サテライト


 最後の1人の呻き声が消えると、遠くから近付いてくる車の音が鷹介の耳に届いた。全員揃ったタイミングで襲撃を掛けたつもりだったが、外に出ている者がいて、戻って来たのだろうか。或いはドサクサに紛れて逃れた者がいて、プロの殺し屋でも連れてきたのかも知れない。そういえば、死体の数が最初の人数と一致するかどうかは確認していない。例えば、奥に転がっているあの腕。あれは、ここの組長の物に見える――腕は組長がしていた冗談のように大きな石の悪趣味な指輪をはめている――が、腕以外の部分――他の死体の下敷きになっているだけかも知れないが、ざっと見廻してみたところには見えなかった――は、裏口から脱出し、まだ生きているのかも知れない。もしくは、別人の腕を自分の物であるかのように細工し、本人は全くの無傷でいる可能性もないとは言えない。まるでミステリ小説のトリックだ。
 血で濡れた刀を抜き身で持ったまま、鷹介は足を引きずって出口へ向かった。程度はよく分からないが、左足を負傷しているようだ。痛みはない。いつも通りだ。ただ、血を流しすぎたようで、足取りがふらふらとおぼつかない。
 外に出ると、近付いて来る車のヘッドライトが見えた。明らかにこちらを目指して、しかもかなり飛ばしているようだ。それはあっと言う間に鷹介の眼の前までやってきて、とまった。
 鷹介がライトの眩しさに手を翳していると、やや小柄なシルエットが運転席――正面から見て右側のドア――から降りてきた。
「兄貴!」
 駆け寄ってきたのは、鷹介の弟分である礼治だった。
「どうしてここへ?」
 鷹介が足を負傷していることに気付くと、礼治は素早くその手を取って自分の肩に捕まらせた。
「何言ってんだよっ。迎えに来たに決まってるだろ! そんなことより、早く車に!」
 後部座席に鷹介を座らせ、礼治は運転席に戻る。その途中で、車のライトが照らし出す地面に流れたばかりの鷹介の血が長く線を描いているのが眼に入り、彼は眉を顰めた。上着を脱いで、鷹介に投げ渡す。
「とりあえずそれで止血だけしててくれよ」
 礼治はドアを閉めるや否や、車を猛スピードでUターンさせた。
「くそっ、救急箱くらい積んでおくんだった」
 運転席の礼治は、いらいらした様子で前方を睨みながらハンドルを握っている。
「落ち着け礼治。オレは大丈夫だ」
「大丈夫って……」
 礼治はバックミラー越しに鷹介の具合を伺う。鷹介は実に平然としている。が、彼の傷が決して浅くはないことは、素人目にも一目瞭然だった。
「病院は……」
「いや、いい」
「そっか。……こっからなら、オレの部屋が一番近い。それでいいだろ、兄貴」
「ああ。任せるよ」
 車は速度を落とさずに右折した。眠らない真夜中の新宿に、クラクションが響いて消えた。

「狭いし、散らかってるけど、とりあえず座ってくれよ。足、出来るだけ動かさないで。ああ、でも、出来れば心臓より高くしてっ!」
 自分の部屋に鷹介を招き入れ、礼治はばたばたと駆け廻っている。
「もうっ、ちゃんと止血しててくれって言ったのに!」
「悪いな、床」
「あ? ああ」
 フローディングの床の上に、玄関からソファまでを繋ぐ赤黒い点線が引かれていた。
「そんなのどーでもいいだろ。あとで拭けばいいだけだ。そんなことよりっ、少しは自分の傷のこと心配してくれよ」
 慌しく戻って来た礼治は、床の上に手当ての道具を一通り並べた。水の入った洗面器、ガーゼ、包帯、他にも今は必要なさそうな湿布薬やら風邪薬やらが、ずらりと広げられる。
「随分色々持ってるんだな」
「そろえたんだよ。兄貴がすぐ無茶するから。今度からは車にも積んでおくよ」
 礼治は鷹介の傷に眼をやった。
「この服、もう駄目だよな。裾、切ってもいい?」
「ああ」
 血液を吸って重たくなったズボンの目隠しが取り払われると、布の裂け目と同じように開いた傷がその姿を現す。銃傷ではあるが、弾は直撃したわけではないようだ。先程までと比べると、出血も完全ではないが治まって来ているらしい。
「とりあえず洗わないと……。沁みるかも知れないけど……」
「大丈夫だ」
 礼治は丁寧に傷口を洗い終え、次はガーゼを当てた。
「もうだいぶとまってきてるけど、一応止血するぜ。痛かったら言ってよ」
「ああ。大丈夫」
 今日だけで何度「大丈夫」を繰り返しただろうか。礼治は傷口に当てたガーゼの上に手を乗せ、体重を掛けた。強く圧迫され、本来ならばかなりの痛みがあったはずだ。それでも眉一つ動かさない鷹介を、礼治が訝しんだのは最初の頃だけだった。何度も彼の手当てを引き受けているうちに、彼の体質を把握してきたのだろう。それでも「大丈夫だ」という言葉だけは、何度聞いても信用しようとしないのだが。
 手際よく手当てが終わり――おそらくその方法も鷹介の負傷の多さに耐えかねて覚えたのだろう――、礼治は漸く安心したように溜め息を吐いた。
「本当はちゃんとしたところで手当てした方がいいんだろうけど……」
「大丈夫だ」
 礼治は本当に心配性だと、鷹介は笑った。
「笑ってる場合じゃあないぜ。ほんとにっ」
 道具を片付けながら、礼治は眉間に皺を寄せる。
「だいたい、たった1人で敵のアジトに乗り込むなんて! 無茶にも程があるぜ!」
「礼治、落ち着け」
「……兄貴がおやっさんの弟で、おやっさんは兄貴のことを信頼してでかい仕事も任せてる。それは分かってるよ。でも――」
 鷹介は心の中で「それは違う」と呟いた。
 確かに、『あの人』とは母親だけは同じで、つまり2人が兄弟であるのは間違いない。だがそれだけではない。普通の兄弟よりも、2人は――当人達が望みはしなくとも――ずっと近い存在なのだ。
(そう、だから普通じゃない)
 『あの人』は決して鷹介を『信頼して』いるのではない。首尾良く敵を殲滅させられればそれで良し――鷹介の実力だけは評価されているようだ――、逆に差し違えて鷹介が死んだとしたら、それはそれで彼の望み通りなのだろう。むしろ後者こそが、彼が本当に待ち望んでいることなのかも知れない。
(あの人はいつだって『化け物』を始末したがっている)
 痛みも、恐怖も感じない、人の心を持たぬ『化け物』。そんな鷹介が産まれることを、一体誰が望んでいただろうか。顔を見たこともない母親からも、そして父親からも、決して望まれなかった、愛情の上で作られたのではない呪われた子供――。『あの人』が鷹介に向ける眼は、弟へ向ける愛情でも、自分の遺伝子を継ぐ者へ向ける愛情でもない。得体の知れない物へ対する『恐怖』だ。それは滑稽な程に鷹介へ伝わってくる。鷹介は『痛み』と『恐怖』の他に、『愛情』も知らない。
(あの人は、オレを信頼してなんかいない。礼治、お前は知らないんだよ。知らなくていいんだ)
「兄貴? 兄貴、聞いてる?」
「ああ、聞こえてるよ」
「だからさ、こんなことばっかり続いてたら、流石の兄貴でもやばいことになるかも知れないだろっ」
 礼治はぐっと身を乗り出してきた。とても真剣な眼をしている。
「オレ、心配なんだよ。だから、あんまり無茶しないでくれよ。兄貴がおやっさんの信頼出来る弟だってのは分かってるよ。でも」
 礼治は言葉を区切るように、少し照れ臭そうに笑った――ような気がした――。
「兄貴は、オレの兄貴でもあるんだからさ」
 ぽっと火が灯るように、鷹介は自分の心の中に暖かい何かが生まれるのを感じた。
(これはなんだ?)
 その正体は、全く分からない。が、少なくとも不愉快ではない。むしろなんだか心地良い。
「オレ、ずっと兄貴についてくよ。左ハンドルだってもうとっくに慣れたし。傷の手当だってする。けど、あんまり心配させないでくれよな」
 今度こそ、礼治は笑った。どこからどう見ても爽やかな青年の顔で。どうして彼みたいな人間が、こんな世界に――自分の傍なんかに――いるのだろうかと、鷹介は不思議になる。
「礼治」
「ん?」
「ありがとう」
 鷹介が微笑むと、礼治はその笑顔を真正面から受け止めて、自身も笑った。
「兄貴、朝になったら送っていくからさ、今日はここで寝てってくれよ。今ベッドの上片付けてくるからさ」
 手当ての道具の片付けを終わらせると、礼治はそう言って隣の部屋――そちらが寝室なのだろう――へ向かおうとした。鷹介は首を横に振った。
「オレはここでいいよ」
 そう言って自分が座っているソファを指差す。
「なに言ってんだよ。兄貴の身長じゃ、半分もおさまらないぜ。それに怪我人なんだからさぁ。オレがソファで寝るから、兄貴はベッド使ってくれよ」
「礼治の部屋とベッドだ。礼治が使え。オレはここで大丈夫だよ」
「だったらなおさら、どこ使うかはオレが決めるぜっ。兄貴はいっつも大丈夫大丈夫って。今日はもう『大丈夫』禁止! 1日分は充分言ったろ!」
「さっき日付が変わったから、今日の分はまだ残ってるさ」
「あにきっ!!」
 数十分に及ぶ言い合いの結果、2人は寝室の床に布団を並べて敷いて寝ることになった――流石に男2人が入るにはベッドは狭すぎる――。ベッドの上から敷布団を下ろして、そちらは鷹介が使う。礼治は、冬用の掛け布団を敷布団代わりに寝そべった。彼の身長でも足が床にはみ出てはいるが、鷹介が自分がそっちを使うと言っても譲らなかった。幸いにも2枚あった毛布をそれぞれ1枚ずつ使い、枕は1つはソファから持ってきたクッションだ。
「兄貴、消していい?」
「ああ」
 電気を消し、賑やかな礼治が口を閉じると、遠くの通りから雑踏や車の音が風に乗って聞こえてくる。眠らない街。ネオンが眩しすぎて、星も見えないような街だが――
「そう言えば、今うちになんにもないんだ。明日の朝飯、買ってくるまで待っててもらうことになっちまうんだけど……」
「いいよ。出かける時に、一緒に買いに行こう」
「じゃあ、兄貴が着られる服も買いに行こうぜ。で、車とうちに、何着か置いておこうぜ。うちには兄貴が着られる服ないからさ」
 くすくすと礼治が笑う。部屋の中は薄暗く、礼治の表情までは見えない。それでも鷹介にははっきりと分かる。彼の笑顔は、この街にいながら見ることの出来る星だ。いや、もしかしたらもっと大きな、月かも知れない。きらきらと、眩しいくらいに光っている。


2011,05,28


ぬあー、もうちょっと妖しい感じにしたかったぁー(笑)。
くそう、やっぱり「一緒に寝る?」くらい言わせるべきだったか!
しかしそれはもう別のジャンルで一回やったような気が……。
タイトルは主題歌と響きが似てると思ってつけた。
んで、主題歌は英語じゃあなくてカタカナ表記だから、真似してみました。
けど礼治が出てくる4巻の時点では主題歌変わってたんだったわ……。
礼治が衛星なら、当然その中心にある惑星は兄貴星で。
兄貴の周りをぴかぴかぐるぐるちょこまか。
最初は適当につけたタイトルだったんですが、結構気に入りました。
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system