※『365日で1年間』の番外編です。
 ジョニィがまだリハビリに通っていた頃設定。
 ジャイジョニメインでシージョセも少々(本当に少々)。


  いざという時は本当に大切なものだけ持って逃げるように


 店内には軽快な音楽が流れていた。おそらく最近の流行曲なのだろうが、ジャイロはその歌手の名前も曲名も知らなかった。ずらりと並んだ棚のどこかに、この曲のCDが置かれているのかも知れないが、彼はそんなことには全く興味はなかった。それよりも彼は、友人の姿を探すことの方が重要だった。
「ジョニィ?」
 棚と棚の間を1列ずつ覗いて行くと、車椅子の少年は人気の少ない奥の方の棚を見上げていた。そしてジャイロの姿に気付くと、「あれ取って」と言って彼自身には届かない高い位置を指差した。
「お前なぁ……」
 近付く前から分かっていた。そこはホラー映画のコーナーだ。ジョニィが指差しているケースを見ると、そこには『いかにも』なタイトルが、赤黒い文字でおどろおどろしく書かれていた。今日彼がチョイスしたのは、どうやら吸血鬼物らしい。
「お前、なんでこんなのばっかり選ぶわけ? B級臭さがハンパねーだろ」
「B級にはB級の良さがあるの」
 ジョニィはいつもそう言って、『いかにも』なホラー映画ばかりを借りたがる。隣でジャイロが――本人はそれを認めようとしないが――怯えているのを見て楽しむという、なんともサディスティックな遊びを覚えてしまったようだ。帰る途中でレンタルショップによって映画を借り、ジャイロの家で一緒に見るのは彼等の習慣となりつつあったが、その数回に1回は同じようなやりとりを繰り広げていた。その内飽きるだろうと思っていたのだが、思いの外ジョニィは辛抱強く(?)、そしてホラーの在庫は山のようにあるらしい。
「こんなのよりもよぉ、もっとこう……ふわふわした生き物のCGアニメとか……」
 ケースの裏面に書かれたホラー御用達の煽り文句を見ながらジャイロがぶつぶつとそんなことを言っていると、ジョニィはその顔を見上げてにやにやと笑っている。
「ふぅん?」
「なんだよ」
「怖いんだ?」
「ばっ、馬鹿言え! 誰がこんなもん! ……っ、逆に笑えるっつーの!」
「ほんとにぃ?」
「おいジョニィ、怒るぜ」
「わかった」
 ジョニィはあっさりと頷いた。そしてくるりと車椅子の向きを変えると、そのまま出口へ向かって移動し始めた。
「お、おい、ジョニィ?」
「そこまで言うなら、ちょっと付き合ってよ。それもういいから」
 どうやらジャイロの手の中にある吸血鬼映画への興味はすでに失くしてしまったようだ。それを棚に戻してから、ジャイロは慌てて後を追った。
「おい、どこ行くって?」
 出会った頃よりも少し長くなったハチミツ色の髪を翻すように振り向いたジョニィは、笑いながら答えた。
「きもだめし」

 その建物の正面入口は南を向いていた。向かって左、西側は、無惨にも焼け焦げた壁の隙間から、すっかり表面がさび付いた骨組みを覗かせていた。夕陽に照らされて赤く染まったその風景は、かつてそこで起こったのであろう火災の再現であるかのようだった。焼け残った東側の一部が飛び出るように3階建ての構造になっている他は、2階建ての建物であったことが分かった。道路から入口までの距離が遠いのは、その部分が駐車場だったからなのだろう。今そこに停まっているのは、ジャイロの車だけだ。
 運転席の窓から顔を出したジャイロは、色褪せてずいぶんと読み辛くなっている『緊急搬入口』の文字を睨みながら咽喉を絞められたような声を出した。
「お前……」
 誰もいない2階の窓に忘れ去られたように残っていたカーテンの残骸が、返事をするように風に揺れた。
「到着っ。車椅子降ろして」
 ジョニィはさっさと下車の準備を始めている。どうやら、あの建物に乗り込むつもりらしい。
「おいっ! なんでよりによって病院なんだよッ!」
 そう、それは病院だった。勿論今はその役目を果たしていない。柔然たる廃病院だ。立入禁止を意味するロープはとっくに切れ、地面でとぐろを巻いている。
「噂では患者に手出したことがバレて首吊って死んだ院長が手術室に出るとか、血まみれの看護士が今でも見廻りをしてるとか、医療ミスで死んだ患者が内臓引き摺りながら追って」
「だあぁッ! 詳しく言うな! 想像しちまうじゃねーか!!」
「君医者だろ? 内臓飛び出た患者くらい、見慣れてるんじゃあないの?」
「見慣れるほどいてたまるか! どこの野戦病院だ! それにな、お前うちの病院でそんなやつ見たことあるか!? 内臓飛び出た患者は普通元気ハツラツ走って追ってこねー!」
「とにかく、病院なんてホームだろ」
「ホームの中のアウェイほどやばいもんはねーだろ! 下手に身近な方が嫌なんだよ! 誰がロンドンの通り魔にびびるんだよ。海の向こうの殺人鬼なんて、本当にいたとしても普通にしてりゃあ関わりあうことねーだろ!」
「なんだ、やっぱりびびってんじゃあないか」
「び、びびってなんかねーし!」
「いいんだよ、無理しなくて」
「してねーっつーの!」
「じゃあ行こ」
「おお、行ったろーじゃん!」
 かくして、ジャイロはまんまと車の外に出されるハメになったのだった。

 ジャイロはジョニィの車椅子を『押す』というよりはそれに『しがみ付きながら』建物の内部へと足を踏み入れた。当然のように電気が点かない屋内は薄暗い――突発的な突撃だったために、懐中電灯などの用意はなかったが、いざとなれば携帯電話のライトを使うつもりだった――。加えて――焦げた跡なのか汚れなのかは不明だが――壁が黒っぽくて余計に暗く感じる。入ってすぐの受付だと思われるカウンターらしき物の横に、白い杖が立てかけられていて、ぽつんと置き忘れられたようなそれだけが、周囲の黒から浮いていた。足下にはタバコの吸殻が落ちている。辛うじて見える銘柄は、1つや2つではなさそうだ。時々誰かが入り込んでいるのだろう。火災が起きたのは、あるいは閉鎖後のことなのかも知れない。
「なんかよく見えないね。えっと、ここが受付? そっちが待合室かな。で、向こうが……」
 流石にジャイロほどではないが、病院に行くことの多いジョニィは、その頭の中でこの建物の在りし日の姿を復元させているようだ。一方、出来る限り自分の勤め先とこんな薄気味悪い場所をリンクさせたくないジャイロは、可能な限り何も見ないようにと努めている。
「おい、どこまで行くつもりだよ。言っておくけど、これ不法侵入だぜ」
「2階3階はやめておいた方が良さそうだね。火事で床がどうなってるか分からないし」
「いや、そーじゃなくて……」
「昔兄さんと言ってたんだ。『いつか2人で肝試しに行こう』って」
 『死んだ兄』の話をされると、ジャイロは何も言い返せなくなってしまう。ジョニィにはそんなつもりはないのだろうが、死人と競争させられることほど嫌なことは多くはない。勿論、『幽霊が怖い』だとか、そんな意味ではなく。
「こっちは……、手術室かな」
 駐車場でジョニィに聞かされた話がジャイロの脳裏によみがえる。『首吊って死んだ院長が手術室に――』。そのイメージを追い払おうと、ジャイロがぶんぶんと首を振っている間に、ジョニィは自分で車椅子を操作して奥へと進もうとしている。こんなところに置き去りにされるわけにも、彼を独りにするわけにもいかないジャイロは、慌ててそれを追った。
「おい、勝手に行くな」
「怖かったら先に車に戻っててもいいんだよ?」
「馬鹿言え」
 ジョニィの車椅子はガラガラと音を鳴らしながら廊下を進んだ。それが、患者を乗せたストレッチャーの音に似て聞こえるのが不気味だ。そこに悲鳴のような風の音が重なる。隙間風がそう聞こえるのだと分かってはいても良い気持ちはしない。
「ところでさぁ、『手術』って言いにくくない? 仕事中に噛まないの?」
「噛むぜ。だから『オペ』って……」
「――だれ?」
 か細い声に、ジャイロは言葉を飲み込んだ。空耳かと思った。いや、思いたかった。だがそれは間違いなく少女の声だった。それが聞こえた前方の暗がりの中に、人影は1つも見えない。
 ジャイロはその場に凍りついた。ジョニィも車椅子を動かす手が完全にとまっている。ジャイロ1人の聞き間違いや幻聴ではなさそうだ。
「――誰かいるの?」
 声は先ほどよりもわずかに近くで聞こえた気がした。暗がりの中で何かが――影が――動くのが見えた気がした。そちらの方から、蝶番が軋むような音が聞こえた。ジャイロははじかれたように動き出していた。ジョニィの車椅子を思い切り引き、そのままの勢いでUターンさせた。ジョニィが短く「うわっ」と声を上げたがかまわずに、出口に向かって全力で駆けた。
「出た出た出た出た、何か出た! 何かいた!!」
「ジャイロっ、ちょっと落ち着……うわッ!?」
 強い衝撃があって、突然車椅子は停止してしまった。もちろんブレーキをかけたわけではない。片方の車輪が、どうやら床の割れ目に引っ掛かってしまったらしい。そのまま転倒しなかったのは奇跡的な幸運であったと言えるだろう。だが、そんなことで運を使い切ってしまうわけにはいかない。
 ジャイロはハンドルを押す腕に力を込めた。しかし車輪は何者かの手にがっちりと捕まれてしまったかのように、動かない。それ程しっかりはまってしまったようだ。
「くそッ……」
 ジャイロが車椅子を引き抜こうと努力したのは、ほんの数秒間だけだった。彼はジョニィの身体を抱え上げ、再び走り出した。今度こそ立ち止まることも、振り返ることすらしなかった。
「ちょっと! ぼくの車椅子!!」
「無理無理無理無理! 絶対に無理ッ!!」
「車椅子うぅぅッ!!」
 病院を飛び出したジャイロはそのまま自分の車に駆け寄った。まずは後部座席にジョニィを放り込む。乱暴にドアを閉め、今度は自分の番だ。運転席に飛び乗り、シートベルトもせずにアクセルを踏み込んだ。来る時も通った人気どころか外灯すら少ない山道と呼んでしまっても良いような道を、制限速度をはるかに越えたスピードで降り、後ろからジョニィに首を絞められるまで少しも停まろうとしなかった。
「あぶねーだろーがッ!!」
「君の運転の方がよっぽど危ないって!! よくもぼくの車椅子、スロー・ダンサー号をあんなところに置き去りにしてくれたな」
「なんだよその名前。しかたねーだろ、あんなところでもたもたしてられっか! そもそも、『あんなところ』に行くっつったのはお前さんだぜ!!」
「戻ってよ! 代わりの車椅子なんてないんだからね!」
「ぜっっっったいに嫌だ! 今日はもううちに帰ってクマちゃん抱っこしながら寝るゥ!!」

 ジャイロとジョニィが散々騒いだ結果呼び出されたジョセフと、彼についてきたシーザーは、そろって溜め息を吐いた。
「情けない」
「うっせー! 本当にいたんだって!」
「オレ、幽霊とかあんまり信じてないなー。どっかの学生が肝試しでもしてるんじゃあないの?」
「オレもそう思うな」
「うるせー! とにかくオレは戻んねーからな! 廃病院で火災現場とかヤバすぎだろーが!」
「お前外科医だろ。全身の皮膚焼け爛れた患者くらい、見慣れてないのか?」
「全身の皮膚焼け爛れた患者は普通動き廻らねー!!」
 ジャイロを除く3人はそろって諦めたような顔をした。
「えーっと、どの辺に置いてきたって? 取ってくる」
 ジャイロを説得し、なんとか駐車場までは車を戻させたジョセフがジョニィに尋ねた。
「ぼくも行く。案内する。負ぶって」
 「OK」と応えてジョセフがジョニィに背を向けると、ジャイロからここまでのタクシー代を徴収し終えたシーザーも口を開いた。
「オレも行く」
「えー? 平気だよ」
「幽霊はいないにしても、おかしなやつが入り込んでたらどうるすんだ。ジョニィを負ぶったまま対応出来るのか?」
 ジャイロの「何かいた」という主張は、間違っていないとジョニィは思っている。なにしろ彼自身も暗がりの中の少女の声を聞いているのだから。しかしそれが危害を加えてくることはまずないだろうと確信していた。そのつもりがあるなら、2人はとっくに襲われていただろう。途中で車椅子が動けなくなってしまったのは、ただのアンラッキーだ。心配する必要があるとすれば、シーザーが言ったように、少々性質の悪い生身の人間が入り込んでいる可能性くらいだろう。
 ジョニィが「自分も中に戻る」と宣言した時から、ジャイロは「信じられない」という顔をしている。
「待てシーザー! こういう時は1人になったやつから消されるんだ! ホラーのお約束だろうが!」
 ジャイロはシーザーの腕にしがみ付いた。つまり、1人にしないでくれということらしい。
「お前、ホラー嫌がるくせに詳しいんだな」
「ジョニィ、もう無理矢理怖い映画見せるのやめてあげたら?」
「ったく……。めんどくさいなー」
「車の中にいればいいだろ。すぐ戻るって」
「それも禁句ー!!」
「あーもうッ!」
「いいよシーザーちゃん。なんかあったら電話するから。ジャイロについててあげなよ」
「本当に情けないやつだな!」

 「血が繋がってると思いたくもない」とジャイロを罵っているシーザーを残して、ジョセフは病院の中へと向かった。背中のジョニィの指示で、置き去りにされた車椅子を探す。
「えーっと、あっち」
「OK」
 こつこつという足音を響かせながらジョセフが歩いていると、背中でジョニィが深い溜め息を吐くのが聞こえた。
「どしたの」
「信じられる? 車椅子置き去りにして逃げるなんて」
 呆れ切った口調に、ジョセフはくすくすと笑った。
「なに?」
「でも、ジョニィのことはちゃんとつれて帰ってくれたんだな」
 ジョニィの表情は見えなかったが、彼が息を呑む音は確かに聞こえた。
「あとでお礼言っておかないとなー」
「い、いいよ、そんなことしなくても! それにっ、なにをしたってスロー・ダンサー号を見捨てたことは帳消しにはならないんだからね!」
 焼け焦げた廊下を進んでいくと、そのど真ん中にぽつりと放置されている目的の物を見付けた。そしてその傍らに、1人の少女がいた。
「君……」
 ジョニィの声に顔を上げた少女は、中学生か、あるいは高校生くらいに見えた。真っ直ぐに切りそろえられた黒い髪がさらりと靡いた。ジョニィの車椅子に触れている細い手は、とても他人に危害を加えられるだけの力を持っているようには見えなかった。友達と肝試しに来て1人だけはぐれてしまった。そんな極普通の少女に見えた。
「――誰?」
 そう尋ねた声は、先ほどジョニィがジャイロと共に聞いたのと、全く同じだった。「こんな女の子にびびってたのか」と笑いながら、ジョセフは少女に近付いた。
「……誰? お医者さん?」
 少女は首を傾げながら尋ねてきた。つられたように2人も首を斜めにする。おかしなことを聞く。2人の服装は、誰がどう見ても医療関係者には見えない。そもそもここは既に廃業している病院だ。たとえこの場に本当に医者であるジャイロがいたとしても、その姿を見てそんな質問をしてくる者はいないだろう。
「待って。もしかして君、眼が……?」
 ジョセフに頼んで車椅子に降ろしてもらったジョニィは、間近で覗き込んだ少女の眼が、どこかに留まることなくその視線を彷徨わせていることに気付いた。
「この椅子はあなたの?」
 存在を確かめるようにジョニィの頬に手を伸ばしながら問う少女は、先程よりもずっと幼く見えた。
「君、1人?」
「もう行かなきゃいけないんだけど、杖をなくしちゃって……」
「杖?」
「もう行かなきゃ。パパとママと約束してるのよ」
 少女は両手で床を探り出した。しかし、彼女の言う杖はどこにも落ちていない。瓦礫の破片が彼女の白い指先を傷つけるのではないかと、2人は心配になった。
「あ、待って。ぼく見たかも」
「え?」
「杖。白いやつだろ? 受付のところに立てかけてあった」
「受付? って、どこだよ?」
「いいよ。ぼく取ってくる」
 床の亀裂に引っ掛かった車輪は、落ち着いて反対方向へ動かすとすぐに自由を取り戻した。移動手段を再び得たジョニィは、くるりと車椅子の向きを変え、音を立てながら来た方へと進み出した。
「おい、勝手に……。ったく……」
 仕方なくジョセフもそれに続くことにする。と言っても、眼の見えない少女を1人にしていくわけにもいかないだろう。どうやら彼女は両親と一緒らしいなと思ったが、杖だけ見付けてやってそれで放置するわけにもいかない。娘をほったらかしにしてこんなところでデートをしているらしい彼女の両親も見付けてやらねば……。
「歩ける?」
 ジョセフは手を差し伸べてみた。少女は完全に視力がないわけではないらしく、かなりの至近距離まで近付いてきてからジョセフの手を見て、小さく頷き自分も手を出した。
「ありがとう」
 少女はどのくらいの時間ここにいたのだろうか。握ったその手は、完全に冷たくなっていた。
 少女の手を引いて入口の方へ戻ると、先に移動していたジョニィが白い杖を持っていた。
「これでしょ?」
 ジョニィが手渡すと、少女はジョセフの手を離して嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとう! 良かった。これがないとどこにも行けないの」
「んじゃあ、今度は君の親御さんさがそーぜ。っと……、そういえば君の名前……」
 ジョセフの言葉に、しかし少女は首を横へ振った。
「もう大丈夫。1人で行けるわ」
 少女は杖を握り締めながら、そのまま1歩だけ足を後ろへ動かした。その表情は、どこか満足そうだ。
「でももうだいぶ暗いし、危ないぜ? なあジョニィ?」
 いくら使い慣れた杖を取り戻したと言っても、割れたタイルや硝子の破片が散らばる廃墟を難なく歩き廻れるとは思い難い。1度でも何かに躓いて転倒してしまえば、たちまち彼女は怪我をしてしまうに違いない。こんな場所で、傷口からばい菌が入らない方がどうかしているとも思えた。
 ジョセフは車椅子の従兄弟を振り返って同意を求めたが、なんと彼まで拒否の仕草を示してきた。
「大丈夫って言ってるんだから、いいんじゃあない? これ以上は余計なお節介」
 そう言うと、ジョニィはさっさと外へ向かってしまう。
「えっ、お、おい!? でもこの子……」
 振り向いた先に、少女はすでにいなかった。
「あ、あれ?」
 慌てて視線をめぐらせると、少女は杖をつきながら、廊下を奥へと目指していた。ジョセフでさえ暗さで良く見えないお世辞にも状態が良いとは言えない床の上を、慣れた様子で進んで行く。ジョセフは思わずその後姿を、ぽかんと見送ってしまっていた。
「ジョセフー。帰るよー」
「お、おお!」
 ジョセフは、ジョニィの声に慌てて駆け出そうとして躓き掛けた。

 車椅子をジャイロの車のトランクに積み込みながら、ジョセフはすっかり太陽の落ちた闇の中に佇む廃病院を振り返った。
「あの子、ちゃんと両親に会えたかな」
「ん? 誰かいたのか?」
 4人の中で唯一建物の中まで行っていないシーザーが尋ねてきた。
「いたよ。女の子がね」
「両親と一緒みたいなこと言ってたからつれてこなかったんだけど、本当に大丈夫かな」
「いないと思うよ」
 ジャイロがトランクを閉める音に重なって、助手席のジョニィがなんでもないことのようにさらりと言った。
「え?」
「だから、ここにあの子の両親なんていないと思うよ」
「え? だって……」
「あの子が言ったのは両親と約束してるから行かなきゃってことだけで、両親がここにいるとは言ってなかったよ」
「おい、その話もうやめよーぜ!」
 運転席に移動したジャイロが「勘弁してくれよ」と言うように顔を顰めたが、納得出来ないジョセフは後部座席から身を乗り出した。
「だって、あんなとこに女の子が……しかも、ほとんど眼見えてないのに、1人でいるわけないだろ?」
「保護者同伴できもだめし? しかも眼の見えない女の子1人にして? そっちの方がありえないと思うけど」
「え? だって……」
 ジョセフは幾度目かの「だって」を呟いた。
「じゃ、じゃあ、どういう……」
「おい、話が見えてこないぞ」
 なんだか自分だけが蔑ろにされている気分になったシーザーは、面白くなさそうに両腕を頭の上で組んで座席にもたれかかった。「こんなところ、さっさと離れてしまえばいい」と言うように、発車を待つ眼が外を睨んだ。
「え、えーっと、たとえばさ! あの子はこの病院がまだやってる時の入院患者で、ここへはなんかの思い出があって両親につれてきてもらった。とかはっ?」
「なるほど。そうなるとあの子は一体何歳? この病院が閉鎖したのは? ぼくが子供の時からもうボロボロだったし、少なくても20年以上はほったらかしだと思うけど」
「で、でも……」
「そう言えば、誰かいるにしては他の車はないみたいだな……。おいジャイロ、早く出せよ」
「っせーな。今エンジン……」
「なかなかかからないエンジンって、ホラーではオヤクソクダヨネェ」
 ジョニィは携帯のバックライトで自分の顔を下から照らし、抑揚のない声で言ってみた。
「ジョニィ! そーゆー冗談やめろって!」
「なあっ、どういうこと!? あの子は!? どういうことなんだよ!?」
 問い詰めようとしたジョセフは、車が走り出した衝撃で座席にその身体を押し付けられた。どうやらエンジンは無事にかかったようだ。その間に黒い影がボンネットに落ちてくるようなことも、幸いなにもなかった。
「おい……、まさか本当に『出た』とでも言うのか?」
 シーザーが眉間にシワを寄せながら言う。
「だからそう言っただろうが! 最初から!」
「うわーッ、触っちゃった! オレ触っちゃったよ!? 手繋いじまったあああああッ!!」
「まさかつれて帰ってきてないだろうな……」
「ぎゃー! やめてやめて! 今日オレジョニィと一緒に寝る!」
「やだよ。暑苦しい。それに、本人がもう行くって言ったんだから、こっちに留まってないと思うよ」
「そのなんか慣れた反応が逆に嫌だ! もしかしてうちにもなんかいるの!?」
「イナイヨ」
「いやあああッ! 今日はシーザーちゃんちに泊まる!!」
「いちゃついてるカップルは真っ先に死ぬよ。ホラーの鉄則知らないの?」
「ジョニィィィィィッ!!」
 結局その日はそのまま車でジャイロの家まで行き、ジョニィとジョセフは半ば強引にそのまま宿泊させられることになった。正確に言えば、「大勢でいた方が安全だ」と主張するジャイロにジョセフが賛同し、半信半疑といった顔のシーザーと呆れた様子のジョニィが巻き込まれた形だ。1階のゲストルームらしき部屋での雑魚寝を強いられながら、しばらくはジャイロにホラー映画を見せるのはやめようとジョニィは思った。そこには、無理矢理同行させたことに対する引け目が多少はあった――のかも知れない――。


2012,02,17


酒、薬、セックス、「すぐ戻る」はホラーではフラグですよね。
あと殺人鬼のフリしたり死んだフリして他人を驚かせて楽しんでるやつも早い段階で死ぬので要注意です。
原作のブンブーン戦の「おかしなもの見せやがって」以来、ジャイロは実は怖いもの駄目なんじゃあないかという妄想がとまりません。
しかしヘタレになりすぎた気もします。
最後になりましたが、良い子は面白半分に心霊スポットに行ったりしないでくださいね。
心霊スポットじゃあなくても持ち主がいる土地や建物に無断で入ったりもしちゃ駄目ですよ。
<利鳴>

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