陣凍小説を時系列順に読む


  アンカーあるいは切れない糸


「1匹足りないな」
 地面に転がった刺客達の死体を数えながら、凍矢はぽつりと呟いた。それを聞いた時、陣はその後ろで両腕を伸ばして肩の関節を鳴らしているところだった。気持ち良さそうに伸びをしていた表情が、一瞬固まった。
「マジだか?」
「あのでかいのと一緒にいたやつが見当たらない」
「あー、いたような、いなかったような……」
 2人は周囲を見廻した。が、不審なものは何も見当たらなかった。
「逃がしたか……」
 凍矢はふうと息を吐いた。陣も「しまった」というような顔をしている。
 抜け忍である2人を許すつもりがない魔界からの刺客は、ほぼ一定の時間を空けて現れていた。おそらく、任務を果たしたとの報告がもたらされない場合は、数十時間以内に次の刺客が放たれる手筈にでもなっているのだろう。そんなことをするくらいなら、手の空いている者全員で攻め込んできたらどうなのかと――追われる立場であるにも関わらず――いっそ助言してやりたくもなってくるほどそんな状態が続いているのだが、魔忍側にもなにか都合があるのだろう――喩えば、どうしても外すことの出来ない依頼が複数ある、だとか――。融通が利かないと言うか、妙なところで律儀な連中だったなと今更のように思いながら、2人は溜め息を吐く。
 だが、そんな定期的とも呼べるような襲撃のタイミングは、間もなく崩れることとなるだろう。2人が仕留め損ねた敵は、一目散に魔界へと帰り、すぐさま次の追っ手を向かわせるべきだと“上”に伝えるに違いない。それは、もたらされない報告のタイムリミットを待ってからの出動よりも、遥かに早く実行されるだろう。あるいは、そろそろ本格的に決着を付けるべく、戦力を総動員してくるかも知れない。
「移動した方がいいべか」
 陣が言う。「そうなるだろうな」と凍矢も頷いた。
 おそらくは、避けようのない戦いにはなるのだろうが、その時は少しでも先である方が良い。敵が自分達を探すのに時間がかかれば、それだけ体力と妖力を回復するための猶予が長くなる。
 2人が今いるのは、この辺りの海の中では比較的大きな無人島だった。暗黒武術会が行われた島からは、陣の飛翔術で小一時間の距離だ。
 陣は空を見上げた。つられて凍矢も同じ方へ眼を向ける。頭上では、数羽の鳥が旋回を続けていた。
「あいつらもそろそそろ怒ってるかも知んねーしな」
 そう言って、陣は少し笑ってみせた。連日縄張り内で暴れられては、確かに鳥達も腹立たしく思っている頃かも知れない。自分達の保身だけではなく、ただの鳥のことまで気にかける陣の優しさに、凍矢も思わず頬を緩めた。
「よし、じゃ行くべ!」
 陣は準備運動をするように上半身を左右に捻った。そして「こい」と言うように、両手を凍矢に向けて差し出した。この島にやってきた時と同じだ。その手に凍矢を抱えて、2人は飛んできたのだ。
 だが、この時は凍矢は動かなかった。動くのを躊躇っているような表情で、陣の手は一瞥しただけですぐに視線を地面へと落としてしまった。
「凍矢?」
 陣は首を傾げた。ここから移動するのなら、陣の力で飛んで行くしかないはずなのにと、その顔は言っている。そんなことは、凍矢だって承知している。だが……。
 凍矢は黙ったまま、思考を廻らせていた。なんとかして海を渡る方法はないだろうか。あるいは、この島の中にどこか身を隠せるような場所は……。そんなものが存在しないこと等、本当はとっくに分かっている。
「凍矢、どうかしただか?」
 陣が心配するように近付いてきた。俯いた顔を覗き込む。凍矢は、まだ言葉を捜せないままでいる。
「凍矢、飛ぶの嫌いだか?」
 陣は、そんな言葉を口にするだけでも苦しいというような表情で尋ねた。凍矢はすぐさまそれを否定した。そんなことは、一度だって思ったことはない。むしろ、初めて陣に抱えられて空から地上を見下ろした時には、なんて素晴らしい能力なのだろうかと羨望すら覚えた程だ。
 当然のように、陣は「じゃあどうして?」と尋ねてきた。その表情の中にある不安の色は、先程よりも濃い。
「……“オレと”飛ぶのが、嫌だか?」
「違う」
 今度も同じように否定した。その口調は、自分でも驚く程強かった。
「そうじゃ、ない。オレは……」
 陣の不安そうな眼が真っ直ぐこちらを向いている。凍矢はがりがりとこめかみの辺りを掻いた。
「オレは、お前の重荷になるのが嫌なんだ……」
「重荷……? 凍矢ちっちぇえし、全然重くなんてねーだ」
「そういう物理的な話をしているんじゃない」
 本当なら陣は、もっと遠くへ飛んで行くことが出来る。こんな限られた島々の間に限らず、どこへでも、好きな場所へ、好きな時に。それをしないのは、凍矢が一緒にいるからに他ならない。流石の陣でも、ヒト1人を抱えてどれだけ連続で飛べるのかには自信がないのだろう。その所為で、追っ手を完全にまいてしまうことも出来ない――それに挑めない――のだ。
 凍矢は、陣がいないと飛ぶことは出来ない。彼の負担にしかなれない。それが、ひどく歯痒かった。陣の力を使うことを避け続けていても、根本的な解決にはならないのは分かっている。それでも。
 いっそ陣1人でなら、彼はいくらでも“自由”になれるだろう。このまま2人でそれを叶えることは、果たして可能なのだろうか……。
 不意に腕を強く引かれた。先程拒んだ手が、それを掴んでいた。バランスを崩し、倒れそうになった身体を陣に受け止められる。そのまま抱きすくめられるような体勢で、何が起こったのか分からずに停止してしまった。
「……陣?」
 やっと視線を上げると、陣は笑っていた。かと思うと、強い風が巻き起こり、2人の身体はそのまま一気に上空へと運ばれた。凍矢は、咄嗟に陣の肩にしがみ付いていた。結局は陣に縋ってしまわずにいられないのかと、己の弱さが嫌になった。
 先程までいた場所がどこだったのかが良く分からなくなる程まで上昇した頃、ようやく陣は口を開いた。
「オレ、自分で飛ぶのは好きだけど、どっかに飛ばされてっちまうのは嫌いだ」
 陣が何を言おうとしているのかが分からず、凍矢は黙って瞬きを繰り返した。
「きっと、凍矢がいなかったら、どうしていいのか分かんなくて、もうどっかにふらふらって流されてっちまったと思うだ。糸が切れた風船みてーに。行きたいとこがあっても、流されてくばっかりで。そんなの、“自由”じゃねーべ?」
 陣は八重歯を見せるように一層笑うと、不安定だった凍矢の身体を抱えなおした。陣の青い瞳が、ぐっと近くなる。
「飛ばされてっちまわないように、オレは凍矢に捕まえててほしい。船の碇みたいに」
 間近から見詰めた陣の眼は、きらきらと光って眩しかった。それは、陣の言葉に、本心以外のものが一切含まれていないことを証明しているようだった。陣が凍矢を気遣っている様子は、まるでない。本当に、彼自身が望んでいることなのだと、頭以外の胸の奥の方で納得出来た。理屈は必要ない。
 凍矢は、陣の肩に廻した腕に力を込めた。陣は大きく頷いた。
「これなら大丈夫。そのまんま捕まえててけろ」
 凍矢は無言で首を縦に振った。どうしてだろう。胸が圧迫されているような感覚がして、言葉が出てこない。地上よりも気圧が低い所為だろうか。
「オレ達、このまんま戦ってたら、きっと今よりももっと強くなれるだ。そしたら、もっと長く飛んでられるようになるだ」
 そうなれば、2人で一緒にここを離れることが出来る。うまくいけば、追っ手達からも。それがいつになるかは分からない。まだまだ遠い先の話でしかないのかも知れない。だが2人は、その時が来るのを待つことしか出来ない。なぜなら、
「オレは、陣がいないと飛ぶことは出来ない」
「オレも、凍矢がいねーと飛べないだ」
 本当の自由は、おそらく2人の内どちらが欠けても手に入りはしない。今はまだ、仮初の自由の中だ。それでも彼等は、顔を寄せ合い、くすくすと笑い合った。


2014,11,06


凍矢がいるから陣がいて、陣がいるから凍矢がいるのです。
<利鳴>

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