アオイロ


「ねぇ蒼」
 朱鷺は蒼がいれたコーヒーのカップが空になったところで、口を開いた。
「蒼の名前が『あお』じゃあなくて『あか』だったら、私達おそろいだったのにね」
 姉に『蘇芳』、妹に『珊瑚』――ついでに挙げれば字は異なるが母に『明音(茜)』――を持つ彼女は、蒼にその名を与えた張本人がすぐ傍にいるとは知るはずもなく、そんなことを言い出した。
「『あか』ぁ? なんか凄く違和感があるよ」
「それは慣れてないからでしょう? ねぇ、今からでも改名してみない?」
「改名って……。そもそも本名じゃあないんだけど」
「蒼」
 その声は、とっさに「何か怒られるようなことをしてしまっただろうか」と考えてしまう程、研ぎ澄まされた刃物を連想させる響きを持っていた。蒼がおそるおそる振り向くと、しかしその声の主は微笑んでいた。それがかえって蒼の背筋を寒くさせた。
「京介……」
「青色はかつては希少で、身分の高い者しか身に付けられない色とされていたんだよ」
 京介の視線は間違いなく蒼へと向けられていたが、彼のその言葉はどうやら別の色をその名に持つ者へと放たれているようだ。
 視界の隅で朱鷺の表情がぴくりと引きつったようになったことに、蒼は気付いていた。が、同時にむくむくと膨れ上がっていく自身の好奇心にも気付いていた。それが朱鷺の機嫌を悪くさせてしまうであろうと分かってはいても、結局「どうして?」と尋ねるのをとめることは出来なかった。案の定、朱鷺は睨み付ける対象を京介から蒼へと変えた。京介がそれを狙っていたのだとしたら、感心すれば良いのかそれとも呆れれば良いのか、蒼には分からない。
「今でこそ人は思い思いの色をいくらでも作り出せるようになったけど、昔は青い染料というのはとても少なかったんだ」
「そういえば、自然界に青い物ってあんまりないね」
 世界中にある『青』の大半を空と海に使ってしまって、他へその色を使う分は残らなかったのではないだろうか。そんな考えが浮かんだが、いくらなんでも子供っぽい発想だと思い、蒼はそれを胸の内にしまっておくことにした。
「青い染料の多くは鉱物から作る。代表はラピスラズリ」
「って、宝石の?」
「そう。青い染物を作れる植物もあるけど、やはり種類は少なくてどうしても高価になってしまう。だからいつしか、青い色はそのものが高貴な色とされるようになったんだ」
 蒼が「へぇ」と溜め息にも似た声を出すのと、朱鷺が刺々しい口調で京介に話しかけたのは、ほぼ同時だった。
「まるで赤い色には大した価値も品性もなくて、そんな名前の人間もどうせその程度だとでも言っているように聞こえるのは、私の気の所為かしらね、桜井氏?」
 彼女の無理に作ったような笑顔に、京介は極自然に微笑んでみせた。
「ええ。間違いなく気の所為ですよ、遊馬さん」
 2人はそのままの表情で睨み合って――片方が笑顔でもそう呼ぶのが正しいのかどうかは分からぬが――いたが、やがて根負けしたのは、案の定朱鷺の方だった。
「もういいっ」
 彼女は吐き捨てるように言って、立ち上がった。
「お帰りですか?」
「ええそうよっ」
 朱鷺は京介の顔――その大半は長い前髪の下で見えないが――を、びしっと指差した。
「見てなさい! いつか言い負かしてやるんだから!」
 荒々しくドアを閉めて去っていく朱鷺を、その姿が見えなくなる最後の最後まで表情を変えることなく見送った京介を見て、蒼は「その日は遠そうだ」と、心の中で呟かずにはいられなかった。


2011,08,10


わたしは仕入れた雑学(?)はネタにしたいタイプです。
京介はそういうのベラベラ喋ってくれそうだからちょうど良くて助かります。
<利鳴>

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