4月の魚


「へぇ、そうなんだ」
 月が変わったばかりとはいえ、4月の日差しが暖かい午後。隣を歩く薬師寺香澄は、俺の話に感心したような声を上げた。
「まあ、紫の方だけな。緑色のやつはまた別だよ」
「へぇ。あ、じゃあさぁ、それって――」
 俺の耳にカズミの声がちゃんと聞こえていたのはここまでだった。カズミの声を遮る笑い声が出ているのは俺自身の口からで、それに気付いたカズミはきょとんとした顔をした。それを見て俺は益々笑い出す。軽い罪悪感はなくもなかったが、笑うまいとすればするほど正反対の行動を取ってしまう。
「カゲリ? どうしたの?」
 それでも一向に気付く様子を見せないカズミ。もう限界だ。
「ねえ、カゲリってば」
「ばあああぁか、普通信じるかぁ?」
「え?」
 カズミは大きな目を数回瞬かせた。まだ気付いてない。
「おまえってさぁ、カレンダー見ないわけ?」
「え? ……あッ!?」
 ようやく気付いたらしいカズミは、怒りか、それとも羞恥心からか、顔を赤くさせた。
 エイプリルフール――日本語でも直訳で「4月バカ」。よっぽど悪質なものは別として、おおっぴらに嘘を吐いても良いとされている日。こんなおかしな行事(?)、一体どこの誰が考え出したものなのかは知らないが、こうもあっさり騙されてくれる人がいるのは、くだらないとわかってはいつつもやっぱり面白い。と思ってしまうのは、まだまだ俺がガキってことの証拠だろうか。でも、テレビや新聞でだって、この日ばかりは嬉々として嘘の報道をしているって言うじゃあないか。むしろ嘘を吐いていはいけない立場にいる大人たちの息抜き的なイベントなんだと考えることもできそうだ。この日以外には嘘を吐かないだなんて、そんなやついるもんか、それこそ嘘だろうというのは、まあ、この際置いておこう。
「ええっ!? うそっ!? どこからっ!?」
「アフリカの原住民のくだりから」
「ほとんど最初からじゃない! ひっどぉいっ」
「悪い悪い。でもさぁ、普通途中で気付かないかぁ?」
「ぜんっぜん気付かなかったよ! ぼく、すっごく真面目に聞いてたんだからねっ!? そんなこと知ってて、カゲリすごいなぁなんて思って損しちゃった!」
 子供のように頬をぷうっと膨らませると、カズミはその顔をぷいっとそらせてしまった。そしてそのままこっちを見ようとしない。「カゲリなんてもう知らない」そんな言葉が聞こえてきそうだ。
(少しマジに怒らせすぎたか?)
 「エイプリルフールくらいで大人気ない」なんて言うやつもいるかも知れない。でもきっと、カズミは今までエイプリルフールとなんて関わらずに生きてきたんだろう。俺なんかだと、ガキの頃は毎年のように「今年は騙されないぞ」と誓いながらも、最終的には――主にミネオのやつに――まんまとはめられて笑われていた。何度も繰り返すうちに耐性がついたのか、悔しがるのはほんの僅かな時間だけで、そのあとはもう来年のリベンジ予定を立て始めている。結局騙されてしまうのと、やっぱり1年も前から計画を練るのは早すぎるようで当日までには完璧忘れてしまっているのだけは何度繰り返しても少しも変わらないのは少し不思議ではあったが。それに比べるとカズミの場合は、そもそもそんなことを仕掛けてくる人が周りにいなかったんだろう。カズミの「周りの人」といえば桜井さんたちだ。あの人がくだらない冗談を考えているところなんて想像できない。むしろ、さめた目つきで「くだらない」と冷笑している顔が浮かぶ。その視線の先にいるのはもちろん俺だ。
(はいはい、どうせ俺はガキですよ)
 ガキはガキらしく、ここらで謝ってしまっておいたほうが良さそうだ。
「悪かったって。な、機嫌治せよ。昼飯おごるからさぁ――」
 肩を掴んで強引にこちらを向かせた次の瞬間、俺は思わずうろたえていた。
「えっ……」
 カズミは再び顔を背けようとする。しかし俺の手がその肩を掴んだままだったのでそれはできず、せめて目線だけでもというように向こうを見ている赤い眼に、きらりと光る水滴が――。
「なっ――」
 な、泣かした!? 俺はそんなにも悪いことをしたか!? 他愛無い……それこそ子供のいたずらみたいなものじゃないか!
 しかし、俺はうっかり失念してしまっていたのだ。こいつの傷付きやすさを。たぶんこいつはエイプリルフールにからかわれたりしたことはない。それは、「周りの人」が桜井さんたちだからじゃない。こいつがこいつだからなんだ。きっとあの人たちは、こいつを傷付けるようなことはしないに違いない。それは「してはいけない」と理解している――というよりも、今さら考えるまでもない、当たり前のことなのだろう。身体ばっかり成長して頭の中はちっとも大人になっていない俺は、そんなことに気付くのでさえ後手後手で、やってしまってから後悔するんだ。人に騙されたり、裏切られたりすることに人一倍傷付き、しかもそれを他の誰かにぶつけることもせずに、1人で傷付く、純粋の塊みたいなやつ。それが薬師寺香澄なんだ。それなのに――。
「か、カズミ、ごめんっ。俺っ……」
 ガキの頃に、「女の子を泣かせてはいけません」なんて言われたことがあったな。俺の近くにいた「女の子」は到底「女の子」らしくなんてないやつだったからそれすら真に受けもしなかったが、男だったら泣かせてもいいっていう話でもない。慌てて謝りなおそうとした俺の耳に聞こえてきたのは、カズミのすすり泣く声――ではなかった。それは「くすっ」という笑い声。
「――なんて、ね」
「へ?」
 俺は我が耳を疑った。が、空耳なんかではない。
「う・そ」
 そう言ったカズミの顔は、ちっとも泣いてなんていない。それどころかペロリと舌を覗かせて笑っていやがる。すなわち、嘘泣き。
「なっ……、てめぇ! 騙したなッ!?」
 今度は俺が顔を真っ赤にさせる番だった。
「先に騙したのはカゲリでしょ。お返しだよーだ」
「くっそ、やられたッ! てめぇ、どっからだよ!?」
「ひーみーつ」
「くっそおぉッ」
「ごめんごめん。これでおあいこにしておいてあげるから」
「うぅーっ」
 俺は動物みたいにうなり声を上げた。あっさり騙されたことと、本気で焦った自分が悔しいというよりも、恥ずかしくて。対するカズミはけろりとしている。しかも、
「ほら、もう行こうよ。おごってくれるんでしょ?」
 いけしゃあしゃあとそんなことまで言いやがる。どこがおあいこだッ。
 カズミが最初から俺を騙し返すつもりで騙されたフリをしていたのか、それとも途中までは本当だったのか――真相の程は定かではない。とりあえず、来年からはもうこいつを騙そうとするのだけはやめておこうと心に誓った。カウンター攻撃の方がよっぽど悔しいということがわかったし、仮に嘘でも、もう二度と見たくないものがあるから。涙は女の武器だなんて言ったのはどこのどいつだッ。人によっては男だって立派な武器じゃないか。


2010,03,32


エイプリルフールのことをフランスでは「Poisson d'avril(4月の魚)」と呼ぶことは失楽の街にも書かれてましたね。
何故そう呼ぶのかはいくつか説があるそうですがどれがただしいのかはっきりしないようだったので、ここに書くのはやめておきます。
興味のある方は検索してみるといいですよ。
とりあえず英語や日本語のように直接的な言葉で呼ぶよりも、ちょっとおしゃれな気がしませんか。
ちなみにカゲリが吐いた嘘の内容は全く考えてないので聞かないでください(笑)。
背景は鴉-KARAS-のゆりねさんのところの魚が綺麗だったから真似したかったんだけど、
真似したかったんだけど……。
<利鳴>
うおぉおおぉぉー!!可愛い!!!
(;´Д`) ←思わずこんな顔になりました。
何が可愛いって2人共…っていうか、2人の関係性が可愛い!
しっかし翳の嘘が1番気になるのに伏せられるとは…
アフリカ原住民の紫と緑って本当に何なのかすんごい気になる!!(笑)
背景のお魚は偽物のお魚って感じで凄い可愛いと思います。
偽物?何か日本語変だなぁ…
アフリカ原住民は紫の魚を食べた、とかなのかなぁ(笑)
<雪架>

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