陣凍小説を時系列順に読む


  消えない力


 悲鳴を聞いた――ような気がした――。それが聞き慣れたその声でなかったら、ただの気の所為だろうと、気にも留めなかったかも知れない。
「……陣?」
 返事はない。
 単純に、何かに驚いたような――ちょっと足を滑らせ、段差を踏み外した程度――、そんな悲鳴だった。
(足を滑らせて踏み外す? 陣が? 地面に着いてもいない足を?)
 凍矢は自分の発想に対して苦笑を浮かべた。陣は日頃から落ち着きなくふわふわと宙に浮いているのが常だ。陣にとって、地面の状態の悪さなんてものは、ないに等しい。とりあえず、この可能性はないなと、凍矢は首を振った。しかし、敵に遭遇して負傷した――あるいは不意打ちを受けた――というような悲鳴でもなかった。そもそも、周囲に敵意を持つ者の気配は全く感じない。余程上手く気配を消しているのでもない限り。もしそうなのだとすれば、陣に見付かって声を上げられたというのは矛盾している。そして、その敵がすでに姿を見られているにも関わらず今もなお気配を消し続けるという無意味なこともしないだろう。やはりこの可能性も極めて低い。
 それでも凍矢は一応警戒し、声を潜めて再度呼びかけてみた。
「陣?」
 やはり返事はない。
 凍矢の声が届かない遠くにいるのだろうか。そういえば、陣の妖気もかすかにしか感じ取ることが出来ない。それ程の距離があるのだろうか。
(そのわりには声は近かったような……)
 声の方を信じるなら、近くにいるにも関わらず、妖気をはっきりと感じ取れないということになる。やはり敵と遭遇したのだろうか。陣も敵も、お互いに気配を消し、攻撃の機をうかがっているのだろうか。
(いや……)
 凍矢は再び首を振った。
 そうなのだとしたら、陣が敵に居場所を知らせるような声を上げるはずがない。そして敵が気配を隠している陣を追い続け、警戒の態勢も取っていない自分を見過ごすようなことも考えられない。
 結局状況が全く見えぬまま、凍矢はわずかにしか感じられない陣の妖気を辿って歩き出した。
 然程離れていない場所に、その姿はあった。周囲に敵の姿は見えない。陣が警戒して身を隠しているようにも。
 陣は地面にぺたりと座り込み、どこか呆然とした眼をしていた。衣服が若干汚れているような気がする。滑って転んだだけ……。陣が普段から飛翔術を使っていることを知らなければ、そんな風に思っただろう。大きな負傷等は見られない。
「陣? どうした?」
 凍矢が声をかけると、陣は初めてそこに凍矢がいることに気が付いたようだった。
「凍矢……」
 陣の瞳には、恐怖と不安が綯い交ぜになったような色が見てとれた。
「どうした?」
「オレ……」
 陣の声は震えていた。
「オレ、……飛べなくなっちまった……」
「……なに?」
 凍矢は我が耳を疑った。
 今は抜け忍として追われている身ではあるが、魔忍の風使い陣と言えばその字の通り、風を自在に操ることを最も得意とすることで知られている。陣にとっての風とは、武器であり、防具であり、移動手段であり、彼自身の手足であった。凍矢がその姿を初めて眼にした時も、陣は飛翔術の訓練中であったらしく、遥か上空を飛び廻っていたことを記憶している。大人しく地面に立っている姿の方が、どことなく違和感を覚えるようなことさえあった。
(その陣が、飛べない……?)
「どういうことだ? 詳しく……」
「分かんねえ!」
 陣は激しく頭を振った。
「風がどう吹いてんのか、全然分かんなくなっちまった……。全然飛べないし、旋風拳も出来ねぇ……。ちょっとも言うこと聞いてくんなくなっちまっただ……」
 風のコントロールを失っている。そういうことらしい。今も、段差から飛ぼうとしてそれが出来ず、地面に落ちたのだろう。
(なぜ……?)
 凍矢には分からないが、おそらく陣にとってそれは、ひどく心細いことなのだろう。自分の半身を失ってしまったようなものだろうか。陣は己の身を守るように、両肩を強く押さえ込んでいる。
「陣、とにかく1度落ち着いて……」
 凍矢が歩み寄ろうとすると、陣は明らかに脅えた眼をした。
「……凍矢も分かんない……」
「陣?」
「凍矢の風も、全然分かんないだ。……ホントに凍矢なのか、分かんない……」
 陣は、ヒトに対して「お前の風」というような言葉をよく使った。おそらくは妖気や霊気、あるいはその人物の雰囲気のことをそう呼んでいるのだろうが、それを感知することも出来なくなってしまっているらしい。もし、今眼の前にいる者が、凍矢の姿形を真似ただけの敵だったとしても、陣にはそれを見破ることが出来ないのだ。敵なのかどうかを判断することも出来ず、もし敵だとしても、満足に戦うことも出来ない。陣が脅えるのも無理はなかった。
 「お前が本当に凍矢なら、それ以上近付かないでくれ」陣の眼はそう言っていた。
 気持ちはよく分かった。しかし凍矢はそれに応じなかった。かまわずに、そのまま歩みを進め、陣に近付く。
 陣はびくりと肩を跳ねさせ、小さな子供のように、庇うように両手で頭を押さえた。
「陣」
 凍矢は陣の正面に膝で立ち、手を伸ばした。そのまま陣の頭を包み込むように抱き締めた。こんなことは、こうして陣が座り込んでいる時くらいにしか――両者共が立ち上がっている状態では陣の方が身長が高いために――出来ない。普段とは真逆の位置関係に、若干のぎこちなさはあったが、凍矢はそのままじっとしていた。
 やがてて陣がぽつりと呟く。
「……冷たい」
 凍矢の体温は氷を操る妖怪故に、常人よりもだいぶ低い。陣にとってそれは、慣れ親しんだ温度だ。
「これでもオレだと分からないか?」
 陣は何も答えなかった。しかしそれは、否定からくる無言ではない。陣の腕が伸びてきて、抱き返した。
「ごめん……」
「気にするな」
 凍矢は腕を放しながらその場に座り込み、陣の眼を正面から見た。
「……少し安心した」
 呟いたのは凍矢だった。陣が一先ず落ち着きを取り戻したことには勿論だが、それよりも――、
「お前でも、そうやって不安になることがあるんだな」
「……『オレでも』ってなんだ。ひでーなぁ。オレだって色々考えてるんだぞぉ」
 陣は子供のように頬を膨らませた。
「すまん。でも、オレだけが馬鹿みたいに悩んでいるわけではないんだなと思ってな……」
「……凍矢の、悩みって……?」
「色々さ」
 これからのこと、これまでのこと……。手に入れた物、失った物……。
「取り敢えず目下のところはお前の妖気だな」
「うん」
 具体的な症状――と呼ぶのが正しいかどうかは不明だが――はこうだ。風が――というよりも、妖力が――著しく低下し、普段の技を使うことが出来なくなっている。また、他の者の妖気を感知することもほとんど出来ない。これまでに同じようなことが起こったこともない。
「こうなっていることに気付いたのは?」
「ついさっき。飛ぼうとしたら出来なかっただ」
 それで助走を付けて飛ぼうとして、崖――と呼ぶ程でもない2メートル程の段差――から落ちたらしい。
「そういえば怪我はないのか?」
「ん、平気」
 陣は服に付いた汚れをぱたぱたと払った。
「力が使えない……か」
 その原因は何か……。答えは、容易に想像することが出来た。おそらくは――、
「妖気の使いすぎ……だろうな」
 凍矢は溜め息を吐くように言った。
 この数日――正確に言うならば暗黒武術会以降――、2人は毎日のように――実際に24時間以上の間を開けずに――魔界からやってくる追っ手との戦いを強いられていた。
「すまない。配慮が足りなかった」
「そんなのっ、凍矢の所為じゃあないだ!!」
 彼等が身を潜めているこの小さな島は今、魔界にはほとんど存在しなかった季節の移り変わりによって夏へと向かっている最中だった。氷の妖怪である凍矢は、暑さに弱い。何もしなくても力を消耗する条件下での戦いは、自ら望んだはずの光――太陽――によってもたらされている。そのことを嘆く暇や愚痴を零している余裕はない。日々の戦いは、元々体力もあり、凍矢よりも暑さに耐性のある陣が主力となり、凍矢がその援護をする形で続けられてきていた。が、それがここへきて陣の負担が限界を超えたらしい。おそらく本人は自覚していなかったのだろうが、無理をしていないわけがなかった。
「意地を張らずに答えろ。回復まで、どのくらいかかる?」
 本当なら「すぐにでも平気だ」と答えたかったのだろう。しかし陣の視線はふいっと泳いだ。自分の状況が把握出来ないような陣ではない。見栄を張る余裕すらないことを、自覚しないわけにはいかず、彼は「1日」と答えた。
「明日には、たぶん……」
「そうか」
 凍矢は周囲を見廻した。風に揺らされる草木の音以外は、至って静かだ。何の異変も感じられない。だが――、
「今日も来る……だろうな」
 陣の顔がさっと蒼褪めた。
 妖力が使えないから今日は勘弁してくれなどと言われて、攻撃の手を休める敵がいるはずがない。間違いなく、陣の妖力が回復するよりも先に、次の戦いはやってくるだろう。今の陣は、戦力にならない。
「ど、どうしようっ!? オレ、全然戦えねーだぞっ!?」
「どこかに隠れているしかないな。今のお前なら、おそらく敵に妖気を察知されることもないだろう。見えないところでじっとしていれば、十中八九大丈夫だろう」
「凍矢はっ!?」
 尋ねられて、凍矢は考え込むような顔をした。
「そうだな、いっそ囮にでもなるか」
 陣は恐れていたことが現実になったと言わんばかりの表情で、凍矢の腕にしがみ付いた。
「だっ、駄目だっ!! 1人でっ、危ねーべっ!! 今凍矢夏バテだしっ!!」
「今のお前程じゃあないさ。戦えるだけの力は残してある」
「でもぉっ!!」
「じゃあどうする? 今のお前は、はっきり言って、見付かったその時点でアウトだからな」
「う、ぐぅ……っ」
 陣に選択権はなかった。
 2人は少し歩き廻って、身を隠せそうな場所を探し出した。
「ここなら大丈夫だろう。言っておくが妖力の使えないお前を庇って戦える自信はないからな。絶対に出てくるなよ」
「うぅ……。あっ、ならっ、せめて見えるところでっ!!」
「陣」
 我が儘を言う子供を咎めるように、凍矢は陣を軽く睨んだ。
「だって、かえって心配だべ……」
「信用ないな」
「そんなことねぇ! でも……」
 無茶を言っていることは自分でも分かっているのだろう。陣の耳はしゅんと垂れ下がり、視線も俯くように下へと向けられている。
 凍矢は陣の肩にぽんっと手を置いた。
「見ているだけだからな。絶対に、出てくるなよ」
 陣の顔が僅かにぱっと明るくなった。
「うんっ。凍矢も約束っ」
 陣は小指を差し出した。
「絶対、無事で戻ってきてっ」
 妖力が弱まっている所為だろうか、陣のその仕草はいつも以上に幼く見える。凍矢は思わず口元を綻ばせた。
「分かったよ」
 指を絡ませると、陣はやっと落ち着いたようだった。
 少し離れてみて、陣の姿が完全に隠れていることを確認すると、凍矢は軽く手を振ってその場を離れた。

 凍矢が足をとめたのは、見通しの良い開けた場所だった。下手に視界が悪かったり動きが制限されるような場所で襲撃されるよりも、広い場所へ相手を誘い出した方が危険が少ない。更に、この場所なら木の上に隠れている陣からも見えるはずだ。今の陣なら、状況が把握出来ないからといってうっかり飛び出して来てしまいかねない。それをさせないためには、見え易い場所にいて安心させてやるのが一番だ。
 やがて現れた刺客は、2人組だった。本来ならば2対2だが、今は違う。大人数で来られなかったのは幸いだった。片方が中肉中背、もう片方がおそらく陣と比較しても相当背が高いであろう程の大男だ。2人とも全く同じ覆面のような物で顔を完全に覆っている。
 敵は、凍矢が少しも気配を隠すことなく堂々と待ち構えていたことと、陣の姿が見えないことに戸惑ったようだった。
「……風使いは……どこだ」
 長身の方の男が尋ねる。
「さあ、その辺にいるんじゃあないか? ちゃんと捜したか?」
「妖気が感じられない。どこへ隠した? 始末したという報告は受けていない」
「知っていても教えると思うか?」
 わずかな間があった。沈黙を打ち破ったのは、先程口を利いた方の男だった。その男は無言のまま、細身の剣を抜いた。それを合図にしたように、もう片方の男も動き出す。
 敵は左右から同時に攻撃を仕掛けてきた。片方は、先程の剣、もう片方は武器は持たぬ肉弾戦のスタイルを取るようだ。
 凍矢はその場で地面を蹴り、ほぼ垂直に跳んだ。剣の男がそれを追う。空中で身をひるがえし、剣先をぎりぎりのところで回避する。着地と同時に、もう片方の男が距離を詰めてきた。男が高々と片足を振り上げる。空を切りながら振り下ろされたその攻撃は、重たい音を立て地面を抉った。おそらく履物に鉛の類でも仕込んであるのだろう、ただの蹴りとは思えない程のクレーターが生じる。凍矢はわずかに後ろに跳んで、すでにそれをかわしていた。が、間髪入れずに剣の男が廻り込んでいる。払うように横に振られた剣を、しゃがみ込むように避けた。
 片方の攻撃がかわされた直後に、もう片方がすぐさま次の攻撃を加える。それの繰り返しが彼等の攻撃スタイルなのだろう。個々の攻撃は、それ程の威力はない。しかし、わずかにも乱れぬ連続攻撃は、反撃の隙を与えない。このままでは、少しずつ体力を削られてゆくのが眼に見えていた。敵とてそれは同じだろうが、相手は2人。状況は、凍矢の方が圧倒的に不利かに思えた。おそらく、敵は脳裏に勝利の2文字を描いていることだろう。しかし、
「――!?」
 素手の方の男の片足が、急に滑った。慌てたように足元に眼をやると、いつの間にか地面には氷が張っていた。夏間近のこの季節の気温だというのに、それは全く融け掛けてすらいない。言うまでもなく、凍矢の妖術である。攻撃をかわしながらでも、この程度のことは造作もない。冷気を集めた手の平が、ほんの少しでも地面に触れることが出来れば充分だ。
 わずかに乱れた攻撃の隙を突いて、凍矢は高く跳躍した。空中から氷の礫を降らせる。
「魔笛霰弾射!」
 流石に致命傷を与えるまでには至らないが、それでも自分のペースを作り出すには充分な一撃だった。状況は一転した。
 凍矢は剣の男に向かって、氷上を駆けた。迎え撃とうと男が構える。が、男の射程距離直前で、凍矢の姿は瞬時にして消えた。
「!?」
 凍矢は身を低くし、氷の上を滑ってそのまま男の両足の間を潜り、背後に廻っていた。振り向きざまに地面に両手を付き、一気に妖力を放出させる。男が慌てて振り向こうとした時には、地面に張った氷がまるで生き物のようにその両足を這い上がっていた。やがてそれは男の全身を覆い、1つの氷の彫像を作り上げた。これでまずは1人。
「貴様っ……!!」
 もう1人の男が向かってくる。リーチやコンパスは相手の方が長いが、スピードは明らかに凍矢の方が上だった。接近戦を不得手とする凍矢でも、1対1となった今では何の問題もない。余裕の表情すら見え始めてきた凍矢とは反対に、敵は相棒の動きを完全に封じられたことによって焦り始めているようだった。攻撃の振りが無駄に大きくなり、その分生じる隙も増えている。
「くそっ!!」
 男は回転を掛けた蹴りを放った。凍矢が軽々とそれをかわすと、その攻撃は先程の凍り付いた剣の男へと直撃した。剣の男を覆う氷毎、粉々に砕け散った。
「しまっ……!!」
「一応断っておくが、オレがやったんじゃあないからな」
「くっ……」
 覆面の下で、男の顔は焦ったように歪んでいることだろう。

「……ふえぇ……、つえぇ……」
 凍矢の戦いを見ていた陣は、思わず溜め息を零していた。最初は、敵の攻撃がぎりぎりのところを掠めてゆく度に、ともすれば飛び出して行ってしまいそうな程落ち着かない気持ちで、正に手に汗を握るような心境でその光景を見ていた。が、しばらくすると、間一髪に見える凍矢の回避は、無駄な動作をしないための最良の動きなのだということが分かってきた。無駄に動けば、それだけ隙も生じ易くなる。体力の消耗も早い。わずかな動きでも、確実に回避出来る確信があれば、それ以上の移動は必要ない。決して余裕がないがための動きではなかったのだ。今までは、自分も戦いに集中していたために、凍矢の攻防の様子を観察している余裕はなかった。
(ふーん、凍矢って強かっただなぁ)
 陣は自分でも気付かない内に、溜め息を吐いていた。2人で一緒に戦っていた時は、陣が主戦力となり、凍矢はサポートに徹していた。凍矢が補助してくれるから、陣は周囲を気にすることなく自由に戦うことが出来た。だから、今まで気付かなかった。陣の動きを確認しつつ戦っていた凍矢は、決して全ての力を出してはいなかったのだ。独りで戦っている今の力こそが、彼の実力なのだろう。陣の動きを気にせずに戦える凍矢は、陣が思っていたよりもずっと強い。
 それは本来ならば、喜ばしいことだったに違いない。自分が戦闘に参加出来ない今、凍矢の強さが分かったことによって、陣の不安要素は少なからず取り除かれたはずだ。その反面、胸の奥でずきずきと音を立てている感情は――。
(『悔しい』? 『哀しい』? ……『寂しい』?)
 陣は分かってしまったのだ。凍矢は、陣がいなくても充分に戦えるのだということが。
 強いのは良いことだ。だがそれで自分が不用となってしまうのだとしたら……。素直に喜ぶことは、少し難しそうだ。
(……駄目だなー、なんか……)
 やけに弱気になってしまうのは、やはり妖気が弱まっている所為なのだろうか。
 そんなことを考えている間に、凍矢の戦いは終盤へと差し掛かっているようだった。辺りの景色は凍矢が作り出した氷によって、生命の存在しない死の世界へと変貌していた。冷たい空気が、離れた陣の元まで漂ってくるようだ。敵の動きは明らかに鈍くなっている。やがて2つの影が交差するように重なり、その片方が地面へと崩れ落ちた。残ったのは、氷の刃を手にした凍矢だった。
 敵の攻撃が最悪のタイミングでペースを変えることがない限り、次の戦いまではしばしの時がある。それまでに陣の力は回復するだろう。今この瞬間、危険は去ったのだ。
 凍矢は陣の方へと向き直った。おそらく、手を振ろうとしたのだろう。敵が残っていないかどうかを察知することが出来ない陣を安心させるために。しかし、その手が頭上へと上げられるよりも早く、凍矢の身体はぐらりと大きく傾いた。
「凍矢ッ!!」
 陣は飛べないことにもかまわず、木から飛び降りた。妖力がほとんどなくなってしまっても運動神経はそのままだったことが幸いし、着地をしくじることはなかった。彼はそのままの勢いで凍矢の元へと走った。
「凍矢ッ!! しっかり!」
 凍矢が作り出した氷の塊は、照り付ける日光によって急速に溶け出していた。その中心に程近い場所に、彼は倒れていた。目立った外傷はないようだ。おそらくは、妖力を消耗しすぎたのだろう。陣が抱え起こして軽く揺す振ると、ゆっくりと開かれた目蓋の向こうにある蒼い瞳が、陣の姿を捉えた。色素の薄い唇が、わずかに微笑むように緩んだ。
「良かった……」
 陣は凍矢に抱き付いた。
「すまない」
「ううん」
 陣は凍矢を抱えて立ち上がった。これ以上力を消耗させないためには、陽の当たる場所から離れた方が良い。しかし自力で移動する体力は、凍矢の身体には残されていないようだった。
 濡れた地面を歩きながら、陣はぽつりと呟いた。
「……良かった」
 先ほど口にしたのと全く同じその言葉の意味は、凍矢が無事だったことへ対しては勿論、
「…………まだ、オレに出来ることがあって」
 たとえ、戦いの場に自分の力が必要とされないのであっても、こうして凍矢を抱えて移動させる役目は誰にも譲るまいと陣は誓った。そんな胸中を察したのか、凍矢はわずかに何かを考えるような表情をした後に、ふっと微笑んだ。
「お前がいると思ってなかったら、誰がこんな無茶な戦い方なんかするものか」
 凍矢は力の入り切らない腕を伸ばして、陣の肩に抱き付いた。
 今の2人は、どちらもほとんど妖力を残していない状態だった。周りの気を探ることも出来ず、自分の存在さえどこか希薄にすら思える。それでも、腕の中にある存在だけは、見失うことはないと確信していた。


2012,01,22


以前書いた陣凍小説に対してコメントをいただけたのが嬉しくて、過去に書こうとして挫折してしまったネタに再挑戦しました。
後半部分の展開が当初予定していたものとは違う形になったのですが、他のネタと激しく被る内容だったので、結果的にこっちの方が良かったと思います。
原作の季節考えて書いたら激しく季節外れになりましたが、気にしない。
<利鳴>

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