ここから


 気が付くと、この部屋に転がり込んで来てから数日が経過していた。少し弱音をぶつけさせてもらうだけのつもりでいたのに、そろそろ「いつ帰るんだ?」と尋ねられてもおかしくない頃だ。追い出される前に自分から帰ることにしようと、京介が荷物――と言ってもたいした物はないのだが――を纏め始めた時だった。
「帰るのか?」
 京介の手元を覗き込むようにしながら、深春が尋ねてきた。
「ああ。長居して悪かったね」
「いや、別にいいけどよ……」
 そう返した深春は、何故か戸惑ったように視線を泳がせている。
「どうかした?」
「いや、別に」
 「絶対に嘘だ」。そう思いはしたものの、京介はそれ以上追及しようとはしなかった。誰にだって詮索されたくないことはあるだろう。聞かれても答えられないことも。そのことは、自分自身がよく分かっている。
「じゃあ」
 鞄を持って腰を浮かせ、玄関へと向かう。その後ろをついてきた深春は、躊躇うように声をかけてきた。
「京介」
「なに?」
「……もう、やめにしないか? こういうの」
 靴紐を結ぼうとしていた手を、無意識の内にとめていた。
「『こういうの』?」
「だから……」
「僕が君のマンションに来て食事していったり泊まっていったりすること?」
 京介は視線を足元へ向けたまま尋ねた。深春の顔は見えない。「そう、そういうの」と答えた彼は、振り向かない京介の背中にどんな視線を向けているのだろうか。
 普通に考えれば、何日も居座られたら迷惑に思って当然だろう。あるいは、恋人でも出来て、今までのように気楽に来てもらっては困るとでも言うのだろうか。どちら――もしくはそれ以外の理由――であったとしても、京介は異論を唱えられる立場ではない。元より自分は、いずれはいなくなる存在なのだということも忘れてはいない。
「……いいよ。わかった」
 「もう来ない」と続けようとすると、しかし深春の言葉がそれを遮った。
「お前もいちいち荷物持って行ったり来たりするのは面倒だろ? 居場所はっきりしないと、蒼猫や神代さんも心配するだろうし……」
 別に自分や他の者を気遣うような言い訳をしてくれなくても良いのに。たった一言、「もう来ないでくれ」と言ってくれれば、無理に理由を聞き出そうともしないのに。京介のことを出来るだけ傷付けまいとしているのだろうか。だとしたら、何故彼はこんなにも優しいのだろう。
 京介が振り向くと、深春は真面目な表情で、視線を真っ直ぐこちらに向けていた。
「だいたい、あの部屋だと連絡するのも一苦労なんだよ。いちいち電話の取次ぎ頼まないといけないし。頼んだところでお前がいるとも限らないし。って言うか、いい加減にちゃんと携帯持てっての」
「……うん?」
「ちゃんと飯食ってちゃんと寝てるのかも危ういって、この間蒼猫が心配してたぞ。お前なぁ、そういうことで歳下から心配されて情けないと思わないのか? まあ……、そんなわけで、だ。一応スペースは余ってるし、お前のバイトなら場所はどこでも大丈夫なのが多いだろ?」
「深春?」
「うん?」
「ごめん、途中から何を言っているのか分からなくなった」
「はぁ!? 人の話ちゃんと聞いてたのかよ!?」
「聞いてたはずなんだけど……」
「ったく……」
 深春は苛立ったようにこめかみの辺りをガリガリとかいた。
「いっそここに引っ越して来いって言ってんだよ」
 京介は瞬きを繰り返した。そのまま答えないでいると、深春は「なんとか言えよ」と言いながら眉を顰めた。
「ここに?」
「ああ」
「僕が?」
「ああ」
「君と?」
「そーだよッ、何度も言わせんな」
 堪え切れなかった笑い声が、咽喉の奥でくっと音を鳴らした。
「何がおかしいんだよ」
「それ、世間ではなんて言うか知ってる?」
「あ?」
「『プロポーズ』」
「なっ……、馬鹿! 誰がだよッ!? ルームシェアって言葉があるだろうがッ」
 そうか、ルームシェアに誘う時は、いつになく真剣な表情をしたり、顔を赤らめて慌てふためいたりするものなのか。そんなことを思いながら京介がまだ笑っていると、深春は「いい加減にしろ」と声を荒げた。
「でっ? 返事はっ!?」
「――いいよ」
 自分はいずれ彼等から離れていかなければならない存在だ。そのことを、忘れたわけではない。その日が確実に迫ってきていることも分かっている。にも関わらず、気が付けばそう答えていた。「自分の意思に反して」、しかしそれを不愉快にすら思わないことに少々驚きながらも、京介は自然と微笑んでいた。
「ほんとかっ」
 深春の表情がわずかにぱっと明るくなったように見えた。断られなくて良かったと、安心しているようにも見える。
「フツツカモノですが」
「おい、怒るぞ」
 もう怒っているのでなければ、一度は引いたはずの赤みがその頬に戻っているのはなんなのだろうか。しかしそう指摘するのはやめておいた。「いつから引っ越してくる?」。そう尋ねてきた深春の顔が、なんだか楽しそうに見えたから。
「君の都合が良ければ、いつでも」
「じゃあ明日だ。バイト休みだからな」
「いいよ」
 以前の自分であれば決して見せることはなかったであろう表情で、やはり口にしなかったはずの言葉を返しながら、どうやら自分はまだ弱ったまま立ち直り切れていないらしいと思った。だが不思議と、今はそれを嬉しくないとは思わなかった。


2010,12,30


仮面の島後、2人が同棲(笑)を始めるに至った経緯の妄想です。
以前は最終的には深京と翳香になる京蒼が好きだったのですが、最近は普通に深京好きです。
結構古い曲ですが、てぃーえむあーるの『True Merry Rings』の「終わりにしようよ」のフレーズで、お別れしましょうって意味なのかと思ったらそのあとに間逆の言葉が続くのが好きです。とか思いながら書きました。
深春と京介にはずっと一緒にいてほしいです。
ってか、彼等だけじゃあなくて、建築探偵キャラ全員いつまでも仲良くしていてほしいです。
みんな家族になればいい!
<利鳴>
読んでてね、止めにしないかって発言の指す『こういうの』がね、
『通い妻』って事!?って思ったのね…!
でもどちらかというと通い夫ですよね。
稼ぎを手渡すワケじゃないから…うん、止めにしようって言われたら真っ先に来るなって言われてると考えちゃうわ!(笑)
2人でラブラブ同棲してたら蒼って子供が出来ちゃえば良いのよ。
皆仲良くが1番です。
<雪架>

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