陣凍小説を時系列順に読む


  How to Fly


 蔵馬と並んで歩いていた幽助がその姿を見付けた時、陣はいつものように――と言っても、人間界にいる時はその限りではないが――、空を飛んでいた。皮膚をざらりと撫でる乾き切った魔界の風を纏いながら、しかし彼の表情は嘘のように明るい。幽助が「おーい」と声をかけながら手を振ると、それに気付いて青い瞳がこちらを向いた。
「幽助! それから蔵馬も!」
 「こんな所で何をしているんだ」と尋ねようとすると、ほぼそのままの言葉を口にしながら、陣は地面に降りてきた。
「こんなとこで何してるだ?」
「オレだってこっちに用事があることくらいあるんだよ」
「右に同じく。煙鬼と情報交換とかね」
「今はもう帰りだけどな」
「陣はひとりですか? 今日は凍矢は?」
 からかい半分の2人で1セットのような扱いに気分を害した様子もなく――むしろ何も気付いていないようだ――、陣は歯を見せるように笑った。そんな表情は、常に彼の相棒である凍矢の横にあるのが普通なのだと幽助は認識していた。だが、今は小柄なその姿は近くにはない。
「オレも凍矢も、今日は別々に仕事だっただ」
「へえ、珍しい」
 きっと、陣に与えられたその仕事は、彼の飛翔術が必要な内容だったのだろう。凍矢がそれに同行することは出来ないが――陣なら抱えて飛ぶとでも言いそうだが、それでは仕事の効率が悪くなる――、どうせ彼も魔界まではついてくるつもりなのだろうと読んだ煙鬼が、暇を持て余すことのないようにと別件の仕事を与えることにした。おそらくはそんなところか。
「オレの方が先に終わったみたいだから、これから迎えに行くとこだっただ」
 陣は先程まで目指していた方角を指差した。なるほど、ではこの笑顔は“フライング”なのかと納得する。と同時に、幽助はこっそり苦笑を噛み殺した。隣を見ると、蔵馬も拳を口元に当てて表情を隠そうとしている。
「オメー等も凍矢に会ってくだか?」
 幽助と蔵馬は元より、そして陣と凍矢も今は人間界に生活の場を置いている。それでも人間として町の中で暮らす幽助達と、山の中に作られた小さな家で寝起きする陣と凍矢が顔を合わせる機会は多くはない。
「オレは近い内に視察の予定があるので、その時でいいです」
「視察?」
「人間界に住む妖怪達が問題を起こしていないか定期的にチェックするのはオレの仕事のひとつですから」
「家庭訪問か」
「そんなところです」
「幽助はどうすっだ?」
「あー、どうすっかなー」
 陣は、顔を見せていって欲しそうな様子だ。かつて魔界の深部で暗殺や傭兵業を生業としていた彼は、それから解放され、顔を合わせて取るに足りない世間話をすることが出来るだけの交友関係がある――それを持てる――現状が嬉しくて仕方ないのだろう。そして凍矢もきっと同じだと考え、彼が喜ぶのが自分の喜びでもあると感じている。だからここで幽助が「そうだな、せっかくだから挨拶くらいしていくか」と答えれば、陣の笑みはより明るくなるのだろう。だが幽助も、残念ながら暇で暇で仕様がない部類の人間ではない。
「夜から仕事なんだよなぁ」
「ラーメン屋の?」
「そう。今書き入れ時だからな。そろそろ戻んねーと時間が……」
「そんなの、飛んでったらすぐだべ」
 陣は何でもないことのように言った。もっとも、彼に取っては本当に何でもないことなのだろうが。
「あのな、オレはオメー等みてーに飛び廻ったり出来ねーんだって」
「オレだって自力で飛べるわけではないですよ。飛行植物を持ち歩いていないことだってあるし。今とかね」
「したっけ、オレが運んでやろーか?」
 やはり何でもないように提案され、幽助は眉を顰めた。確かに、陣が抱えて飛んでくれるなら、移動にかかる時間は短縮されることになるだろう。それなら凍矢に会って行くことも不可能ではない。しかし、
「でもあのお姫様抱っこはなー」
 それは勘弁願いたいという気持ちと、揶揄する気持ちの両方で口元を歪めながら言うと、陣はわずかに首を傾げて不思議そうな顔をした。
「んなことしなくても飛べっだよ?」
「え? そーなのか?」
 幽助が飛行中の陣の姿を目撃する時、数回に一度の割合で彼の腕の中には凍矢の姿があった。それを見て、両手が塞がって不便ではないのだろうかと思う反面、両者共がきちんと両方の手で掴まえて――掴まって――いられるその体勢が、ヒトを抱えて飛ぶ時のベストな形なのだろうと思っていた。同時に、自分ならちょっとパスだな、とも。しかし陣は、今あっさりと「必要ない」と言い切った。
「じゃあ、どうやって飛ぶんだ?」
「え? ふつーに」
「お前の普通が分かんねーんだって」
「たぶん、何かを浮かせようとする時に、陣がそれに触れている必要はない。そういうことなんでしょう?」
 蔵馬が尋ねると、陣は「うん」と頷いた。
「そうなのか?」
「そもそも陣が飛べるのは“風”を操っているからです。オレが自分で飛べないのと同じで、陣も、何も使わずに飛んでいるわけではない。じゃあ、陣のコントロールが及ぶ範囲が、彼の周囲だけではなく、ある程度離れた場所まで含まれるとしたら?」
「ええっと……」
 同じように、蔵馬の場合に置き換えて考えれば分かり易いだろうか。飛行植物に自分以外のものを飛ばせるのと同じで、陣も風に他者――あるいは物――を飛ばせるように――分かり易く言うと――命令出来ると、そういうことだろうか。
「陣」
「ん?」
「そこの石を浮かばせることは出来る?」
 蔵馬が指差したのは人の拳ほどの大きさの――何の変哲もない――石だった。普通の風に吹かれて飛ぶほど軽い物ではなさそうだが、陣の力を持ってすればそれは簡単だろう。幽助がそう思っていると、やはり陣はあっさりと頷いた。
「どんくらい?」
「じゃあ頭の上くらいに」
 耳のすぐ傍で風が鳴った。かと思うと、蔵馬が指定した石は、もう地面を離れている。それは遠くに飛んでいってしまうことなく、かと言って地面に落下するでもなく、3人の頭より少し高い位置に浮いている。まるで手品のような光景だ。
「下から上へ吹く風で石を浮かせて、横方向へずれないように周囲に抑える向きの風を吹かせる。これだけ近くにいるのに、それほど強い風を感じないのは、極狭い範囲……必要最低限の範囲にコントロールを抑えているから。そうでしょう?」
 言われてみれば、石をひとつ宙に留まらせるだけの風が吹いているわりには、幽助が感じるのは精々髪や衣服が煽られる程度の風力だ。陣が飛んでいる時も、その横にいる人物が吹っ飛ばされるなんてことは一度も起こっていないことを今更のように思い出した。むやみに強風を起こすだけではなく、実はかなり精密にその力を操っているということか。本人が至って大雑把な性格をしている分、それはずいぶんと意外なことに思えた。
「んー、よく分かんねーけど」
 幽助が素直に感心しているというのに、陣はそんなことを言った。いや、逆に意識せずともそれだけのことが出来るのだと考えるべきか。きっとそれは、一朝一夕で習得出来る技ではないだろう。
「陣、もういいですよ。降ろしていいです」
 ぴたりと風がやみ、石は音を立てて地面に落ちた。
「つまり遠隔操作くらい簡単ってことだな?」
「自分も飛んでっと、あっちもこっちもそれぞれでやんなきゃなんねーから、ちょっとめんどくせーけどな。やってやれないことはないだ」
 術のコントロールが複雑になるということを言いたいらしい。
「落としちまってもいいもん以外は、一応手で掴んでるくらいはすることにしてるだ」
「賢明ですね。つまり、幽助が一緒につれて行って欲しいなら、陣と手を繋いでいる程度で大丈夫ってことですね?」
「んだ。自分の手が伸びてってその先まで広がってる感じで、そこまで風を広くするだ」
 言わんとしていることは少し分かる――ような気がする――。人とぶつからないように歩く時、傘を持っていたらその分間隔を広く取るようなことだろうか。
「あれ、でもじゃあ……」
 幽助は凍矢を抱えて飛ぶ陣の姿を思い浮かべる。2人の身体はぴったりとくっ付いている。その気になれば遠隔操作すら可能だが、コントロールの範囲は狭ければ狭いほど負担が少ない。そういうことだろうかと納得しかけた時、
「今の、凍矢には内緒な」
 陣は人差し指を立ててそう言った。
「へっ?」
「凍矢はそれ、知らないだ。ちゃんと掴まってないと落ちると思ってる。ずっとそうやってしか飛んだことねーから」
 ぽかんとしている幽助の横で、蔵馬はやれやれと笑っている。
「つまり、“そういうこと”ですよ」
「気付いてたのか」
「なんとなくですけどね。出来ないはずないだろうに、とは」
「ぜってー凍矢に言ったら駄目だかんな。言ったら山の向こうまでぶっ飛ばすだ」
 陣は笑顔で言った。表情だけ見れば、それは無邪気な子供のようだ。が、不思議と冗談を言っているようには聞こえなかった。きっと彼は“そうなれば”本当にやるだろう。
(やっぱりこいつ、魔界の妖怪だ)
 幽助は引き攣った笑いを返した。
「でも陣、幽助を連れて飛んで行ったら、凍矢にバレるんじゃありませんか?」
 蔵馬が言うと、陣は「あ」と口を開けた。幽助が手を掴んでいる程度の状態で陣と一緒に飛んでいるのを凍矢が見たら、当然バレる。かと言って凍矢と同じ飛び方は幽助が拒否する。凍矢の眼が届かない場所で早めに着地するにしても、帰りはどうするのか。凍矢だけ“いつも”の“専用席”で、幽助は手に掴まる。これでもバレる。では凍矢を抱えた陣の背中にしがみ付くか。なんとも窮屈そうだ。
「なんかややこしいことになりそうだから、オレも遠慮しとくわ」
 陣は少し残念そうな顔をしたが、彼の中の天秤はどちらを優先すべきなのかをはっきりと示したようで、「でも」と言おうとはしなかった。幽助が近い内に人間界の住まいに訪ねて行くことを約束すると、それで満足したようだ。
「じゃ、オレは帰りますから」
「オレも」
 幽助達が歩みを再開しながら手を振ると、陣も上空へと戻って行った。その姿は、あっと言う間に見えなくなった。
「あいつ、意外と計算高いのかねぇ」
 幽助がぽつりと言うと、蔵馬は少しだけ首を傾けた。
「どちらかと言うと、野生の本能ですかね」
「ああ、なるほど、そっちな。じゃあ凍矢の方は意外と天然ってことか」
「どうでしょう」
「へ?」
 思わず視線を向けた先で、蔵馬は意味ありげな顔をしていた。
「おいおい。実は凍矢も気付いてるってか? それは……」
「ありえませんか?」
 幽助は少し考えた。そして、
「いや、分かんねー」
「でしょ」
 きっと知らないでいる方がいいこともあるのだ。そう思うことにして、幽助は家路を急ぐことにした。


2016,03,27


ふたりで一緒に飛ぶって陣凍では定番のネタだと思うのですが、具体的にはどういう体勢なんだろう。
やっぱりお姫様抱っこですかね? と思いながら書きました。
でも陣が自由自在に風操れるなら、本当は接触している必要すらないのではないかしらと思うのです。
あえてそのことを黙っている陣が書きたかった。
実は100%無垢じゃあなくたっていいじゃない。妖怪だもの。
<利鳴>

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