シージョセ 全年齢 EoH


  懐かしき未来


 東の空が明るくなり始めていた。遠くに見える水面が、朝陽を受けてきらきらと輝いている。間もなく、鳥達も眼を覚ますに違いない。
「50年ぶりの太陽じゃ。なーんてな」
 ジョセフはくつくつと笑いながらバルコニーの柵に手を置いた。
 それは、比喩でも何でもなく、正真正銘50年前の太陽だった。そしてこの場所――ヴェネツィアの北東に位置する島――も……。
「まさか、こんな形で再び訪れることになるとはのぅ」
 流石に色あせてしまったかと思っていた記憶は、むしろ次第次第にはっきりと蘇ってくる。日の出と共に夜が薄れていくように、様々なものが脳裏に鮮明に浮かぶ。毎日続いた厳しい修行。そうと知らぬまま再会を果たしていた実の母。もう二度と戦いたくないと思うほどの強敵。軽口を叩き合った師範代達や師の使用人達。そして……。
「懐かしいのう」
 溜め息は微笑みと共に自然に零れた。その思い出の中から抜け出たように、懐かしい声が背後から聞こえた。
「チャオ」
 振り向くと、そこにいたのはもちろんシーザーだ。金色の髪が朝陽に照らされ、眩しいほどに輝いている。今起こっていることを理解していない状態で遭遇していたら、うっかり天からお迎えが降りてきたかと勘違いしていたかも知れない。
 出発の準備が出来たぞと呼びにきたのかと思ったが、かつての兄弟子はジョセフの隣に立って景色を眺め始めた。眩しさに眉を顰めていても、ジョセフはその顔を綺麗だと思った。
「イタリアに住んでいたことが?」
 懐かしい横顔を眺めながら、ますます思い出に浸っていたジョセフにとって、その問いかけは完全に不意打ちだった。
「なんだって?」
 尋ね返すと、シーザーは顔をこちらへ向けた。
「さっき、『懐かしい』と言っていたでしょう?」
「聞いとったのか」
 独り言を聞かれていた気恥ずかしさと、自分を目上の者と思って丁寧な口調で話すシーザーが愉快なのとが重なって、ジョセフはくすぐったさに似た何かを覚えた。
「50年ほど前に、少しの間滞在しておった」
「それはヴェネツィアですか?」
「まあ、その辺りじゃの」
 リサリサの所有地であるこの島にいたことがある。とまで言ったら、流石に話がややこしくなりかねない。その辺りは適当に誤魔化してしまうことにして、ジョセフは話を続けた。
「他にも色んな国へ行ったことがあるぞ。ドイツや日本、つい最近まではエジプトにおった」
 こちらは嘘や誤魔化しではないので心を痛めることなく話せた。外国の話に興味を持ったのか、シーザーは「へぇ」と呟いた。そういえば、50年前の2人の間にそんな話題が上ったことはなかったかも知れない。そんな余裕はないままだった。
 これは自分の時代とは違う。そう分かってはいても、こうしてシーザーと話が出来ることは嬉しかった。そうすることはもう二度と出来ないのだと思っていた分、なおさらに。ともすれば涙腺が緩みそうになるのを誤魔化すために、ジョセフはごほんと大きな咳をしてから、記憶の中に眠っていたひとつのイタリア語の詩を暗唱してみせた。シーザーが少し驚いたように眼を見開く。
「おお、意外と覚えてるもんじゃな! 妻と親友がイタリア人でな、若い頃に教わったんじゃよ。どうじゃ? 大したもんじゃろう」
 胸をはってそう言ってみせると、シーザーはくすくすと笑った。
「確かに、文章はあっているみたいですね。でもいくつか、アクセントがおかしな部分が」
「ええ? ほんとにぃ? おかしいのう。あいつら、わしに嘘の発音を教えたんじゃあないだろうな」
「はは」
 シーザーは子供のような笑顔を見せた。昔は何をするにしても――それこそ笑う時でも――かっこ付けたやつだと思っていたはずなのに、今は自分が大人になったから、相手が幼く見えるのだろうか。懐かしいのに知らなかったものが、そこにはあった。あるいは“知るはずだったもの”かも知れない。
「ジョースターさん、とお呼びすればいいですか?」
 シーザーが尋ねる。丁寧に言われるのがやっぱりくすぐったい。お前は同じ相手を「スカタン」だとか「田舎者」だとか呼んでいたんだぜと言ってやったら、どんな顔をするだろうか。
「ううむ、確かにわしはジョースターだが……」
 他にもジョースターの人間がいるのだから少々紛らわしい。しかもその呼び方は、若き日のスピードワゴンがジョセフの祖父を呼ぶ時と全く同じだ。かと言って名前で呼んでくれと言ったら、それはそれでややこしいことに変わりはない。ジョセフも2人いる上に、こちらは同姓同名どころか同一人物なのだから。
「まあ、好きに呼んでくれて構わんよ。呼び易いようにしてくれ。孫なんてすっかりジジイ呼ばわりじゃ。昔はおじいちゃんなんて言っておったくせに」
 そういう自分は血縁関係があるわけでもないスピードワゴンをじいさん呼ばわりしていたということは、とりあえず棚に上げておこう。
「呼び易いように?」
 シーザーが首を斜めにするような仕草を見せた。流石に、彼なら会ったばかりの相手をジジイと呼ぶことはしないだろう。たぶん。
「それじゃあ」
 シーザーの声に重なるように、さあっと風が吹いた。潮のにおいを含んだそれは、シーザーの髪をふわりと靡かせた。途端に、今度は石鹸の匂いが鼻先を掠める。シーザーの匂いだ。本当に懐かしい。鼻と眼の奥につんと沁みるほどに。
「JOJO」
 その声でその音を聞くのは初めてではない。むしろ自然過ぎて違和感すら感じなかった。だが遅れて心臓が鼓動を速める。シーザーはふっと笑った。
「そうなんだろ?」
 この時代のジョセフは、50年後の自分のことを『知り合いだ』としか説明しなかったはずだ。詳しいことを長々と話さなければならないのが煩わしかったためにそうしたのだろうが、彼自身も、そう思おうとしていたようにも見えた。未来を知る術等、本来であれば存在しないはずなのだから、と。彼は何も聞かないことを選んだ。そしてジョセフも、余計なことは言わないことにした。正直に言えば、友を助けられるかも知れない可能性をみすみす逃すのは容易ではない。『このままではお前は柱の男との戦いで命を落とす』と、伝えてしまえたらどんなに良いことか。だがそれが本当にやってしまって良いことなのかは分からない。まだ迷っている。今はまだ、目先の戦いを口実に、結論を後廻しにしている状態だ。余計なことは考えない方がいい。そして、余計なことは考えさせない方がいい。ならば自分は、偶然ジョセフ・ジョースターと同姓同名の別人なのだというフリをしていた方がいい。そう思っていたのに……。
「何故……」
 口から零れたその言葉は、シーザーが言ったことを肯定したも同然だった。シーザーは「やっぱりな」と言った。
 確かに、ヒントはいくつかあったのかも知れない。全く同じ名前。歳月が経っても多少は残っているのかも知れない――自分ではあまり分からない――面影。イタリア語の間違った発音。だがそれだけで、タイムスリップだなんてSF染みたことを、あのシーザーがあっさり信じるだろうか。
「お見通しなんだよ」
 そう言いながら、シーザーはジョセフの帽子の鍔を指で弾いた。そのまま落ちそうになるそれを慌てて抑えながら、ジョセフはむっとした顔を見せた。
「その顔、“今”もよくやってる。お前が考えることなんて、大体分かる」
「なんじゃい、やっぱりかっこ付けおって。わしはお前なんぞ知らんわい」
 ムキになってそう返すと、シーザーはふんっと笑った。
「惚ける気か? それとも呆けたか? まあ、好きにしたらいいさ」
「ふんっ。なんじゃなんじゃ。さっきまでしおらしくしとったくせに。猫かぶりがっ」
「怒るなよ、大人気ない」
「うるせぇ」
 ジョセフが顔を背けると、「仕方のないやつだ」と呟くのが聞こえた。きっと、「全然成長していないじゃあないか」とでも思っているのだろう。だがそれきり、シーザーは何も言わなかった。柵に上体を預けたまま眠ってしまったのかと思ったほどだ。が、視線を動かした先で、グリーンの瞳は海を眺めていた。水面は少しずつ色を変えながら一日の始まりを告げている。ジョセフも彼に倣い、しばしその風景を見詰めていた。
 陽の光が強くなり、眼を開けているのが難しくなってきた頃、ようやくシーザーは口を開いた。
「分かってる」
 シーザーの顔は、閉ざした目蓋越しに太陽を見ているかのように海の方向を向いたままだった。静かな声がしなければ、今度こそ眠っているように見えただろう。
「お前にとっては過去でも、オレにとっては未来だ。先のことは、易々と話せないんだろう?」
 本当のところは、おそらく未来はもう変わってしまっている。こうして複数の時代の人間が一堂に会する等、ありえないことなのだから。これによってこの先の時間の流れがどこへ向かうことになるのかは、もうジョセフ達には分からない。いっそのことこの騒ぎに便乗して、一人の人生を長らえさせてみようか……。
「きっと、言わないのが正解だ」
 まるで心の中を読んだかのようなセリフ――それは本来ジョセフの特技だ――。ひょっとしたらこのシーザーも少し先の時代から来ていて、ジョセフが言う言葉を先に聞いてきたのではないだろうか。だが彼は「お前の考えてることは、大体分かる」と、先程と同じ言葉を繰り返すだけだった。
「正直に言えば、聞いてみたいことは色々あるさ。これから世界はどうなっていくのかとか、未来のオレがどうしているのかとか、イタリア人のお前の妻って誰だよとかな」
 シーザーは歯を見せるように笑った。
「でも、聞かないでおくことにする。知りようがないのが普通だもんな。それに、喋っちまったら未来が変わってしまうかも知れない」
「……ああ」
 ジョセフは小さく「すまない」と言った。それは、“あの時”の――50年前に交わした最後の言葉の――分の謝罪だったのかも知れない。
 シーザーはゆっくりと首を横へ振った。
「いいさ。先のことは、自分で確かめる。きっとなるようにしかならない。……逆に言えば、それが“なるべきこと”なんだろう」
 柵から手を離し、シーザーは踵を返した。出発の準備がどうなっているかを見に行くつもりなのだろう。
「それに」
 シーザーの姿を追って、ジョセフも振り向いた。
「一番知りたいことは、もう分かった」
 彼は肩越しに笑った。
 ジョセフがうっかり何か話してしまっただろうか――気を付けていたつもりは一応あったのだが――と思っていると、シーザーは人差し指を真っ直ぐ向けてきた。
「“お前”が“いる”ってことは、柱の男達との戦いで、JOJOが命を落とすことはない。そういうことだろう?」
 そうだ。最初から――ジョセフの正体がばれた時点で――全く何も知らせない等ということは不可能だったのだ。だがそんなことはもうどうでもいい。今彼は、『一番』と言った。『一番知りたいこと』と。自分のことよりも、それを先に。
「まったく……」
 ジョセフはふうと息を吐いた。
「かっこ付けおって」
「オレ達がそのことを知ったことによって油断が生じれば、未来が変わってしまうかも知れない。それは分かっているさ。油断なんてしない」
「お前、また人が言おうとしたセリフを」
「いつものお返しさ」
 シーザーは肩を竦めておどけたような仕草をした。
「戦いも修行も、全力でやる。未来が分かっていようといまいと、それは変わらない」
「うむ……」
「“あいつ”にもそう言っておく。“あいつ”こそ、どうせ70まで生きるのは確定なんだからなんて言い出しそうだからな」
 確かに、“この頃”の自分なら言うかも知れない。それが本心かどうかはともかく、言うだけなら。それを聞いて、きっとシーザーは呆れた顔をするのだろう。
「くれぐれも言い聞かせておいてくれ」
「ああ」
「あとそれから」
「ん?」
「わしはまだ70にはなっとらんわ」
 わざと怒った顔をしてみせると、シーザーは笑顔を返してきた。


2016,03,06


EoH、3部と3部以降って結構親子だよとか言っちゃってましたが、1、2部とのつながりってどの程度周知だったのかあんまりはっきりしてない気がします。
先のことってどのくらい話していたのかな。
あんまり話さないようにしてたのかな。
流石に「お前もすぐ死ぬよ」とかとは伏せていたんだろうとは思いたいんですが意図的に未来を変えようとするのもやっぱり駄目なのかな。
その辺あんまり触れられなかったのはあれですか。妄想のために残された余地ですか(笑)。
<利鳴>

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