制御不能


 妙に静かだ。そのことに鈴木は気付いた。不気味な声で鳴く魔界の鳥達が、そろってどっかへ飛び去って行ってしまったらしい。他の生き物の気配もない。皆、どこかへ行ってしまったようだ。まるで、大慌てで逃げてゆくように。
(逃げる?)
 その単語は、極自然に彼の脳裏に浮かび上がった。『逃げる』。
(何から?)
 首を斜めに傾けた、その直後だった。不意に巨大な妖気が背後に出現する。反射的に身構えながら振り返った先にいたのは、
「なんだ、死々若か」
 先の暗黒武術会で共に戦った青年の姿の剣士は、やや俯くような姿勢でそこにいた。
 鈴木は眉を顰めた。
「死々若?」
 1つの戦いを終えた彼等は、魔界へと戻ってきていた。大会前から行動を共にしていた習慣で、今もこうして一緒にいる。目下のところこれといった目的は定めておらず、体力と妖力の回復のために――というのを半ば口実に――何をするでもなく時を過ごしているような状態だった。人間界を後にしてから、既に数日が経っている。傷もだいぶ癒えてきて、そろそろ今後のことでも考えようかと思い始めた頃だった。
「どうした死々若」
 死々若丸は答えない。まだ傷を塞ぐ白いテープが痛々しい端整な顔は、鈴木ではなく地面へ向けられている。
 彼は抜き身の剣を持っていた。しかしその刀身は真っ二つに折られている。大会で幻海と戦った時に失われたままだ。もしかしたら修理の催促でもしようと言うのか。だが、それにしては様子がおかしい。
 死々若丸はふらふらと歩み寄ってきた。寝ぼけてでもいるのかと問おうとして、鈴木は彼の表情を覗き見た。そこには、2つの紅い虚ろな瞳があった。
「……死々若?」
 その肩に触れようとした瞬間、死々若丸の右手が風に揺れるように動いた。同時に、鈴木の左肩に一筋の熱が走った。
「……え?」
 何が起こったのか、理解するのに時間がかかった。死々若丸が持つ剣の先端が、いつの間にか赤く濡れていた。同じ色が自分の肩――先程何かが掠めて行った箇所――にも存在している。ようやく斬り付けられたのだと理解した。しかしなぜ……? もし剣が折れることなく元のリーチを持っていたとしたら、確実に片腕毎奪われていた距離だ。
「おい、死々若……? 何の冗談だ?」
 冗談にしてもたちが悪い。
 鈴木はじりじりと後退った。明らかにいつもの死々若丸とは違う。死々若丸はゆっくりと顔を上げた。いや、違う。そこに死々若丸は『いなかった』。彼は今、彼ではない別のものになっていた。
 再び剣を握った右手が動く。鈴木はそれを後ろへ跳んでかわした。
(どうなってるんだ――)
 死々若丸ではない。それは確かだった。いつもの彼の動きと、『それ』の動きはまるで違う。剣の構え方からしても明らかに別だ。修行のために手合わせをしたことのある鈴木には、それがはっきり分かった。しかし姿形は間違いなく死々若丸のそれだ。彼が持つ『気』も、誰かの模造なんかではない。それもまた、自信を持って断言出来ることだった。言うなれば、彼の中に彼ではない誰かが入り込んでしまっているような……。
(操られている?)
 それが一番納得出来る現象だ。今の死々若丸は、完全に肉体の主導権を奪われた状態にある。しかし誰に? 周囲には、他の誰の気配もない。執拗に斬り付けてくる死々若丸と、反撃するわけにもいかず只管回避に専念する鈴木以外には。
「くっ……。死々若! 眼を覚ませ!!」
 振り上げるような軌跡をかわした鈴木の頬に、赤い飛沫が付着する。しかし、鈴木は最初の一撃以外の攻撃を喰らってはいない。それは、死々若丸のものだった。
「死々若!」
 彼の腕は赤く染まっていた。いや、腕だけではない。身体の至るところで、皮膚が裂けているようだ。中には塞がり切っていなかった傷もあるだろう。しかし、その多くは肉体を動かす『力』の大きさに耐え切れずに生じているものだ。元々ダメージが残っていた彼の身体は、それを操る力に負けている。このままでは長くはもたないに違いない。
「くそっ……」
 このままではいけない。しかし迂闊に反撃してしまえば、死々若丸の肉体がどうなってしまうか分からない。叩くなら、本体だ。
(死々若を操っている本体……)
 それを見付けなければならない。
 死々若丸は、鈴木の懐に飛び込むように深く踏み込んだ。次の動きを予想して動いた鈴木の間近に、光のない瞳が瞬時に迫る。
「しまっ……」
 なまじ死々若丸の姿をしている所為で、つい彼の攻撃のクセに合わせた動きをしてしまう。長いリーチを有する死々若丸は、敵との距離を縮めすぎれば逆に攻撃出来なくなる。この距離は、普段の彼ならありえない間合いだと言えるだろう。鈴木の読みは完全に外れた。
 まともにバランスを崩し、致命傷こそ避けたものの、剣先は鈴木の脇腹の皮膚を裂いた。立て直そうとするが、走る激痛に邪魔をされる。
(まずい)
 死々若丸の手が高々と振り上げられる。そのまま刀身が振り下ろされることを、鈴木は覚悟した。しかし、彼に与えられた衝撃は、こめかみの辺りを柄で強打したそれだった。
 流れる血に視界を半分奪われながらも、彼は見た。なぜ斬り付けてこなかったのか。その答えがそこにはあった。近付きすぎたのだ。長い剣では攻撃出来ないほどに。折れて短くなっていたはずの剣は、完全ではないにしろ、その刀身を取り戻していた。最初の一撃よりも、明らかに長くなっている。
(気を吸って変形する剣……。なるほど、お前か!)
 追い討ちをかけようとする死々若丸に向かって、鈴木は砂を蹴り上げた。剣を振る動きが僅かにとまる。その一瞬の隙をついて、距離を取る。すぐさまその後に続いてきた死々若丸の剣先が、鈴木の腹部に突き刺さった。
 口の中に血の味が広がる。眼の前には死々若丸の眼。どこもかしこも、赤で埋め尽くされているようだ。
「は……なせ」
 鈴木は手を伸ばし、死々若丸の手に重ねるように剣の柄を握った。そしてそのまま、躊躇うことなく自分の方へ引き寄せた。刀身が、さらに深く鈴木の体内へと潜り込む。
「……返して、もらうぞ。お前にはやらない……。死々若を離せ」
 その言葉を受けて、死々若丸の視線が揺らいだ。かと思うと、傷だらけの手は剣から離れ、ふらりと身体が傾いた。鈴木は咄嗟にその腕を掴み、強く引いて抱きとめた。危うく自身も転倒しそうになるが、もう少し、倒れるわけにはいかない。血溜りに足を滑らせながらも、なんとか地面に腰を下ろすことに成功した。死々若丸の身体をその胸に抱いたまま。
「燃料不足で暴走か。持ち主の身体を乗っ取るとはな……」
 鈴木が死々若丸に作ってやった剣――死々若丸は『魔哭鳴斬剣』と名付けていた――は、本来はその刀身を持たない。持ち主の『気』を餌にして、初めて剣の姿を得る。そんな道具だった。しかし、その使い手である死々若丸の妖力の消耗により、自己修復すらままならない状態が続いた結果、剣は自ら主人を動かし、その妖気を奪い、さらに足りない分を手近な妖怪――即ち鈴木――から奪おうとしたのだろう。
「とんだ下克上だ。誰だこんな試作段階の武器を持たせたのは」
 冗談を言っている余裕はまだあった。その力を振り絞って、鈴木は死々若丸をそっと地面に降ろした。残った全ての妖力を腹部の傷の回復に当てながら、腹に刺さったままの剣をゆっくりと引き抜いていく。大量の出血からは免れなかったが、彼は人間ではない。ぎりぎりではあるが、しばらくじっとしていれば動けるようになるはずだ。しかも、どうやら急所は外れているらしい。
(いや、外してくれたのかもな)
 横たわる白い顔に眼を向けると、血の臭いに表情を歪めるように、目蓋が動いた。ゆっくりと開かれた眼に、鈴木はいつもの死々若丸を見付けた。
「お帰り」
「すずき……?」
 死々若丸の眼が忙しなく動く。血まみれの鈴木。地面に投げ出された赤い剣。自分の両手。どうやら、おぼろげにではあるが剣にその身体を奪われていた間のことは記憶しているらしい。より一層血の気を失って、傷だらけの顔が蒼褪める。
「あ……、鈴木……。オレ、は……」
 人差し指を伸ばして、鈴木は死々若丸の唇に触れた。見開かれた眼に向かって微笑んでみせる。
「少し、静かにしてろ。傷に障る。お前のな」
 鈴木はゆっくりと体重を移動させて、仰向けに寝転んだ。傷は本当に少しずつではあるが、塞がり始めている。
「大丈夫だ。死ぬほどではない。ぎりぎりな。はは。日頃の行いがいいからかな」
 冗談を言ってやると、死々若丸の唇が戦慄いた。何かを堪えているようだ。
「泣くな」
「誰がッ!!」
 否定した死々若丸の手は、しかし僅かに震えていた。鈴木はそれに気付かなかったふりをした。
「お前も休め」
 腕を持ち上げ、手招きのような仕草をする。
「おいで」
 子供か小動物でも呼ぶかのような口調に、死々若丸は少しむっとしたようだった。が、すぐにその表情は彼の姿毎消え、代わりに小さな鬼のような姿の妖怪がそこにいた。死々若丸のもう1つの姿だ。彼は躊躇うようにゆっくりと、鈴木の胸に擦り寄ってきた。
「少し休んで、動けるようになったら、剣を修理しよう」
 「な?」と促すと、死々若丸は小さな両手で鈴木の服にしがみ付きながら、僅かに頷いた。それから2人は、そろって眼を閉じた。


2014,03,05


ここで蔵馬が出てきてこんにちは♪ な展開にすると、過去に書いた陣凍と丸被りなのでやめました。
申し訳ないけど2人には自力で回復していただこうと思います。
<利鳴>

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