関連作品:リボン、温もり、望まれるもの


  去年の冬とは何かが違う


 窓から差し込む朝陽が眩しい。雲ひとつない、抜けるような青空をガラス越しに見上げながら、死々若丸は襟元をかき合わせて「寒い」と呟いた。
 彼等が人間界に居を定めて2度目の冬は、まだ始まってから長くは経っていない。それでも、死々若丸は早くも「去年の冬もこんなに寒かったか?」と思い始めているようだ。人間は3歳になるまでの間をどのような気候の許で過ごしたかによって、暑さや寒さへの耐性が決まる――つまり、例えば暑い地域で生まれ育った者が成長してから寒冷地に移住しても、その新たな環境に適応するのには限界があるということ――らしいが、自分達妖怪の場合はどうなのだろうかと、鈴木は首を傾げた。
「また気温が下がったな」
 鈴木がそう言うと、死々若丸は頷いた。
「天気はいいのに、何故気温が上がらない?」
 死々若丸は窓ガラスに手をあて、外の様子を伺っている。「解せぬ」と言うように、眉間には皺が寄っている。
 鈴木は、「ちょっと失礼」と言うような仕草をすると、死々若丸の手が触れている窓を解錠して開け放った。途端に、冷たい空気が屋内に流れ込んでくる。「おお寒い寒い」等と言いながら窓を閉めると、「分かり切ったことを何故やる」と、鋭い視線で睨まれてしまった。が、もっと冷たく冷え切っているであろうガラスから、死々若丸の手を離させることは出来たようだ。彼は身震いをすると、両手を擦り合わせ出した。
「放射冷却だな」
 鈴木がそう言うと、「なんだそれは」と尋ねるような視線が向けられた。素直に「教えてくれ」と言わないのは、おそらく彼のプライドだろう。
「太陽がない夜の間に、地上の熱が宇宙に逃げていってしまうんだ。雲があれば、それが蓋の役割をするんだがな」
 そんな状態とは程遠い昨夜の満天の星を思い出しながら言う。
「一度気温が下がってしまったから、今度は陽が出てもなかなか温まらないんだ。まあ、このまま晴れが続けば、昼頃には少しは暖かくなるだろう」
 そして夜には同じ原理でまた寒くなるのだろうが、それを言えばキリがない。鈴木は、それ以上は黙っていることにした。
 死々若丸は「ふうん」と返した。
「凍矢が何かしているわけではないのだな」
 近くに住む氷の妖怪の名を上げながら、死々若丸は憎々しげな眼を外へ向けている。もし、冬の到来にテンションを上げ、妖力を大解放している凍矢の姿がそこにあったら、おそらく彼は剣を片手に外へ飛び出していっていたのだろう。その光景がありありと脳裏に浮かんできて――ちなみにその場合、死々若丸の額には2本の角がはえていることだろう――、鈴木は思わず少し笑った。
 雪が降ったのはそれから数日後のことだった。
 食料等の買い出しに出かけようとしていた鈴木は、死々若丸が同行すると言い出したことにただ驚いた。もとより家事の全般を鈴木がこなしていることに加え、冬の間は特に「寒いから嫌だ」と言って死々若丸が外出についてくることは稀だった――と言うよりは、ほぼなかった――と言うのに……。
「珍しいこともあったな」
 これは雪でも降るだろうか等と思っていたら、用事を済ませた帰り道に、本当に空から白い綿のような物がふわふわと落ちてき始めた。それはあっと言う間に地面を斑模様に描き変えた。彼等の前には、誰の物なのか分からない1人分の足跡が続いている。これを辿って行ったら、いったい何処へ連れて行かれるのだろうか。そんな子供のちょっとした冒険染みたことを考えながら、しかし両手に持った荷物と、彼の後ろを歩く人物がそれを試させてはくれないだろう。
 鈴木は立ち止まり、振り返った。自分の足跡の少し先に、死々若丸がいる。彼は、彼の瞳と同じ色のマフラーに顔を埋めながら、身体を縮めるようにして歩いている。
「おーい、おいてくぞ」
「寒い」
 死々若丸は文句を言うように睨み付けてきた。
「オレに言われても」
 やれやれと吐いた息は真っ白に曇った。
「そんなに寒いのが嫌なら、うちで待っていれば良かったのに」
 それは半ば独り言のようなものだった。今更言っても仕方ないようなそんな呟きは、本人に聞かせようと思って放ったものではない。しかし死々若丸の耳は、それを聞き逃さなかったようだ。少し怒ったように、むっとした顔で近付いてきた彼は、鈴木の鼻先に突きつけるように人差し指を向けてきた。
「お前が付き合えと言ったんだろうッ」
 鈴木は瞬きを繰り返した。そんなことを言った覚えはない。
(……いや、ある)
 「たまには買い物に付き合ってほしいんだけど」。冗談めかした口調で、
(確かに言ったな、そういえば)
 ただし、それはもう1年も前のことだ。去年の冬、死々若丸の瞳と同じ色のマフラーを手渡しながらのセリフだった。言った本人も忘れかけていたことだったのに……。では、彼が寒さを我慢して今こうしているのは、自分のためなのか。そう思うと、鈴木は雪の冷たさが幾分か収まったように錯覚した。
 知らず知らずの内に口元が緩んでいたようで、死々若丸は訝しげな顔をしている。「なんでもない」と首を横に振って、歩みを再開した。死々若丸もそれに続く。
 やがて眼の前に伸びる誰かの足跡が、別の方向からやってきた複数の新たな足跡と混ざり、どれが最初の物だったのか分からなくなってしまった。どうやら撒かれたらしいなと笑いながら、重なった足跡を増やして歩いた。人里離れた彼等の住居に近付くにつれ、人が歩いた痕跡は1つ、また1つと別の道へ消えていった。最後の1つがなくなったのを確認してから、鈴木は辺りの様子を見廻した。人の気配はない。ここまでくれば、死々若丸が姿を変えても誰かの眼にとまるおそれはないだろう。
「死々若」
 下を向いて歩いていた死々若丸は、マフラーと首の間に隙間が出来るのを嫌がったのか、顎は引いたまま、目線だけを上げた。
 鈴木は「入るか」と尋ねながら、上着のジッパーを半分ほどまで開けた。そこに、小さい方の姿の死々若丸なら入り込んでしまえるほどのスペースが出来た。
「オレは湯たんぽじゃない」
 その口調は、少し怒っているように聞こえなくもなかった。が、鈴木は、それが照れを隠そうとしている時の彼の口調なのだと知っていた。
「オレだって防寒着じゃないさ」
 おどけたように返すと、少し逡巡するような顔をした数秒後に、青年の姿が消え、代わりに小鬼のような妖怪が現れた。死々若丸のもう1つの姿だ。首にはちゃんと鈴木手製のマフラーが巻かれている。不思議なことに、元と比べるとずいぶんと短く、つまり、今の死々若丸にちょうど良い長さになってはいるが。鈴木は、「どうして買い物袋とその中身は小さくならないのだろう」と疑問に思いながら、今の姿の死々若丸には大きすぎるそれを受け取った。日頃から鍛えている彼にとって、荷物が1つ増えることくらいはどうということはなかった。
 死々若丸は、鈴木の懐に潜り込むと、顔を半分だけ外に出した姿でそこに収まった。それを見て、鈴木は「よし」と頷いた。
 雪はまだやみそうにない。地面は先程よりも一層白くなっている。道の途中で突然消えた死々若丸の分の足跡は、どう見ても不自然だが、その痕跡も間もなく全て埋め尽くされるだろう。
「今日は鍋にするか」
 そう呟いた息は真っ白で、そのまま上空を覆う雲と同化するのではないかとさえ思えた。
「昨日も鍋だったぞ」
「それじゃあ今日のは味噌味だ。味付けが変われば別の料理だ。シチューとカレーは別物だろう?」
「味噌ラーメンと醤油ラーメンも別か?」
「おっと、そうきたか」
 鈴木が笑うと、死々若丸は「くだらない」と言うように肩を竦めた。しかし、決して不機嫌な様子ではない。むしろその逆だ。それを見ていると『人間は3歳になるまでの間を――』の話を思い出した。全ての妖怪がそうと言えるかどうかは知らないが――そもそも、ひと口に『妖怪』と纏めてしまうのが難しいほどに、彼等は性質も姿形も多様なのだ――、少なくとも、自分達――鈴木と死々若丸の2人――は、まだ新たな環境を受け入れることが出来るようだ――もちろん人間の年齢に換算すると、彼等が3歳未満であるということはないが――。その証拠に、昨年の同じ頃よりも、今年は少し、暖かく感じる。
(特に今は懐の辺りが)
 その暖かさは、少しの重量を持っていて、少し生意気な口調で喋る。
「何をにやにやしている。さっさと帰るぞ」
 鈴木はくすくすと笑った。


2014,12,01


いつぞや書いたクリスマスネタのマフラーと、鈴木の上着から顔だけ出してるちび若を書きたかったので書きました。
わたしの中で鈴木の主夫化が何故かとまりません。
<利鳴>

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