えてっかなぁぁぁぁ!? どぅーゆーあんだーすたんんんん!?」
「ふん。協定を結んだのはレースに関してだけだ。ジョニィに対してどうというのは、一言も言っていないはずだぜ」
「んだとォ!?」
「と言うか、貴様こそ後先考えずに動くな。攻撃をすればしただけ、返ってきた時の自分の肉体が傷物になっているんだぞ!」
「るせぇ! 許可なくオレの身体でジョニィに近付くんじゃあねえ! ジョニィ! オレから離れるな! オレの傍にいろ!!」
「!!」
 ジョニィは顔をふいっと背けた。
「ジョニィ?」
「……っ、Dioの格好で言われたって、う、嬉しくなんか、ないんだからね……」
「ジョニィ……」
「ツンデレ気取りか」
「誰がツンデレだ!!」

 翌朝、3人は揃ってげんなりした顔をしていた。特に『入れ替わり』の当事者であるジャイロとディエゴは、ジョニィと比較するとより疲労がたまっているようだ。出発の準備をしながらも、溜め息と欠伸を繰り返している。
「寝てないの? 警戒するのは分かるけど、少しは休まないと……」
 ジョニィが言うと、ジャイロ――見た目はディエゴ――は眼を擦りながら首を横へ振った。
「違う。寝ないで見張ってようとなんてしてねーさ。ただ、普通に寝付けなかった」
「枕替わると寝られないって人いるよね」
「身体が替わると寝らんねーってか? くだらねー」
 不機嫌そうに吐いた息が、欠伸に変わった。
 宿に辿り着いたのは、陽が暮れた頃だった。本当なら、先にシャワーを浴びて汗や埃を洗い流してしまいたいところだったが、人目が多くなる前に食事を済ませてしまった方が良いだろうという3人の意見が初めての一致を見せ、彼等は荷物を纏め終わり次第、食堂に向かうこととなった。部屋は隣あった1人部屋を3人分確保した。自然に見せるのであれば、ジャイロ――の姿をしたディエゴ――とジョニィは2人部屋を取るべきだったかも知れないが、それは嫌だ――あるいは「駄目だ」――という意見が、2対1の多数決で通ることとなった。
 ジョニィはフロントでレースに関する記事が書かれた新聞を受け取ってから自分の部屋に入った。一面には主催者であるスティーブン・スティールの写真や、大統領からのコメントが大きく掲載されていた。その他の記事は、注目されている選手についてのものだ。その中に、ジョニィは自分達の名前と姿を見付けた。見出しで踊っている文字はこうだ。『ジョニィ・ジョースター、ジャイロ・ツェペリとのコンビ解消!? 新しいパートナーはかつてのライバル、ディエゴ・ブランドー!?』
「どこの三流記者だ……」
 一緒に掲載されている写真は、ジョニィがジャイロの傷を手当してやっている時のものだった。そしてそれは、見た目だけであれば、ディエゴの手を取っているジョニィの姿だった。『入れ替わり』が起きて直ぐの、あの時だ。近くにカメラマンがいたとは迂闊だった。それにしても、何てひどい見出しだろう。これでは芸能人の破局と熱愛報道だ。
 新聞を畳んでテーブルの隅に避けた時、ドアをノックする控え目な音がし、続いてディエゴの声が聞こえた。
「ジョニィ、オレだ」
 ジョニィは車椅子を動かしてドアへと向かった。薄く開けたドアの向こうに立っているのはディエゴの姿ではあったが、その立ち方や表情、雰囲気から、不思議とジャイロに見えなくもない。この不自然な状況に、少しではあるが慣れてきてしまっているのだろう。それでもジョニィは、念の為に尋ねてみた。
「君はどっち?」
「ジャイロ・ツェペリ。相変わらずだぜ。残念ながらな」
「だと思った」
「入っても?」
「合言葉は?」
「決めてねーだろ、そんなもん」
 ジョニィは満足そうに頷くと、ドアを大きく開けた。てっきり迎えに来たのかと思っていたが、ジャイロは長い溜め息を吐きながら入ってきて、ベッドに腰掛けた。ジョニィはその横へ車椅子を動かし、ジャイロの顔を覗き込んだ。そこに見えたのは、疲労と苛立ち、どちらがより多いのだろうか。
「ジャイロ」
「分かってる。落ち着けって言うんだろ。暴れたりするつもりはないから、安心しろ」
 おそらくそんな気力は残っていないと言うのが正解に違いない。
 こめかみの辺りを押さえるような仕草をしたジャイロは、しかし手に触れる自分の顔に――あるいはその逆に――違和感を覚えたのか、すぐに上半身を投げ出すようにベッドに寝転がった。
「落ち着いてる? そう? じゃあ、これ読む?」
 ジョニィは先程の新聞を手渡した。ジャイロは起き上がって紙面に眼を向ける。英語の文章を読むのに時間がかかったのか、少々の間の後、彼は露骨に表情を歪めた。それは不思議と、完全にジャイロの顔に見えた。
「んだよこりゃあ。くだらねぇ記事書きやがって」
「下手したらその見出しが『ディエゴ・ブランドー懐妊!? 相手は彼を気遣うジャイロ・ツェペリ!?』になってたかもね」
「げ」
 写真に撮られた場面の少しあとの遣り取りを思い出しながら、もちろん冗談のつもりで言ったものの、それを笑う余裕は彼等には残っていなかった。
「つまり、他人から見たら、君はDioにしか見えないってこと」
 ジャイロはすっかり聞き慣れてしまった溜め息を吐いた。
「どうしてお前はそんなに落ち着いていられるんだ?」
「なんだかんだで当事者じゃあないからかな」
 もちろん、ジャイロにこのままでいられるのは大いに困るが。
「でも、お前の名前も書かれてるし、写真も撮られてるだろ。むかつかねーのか」
 ジャイロは新聞記事を指差しながら言った。
「あることないこと書かれるのは、嬉しくはないけど少しは慣れてる」
 ジョニィの表情が僅かに曇る。騎手時代のこと、そしてそれを辞めなければならなくなった事件のこと……。いや、今そんなことを思い出しても仕方がない。考えなければならないのは、今後のことだ。
「なあジョニィ」
 沈黙を破ったのは、ジャイロだった。
「なに」
「昨夜よぉ」
「うん?」
「……」
 ジャイロは迷うように言葉を詰まらせた。
「ジャイロ?」
「昨夜、お前がDioとしてた話なんだが……」
「……ど、どの話?」
 ジャイロの視線が戸惑うように泳ぐ。それが答えのようなものだった。
『あの男に惚れているのだろう?』
(聞かれてた……!)
 あんなのDioが勝手なことを言っているだけだと、いくらでも言い訳が出来ただろう。顔を真っ赤にして、しかもその顔を背けてしまっていなければ。
「あ、う、あれは……っ、その……」
 その続きの言葉は出て来なかった。
「くっそ、Dioのヤロー……。オレの身体だけじゃあなくて、セリフまで取りやがって!」
「……え?」
 視線を戻した先で、背けられたジャイロの頬が赤くなっているのが僅かに見えた。
「……仮にお前が……その……、……そう思ってたんだとしても……、一方的なんかじゃあねーからな」
「!!」
「ジョニィ、オレは……」
「っ……、ま、待って!」
 詰め寄ってきたジャイロの肩をぐっと押し退けて、ジョニィは車椅子を後退させた。ジャイロの眼に僅かに失望の色が宿る。しかし、
「……ちゃんと、ジャイロの口から聞きたい……」
 消え入りそうなほど小さいジョニィの声は、しかしジャイロに届いたらしい。こんな状況下で、ようやく小さな希望を見出したような顔を、彼はした。根本的な解決策が見付からないのは相変わらずだが、それでも心の支えとなるものは、確かに必要なのだ。
 2人は黙り込んだが、もう先程までの重い空気はどこにもない。やがて立ち上がったジャイロは、照れ臭そうな顔をしていた。
「飯、食いに行くか」
「うん。あ……、あの、先、行ってて」
「ん……。分かった」
 ドアを出て、ジャイロの足音が遠ざかって行くと、聞こえるのは自分の心臓の音だけになった。
(やばい……。どうしよう……)
 ジョニィは両手で熱くなった顔を覆った。しかし、馬を全力で走らせた直後のような動悸と、勝手に口角が上がるのは、抑えられそうにもなかった。

 ジャイロが食堂へと移動してしばらくすると、ジョニィも姿を見せた。他の客はまだ疎らにしかいない。これなら、不自然な3人組が同じテーブルに付いていても、それほど人目を引くことはないだろう。もちろん、隅の方のテーブルで、大人しくしているのであればという前提付きで、だが。
 ジャイロと眼が合うと、ジョニィはひらひらと手を振った。
「Dioは?」
「知らん」
 勝手に動き廻られるのも困るが、正直あまり顔を合わせていたくないというのが本音でもあった。だがもうしばらく待っても姿を現さなければ、探しに行く必要があるかも知れない。独りで先へ進むようなことはしないだろうが、食事を抜く等して、自分の身体を粗末に扱われるのは阻止しなくてはならない。
「ったく……めんどくせーなぁ……」
「ねえジャイロ」
 ジョニィが何か思い付いたように口を開いた。
「ん?」
「なんでこうなったのかは正直分からないけどさ」
「おう」
「昔から王子様の呪いを解くのはお姫様のキスだって決まってるよね」
 頬杖を着いていた腕ががくっと滑って顎が落ちかけた。この男はいきなり何を言い出すのだろうか。さっきは少女のように顔を赤らめていたというのに――ジャイロも人のことは言えないが――。
「お前ねえ……」
「ああ、ジャイロじゃあ『王子様』って雰囲気じゃあないか」
 じゃあお前は自分がお姫様だとでも言うのかと反論してやろうかと思ったが、ジョニィの口調があまりにも淡々としているので、からかわれているのだろうかと思ってやめておいた。
「見た目はDioなんだぜ」
「そっか。あ、じゃあ明かり消してっていうのは?」
「だっ、駄目だっ! なんか……別な意味で駄目!」
「そう」
「それに、万が一それで戻ったとしたら、その瞬間ここにいるのはオレじゃあなくてDioになるってことなんだぞっ」
「ああ、それは嫌だな」
 こんな状況を利用するのは気が引ける……ような気もするが、せっかくのチャンスを逃してしまったようにも思える。複雑な心境のまま、ジャイロはがっくりと肩を落とした。
 そこへディエゴがやってきた。
「おいおい、なんだその顔は? だらしない」
「あ?」
「人の評判を下げるような真似は避けてもらいたいものだなぁ?」
「ったく……いちいち突っかかって来やがって……」
「暴れるなら食事の後にしてね」
 もちろんジョニィは「食事の後なら暴れても良い」という意味で言ったのではないだろう。だが、結局はそういうことになった。
 食器が粗方空になると、ディエゴは真剣な顔で口を開いた。
「次のゴールまで、もう距離がない」
 もちろんジャイロとジョニィもそのことは把握していた。だが、どうすれば良いのか、具体的なアイディアはまるで浮かんでこない。
「ゴールまでこのままだった時のことを、そろそろ考える必要がある。そうだろう?」
 ジャイロは頷いた。そして沈黙が彼等3人の周りだけを支配する。
 もちろん、自分が1番にゴールしたい。つまりは、ジャイロ・ツェペリを先にゴールさせたい。そのためには自分がいくら努力しても何にもならない。ディエゴの姿をした自分は、わざとゴール手前で速度を落とし、適当に順位が落ちたところでゴールする。一方ジャイロの姿のディエゴには、誰よりも早くゴールしてもらう。そんなことが、出来るはずがない。だが、
「ジャイロ・ツェペリを先にゴールさせてやってもいい」
 ディエゴはあっさりとそう言った。
「……お前、何をたくらんでやがる?」
「なに、大したことじゃあない」
 ディエゴは否定することなく言った。
「ゴールは譲ってやってもいい。代わりに」
 ディエゴは手を伸ばした。ジャイロは、自分の手がジョニィの肩を抱き寄せるのを見た。
「ジョニィをこちらに渡してもらう」
「なんだと……ッ」
 ジャイロは思わず立ち上がっていた。その衝撃で、まだテーブルに残っていた皿ががちゃがちゃと音を立てた。
「他人の眼から見れば、ジャイロ・ツェペリとジョニィ・ジョースターだ。何も不自然なことはないだろう? セカンドステージからずっと続いているコンビのままだ。そしてお前はあとからゆっくりついてくればいい。このDioがジャイロ・ツェペリを優勝させてやる」
 それは、先程ジャイロ本人が望んだ――そして不可能だと諦めた――ことだった。元の姿に戻れない以上、ディエゴの協力がなければ『ジャイロ・ツェペリ』は優勝することが出来ない。それはつまり何を意味しているか。脳裏に浮かぶのは祖国にいる少年の顔だ。
「ジャイロ……」
 ジョニィが不安そうな顔でこちらを見ている。ディエゴを嫌っている――そして少し前にジャイロへ対する想いを本人の前で認めた――彼は、そんな提案など跳ね除けてしまいたいところだろう。「勝手に自分を取引道具に使うな」そう言いたいに違いない。だが同時に、彼はジャイロがこのレースに参加した目的を知っている。ジャイロのことを大切に思うなら尚更のこと、ジョニィは、ジャイロの優勝の可能性を無にしてしまいたくはないに違いない。「自分の為に優勝を諦めてくれ」だなんて、言えるはずがない。
(オレは……)
 ジャイロの葛藤は、一瞬だった。しかし、彼の回答は、その口から出てくることはなかった。

 視線を感じて振り向くと、そこにはホット・パンツの姿があった。何かに驚いたように、口が「あ」と開いている。
「ホット・パンツ……?」
 ジョニィがその名を呼ぶと、にらみ合っていたジャイロとディエゴもつられたようにそちらを見た。
 彼等の視線の先で、ホット・パンツはこう呟いた。
「解除するの忘れてた」
 『今なんて?』3人が一様に疑問を抱いた顔をする。第三者が見ていたらさぞかし間抜けに映っただろう。
 ホット・パンツは無表情すぎるほどの無表情で、ゆっくりと後ろと向くと、そのままスローモーションのような動きで食堂を後にしようとした。
「おい、待てこのやろー!! 今確かに聞いたぞ!」
「貴様の仕業か! 説明してもらおう!!」
 ジャイロとディエゴはほぼ同時に立ち上がった。他の客の視線が一斉にこちらを向く。だが彼等はそんなことにはお構いなしだ。ホット・パンツが諦めたように足をとめていなかったら、周囲にある物を蹴散らしてでも攻撃を仕掛けていたに違いない。
「分かった。説明する。が、ここはもうじき人が増える。外に出ようじゃあないか」
 ホット・パンツの提案は尤もだった。2人は怒りを堪えたような顔をしながら、外へ出た。ジョニィは慌てて車椅子でその後を追った。
「条件がある。お前達は地面に座っていてもらおう。絶対に立ち上がらない。武器も持たない。オレが良いと言うまで動かない。それが呑めるなら、説明してやろう」
 ホット・パンツは自分の馬に跨ると、3人の姿を見下ろしてそう言った。
「んだとこの野郎! 偉そうに!!」
「これはお前達のためでもある。条件反射でオレを再起不能にしてしまえば、一生そのままでいることになるぞ」
「ぐ……っ」
 仕方なく、彼等はホット・パンツの言う通りにした――ジョニィまで車椅子から降ろされて地面に座らされた――。
「さて、どこから説明しようか?」
 ホット・パンツが首を傾げると、ジャイロよりも先に一時的な落ち着きを取り戻したらしいディエゴが率直に尋ねた。
「これはお前の仕業だな?」
「そうだ」
 ホット・パンツはきっぱりと答えた。ジャイロの拳が怒りで震えていたが、ジョニィが後ろから小突くと、彼はなんとかそれを堪えた。
 ホット・パンツの説明はこうだった。
「オレのスタンドで他人に変装出来ることを思い付いた。が、どの程度見破られないものか実験したくてな。適当な実験台を探している時に、偶然お前達を見付けた」
 ジョニィはスプレーの形をしたスタンドを思い出していた。なるほど、肉体を覆ってしまえるあの能力なら、うまくやれば他人になりすますことが可能だろう。それにしても声や体臭まで完全にコピーしてしまうとは……。
「じゃあ、正確には、入れ替わっていないんだね?」
 ジョニィは念を押すように尋ねた。
「入れ替わってない」
 そうすると、相手を傷付けると後々自分の肉体が傷だらけの状態で返ってくる。なんて心配はなかったことになる。安心したと言えばその通りだが、何の説明もないまま可笑しな実験に付き合わされた当事者2人にとっては、感情はそれだけではおさまらないようだ。
「ちょっと待て。あの時オレはジャイロがいたと思われる場所にいたぞ。見た目だけ変えたのなら、なぜ元いたのとは違う場所で目を覚ました?」
 ホット・パンツは面倒臭そうに溜め息を吐いた。そして、いつでも馬をスタート出来るように身構えたのは、ジョニィの見間違いだろうか。
「動かしたからだ」
「おい、引き摺って移動させたとでも? いくらなんでもそんなことをされれば……」
 目を覚ますはずだ。だがホット・パンツは「なんてことはない」と言うような顔をしている。
「寝ている口に睡眠薬を突っ込んだ」
「なっ……」
「そんなこと、どうやってジョニィに気付かれないでやるって言うんだ?」
 その時、確かにディエゴは独りで寝ていて、その隙があったのかも知れない。しかしジャイロとジョニィは交代で見張りをしていたはずなのだ。寝ているジャイロに気付かれなくとも、ジョニィにまで悟られることなく一連のことをやるのは至難の業だろう。ところが、
「ジョニィも寝ていたぞ」
「うっそぉ!?」
 ジャイロがギロリとジョニィを睨んだ。
「てめー、さぼってやがったな!?」
「知らない! 知らないよそんなの!」
 正確には、ほんの少しの間だけ、意識がなかった時間帯があったのを覚えていた。実はあれが「ほんの少しの間だけ」ではなかったのだとしたら……。
「念の為、ジョニィにも薬を飲ませてからやった」
(あ、やっぱり少しの間じゃあなかった)
 しかしジョニィは口を噤むことに決めた。
 ホット・パンツの馬が、ゆっくりと1歩だけ後退した。
「他に質問は?」
「服は?」
 ディエゴが尋ねる。
「交換させた」
「痴漢かお前はッ!!」
 ジャイロが怒鳴った。
「安心しろ。あんなに暗くては、何も見えんさ」
「そういう問題か!!」
 馬がまた1歩後ろへ下がる。質問を繰り返す度に、ホット・パンツは3人から距離を取っているようだ。
「オレとジャイロを選んだのは、たまたま近くにいたからということか」
「そうだ。キャンプの場所を探しているお前と、ジョニィ達が見えたんでな」
「おい、それならDioよりもオレとジョニィの方が近いじゃあねーか」
 ホット・パンツの馬はついに顔の向きを変えた。ジョニィ達から見ると、やや斜めを向いている。
「お前とジョニィでは元の体格が違いすぎる。足の問題もある」
「ぼく、今始めてこの体格と動かない足に感謝したかも知れないよ」
「それにしても、そんなにあっさりと『入れ替わり』を信じるとは思わなかったな」
「自分の身体がいきなり別人になるもの、中身が入れ替わるのも、ありえなさで言えば同じくらいだ! って言うか、結果的には大して違わねーだろ!」
「傷を付けようが何しようが、返さなくて良いという点では違うぞ」
「その違いがなんだって言うんだ!」
 聞きたいことは粗方聞き終えたところで、そろそろ2人の怒りは限界だ。
「いいか、動くなよ」
 ホット・パンツが言う。ジャイロは引き攣った笑いを浮かべながらホット・パンツを睨んでいる。早くも表情が壊れている。
「解除した途端に鉄球をお見舞いしてやる」
「だが武器には触れない約束だ」
「だから早くしろって言ってんだよ。解除した直後に拾って投げるからよ」
「そんなことよりも先に服を交換した方がいいと思うぞ。何も知らない者から見れば、ジャイロとDioはいつの間にユニフォームの交換をするほど仲良くなったのかと思われるだろうな」
「このクソ野郎」
「先に換えておいたら?」
「その隙に解除して逃げれば同じことだ」
 ホット・パンツは手綱を操り、彼等に背を向けるように馬を移動させた。あと数秒もすれば、彼等はほぼ一斉に動き出すだろう。ホット・パンツは馬を走らせて逃げるだろうし、ジャイロの手は既に鉄球を握る形になっている。空気で出来た球でも構えているかのようだ。彼はホット・パンツの能力の解除と同時に、その手の中に本物の鉄球を拾い上げるに違いない。その隣にいるディエゴは、ホット・パンツからは死角になっているのをいいことに、ジャイロの姿のままの身体に既に恐竜の尻尾を生やしている。スタートに余裕があるのはホット・パンツだが、ジャイロとディエゴの2人に同時に攻撃されればどうなるかは分からない。
(さて、ぼくはどうしようか)
 巻き添えを食らわないように急いで少しでもここから離れるか、それとも、
(ドサクサに紛れてDioを撃ってやろうかな)
 ジョニィはそんなことを考えながら、スタートの合図を待っていた。


2012,01,17


以前某方とお話させていただいた時に「SBRでレクイレム(入れ替り)」のネタを書くことになって考えた話です。
レクイレムと見せかけてパンツでしたというオチになりましたが。
クリーム・スターター便利です。
<利鳴>

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