陣凍小説を時系列順に読む


  つまりどちらも甘いという話


 戸が開いて「ただいま」と声がした時には、陣はすでに風を纏って床を蹴っていた。広くはない廊下をひと飛びで通過し、その先に姿を見せた声の主に、彼は躊躇うことなく抱き付いた。そのまま勢いで倒れそうになる2人分の身体を風のクッションで支えながら、「おかえり、凍矢」と言って笑うと、返ってきたのは少し呆れたような声だった。
「陣」
 陣はようやく両足を床へ下ろした。同時に風が収まり、周囲は本来の静けさを取り戻す。そこへ新たな乱気流を起こしたのは、小さな溜め息だった。
「家の中では飛ぶなと言っただろう」
 抱きすくめた身体からようやく離れながら――代わりに両手を凍矢の肩に置いた――、陣は蒼い瞳を覗き込んだ。ずっと凍矢のことを見てきた彼よりも正確に読み取れる者はおそらく存在しないであろうその表情は、決して怒っている風ではない。やはり呆れている。そっちの方が近そうだ。
 「家の中で飛ぶな」とは、すでに何度も言われてきたことだった。彼が操る風に煽られて、何が飛ばされるか分かったものではない。それは当人も承知してはいるのだが、彼にとって飛ぶこととは、常人が2歩の足で歩くこと――あるいは走ること――と違わないほどに自然な行動なのだ。身に付いた習慣をやめるのは、容易ではない。そのことを巡ってもめたことも、実はある。結果、壊れ易い物や飛ばされてしまうおそれがある物の近くでは力を使わないようにする程度の気遣いは出来るようになったが、突発的に動く時等はこの有様だ。それに、陣は知っているのだ。口では「飛ぶな」と言いながら、凍矢は何か新しい物――主に日用品――を置く必要が出来た時に、何よりも強度と重量に重点を置いてそれを選んでいることを。そして、破損が懸念されるような物はひとつの部屋にまとめて置くようにしたらしく、陣は最低でもその部屋でだけ飛ぶことを我慢すれば、被害が出ることはまずなかった。そうしてくれる凍矢の優しさに甘えているという自覚はあった。それでも陣は飛ぶのが好きだし、何よりもその方が速いのだ。
「だって、凍矢に早く『おかえり』って言いたかったから……」
 陣は叱られた子供のような顔をした。長い耳はしゅんと下を向いている。ちなみに、彼が凍矢と離れていた時間は、長く見積もっても半日程度である。たまたま凍矢が魔界に用事が出来たタイミングで、陣には人間界での用事があり、同行出来なかったと、ただそれだけの話だ。それをまるで長い間顔を見ることさえ出来ずにいたように言われて、凍矢は再び溜め息を吐いた。
「お前なぁ……」
 凍矢の右手がすっと伸びてきた。なんだろうと思っていると、それは陣の顔の前でぴたりととまった。少しの“ため”の後、白い指が陣の額を弾いて音を鳴らした。
「あだっ」
「そうやってしおらしくしていれば許されると思っているんだろう」
「あうう……」
 額を押さえる陣の耳に、3度目の溜め息が聞こえる。
「そんなことで万事済まされると思っているなら甘いぞ! カキ氷のシロップよりも甘い!」
「うう……」
 凍矢は開け放ったままだった戸を閉めようと、後ろを向いた。その背中越しに、戸が動く音と一緒に声が聞こえてきた。
「……まあ、許すオレも大概だがな」
「へっ?」
 思わず声を裏返しながら呆気に取られている陣を残して、凍矢はすたすたと廊下を歩き出した。数秒遅れて、陣も慌てて踵を返す。一気に凍矢の正面に飛び出すと、至っていつも通りの表情で「また」と色の薄い唇が言った。凍矢の長い前髪が風に靡いたのを見て、自分が早速屋内での飛行を行ったことにようやく気付いた。やはりほとんど無意識に近い。それでも凍矢の顔に、怒りの感情が浮かぶことはなかった。
「どうした」
 抑揚の少ない口調で尋ねられた。
「えっと、怒んないだか?」
「鳥の鳴き声に安眠を妨げられたからといって、腹を立てても仕方ないだろう?」
「と、鳥扱い……」
「どちらも飛ぶし、似たようなものだろ」
 ふっと息を吐く音がして、見れば凍矢は微笑んでいた。彼はそのままの表情で居間へと姿を消した。
「……大概っつーか、凍矢の方がずっと甘くないだかぁ?」
 陣は首を傾げながら、思わず独り言を零していた。陣が甘いというのは否定しないにしても、それを良しとしてしまう凍矢にも責任の一端があるのではないだろうか。つまり、陣と凍矢、どちらも充分甘いということだ。
(カキ氷より甘い物なんてあったべか)
 陣は頭の中にひとつの映像を思い浮かべた。
「分かっただ。イチゴ練乳のカキ氷だべ」
 結局どちらもカキ氷という話。


2016,08,15


凍矢に白い液体かけたいとかそういう話はしてないので、そういうこと考えた人は深く反省してください(笑)。
<利鳴>

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