※『365日で1年間』の設定のジャイジョニです。


  口実の一杯


 「ただいま」と言い終わるのよりも早く、こちらへ向かって駆けてくるばたばたという足音が聞こえてきた。一瞬脳裏に思い浮かんだのは、尻尾を振って主人の帰宅を出迎える室内飼いの犬の姿だったが、同居人のイメージはむしろ猫に近いとジョセフは日頃から――こっそりと――思っていた。それに、“主人”にあたるのは、自分よりも彼の方が相応しいだろう。なにしろここは、元は彼が独りで住んでいた部屋なのだから。
「ジョセフ、お帰り!」
 出迎えた従兄弟のジョニィは、誰の眼にも明らかなほどの笑みを浮かべていた。普段は表情が豊かであるとは言い難い彼には、2〜3ヶ月に一度あるかないかという程度の珍しい表情だ。なにか良いことでもあったのだろうか。それとも……、
(なんか企んでる?)
 そう思って見ると、その笑顔は少々わざとらしい……ような気もしてくる。
「なに、めずらしーじゃん。ジョニィがオレを出迎えてくれるなんて」
 わずかに警戒しながら、それでも冗談に聞こえるように「なんか企んでんじゃあないのぉ?」と言うと、ジョニィはより一層にこにこしただけで、何も言ってこなかった。どうやら本当に何かあるらしい。そういう時のリアクションだ。しかもそれを隠そうともしない。同居人暦2年強のジョセフの頭の中で、更なる警戒を促すサイレンが鳴り始めた。なにか面倒な頼みごとでもしようというのだろうか。例えば、食事の当番を代われだとか、それとも、“誰か”を部屋に連れ込むから、2〜3日留守にしていてくれとか。「そろそろ出て行け」とでも言われたらどうしよう。独り暮らしをするべく部屋を探したいのは山々なのだが、如何せん予算や時間ややる気といった諸々の事情が……。
 まだ何も言われていない内から、早くも頭の中で言い訳モードになっているジョセフに、ジョニィは笑顔のまま口を開いた。
「ね、ジョセフ。君、コーヒー飲みたくない?」
 それは警戒したようなセリフではなかった。が、それが却って怪しい。
「……自分が飲みたいからいれてくれっての?」
 尋ねながらも、その程度でご機嫌取りにやってくるとは考え難い。案の定ジョニィは首を横へ振った。
「そんなこと言わないよ。君がどうかって聞いてるの。ね、飲むでしょ? 飲みたいよねぇ」
 その笑顔の向こう側に何を隠しているのか探ろうとしていると、「出来るものならやってみろ」と言わんばかりに、ジョニィは顔を近付けてきた。
「ぼくのコーヒーが飲めないって言うの?」
「え? お前がいれてくれんの?」
「うん、まあそんな感じ」
「そりゃあいれてくれるんなら飲むけど……」
 しかしやっぱり何かが怪しい。今の返答も曖昧すぎた。
「って言うか」
 ジョニィはくるりと踵を返すと、食卓の方へ姿を消した。ついてこいと言われたような気がして、ジョセフも続く。その鼻先を、ふわりと香ばしい匂いが掠めた。
 ジョニィはテーブルの上を指していた。そこには、うち中にある分の全てを集めてきたに違いないというほどの数のマグカップが置かれていた。全てに黒い液体がなみなみと入っている。
「なんだこりゃあ!?」
「コーヒーだよ。これからいれるんじゃあなくて、もうはいってるんだよね」
「コーヒーはともかく理由を言え。ちゃんと説明しなさい」
「とりあえず座れば?」
 そう言いながら、ジョニィはさっさと自分の席に腰を降ろし、一番近くにあった星柄のカップを手に取った。うっすらと湯気を立てているそれを口元に運び、少し傾け、そしてわずかに眉を顰めた。
「やっぱり違うんだよねぇ」
「なにが」
「ジャイロがいれたコーヒーと」
 ジョニィはひと口飲んだだけのコーヒーをテーブルに戻すと、空いた手で頬杖をついた。
「この間飲んだでしょ? 真っ黒で、すっごい濃くて甘くて」
「ドロドロしたやつか」
「そうそう」
 ジョセフがジョニィとそれからシーザーも含めた3人でジャイロの許を訪ねたのは数週間前のことだった。4人で食事をした後に、ジャイロが振舞ってくれたコーヒーは確かにそんな特徴を持っていた。豆が違うのか、道具が違うのか、それとも他の何かなのか、同じ名称の飲み物でも、だいぶ印象が変わるのだなと素直に感心したあれは、彼の祖国、イタリアでの飲み方なのだろうか。ジョニィはあれをえらく気に入っているようだった。シーザーにもいれられるのかと尋ねたら、出来るがジャイロの方が上手いと返ってきた。だから彼が自分でいれる時は、普通の――つまりジョセフ達にも馴染みのある――コーヒーばかりらしい。
「あれをなんとかして再現したかったんだけどさ」
 ジョニィのその先のセリフは、テーブルの上のカップの群れを指す仕草に変わった。
「つまり失敗作か」
「飲み物として成立しているという意味では失敗してないんだけどね」
「それにしたってこの量はねーよ! もっと早く諦めろよ!」
「誰が諦めたなんて言った? カップがなくなったから中断してるだけだよ」
「アホかお前はッ」
「やっぱり一度始めたからにはやり遂げないと」
「アホだお前は! どう考えても飲み切れないだろこの量はー」
「だから君にも分けてあげようかと」
「オレを巻き込むなよ」
「君、ぼくの手伝いにきてるんだろ」
「もう手伝いなんて必要ないだろお前」
「じゃあ出てく?」
「うぐっ……」
「ぼくの勝ちね」
 ジョセフは溜め息を吐いた。何故もっと素直に「手伝って」と言えないのだ、この男は。いや、それを言うなら……、
「素直にジャイロに聞けよ。どーやっていれてんのかって」
「聞いたよ。でも教えてくれなかったんだもん。シーザーにも聞いたけど、ジャイロが秘密って言ったなら、自分がバラすわけにはいかないって。意外と口堅いんだね」
「意外とって、お前の中でシーザーどんなキャラになってんの」
「色目使ったらオチないかな」
「やめて。どうせならジャイロ相手に使えよ」
「えぇー?」
 ジョニィがおかしな顔をしたのは、もしかしてもう“それ”は試したあと――かつ玉砕――だったからなのだろうか。
(変なとこでガンバってんな、ジャイロのやつ)
 おそらくジャイロがコーヒーのいれ方を教えるのを拒んでいるのは、それをジョニィに会う――ジョニィが会いにきてくれる――口実のひとつにしたいからなのだろうとジョセフは想像した。ジョニィが「コーヒー飲みたい」と言えば、「じゃあうちに来いよ」と堂々と誘えるという寸法だ。
(会いたいなら普通に会えばいいのに)
 なかなかどうして回りくどいことをしているらしい。未だに。
(もーちょっと“進んで”るのかと思ってたんだけどねー)
 そんなことを考えながら、近くにあったカップを手に取り口に運んだ。そして表情を歪めた。
「にがッ」
 ジョニィが無言で砂糖とミルクの容器を差し出してきた。ジャイロのコーヒーの濃さを目指したら、とんでもなく苦い液体が仕上がったようだ。おそらく普通のいれ方から見て、数倍の量の豆を使っているのだろう。いくらなんでもやりすぎだ。
(どこが『飲み物としては成立している』だッ!!)
「ジャイロのコーヒーは甘かったのに、なんでこれはこんなに苦いんだよっ!」
「砂糖入れる前の状態で味見したら、その時点でもう違うなって分かったからそこでとまってる」
「こんなもん大量に飲まされたら胃が荒れるわ! ジャイロが駄目ならグーグル先生に聞け!!」
「なんて検索しろって? 『コーヒーのいれ方』? 何万件ヒットすると思ってんの?」
「いや、もうちょっとなんかキーワード入れろよ。さてはお前本気で再現する気ないだろ」
 もしかしたらジョニィの方も、その“口実”に全力で乗っかっているのだろうか。だとすると、この大量の苦い液体は、やはりただの遊びか。
「食べ物で遊んじゃあいけませんッ!」
 いっそのことジャイロに苦情を入れてやろうか。お前がつまらないことを考えている所為で、うち中のカップが汚染されている上に、同居人――つまり自分――の健康状態にも影響が出かねないことになっているがどうしてくれるのか。とでも。
(完全にクレーマーだな)
 もはや“コーヒー”という名称で呼ぶことを躊躇うほどのただ苦いだけの液体に、大量の砂糖とミルクを放り込みながらそう考えていると、携帯電話の振動音が聞こえた。ジョセフのではない。ではジョニィのかと顔を上げると、ちょうどテーブルの向こうで蒼い眼がきらりと輝いたのが見えた。画面の光が反射して、とか、そういう物理的な意味ではない。
「もしもしっ?」
 表情を輝かせたまま、ジョニィは携帯電話を耳に当てた。その反応を見ただけで、通話相手が誰だか分かる。楽しそうに話しているジョニィから電話機を奪い取って、先ほど考えた“苦情”を言ってやろうかと、6割ほど本気で考えた。
「うん、行く。全然暇!」
 ジョニィの声がより一層弾む。どうやら外出の誘いだったようだ。
「うん、分かった。待ってる。うん、じゃあね」
 通話を終えたジョニィは、ぱっと立ち上がると、「出かけてくるから」と宣言した。そして、自分の部屋に飛び込んだかと思うと、数秒後には財布を手にしてもう玄関に向かっている。今度は散歩につれて行ってもらえるのが嬉しくて仕方ない犬だなと思いながら、ジョセフも椅子から腰を上げた。
「もう出るのか? 迎えにくるんだろう? 早くねぇ?」
「もう近くまできてるって」
「あ、そ」
「たぶん夕食食べてくるから」
「どうぞどうぞ。夕食でも目覚めのコーヒーでもなんでも召し上がってきてください。財布とケータイの他に、着替えも持っていった方がいいんじゃあないのぉ〜?」
 ジョセフが揶揄するように言うと、ジョニィははははと笑いながらドアを開けた。
「じゃ、行ってくる」
「はいはい。行ってらっしゃい」
 ジョニィが出て行ったドアの鍵を閉め、やれやれと息を吐きながら自分の部屋――ロフト――に行こうとして、ジョセフは思い出した。
「このコーヒーの山どーすんだよッ!?」
 ジョニィめ、まんまと逃げやがったと今更気付いてももう遅い。先ほど砂糖とミルクを入れたカップに口を付けてみた。やはり濃い。砂糖とミルクで多少マシになっていると言えなくもないが、それでも。こんなものを何杯も飲んだら、間違いなく糖分やカフェインの過剰摂取だ。いっそブラックのままお湯を入れて薄めるか……。いや、それでは却って量が増えてしまう。ある程度は冷凍や冷蔵での保管――と言う名の消費の先延ばし――が可能だろうか。しかし冷蔵庫にそんな余分なスペースはなかった気がする。
「ジーザス!」
 ジョセフは思わず頭を抱えた。
 近くまできているらしいジャイロを引き止めて手伝わせるのが正解だった。責任の一端はあの男にもあるはずだ。今からジョニィに電話したら間に合わないだろうか。他人の逢瀬の邪魔をする趣味はないが、食べ物を粗末にするのもいただけない。かと言って自分だけが犠牲になるのはもっとごめんだ。
 携帯電話に手を伸ばし、発信履歴からジョニィの番号を呼び出そうとし、しかし一番上に表示された名前を見て、思いとどまった。昨夜の夜にレポートのことで学友に確認したい事項が出来、メールでのやり取りが面倒臭くなって通話に切り替えた時の記録が残っている。少し考えてから、ジョセフは発信のボタンを押した。呼び出し音を聞きながら、彼は心の中で誰にともなく弁解していた。
(別にオレのこれは口実とかじゃあないから。オレはそんな回りくどいことする必要ないし、会いたかったらふつーに会いに行くし。単純に人手が欲しいだけなんだからな)
 呼び出し音が途切れた。聞き鳴れた声が「もしもし」と言った。
「あ、シーザー。今暇?」
 そう言った自分の声が、思いの外弾んで聞こえた気がしたことを、ジョセフは心の中で否定した。
「あのさ、コーヒー飲みたくない?」


2015,09,19


以前『365日で――設定のジャイジョニ』というリクエストを頂いた時に書いたものだったのですが、
ジャイロの出番が皆無になってしまったので、リクエスト作品には別の物を書きました。
で、これはこれで普通にアップしてしまうことにしました。せっかく書いたので。
ジョニィが脱・車椅子してたり、ジョセフが『同居人暦2年強』だったりで、実はこの話はジャイロがイタリアに一度帰って1年ほど経ってまた戻ってきた後の設定となっていることがお分かり頂けるかと思います。
と、気付いてもらえなかったらさみしーので後書きに全部書いてやったぜ!
ジャイロが実家でどんな苦労を乗り越えてきたのかとか、ジョニィとの再開のシーンはどんなのだったのかとか、その後の2人の関係は具体的にどこまでとか、
そういうのはあえて書かない方が美しいと思っていますので、それよりももう少し時間が経ってからの話です。
たぶんそれ等は書いてしまったら「へー、そうなの」程度の内容になってしまうと思うんです。
なので、その辺は読んでくださる方の素晴らしき想像力で劇的感動シーンを脳内に作り出していただきたく存じます。
それはさておき、第三者視点のカップリング小説って結構好きだったりします。
他人の眼から見たらこいつらどー考えてもバカップルなのに、どうやら本人達には自覚ないらしいとか、良くない?
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system