Birthday


 真夏のある日、場所は香澄のマンション。
 折角の夏休みなんだから、と香澄をさそって出かけたまでは良かった。ところが昼を過ぎるともう歩き回るどころじゃない。冷房の効いた喫茶店かなにかに入っても良いのだが、やはり長居はし辛い。香澄が来ても良いと言ってくれたのを幸いに、こうして涼みにやってきたわけだ。
「夕方になれば少しは涼しくなるよ。それまで休んでいっていいから」
「サンキュー」
 香澄が飲み物を入れてくれている間、俺はぼーっと部屋の中を見回していた。広くて片付いた部屋。俺の部屋とは正反対だ。
 壁には旅行に行った時のものらしい写真が貼られている。
 次に目に入ったのはカレンダー。二月毎に捲るやつだ。日付の下に小さな文字が書かれている。それはどうやらバイトの予定やなんからしい。そんな中にひとつ、水色の蛍光ペンで日付を丸く囲んであるだけの日があった。その日はどうやらバイトは休みらしい。文字はなにも書かれていない。
「8月10日……?」
 何の日だ?
「どうかした?」
 アイスコーヒーのグラスを盆に乗せて、香澄が戻ってきた。
「……香澄の誕生日っていつだっけ」
「まだ結構先だよ。何で?」
「あれって何の日?」
 俺はカレンダーを指差した。何気なく聞いただけなのに、香澄は予想以上の反応を返してきた。
「あッ」
 まるで「しまった、見られた」とで言うかのような声。
「別に何でも……」
 香澄は少しだけ照れた様な顔をした。余計気になる。
 丸印の他には何も書かれていないということは、書くまでもなくその日は「○○の日!」と決まっているのだろう。だから俺は誕生日かと思ったんだが……。こいつが自分で「香澄の誕生日」なんて書いたらおかしいから、だから余計に丸印だけなのかと思ったんだ。
「なんかの記念日か?」
「まあ、そんな感じかな」
「家族の誕生日とか?」
「まあね。そんなところ」
 『そんなところ』ってことは、遠くはないけど正解でもないってことだな。となると……。
「……桜井さんか?」
「え?」
 香澄はきょとんとした顔をした。
「なんでそこで京介が出てくるの?」
「家族の誕生日ではない、でもそれに近いんだろう? そんな人、桜井さんたち以外に俺は知らないから」
「今『たち』って言ったじゃない。どうして京介限定なの?」
「だって栗山さんは春生まれだろ。名前で分かる」
「翳ってばいつから名探偵になったの?」
 香澄はくすっと笑ったが、俺は真剣だ。その理由は自分でも分からない。
「誤魔化すなよ」
「誤魔化してなんかいないよ」
 それは本当らしい。俺が勝手にムキになっているだけだ。
「京介の誕生日は1月だよ。因みに深春は3月ね。それに、深春が違うって分かってても先生だっているでしょ?」
 それは確かにそうだ。でも「香澄の家族以外で大切な人の誕生日」と思ったら、桜井さんが最初に思い浮かんだんだ。栗山さんの誕生日がどうとかいうのは、はっきり言ってあとから思いついた言い訳でしかない。
「じゃあそうなのか?」
「違うよ。先生は5月だもん」
「じゃあ何なんだよ」
「翳、どうしたの……?」
 俺は答えないで視線をそらせた。
「……その日はね」
 香澄はカレンダーを見ながら言った。
「ぼくの……かな」
「? だってさっき……」
「うん。っていうか、『蒼』の」
 香澄のことを『蒼』と呼ぶ人達がいる。香澄がその名前で呼ばれるようになった日。それが印の日なのだ。
「だから青で書いてるのか」
「笑う?」
「いや……」
 俺の予想はあたってはいなかった。でも、全然遠いわけでもない。俺の知らない大切な人の日。それだけはあたっていたんだ。俺は『蒼』と呼ばれるこいつのことを知らない。でも、あの人たちは知っている。それが俺には少し悔しい。そんな自分に戸惑ったりもする。
 『蒼』の誕生日。それはやっぱり桜井さんにも関係のある日だと言わざるを得ない。そして俺には関係のない日だということも、認めざるを得ない。
「翳の誕生日も書いておこうか?」
 香澄は唐突に言った。
「いっ、いいよッ。いらないよッ」
「遠慮しなくてもいいのにっ」
「いいってばっ」
 そんな恥ずかしいことしてみろ。桜井さんたちが見たら絶対になんか言うぞ。
 でももしかしたら桜井さんたちの誕生日も書いたりしてるんだろうか。今見えてるのは7月と8月だけだからそれが分からない。ページをめくっても来年の分はまだないから、どっちにしろ知ることはできない。聞いてみたい気持ちはあった。でも、無邪気に笑っている香澄の顔を見ていたら、ひとりでムキになってる自分がかっこ悪く思えた。
(ま、いっか)
 その代わり、1月と3月と5月って言ったな。その頃に絶対に来てやるからな。それで、もしなにも書かれてなくて、それなのに俺の誕生日は書いてやろうか? とか尋ねてきたんだったら――。
 一方的に対抗意識燃やしたりして、それこそかっこ悪いなと思いつつ、少しだけ期待してる自分がいたりする。
 香澄はたぶん、気付いてない。
 教えてなんかやるもんか。


2006,08,10


どうしても翳の一人称はこっぱずかしいです。
でも翳×香澄で三人称って書けないんです。
だって蒼のことは蒼って書きたいから!
でも「翳×」の後に続けるのは「蒼」ではなく「香澄」じゃあなきゃあいやなんです!
そんな拘りのせいで、翳×香澄は必ず翳の一人称になってしまいます。
本当はこれ、サイト開設時にアップしようと思ってたんだよな……。
1年もほったらかしにしてしまいました。
<利鳴>
1年置いて日の目を見る事が出来た作品が、こんなに素晴らしいとは。感動です。
読んでてくすぐったくなる位幸せで美味しかったです。
こんなに甘かったり柔らかかったりする作品を書けるのが純粋に羨ましいです。
翳、誕生日に丸付けてもらっとけよ、と背中押したくなりました(笑)
<雪架>

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