陣凍小説を時系列順に読む


  キミノアキ


 背後から聞こえてきた豪快なくしゃみに振り向くと、陣が鼻を啜っているところだった。それを見ながら凍矢は、またこの季節がやってきたのだなと、改めて時の流れを実感した。人間界にやってきてから2度目の冬は、少しずつではあるが彼等にその気配を知らせ始めている。特にここ3日間降り続けた雨以降は、それを如実に感じるようになってきた。肺にたっぷりと招き入れた空気は、既に冷たい。肌に纏わり付いていた夏の暑さと湿気は、嘘のように身を潜めた。苦手な季節の完全撤退に、凍矢は無意識の内に表情を緩ませていた。
(となると次の問題は……)
 再度視線を後ろへ向ける。
「ひゃあ、なんかいっきなし寒くなっただなぁ」
 そんなことを言いながらも厚着をしてくるつもりは一切ない相棒の姿に、吐いた溜め息は微かに白く曇った。
「ついてくるのは構わないが、防寒はしろと言っているだろう」
 夏の間、半ば本気で生活の場を水風呂へ移すべきかとすら悩んだ凍矢は、夜が明けて間もない早朝に、日を追う毎に冷たさを増す空気の中を歩くのが好きだった。隣人には「お前は徘徊老人か」と笑われたが、それでも、だ。普通の生き物であれば芽吹きの季節に感じるのであろう小さな高揚感を、彼はこの時期に最も強く自覚する。冬が好き。限界まで簡略化させた言葉で言えば、つまりそういうことになるだろう。
 昨年に引き続き、この日課には当然のような顔をして同行してくる陣の姿があった。凍矢と違って普通程度にしか寒さへの耐性を持っていない陣は、本格的な冬が近付けば近付く程、凍矢について歩くのが辛くなっていくはずだ。何度も無理についてくるな――どうせ帰宅すれば同じ家に住んでいるのだから――と言っても、昨年の陣はついに皆勤賞――そんなものがあればの話だが――を手にしていた。今年もやはり寒さを我慢してついてくるつもりらしい。それ程までに、陣は凍矢の傍にいたいのだ。そのことを知っている凍矢は、尻尾を振ってついてくる仔犬――ただしかなりの大型犬――のような存在を、無下に扱うことが出来るはずもなかった。
「お前は何回言っても聞こうとしないな」
 ただ面倒なのか、よく分からない意地を張っているのか、それとも自分も凍矢と同じ温度を感じていたいのか――体感温度は絶対に違うというのに――、なかなか素直に聞き入れようとしない陣は、完全にとぼけた顔をしている。
「何回もって言うけど、今年はまだ1回目だべ」
「いや、今年の初め、1、2ヶ月は言っていたはずだぞ。去年オレがやったマフラーはどうしたんだ」
「ああ。あれ、部屋に飾ってるだ」
「ばかかお前は」
 呆れながらも笑みをこぼした凍矢は、地面に積もった落ち葉を踏みながら歩き出した。ついてくる足音はない。陣はいつものように風を纏って宙に浮いている。
 散歩のコースはいつも限定されてはいない。家の近くを適当に、気の赴くままに歩くだけだ。だが今日の凍矢の足取りは、明確な目的地へと向けられていた。そのことに気付いたらしい陣が、斜め上から凍矢の顔を覗き見た。
「どこ行くだ?」
「すぐそこだ」
 そう答えた言葉に偽りはなく、数分後にはもうその足はとまっていた。凍矢の視線は目の前にある大きな木を見上げている。
「……この木が、どうかしただか?」
 陣は首を傾げた。
「昨日までの雨で、もっと葉が落ちてしまっているかと思ったが、意外と残っているものだな」
「ああ、うん?」
 その木の周りにはまだ青いままの葉が多く落ちていた。まるで、葉の模様の敷物のようだ。だが視線を上げれば、凍矢の言った通り、枝にはまだ落ちずに残っている葉が少なくはない。意外と丈夫なのだなと納得したように頷いている凍矢に、陣は今一度疑問の視線を送る。
「この木を見に来ただか?」
「ああ」
 これと言って特別な特徴はない、極普通の木だ。これなら、彼等の住居の近くにもある。陣がそう言うと、凍矢は首を横へ振った。
「種類が違う。向こうのはイチョウ。葉の形と色が違うだろ?」
「ふーん?」
 だが陣の顔から訝しげな表情は消えない。
「……で、この木がどうかしただか?」
 本日2度目のその質問に答える代わりに、凍矢は地面に落ちた葉を1枚拾い上げた。よく手の平のようだと形容される特徴的な形のそれは、オレンジと緑のグラデーションが美しかった。
「どうすんだ、それ?」
「どうもしないさ」
 手を離すと、葉はひらひらと地面へと帰っていった。
「これはまだ青い。もっと、紅くなったのがいい」
「うーんと……」
 陣は腕を組んで考え込むような仕草をした。
「紅い葉っぱが欲しいだか?」
「ああ」
 だから家の近くの木では駄目なのだ。あれは秋になっても紅くなる種類の木ではない。そのことは、一先ず陣にも納得してもらえたようだ。
「まだあんまし紅くないだな」
「ああ。もう少しだな」
 もう何日かすれば、周囲の木も含めて、山は丸ごと夕陽に照らされたように変わるだろう。
「葉っぱ拾ってどうするだ? 食う……わけねーよな」
 『食欲の秋』という言葉が浮かんだが、もちろんそういうつもりではない。
「そうだな……。本に挟んで押し花にでもするか」
「じゃあ、押し花にしてどうすんだ?」
「台紙に貼って栞にする。上から透明なシートを貼って」
 そう言えば陣は殆ど本を読まない。今年のクリスマスには、陣にも読めそうな本を探して贈ってみようか。いや、それも部屋に飾られてそのまま触れられることのない物になってしまいそうだ。それに、クリスマスまで待っていたのでは、当然、『読書の秋』には間に合わない。
「栞にして、どうするだ?」
「本に挟むさ。栞なんだから」
「挟むのはさっきも聞いただ」
「さっきのは製作過程。今度のは完成品の使い道だ」
「葉っぱの栞が欲しいだか?」
「少し違うが、だいたいはそんなところだ」
「ええー?」
 訳が分からないと眉を顰める陣の姿を、凍矢は見上げた。燃えるような紅い髪のシルエット、それは――。
「自分じゃ案外気付かないのかもな」
 それだけ言うと、凍矢は踵を返した。帰るつもりだ。いい加減、陣が寒そうだ。
「凍矢が何言ってんだか全然分かんねーだわ」
「そうか? オレにはお前の言葉の方が時々難解だと思うが」
 くすりと笑った声に、落ち葉を踏む音が重なった。振り向くと、陣は飛ぶのをやめて地面に降りていた。
「陣?」
 凍矢は首を斜めにした。
 陣にとって、飛ぶことは歩くことと同じくらいに自然な動きだ。意識する必要もない。それが屋外なら、地面に足を着けていないことの方が多いくらいだ。
「どうした?」
 何を聞かれたのか、理解するのに一瞬の間があったようだ。
「だって、よく分かんねーけど、まだ葉っぱ落ちない方がいいんだべ?」
 陣が空を飛べるのは、風の力を用いているためだ。強い風を起こせば、それに吹かれて葉が揺れ、音を立てる。中には本来のその時を待たずして、枝を離れてしまう葉もあるだろう。それを防ぐために、理由は分からないが凍矢が望むなら、と。なんでもないことのような顔をしながら、陣は凍矢の隣に並んだ。
「帰るだか?」
「ああ」
 ざくざくと葉を鳴らす2人分の足音を聞きながら、凍矢はそっと笑った。
 燃えるように紅い葉が辺りを舞い始めたら、凍矢はそれを2枚拾うことに決めた。そして陣の分も――おそらく使われることなく、部屋の装飾品となってしまうのだろうが――栞を作ろう。それを手渡した時、「似てると思わないか?」と尋ねたら、彼は鏡の中にあるその答えに、果たして気付くだろうか。


2012,11,02


一応以前書いたクリスマスネタからの続きですが、別に読まないと分からないって程は繋がってないからいいかと思ってリンク等は貼っておりません。
ご了承下さい。
紅葉って色とか形が陣ですよね。
今年は夏が長くて寒さが一気にきて、秋を実感する期間が全然ありませんでした。
せめて秋ネタを雪が降る前に。
<利鳴>

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