定康 全年齢


  DeepSnow(仮)


 色彩を奪われてしまったかのように、周囲は白一色で埋め尽くされている。どこまで視線を巡らせても、見える景色は変わらない。強風が吹き付け、『寒さ』を通り越えた『痛み』に絶えず襲われていなければ、これは夢の中の世界だろうかと思っていたところだ。
「くっ……、風がますます強くなってきた……」
 そう声を出すのもやっとのことだった。続くように耳に届いた声も、かき消されてしまわなかったことが奇跡であるようにすら思えた。
「じょう、すけ……」
「康穂ちゃん!」
 定助は振り向き、自分の名を呼んだ者の手を取った。
「しっかりするんだ!」
「だ、大丈夫……」
 そう言いながらも、彼女は白い地面に膝をついて、前に進むのが困難になってきているようだ。
「くそっ、まさかロカカカを追っている内に雪山に迷い込んでそのまま遭難してしまうなんて……っ」
「きっとこれは敵の仕業よ。わたし達、罠に掛かってしまったんだわ」
「康穂ちゃん、君のペイズリー・パークで、この吹雪を凌げる場所を探せないか?」
 この状況において、それが最も――そして唯一の――有効な手段であるように思えた。しかし、康穂は首を横へ振った。
「駄目よ。寒いところでは、スマホのバッテリーは普通より早くなくなるの。もう電源が入らなくなってしまっているわ」
「そうか……」
「……ごめんなさい。肝心な時に役に立たなくて……」
 至近距離にあるものさえ掠れさせてしまうような吹雪の中で、定助の目に、彼女の曇った表情だけははっきりと見えた。
「康穂ちゃん!」
 定助は康穂の手を強く握った。
「君が謝ることじゃあない! むしろ、オレの方こそ……」
「……定助?」
「オレがひとりでロカカカを追っていれば……。康穂ちゃんを巻き込んだりしなければ、こんなことには……っ」
「貴方が謝ることじゃあないわ!」
 今度は康穂の手に、ぎゅっと力が込められた。
 2人は黙ってしばし見詰め合った。全てを白に埋め尽くされたなにもないこの世界で、たったひとつの大切な存在を確かめるように。
「責任の押し付け合い……いや、引っ張り合いは、無事に下山出来てからにしよう」
「ええ。帰りましょう、2人で!」
 そんな2人の決意を嘲笑うかのように、より強い風が吹き付けた。
「きゃあっ!!」
「くっ……。このままじゃあ凍えてしまう。……康穂ちゃん、オレの服を着るんだ」
「そんなの駄目よ!」
 康穂は自分のシャツを掴もうとした定助の手を抑えた。
「離すんだ、康穂ちゃん!」
「いいえ、絶対に駄目!」
 常時であれば、彼女の手を振り解くのは容易いことであっただろう。だが、悴んだ手には力が入らない。それでも、彼女だけはなんとしてでも守らなければならない。
「過去も未来も、なにもなかったオレに名前をくれたのは康穂ちゃんだ。それだけじゃあない。康穂ちゃんは、オレのことを信じてもくれた。オレが持っているものは、全部康穂ちゃんからもらったものだ」
「定助……」
「だから、今度はオレがっ……」
「駄目っ!!」
 康穂は定助の胸に抱き付いてきた。一瞬、吹雪がおさまったかのような錯覚があった。
「ほら、温かいでしょ? こうしていれば、大丈夫だから。ね?」
 自分の体は、もうすっかり冷え切ってしまっているはずだ。にも拘わらず、彼女はそう言ってくれた。恐る恐る背中に手を廻すと、小さな震えが伝わってきた。彼女の体もまた、冷たくなってしまっている。それでも定助は、命の温かさを確かに感じた。
「ねえ定助、歌を唄って?」
「……歌?」
「そう」
 康穂は定助の腕の中で小さく頷いた。
「この間聞かせてくれた、ポテトの歌」
「あれか」
「うん」
 吸い込んだ空気の冷たさに、肺が委縮してしまいそうになる。それでも定助は、メロディを口ずさみ始めた。
「ポテトLサイズが好き、ポテトLサイズが好き……」
「やっぱり素敵な歌……」
 やがて康穂も、呟くようにその歌を唄った。だが、2つの声は次第次第に風の音にかき消されていく。あとどれだけこの愛しい声を聞いていられるだろうか……。
(もう……、意識が……)
 寒さも、感じなくなってきた。
 不意に、康穂がはっと息を呑んだ。
「……康穂ちゃん?」
「今……」
 彼女は真っ白な空を見上げた。
「今、何か音が聞こえたわ」
「音?」
 定助は耳を澄ませてみた。が、聞こえてくるのは凶悪なまでに強い風の音だけだ。
「空耳じゃあないか? オレには風の音しか……」
「静かに!」
 強い口調で言われ、定助は口を噤んだ。ついでに目も閉じて、意識を聴覚へと集中させる。
 人の悲鳴にも似て聞こえる風の音。その中に、かすかに他の、吹雪とは違った強さを感じさせるような音が……。
「…………聞こえた」
 あの音は……、
「ヘリコプター……?」
「貴方にも聞こえるのね!?」
「ああ。確かに聞こえる」
「助けが来たんだわ!」
 吹雪の向こうに人工的なシルエットが現れた。康穂は立ち上がると、「こっちよ!」と声を上げながら手を振った。「今助けるぞ」と、スピーカー越しの声が言うのも聞こえた。
「良かった、これで帰れるわ!」
「ああ、本当に……、良かった……」
「……定助?」
 ゆっくりとこちらを振り向いた康穂の顔は、今にも吹雪の向こうに埋もれてしまいそうに見えた。だが、あと少し、救いの手が差し伸べられるまでの間なら、きっと彼女なら大丈夫だろう。
「康穂ちゃん、君だけでも助かって、良かった……」
「定助!!」
 駆け寄ってきた康穂は、定助の手を掴んだ。だが定助には、その体温を感じ取ることがもう出来なかった。
「定助……、貴方、まさか風除けになってくれてたの? わたしを庇って……? そんな……、一緒に帰ろうって言ったじゃない! 約束したじゃない!!」
 定助もそれを願っていた。今のように、だがもっと違う場所で、手を繋いで、同じ道を歩きたかった。
(でも……、オレはここまでだ……)
 悔いのない人生だったとは言わない。そもそも、『人生』と呼べるほどの時間を、果たして自分は生きたことになるのだろうか。だが、一番大切に思う人を守れた。そのことは、あの世だろうが、来世だろうが、いつどこでだって、誇れることだと思えた。
 それに、
「君は、オレが生きた証、だ……」
 康穂を救うことによって、自分の命は彼女の一部となって生き続ける。そう思える気がする。
「定助っ……」
 康穂の目には、今にも零れそうなほど涙が溜まっていた。定助には、もうそれを拭ってやることは出来ない。
 最後に、もう一度彼女の笑顔を見たかった。それが叶わなかったことだけが、心残りだ。
 ……いや、
(泣いてくれてもいい……)
 彼女という存在が、この先もあり続けるのであれば。
「どうか、元気で。幸…わ…せ、に……康穂、ちゃん……」
 全てが、ゆっくりと止まっていく感覚があった。
(……サヨナラ)
「じょうすけええぇぇぇえぇぇッ!!」

「ここでエンドロール」
 オレは絵コンテの最後の部分を指差しながら言った。
「最後のシーンは空撮で、段々地面から離れていく絵で締めます」
 我ながら完璧な演出だ。だと言うのに、誰もなにも反応を見せなかった。なにも響かなかった……なんてことはありえないと、オレは確信している。さてはこの崇高過ぎる作品は、彼等にはまだ早かったか。……いやむしろ、あまりの感動に言葉を失ってしまったのだろう。その証拠のように、――数秒遅れではあったが――ぱちぱちと拍手の音が響いた。
 その音の発生源は、康穂ちゃんだった。そうと知った途端に、ただの拍手の音が、天界から響く音楽のように聞こえた。天界の音楽なんて、知らないけど。
「素敵。素敵よ定助」
「ありがとう、康穂ちゃん」
 今にも涙を流しそうな表情で、康穂ちゃんは拍手を繰り返す。ところが、その少し後ろでは鳩ちゃんと大弥ちゃんがそろって不満そうな顔をしている。
「ええー? これってハッピーエンドじゃあないのぉ? あたしハピエン主義なのにぃ」
「そんなことはどーでもいいんだよッ!! おいっ! ふざけんなよ定助ッ!!」
「鳩ちゃん、これは雪山の恐ろしさと2人の絆を描いた感動超大作だから、ヒロインの涙でラストシーンを迎えるのは仕方がないことなんだ」
「康穂ちゃんと抱き合うだと!? そんなシーン、認めるか!!」
「ってゆーかぁ、あたしは良く見えないから、つまんないなりぃー……」
「誰だこいつに自主製作映画なんて教えたのはッ!?」
「大弥ちゃん、その点は大丈夫。最終的には副音声で、目が不自由な人でも楽しめるようにするから」
「無視すんなコラッ!!」
「わぁ、ほんとっ? すごい!」
「聞けっつってんだよ!!」
「より多くの人に見てもらうべき作品だからな」
「ジョオオォスケェェェェ!!」
「あれ、つるぎちゃん、どうしたんだ?」
 つるぎちゃんはコピーして配った絵コンテ――表紙には『ディープスノー』という仮の題名が書いてある――をじっと見ながら首を傾げていた。彼は確かまだ小学生だったはずだ。流石に、大人向けの映画の良さは理解し難いのだろう。幅広い年齢層に受け入れられる作品を作るのは、どうやらオレが思っていた以上に難しいことであるようだ。
「つるぎちゃんには、まだちょっと早かったかな?」
「……うん、そうかも。でも感想を言ってもいい?」
「もちろん」
 オレが頷くと、つるぎちゃんは無表情のまま喋り出した。
「まず、セリフが説明的過ぎて、すごく不自然。一般の人はロカカカを知らないから意味不明だし、スタンド名もなんの説明もないまま出しちゃってるのもどうかと思う。それから、ヘリが飛んでるけど、撮影はどうやってするつもりなの? ラジコンだとかなり安っぽい絵になりそう。……っていうか、普通この天気じゃあヘリは飛べないと思う。吹雪がおさまるまで、捜索隊は来ないよ。あと、最後はズームアウトでって言ったけど、それだと助けに来たはずの康穂ちゃんを置き去りにして、ヘリが飛び去ってるようにしか見えないと思うな」
「……」
「……」
「…………うん、やっぱり、つるぎちゃんにはまだ難しかったみたいだね」
 オレは笑顔でつるぎちゃんの頭を撫でてやった。
「さあ、早速撮影の準備だ! 忙しくなるぞー!」
「定助えぇぇッ!! オレの話を聞きやがれえぇぇぇぇッ!!」


2021,01,10


好きなアーティストの冬ソングがお題だけど、大雪降ってればクリアでいいって相方が言った!!
8部に挑戦してみたかったのです。
挑戦出来た。そのことが大事です。
中身は二の次です!!(言い切ったもん勝ちです!!)
<利鳴>

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