陣凍小説を時系列順に読む


  ハッピーエンドのその先まで


 一体どこからこんなに集まってきたのだろうかと首を傾げたくなるような人込――否、語呂は悪いが『妖怪込』とでも言った方が意味的には正しいだろうか。魔界統一トーナメントはもう終了したというのに、まだ余韻に浸っていたいとでも言うように消えようとしないその群れからは遠い丘の上で、凍矢は1人、会場の方向へは背を向けて静かに立っていた。
 眼下に広がるのは薄暗い魔界の大地。光を求め、表の世界へと旅立つ前と変わらない景色。しかし、それを眺める彼の心はあの頃とは違う。何が違うのかと問われれば、それはまだ分からないとしか答えようがない程僅かで不鮮明ではあっても。
 トーナメントには敗れたが、凍矢の心にはどこか晴々とした気持ちが広がっていた。以前では、こうして己の力を試すことさえ出来なかったのだから、そのことを思えば勝敗等と言う物は、あまりにも小さなことに思えた。凍矢の仲間達――戦友と呼ぶ方が相応しいかも知れない。その方が照れ臭くもない――も、大きな結果を残せずに敗北してしまったのだが、それでも皆それなりに納得しているような顔をしていた。
(この気持ちはなんだ……?)
 自分がこんな穏やかな気持ちになるなんてことは、魔忍でいた頃では想像さえ出来なかった。
「随分と幸せそうな顔をしているな」
 不意に投げかけられた声に振り返ると、そこにはもう恐らく顔をあわせることもないだろうと思っていた人物が立っていた。
「吏将っ……?」
 凍矢は驚きのあまり、咄嗟に警戒することさえも思い付かなかった。だが驚いたのは、吏将が不意に現れたことに対してばかりではない。それよりも勝っているものがあった。吏将の妖気に、だった。吏将は戦闘体勢には入っていない。それを抜きにしても、唖然としてしまわざるを得ない程の力の差を感じる。吏将が凍矢よりも強いというのではない。全くの逆だ。凍矢の妖力は、吏将のそれを遥に上回っていた。そしてそれは、過去の自分の姿でもあった。
(こんなに小さな力だったのか……)
 これでは警戒心を持とうという気すら起こらない。
「何故ここに……」
 凍矢は尋ねた。
「それはこちらの台詞だな。人間界に残ったのではなかったのか?」
 吏将は、最後に会った時と変わらず不適な笑みを浮かべている。
「……“帰って来た”わけではない。“来た”んだ……」
「成る程。またあちらへ“戻る”というわけか?」
 凍矢は少し考えてから答えた。
「まだわからない」
 そう、わからない。暗黒武術会で蔵馬に問われた時と同じだった。
 「表の世界で何をするのか――」正直分からないのだ。表の世界で、何をしていけば良いのか。この1年あまりは、魔界からやって来る刺客との戦いで、他のことを考える余裕がなかった。仕方がないと言えば、立派な言い訳位にはなるかも知れない。それでも、1年も戸惑ったままでいるというのは、あまり良い気分ではない。このままで本当に表の世界で何か目的や意味を見付け出してやっていけるのだろうかという疑問は、頻繁にではなくても持たざるを得ない。
「陣はどうしている?」
 吏将が尋ねてきた。
「……あまり変わっていないな。強くはなったが」
 凍矢が答えると、吏将は顔を歪めるように笑った。
「やはりまだくっ付き合っているのか、お前等は」
「なっ……」
 凍矢は僅かに赤面した。
 吏将はくっくと笑っている。
「まあ、どうでもいいことだがな」
 僅かな沈黙が辺りを支配する。それを打ち消すように、今度は凍矢が尋ねてみた。
「……爆拳は……一緒ではないのか?」
「こちらに戻って以来、会っていない」
「そうなのか?」
「お前等と一緒にするなよ。どうしてわざわざオレがあんなやつに会ってやらなければならないんだ」
 ではここへ来たのは何なのだとは聞かずに、先を話させる。
「一度反乱を起こした者達を近くにおいておくと、何を仕出かすか分からんといったところだろうな。任務があってもやつと重なることはなかったな」
「そうか……」
「それに」
 と、吏将は続けた。
「魔忍は解散した」
「!?」
 凍矢は我が耳を疑い、次に吏将の言葉を疑った。
「今なんと……」
「魔忍は既に存在しない」
 吏将は最終宣告とでも言うようにきっぱりと言った。
「もう必要がないと言うことだろう。考えてもみろ。国家は解散され、魔界は新たな統治者を得た。オレ達魔忍を必要とする者がいるか?」
 元々彼等魔忍は、魔界の勢力争いの中での活動が主だった。それが今回のトーナメントで、皆納得の上で統一された以上は、以前のように激しい争いが起こるとは考え難い。次の大会が行われ、別の者が優勝すればどうなるかは分からないが、恐らくこのまま同じ様な統治の仕方を続けていくのではないだろうか。魔界は魔界なりに平和を望んでいるに違いない。そうなれば、魔忍の力はもう必要とはされない。
「もうお前等を追う者はいない。まあ、私怨までは知らんがな。自由にすればいい。これがお前が望んだものなのだろう?」
 言い終わると、吏将はくるりと踵を返した。
「どこへ?」
「さあな」
 吏将はふっと笑って肩を竦めた。
「わからんさ」
(そうか……。吏将、お前も……)
 戸惑っているのだろう。突然“自由”の中に放り込まれ、どこへ向かえば良いのか分からずに。
 その答えを求めて、先に自由を追って行った凍矢の前に現れたのだろう。
 しかし凍矢はその答えを差し出してやることが出来ない。2人は同じなのかも知れない。何か変われたと思った。しかしそれはそう思い込んでいただけだったのかも知れない。そうでありたいという願望に過ぎなかったのかも知れない。
「……すまない」
 気が付くと謝罪の言葉を口にしていた。
 国家解散に多少なりとも関わっているだけに、責任を感じてしまう。覚悟を決めて魔界を出ていった自分は良い。だが、そうでない者は……。
「なんのことだ?」
 振り返らずに問う吏将の表情は見えない。しかし、その静かな口調が凍矢の予想が全くの見当違いではないことを物語っているように思えた。
「オレは……っ」
 去ろうとする背中に向かって叫んだ。
「まだ何も見付けられていないかも知れない。まだ何も変われていないかも知れない。それでも、きっと変われると信じている!」
 だから吏将も……。
「何を可笑しなことを……」
 吏将は今度は振り返って言った。
「変わっていない? お前が? そんな緩みきった顔、見たことがないぞ」
 皮肉っぽく口許を歪ませる。
「今のお前が変わっていないと言うなら、変われるものなんて存在しないのだろうよ」
「吏将……」
 それは、吏将なりの励ましなのかも知れない。
「オレはもう行く。どこかへな」
 吏将は再び背を向けて歩き出した。
「陣には会っていかなくていいのか?」
「やめておく。あの単純馬鹿なら、会うなり殴りかかって来かねん」
 それからはもう立ち止まりも振り返りもせずに、吏将は去っていった。その後姿は、何故か少し満足そうに見えた。
 吏将の気配が完全に消えてから、風向きが急に変わった。魔界に似合わぬ澄んだ空気が流れてくる。視線を巡らせると、陣が此方へ向かって飛んで来るのが見えた。
「とーやーっ」
 陣は凍矢の姿を見付けると、大きく手を振った。凍矢の正面に着地すると、辺りをきょろきょろと見回した。
「こんなところで1人で何やってんだ? なんかあるだか?」
 どうやら吏将がいたことには気付いていないらしい。
 凍矢は首を振った。
「なんでもない。少し景色を見ていただけだ」
 こんな景色を見て何が楽しいのかと言うように、陣は「ふーん?」と首を傾げた。
「あ、早く戻るべ。みんなそろそろこれからどーすっべかって話してるだ」
「分かった」
 凍矢は陣の後に続いて歩き出した。途中、もう姿は見えないのを承知で、吏将が消えて行った方を振り返った。
「とーうやぁー? 何してるだー?」
「あ、ああ。今行く」
 小走りに陣に追い付く。
「どうかしただか? 戻りたくないだか?」
「そうじゃあない。なんでもないんだ」
 それでも陣はやや訝しげな顔をしている。
「なあ、陣……?」
「ん?」
「……」
 凍矢はやや考えるように言った。
「これで、良かったんだよな……」
 答えを求めて尋ねたのではない。大体、こんな聞き方では陣は何を聞かれているのかも分からないだろう。強いて言えば自分でそうだと信じる為の独り言のようなものだった。だから陣が、
「なんのことだかよくわかんねーけど……」
 と答えても、落胆はしなかった。
(少し弱気になってみただけだ)
 凍矢は軽く首を振った。
「すまない。なんでもないんだ。忘れてくれ」
 しかし陣が続けた言葉に、思わず足を止めてしまった。
「なんのことだかよくわかんねーけど、凍矢が一緒だったらなんでもいいだ」
 屈託なく笑って言う。
「お前は……っ」
 どうして真顔でさらりとそんな台詞が言えるのだと、凍矢は心底思った。
「そういう台詞を軽々しく誰にでも吐いていたら、そのうち要らぬ誤解を招くぞっ」
 しかし陣は両腕を頭の後ろで組んで、「あはは」と笑った。
「だいじょーぶだっちゃ」
「その根拠は?」
 「だって」と陣は言った。
「『軽々しく』『誰にでも』なんて言わねーから」
「…………そ、れは……」
 つまり自分は特別だと言いたいのかと尋ねそうになった。が、「違う」と言われても「そうだ」と言われても、どんな顔をして良いか分からない。代わりに、少し紅くなった顔をフイっと背けた。
「あれ〜? どーゆー意味だって聞かないだか?」
 陣はからかうように言った。
「聞かない」
「ふーん。聞いてくれないんだぁ?」
「聞いてやらない。言いたければ勝手に言え」
「い〜んや、やめとく〜」
 凍矢は「まったくこいつは……」と頭を抱えた。
 だが、不思議と信じ直すことが出来た気がした。
(これで、良かったんだよな……)
「凍矢っ。みんなのとこまで競争っ」
 唐突に陣が言った。
「はあっ!?」
「負けた方は罰ゲームっ。酎の酒瓶の中身を水に摩り替えてくるっ」
「どこで覚えてきたそんなことっ」
 恐らく余計な悪知恵を付けさせたのは幽助あたりだろう。
「オレはやらんぞ。お前、オレを連れ戻しに来たんだろっ? それなのにおいて行ってどーするっ」
「おいてくんじゃあなくて、競争っ」
 言うや否や、陣は風を纏って飛び出した。
「おいっ」
 しかし止まろうとしない陣に、凍矢はやれやれと溜め息を吐いた。陣の飛翔術に追い付けるわけはないと開き直り、静かに歩き出す。
(……そうだな……。なんでもいい……そういうのもいいかも知れない……)
 だって陣はあんなにも自由を楽しんでいるではないか。凍矢は、吏将にそう言ってやりたいと思った。
(吏将はオレよりも陣に会っていくべきだったな)
「とーぅやってばぁー!」
 気が付くとまたしても足を止めて振り返っていた凍矢に痺れを切らしたのか、陣は一直線に飛んで戻って来た。
「しょーぶする気あんのかぁ?」
「だからないと言っているだろう」
「ノリ悪りぃなぁ」
 拗ねた子供のように頬を膨らませる陣の様子が可笑しくて、凍矢は思わず笑った。
「どうしてもと言うなら、ルールを設けさせてもらおう」
「ほえ?」
「風はなしだ」
 悪戯っぽく笑うと、凍矢はぱっと駆け出した。
「うえぇっ!? それじゃあ凍矢の方が絶対早いべっ!」
 ずるいと喚きながら、陣も慌てて駆け出す。
 難しく考えるよりも、走り出した方がいい。きっと意味は後から追いかけてくるから。吏将や、他の元魔忍達にも、分かる日が来るといい。そう願いながら、凍矢は走った。
 後ろから風が吹いてきた。陣め、風を使ったなと振り返ると、ちょうど追い付かれたところだった。陣はそのまま凍矢に飛び付いて来た。
「つーかまえたっ」
「妖力を使ったな。反則だぞ」
「元はと言えば凍矢が勝手にいなくなるからいけねーんだぁ」
「お? 反則の次は責任転嫁か?」
「あ゛ー、もう、分かった。オレの負けっ」
 理論武装で凍矢に勝てるわけもなく、陣は拗ねたように言った。
「負けた方は罰ゲーム……だったか?」
 凍矢はくすくす笑って言った。
「ぐっ……」
「お前が言い出したんだからな」
「う〜……」
「ただし、内容は変更させてもらおうか」
「?」
 陣は「また?」と言うように首を傾げた。
「オレの言うことを1つ聞いてもらうぞ」
「えー、何だべか。なんかこえーなぁ」
「そう身構えるな。言い難くなるだろ」
「じゃあ早く言ってけろ。オレ、何すればイイだ?」
 凍矢はすっと手を伸ばして、陣の腕に触れた。
「一緒に行こう」
「んーっと、どこに?」
「どこだっていい」
「???」
 陣は首を傾げる。
「なんだっていい。……お前が、一緒なら」
「それ……って――」
 陣は少し驚いたように瞬きを繰り返した。
「どう言う意味か聞かないのか?」
 凍矢は少し意地悪く笑った。
「じゃあ聞くっ。どーゆー意味だっ?」
「言わない」
「えええええッ!? ずりぃ!!」
「聞いたら答えてやるとは言っていないぞ。お前の解釈に、任せる」
「ずるいーっ!」
 それでも凍矢は涼しい顔をしている。本当に言う気はないようだ。
「ほら、戻るんだろう。さっさと行くぞ」
「むーっ」
 暫く行くと、前方から人影がやって来るのが見えた。
「あ、酎達だべ」
 どうやら凍矢を探しに行った陣までもがなかなか戻って来ないので、痺れを切らしたらしい。
「遅いから探しに来たな」
「あちゃー。怒られるだかな」
「かもな」
 凍矢は振り向き、にやりと笑った。
「逃げるか?」
「へっ?」
 一瞬きょとんとしたが、陣も笑った。
「んだ! 逃げようっ」

 いつの間にか何処かへ行ってしまった凍矢と、それを探しに行った筈の陣がいつまで経っても戻って来ないので、仕方なく2人の妖気を辿って来た4人の頭上を、凍矢を抱えた陣が風を操って飛んで行く。いかにも楽しそうな笑い声を上げながら。呑気に手まで振って。
「おいっ!? お前等!?」
 わざわざ迎えに来てやった筈なのに、通り過ぎられてしまう。
「ねえって、ちょっと、どこ行くのさー!?」
 慌てる鈴駒の横で、死々若丸が呆れた顔をする。
「逃げたな」
「折角探しに来てやったのに」
「陣に任せるんじゃあなかったな」
 続いて、酎と鈴木も溜め息を吐く。
「どーすんだよ、あいつら」
「まあ、急ぎの予定はないからな。暫くはオレ達ものんびりするのもいいかもな」
「お、じゃあ癌陀羅に乗り込んで酒盛りしよーぜ!」
「酎はホントにそればっかりだなぁ……」
 飛んで行った2人を追うように、4人も癌陀羅へと今来た道を戻り出した。
「でも2人とも楽しそうだったよね」
 鈴駒の言葉に、異論を唱える者がいる筈もなかった。


2007,10,28


吏将完璧噛ませ犬です(笑)。
原作後は2人で色々旅して回ったりしながら幸せに暮らしてて欲しいです。
人間界で同棲(笑)とかしててもいいです。
<利鳴>
陣さんが随分可愛らしい方でニヤニヤしました(危)
普通なら凍矢さんに萌えっと来る所なのかもですが、
セツのツボは陣さんでした。お前可愛いぞ。
同棲すれば良いよ、同棲。
同居じゃなくて同棲(同じくツボった)
<雪架>

【戻】


inserted by FC2 system