夕刻のヴァンパイア


「おい、京介! 起きろって!」
 京介は深春の声で眼を覚ました。と同時に、今日は深春のバイトが夕方までで終わりだから、夕食は3人でとろうということになっていたことを思い出す。どうやらもう約束の時間になっていて、買い出しに行く前に呼び出しに来たらしいと状況を把握した。しかし京介は、わざと「うるさい」と言うように毛布を引っ張り上げて寝返りをうった。
「京介ったら、起きてよぉ」
 今度は蒼の声だ。わざわざ2人がかりで迎えに来たようだ。「ねえってば」と再度促されて、京介はようやく起き上がった。
「てめー、このやろー。なんで俺が呼んでも起きないくせに、蒼だと起きるんだよ」
 「神代さん並の差別だぜ」とぼやく深春を無視して、京介は枕元に置いてあった眼鏡を前髪の下に押し込んだ。
「おはよう」
「もう夕方だよ」
 蒼が呆れたような顔をする。
「まるで吸血鬼だな」
 深春が呟いた。それに対して、京介は肩を竦めるような仕草をしてみせた。
「そうだったらどうする?」
 深春と蒼はほぼ同時に首を傾げた。ちょうど左右反対に同じくらいの角度に傾けられた顔は、しかしシンメトリーと呼ぶにはベースの作りに違いがありすぎる。京介はこっそりと、そして少しだけ笑った。
「『そうだったら』って、どういうこと?」
「僕が吸血鬼だったらってこと」
 深春と蒼は訝しげな顔を見合わせている。
 先に口を開いたのは蒼だった。
「嘘だよ。だって京介、普通に昼間外に出られるじゃない」
「もちろん。だからこれは『もし』の話」
 そう言ってみせたのに応えるように、深春は床に腰を下ろした。早々と京介を連れ出すことは、諦めたようだ。もしかしたら「こいつ、寝惚けてんじゃないのか?」とでも思っているのかも知れない。
「それって、具体的に今のお前とどう違ってくるんだ? 昼間は寝てて、夜にならないと動き出さないで――」
 ここまでだと、今の京介とあまり違いはないかも知れない。京介は頷いてみせた。
「生き血を求めて街を彷徨う。人を襲って仲間を増やす」
 「それから」と続ける。
「歳を取らずに永遠に生き続ける。ヘマをしない限りはね」
「でもお前、飯食うの忘れてることあるじゃねーかよ。吸血鬼になっても、『うっかり』陽の光にあたっちまいそうだな」
「かもね」
 京介は気を悪くする風でもなく、あっさりと相槌を打った。
「でも、京介って確かにあんまり見た目変わらないよね。深春は確実におじさんになっていってるのにさ」
「なんだとこの猫小僧!」
 掴みかかってくる両腕をさっとかわし、蒼は京介の陰に逃げ込んだ。
「深春は吸血鬼よりも熊男だね」
 吸血鬼と猫小僧と熊男。なかなかユニークなパーティだ。ハロウィンの時期なら、そんな一行がいてもおかしくはないかも知れない。
「とにかくっ、俺は歳食っていってお前だけ今のこのまんまだって?」
 深春は京介の顔を指差した。
「そう。君が30代になっても、40代になっても、僕はずっとこのまま」
 そうやって、周りの者は皆先に逝ってしまうのだろう。人ならざる者はいつだって孤独だ。
(でも、僕はそれとどう違うんだろう……)
 過去を隠し、己を偽り、何を残すこともなくいずれ去って行く孤独な存在。創作の中にのみ存在する怪物と彼は、実はあまり差はないのかも知れない。
「ええい、なんかずるいぞ!」
 京介の思考を打ち破るように、深春は声を上げながら床をばんと叩いた。
「……ずるい?」
「お前だけいつまでも若いまんまだと!? 1人だけ老けてたまるかー! おいっ、俺も吸血鬼にしろっ!」
 『吸血鬼』だなんて、実在しない物の名前を口にしながら、しかし深春の表情はふざけているようには見えない。『もし』の話にこれだけ真剣になれるのは、何故なのだろうか。
 一方、京介の後ろでは、蒼が唸るような声を上げている。
「うーん、ぼくはどうしようかな……。このまま歳とらないってことは、成長がストップするってことだよね。まだ身長欲しいんだけどなぁ」
 京介が振り向くと、やはり蒼も真面目に困っている顔をしている。
 先程の自分の思考を棚に上げて、「そんなに真剣に悩まれても……」と言おうとした京介の声を、深春が遮る。
「お前そんなに伸びるかぁ? もうとまってんじゃねーのぉ?」
「そんなことないもん! 男は二十歳過ぎても伸びるよ!」
「年間2センチ伸びても俺には追いつかないけどなー」
「牛乳飲むもん! 絶対追いついてやる!」
「まぁ、そこまで伸びるかどうかは置いといてだな、まだ成長とまっちゃあ困るって言うなら、満足いくところまでは人間のまま成長していって、俺達に追いつく頃に吸血鬼になればいいんじゃないか?」
「あ、そっかあ!」
「冴えてるだろ」
「極稀にね」
 2人のやりとりを、京介はポカンとした表情で眺めていた。それに気付いたのか、深春と蒼は彼の顔を見て微笑んだ。
「そういうことに決まったからな!」
「京介1人だけを吸血鬼になんてさせないんだから」
「抜け駆けは禁止だ!」
「そう言われても……」
「よーし、そうと決まったら飯だ、飯! 俺達はまだ人間なんだからな。食わなきゃ生きていけねーぜ」
 そう言いながら、深春はもう立ち上がっている。
「ほら、京介、行こ」
 蒼に腕を引っ張られ、唖然としたまま京介も腰を上げた。3人そろって京介の下宿を出ると、太陽は西の空に傾き、辺りの景色をオレンジ色に染めていた。
「うん、灰にならないね」
 京介の腕にしがみ付きながら、蒼が笑う。彼の言うように、京介は孤独なモンスターではないらしい。
「ね、夕食何作るの?」
「まだ考え中だけど、とりあえずニンニクだな」
「ニンニク?」
「人間でいられる内に食っとかないとな。吸血鬼はニンニク駄目なんだろ」
「深春ったら、吸血鬼になったらどうしようかって心配が、まず食べることなの?」
 呆れて笑う蒼に手を引かれ、笑顔で今夜の献立を説明し始めた深春の後ろを歩きながら、どうやら自分にはまだ人であることをゆるしてくれる者がいるらしいと、京介は前髪の目隠しの中で人知れず微笑んだ。


2012,04,18


神代教授も混ぜてあげて!
似たようなネタを他のジャンルですでにやっている気がするけど、気の所為気の所為。
<利鳴>

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