ジョナサン&ジョニィ 全年齢 混部 8部ネタバレ有り(あとがき内)


  未来から過去へ


 その“男”は「こんにちは」と言って柔和な笑みを浮かべた。“男”の頭の天辺から爪先までを探るように見てから、“彼”は「誰?」と尋ねた。
「“ぼく”は“君”だよ」
 “男”は笑みを消すことなく答えた。
「はあ?」
「こう言えば分かるかな。“君”は生まれてくる前の『ぼく』で、“ぼく”は死んでしまった後の『ぼく』なんだ」
「ますます分かんない」
「うーん、困ったな」
 “男”は拳を唇に当て、わずかに眉を顰めた。
「君、頭おかしいの? 何を言っているの?」
「残念だけど詳しく説明している時間がないんだ。君はもうすぐ生まれていかないといけないんだからね。とにかく、ぼくの話を聞いてくれないかな」
 “彼”が露骨に表情を歪めるのにも構わず、“男”は勝手に話を進め出した。
「君に会いに来たのは、実はお願いを聞いてほしいからなんだ」
「断る」
 “彼”はきっぱりと言い放った。
「どうしてぼくがそんなこと聞いてやらなきゃあいけないんだ?」
「君は『ぼく』なんだよ。ぼく達は同じ『ぼく』なんだ」
「だから、なんでそうなるんだよ」
「でも君は、自分が誰なのかも分かっていないんじゃあないかい? それは君がまだ生まれていないからだよ」
 “彼”の心臓はぎくりと跳ねた。“男”に指摘された通り、“彼”は自分が何者なのかも、ここがどこなのかも理解していなかった。周囲には何もなかった。地面さえ、存在しているのかどうか不明確だ。ただ目の前に立つその“男”だけは、間違いなくそこに存在しているようだった。
「仮にそうだったとしても、どうしてそれが君とぼくが同一人物だって話になるんだよ。そもそも、姿が全然違うじゃあないか。どこが同じだって?」
 実は“彼”は自分がどんな姿をしているのかも知らなかった。この場に“彼”の姿を映せる物があるとすれば、それは“男”の瞳くらいだろうか。だが、鏡がなくても見ることが可能な両手足と胴体だけを比べても、明らかに別人だと断言出来る程の体格の違いが両者の間にはあった。視界の隅に見える自分の髪の毛も、“男”の黒髪とは違う色をしている。声も違う。
「その説明をするには、順番が良くない。とりあえずでいいんだ。一度ぼくの話を聞いてくれないかな」
 “男”の言うことは滅茶苦茶だ。唯一言い当てられた“彼”の記憶の件も、それが何かの証明になることは一切ない。「おかしなやつだ」という印象は消えていない。むしろ強まる一方だ。だが、本当に困ったように首を傾けているその様子は、たくましい体格とは少し不釣合いな幼さを持っていて、少なくとも敵意は微塵も感じなかった。
 “彼”は溜め息を吐いた。
「分かった。認めてはいけないけど、とりあえずその話とやらをしてみろよ」
 おそらくそうしなければ事態は何も変化しないだろう。それでは自分のことも、この場所が何なのかも不明なままだ。
 “男”は微笑んだ。
「ありがとう」
 その笑顔はあまりにも真っ直ぐで、ちょっとした物なら簡単に貫いてしまえそうだった。例えば、
(心臓とか)
 “彼”はそうされないように、こっそりと視線を横へずらした。
「さっきも言ったけど、『ぼく』は死んでしまったんだ。それで、実は1つだけ心残りがある」
 その若さで死んだのであれば、未練があること自体は不思議ではない。“彼”は、何故か素直にそれ――“男”が死人であるということ――は信じられた。
「心残り?」
 “彼”が鸚鵡返しに言うと、“男”はゆっくりと頷いた。
「息子に、一目会いたかった」
 “男”は相変わらず微笑んでいた。しかし、その笑みは、先程までよりも哀しそうに見えた。
「子供がいたのか」
「そう。でも彼が生まれる前に、『ぼく』は死んでしまった」
「そう……」
 どんな表情をすれば良いのか分からず、“彼”は眼を伏せた。何故だろう、まるで自分のことであるかのように、“彼”の心は痛んだ。
「“君”はこれから生まれる『ぼく』だ。『ぼく』の運命を、“君”に変えてほしい」
 “男”の声は堂々としていた。まるで、“それ”が出来ると確信しているかのようだ。
「実は、これまでにもぼくは“君”と同じように生まれる前の『ぼく』に同じお願いをしてきているんだ」
「そうなの」
「でも、運命は変わらなかった。ここで“ぼく”と会ったことは、生まれていく時に忘れてしまうみたいなんだ」
 “男”は少し残念そうに肩を竦めた。
「じゃあ、こんなこと無駄なんじゃあ……」
「でも、“ぼく”と会ったことで、“君”に何らかの影響を与えられるかも知れない。“ぼく”と会ったことを、“君”が忘れてしまっても」
 “彼”がいぶかしげな顔をしていると、“男”は「ふふっ」と笑った。よく笑うやつだ。
「きっと大丈夫。君ならやれる。そんな気がするんだ」
「いい加減なことを言わないでよ」
「だって君は、『ぼく』なのに、ぼくともう違っている」
 “男”は手の平を広げて前へ差し出してきた。促されて“彼”もそれに倣う。重ねられた手は、“男”の物の方が大きく、力強さを持っていた。
「ね、違う」
 “男”は「だからいいんだ」と言った。
「生まれる前からもう違っている。だから君は、きっと『ぼく』とは違う運命を辿ることになる。今までと同じでは、運命は変えられない。君は運命を変えるために、ぼくとは違う『ぼく』を手に入れたんだ」
「……」
 “彼”が黙り込んでしまったのは、“男”の言葉を呑み込めなかったからではない。むしろ、先程よりも“男”の言っていることが真実であるかのように思えてきていた。
(君は、本当にぼくなの……?)
「信じられなくてもいいんだ。それでも『ぼく』は君を信じているよ」
 「疑っているわけではない」。そう弁解しようとしたその瞬間、“男”の笑顔が薄い霧に覆われたように白く霞んだ。“彼”は腕で両目をごしごしと擦ったが、視界は白く失われていく一方だ。
「そろそろ時間みたいだね」
「時間?」
「そう、『君』が始まる」
 “彼”の眼には、もう自分の手の平すらも見えなくなっていた。わずかに反響するような声だけがその耳に届く。
「『君』の時間が終わるまで、ぼくはずっとここで待っている。いつまでも。だから君は、少しでも長くぼくを待たせておいてね」
 背中をとんと押されるような感覚があった。それと同時に、周囲は暖かく心地良い光に満たされた。“男”の声も姿も、もうどこにもなかった。だが、“彼”は“聞いた”ような気がした。
「――――」
(……うん、いってくる)
 そして“彼”は眼を閉じた。つい先程見聞きしたことが、少しずつ周囲に溶け出し、消えてゆく。それは、“死”に似た感覚なのかも知れない。
(これが、“生まれる”っていうこと……?)
 もう幾度も、こうして光の中をたゆたってきたような気がする。それはきっと、“彼”ではない『彼』の記憶だ。
 やがて、光の中でもそうと分かる程に輝いている小さな『星』が見えてきた。『彼』はそれに向かって。真っ直ぐに手を伸ばした。


2014,04,23


前に書いたネタとすごく似てると思いつつ。
ジョナサンが出来なかったことをジョニィが成したと思うと、1部と7部、それぞれ単独で読むのとはまた違った良さがあるように思います。
結局ジョニィも若くしてこの世を去りましたが、「ジョージに会えて良かった」というセリフが、それが出来なかったジョナサンの気持ちでもあったように思えてなりません。
あらやだ、今回のあとがきまじめ!!
<利鳴>

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