陣凍小説を時系列順に読む


  冷たい記憶


「すまん、今回のは完全にオレの不注意が原因の事故だ」
 顔の前で手を立てながらそう言った鈴木の隣には、小さな少年の姿があった。「透き通るような」と言うよりも、むしろ「病的なまでに」白い肌と、薄いブルーの髪――前髪の一部分だけは緑色をしている――、そして同じく蒼い瞳には、見覚えがある。
「凍矢か」
 鈴木が頷くと、仲間達はそろって溜め息を吐いた。
「今度は何をした」
 いつもなら剣を抜きながら言うそのセリフを、死々若丸は今回は鋭い視線で睨み付けただけで口にした。おそらく、――珍しいことに――鈴木の表情がいつもと違い、申し訳なさそうにしていることから、どうやら本当に今回ばかりは――本人が言った通り――悪意のない出来事だったらしいことが窺えたからだろう。仲間の1人、呪氷使いの凍矢を子供の姿に変えてしまった犯人は、バツの悪そうな顔をしている。
「前世の実の改良版を、高濃度のガス状にした物だ。容器の蓋の閉まりが甘くて、触れた拍子に中身が漏れ出たらしい」
「お前が流出させたのではないのか」
「違う。オレもその瞬間を見ていたわけではないが、おそらく誤って触れたのは凍矢本人だろう」
「ヒトが触りそうなところに置くから」
「それ、あわよくば誰かが引っ掛かればいいと思ってたんじゃあないだろうな……」
「これ、どんくらいで元に戻るだぁ?」
 凍矢の兼ねてからの仲間である陣は、しゃがみ込んで幼い顔を覗き込んだ。それは、自分もまだ半人前の駆け出しだった頃――それでいて、与えられた生活に何の疑問も抱かずにいた頃――に出会った凍矢の姿に間違いなかった。しかし、「懐かしい」と彼が感じたのはほんの一瞬のことだった。
「凍矢……?」
 陣は眉を顰めた。
「改良版とは言え、原液を服用した場合と比べると持続力は格段に劣る。覚えているか? 霧状にして使用した場合は、結界等で空間を覆ってしまわなければ効き目は一瞬で切れた。今度のはその効果が残るようにしたものだが、それでも30分もあれば自然と元に戻るだろう」
「なんだ。大したことないや」
 呆れたように言いながら、凍矢の方へ向き直ったのは鈴駒だ。
「大人しくしてるのが一番じゃない? 本人も落ち着いてるみたいだし」
 そう、凍矢は非常に落ち着いていた。記憶をも過去の状態に戻されてしまった本人にしてみれば、突然見知らぬ場所へ連れてこられたも同然だろうに、慌てる素振りも、怯えた様子も見せていない。本当に子供かと思うほどだ。
「なんとなく予想は出来てたが、子供らしくねーガキだな」
「凍矢らしいっちゃあらしいかもだけどねー」
 酎と鈴駒がそんなやりとりをしている横で、1人動きをとめているのは陣だった。凍矢の姿に眼を向けたまま、彼は凍りついたかのように動かない。
「陣? どうした」
 鈴木が尋ねたが、その声すら陣の耳には届いていないようだ。
 陣の眼の先にある、表情のない白い顔。時折2つの眼が瞬きをしていなかったら、人形にしか見えない……、いや、人形の方がまだ感情らしきものを持っているかも知れない。そうとまで思えるような、完全に“心”のない顔。一切の熱を持たない瞳は、どこを見ているのかさえ分からない。ただ、見詰めていると、身体の内側から凍り付いてゆくような錯覚がある。子供の姿には到底似合わぬ、冷たい眼。そこに殺意でも存在していれば、まだましだったかも知れない。だがその冷たさは、何の感情も抱かぬ少年が、意図せずに極自然に纏っているものだ。むしろ、得ようと思って得られるようなものではない。
(オレの知ってる凍矢じゃない)
 初めて会った時の凍矢は、確かにそんな顔をしていた。しかし陣は、その時の凍矢のことを“知らない”。陣が“出会った”凍矢はそれを捨て、変化しようとしていた。今では――成長した彼は――、陣のように『表情豊かに』とは言い難いが、それでも時折笑顔を見せる。子供の頃は誰にも――おそらく自分自身にさえ――見せることのなかった表情を持っている。それが本当の彼だ。陣の知る、凍矢の姿だ。だが今は、どこにもそれを見付けることが出来ない。
(駄目だ)
 あの頃の顔を、もう二度とさせてはいけない。凍矢を闇から引き摺り出した時、陣はそう思ったのだった。凍矢の光を消してはいけない。彼の……自分達の光を守ること。それは、何においても最優先されるべきことである。
 冷たい瞳は何も映してはいなかった。凍矢が自分を見てくれないだなんてことは、あってはならないことだ。
「今すぐ元に戻せ」
 陣の口からは、自分でも聞いたことがないような低い声の言葉が出た。周囲の空気が一瞬にして張り詰める。仲間達が訝しげな表情をしながら、何かに備えるように――無意識の内に――身構えている。そんな中にいても、幼い姿の凍矢は、一切様子を変えない。
「……陣、聞こえてなかったのか? ほっといてもすぐ戻るんだってよ」
「そ、そうだよ。元に戻るための薬なんて用意させたら、逆に何仕込まれるか分かったもんじゃないよ。なんたって鈴木なんだからー……」
 無理に明るい声を出そうとする酎と鈴駒を完全に無視して、陣は同じ意味の言葉を放った。口調は、先程のそれよりもやや強い。
「戻せ」
「解毒剤はなくはないが、無理に戻そうとすると副作用が……」
 凍矢がこの姿になってから、すでに数分が過ぎている。解毒剤を飲ませたところでわずかな時間しか違いはないのだ。そのことを改めて説明しようとした鈴木の胸倉を、陣は突然掴み上げた。
「いいからすぐに戻せ! 今すぐ!!」
 様子がおかしい。その眼は、怯えているようですらある。
 鈴木は小さく息を吐きながら諦めたように頭を振った。
「……分かった」
 短く答えた鈴木は、陣の手を解くと、「解毒剤は部屋にある」と言って廊下へ出て行った。その途中で「2人を見ているように」と死々若丸に視線だけで指示を与えた。死々若丸は、無言で頷く。その手は、さり気無く剣の柄に触れている。
 鈴木は1分もせずに仲間達の許へ戻ったが、陣はそのわずかな時間でさえも耐えられないと言わんばかりの表情だった。「これを飲ませろ」と言って鈴木が差し出したガラスのコップを、彼はもぎ取るように受け取り、凍矢の口許にぐいっと押し付けた。
「飲め!」
 コップを突きつけ、もう片方の手で凍矢の後頭部を押さえ込んだ。
「…………なぜ?」
 少年は薄く唇を開き、ようやく言葉を発した。だが、疑問の言葉を用いているにも関わらず、そこにはわずかな心も表れていない。無理に押さえつけられれば、不快感を露にするのが普通だろうに。
 陣は音が鳴るほど強く奥歯を噛み締めた。コップを持つ手が震えている。もう、ほんの数秒であったとしても、こんな凍矢をいさせてはいけないという焦りだけがあった。
「命令だ!」
 寄り一層声を荒らげた。
 少年の身体がぴくりと動いた。
「オレは風使いの継承者、陣! 魔忍の者として命じる!」
 陣の声が響き、消えると、周囲は静寂に包まれた。その中で、凍矢の身体がふらりと動いた。小さな白い手がゆっくりと――何かに操られるように――持ち上げられ、陣からコップを受け取る。そのまま口許へと運ばれた容器から、透明な液体が彼の体内へと流し込まれてゆく。躊躇う素振りも見せず、少年はそれを飲み干した。
 音も立てずに床に置かれた容器が空になっていることを確認すると、陣は眼の前にある小さな身体を抱き締めた。まるで、その瞳に、何も映すまいとするかのように。あるいは、その身を、誰の眼にも晒すまいとするように。

「で? その副作用とは?」
 元の姿と記憶を取り戻した凍矢は、何故自分が陣にしがみ付かれているのかを一通り説明されると、呆れたような表情で鈴木を軽く睨んだ。
「妖力を瞬間的に増幅させて薬の効果を打ち消したんだ。反動で、しばらくの間は力が減少する」
「なるほど。それでさっきからびくともしないわけだ」
 凍矢は先程から陣の身体を押し戻そうとしているようだが、元からの体格の差もあって、少しも動かすことが出来ていない。やがて諦めたように両手を身体の後ろの床についた。
「力だけ幼少期のまま戻っていないと思っても良いだろう。……自然に効果が切れるのを待てば、そんなことにもならなかったんだが……」
 鈴木は凍矢に抱き付いたままの陣の背中へ眼を向けた。凍矢はやれやれと息を吐いた。詳しい説明はされていないが、解毒剤を使うことを頑なに主張したのが誰なのか、彼には全て分かっているようだ。
「とりあえず『これ』をなんとかしてもらえないか」
「無理を言うな。体力勝負で陣に勝てるものか」
「他なら勝っていると?」
「当たり前だ。お前毎ぶっ飛ばしても良いなら、いくらでも『なんとか』してやる」
 凍矢は再度溜め息を吐いた。
「分かった。自分でなんとかする」
「頑張れ」
 他人事のように言うと、鈴木はさっさと部屋を出て行った。他の仲間達も、凍矢の姿が許に戻ったことを見届けてすぐに、どこかへ行ってしまったようだ。本当なら鈴木に道具の管理について――いや、そもそも所持について――苦情の1つでも浴びせたいところであろう凍矢は、一先ず眼の前のことを先に片付けてしまうことに決めたようだ。
「陣、そろそろ『はなして』くれないか」
 そう言った凍矢の声は、温かかった。それを耳にした陣は、解かされた氷のようにその場で項垂れた。頭を凍矢の肩で支えて――位置がずれていたら角が刺さりそうだ――、長い息を吐いた。
「重い」
「ごめん」
 そう言いながらも、陣は動こうとしない。しかも凍矢が腕の中から抜け出そうとすると、肩を抑えてそれを阻止した。眼を合わせまいとしているようだ。
「……ごめん、凍矢」
 仕方なくじっとしていた凍矢の耳に届いた声は、酷く小さかった。
「なんかオレ、頭ん中ぐっちゃぐちゃだ……」
 普段、物事を難しく考えることをしない陣には、珍しいことだ。
「……凍矢、昔のこと、覚えてるだか?」
「昔?」
「魔忍時代のこと。会ったばっかの時、凍矢、オレの方全然見てくんなくて……ううん、眼はこっち向いてても、オレなんて見えてないみたいで……」
 感情のない瞳。作り物めいた顔。
「そこにいんのに、どこにいんのか分かんなくて、なんか、怖くて……」
 凍矢は陣の身体がわずかに震えていることに気付いた。
「さっきの凍矢も、おんなじ眼してて、このまま凍矢がどっか行っちまうんじゃって、思ったら……」
 それは、光を失うことと同じだ。
「それで、解毒剤を?」
 陣に抱きとめられたまま、凍矢は首を傾げた。
「確かに力が入らないのは妙な感覚ではあるが、明日には回復しているだろうとのことだ。お前が気に病む必要はない」
 なんでもない風に言う凍矢に、しかし陣は小さく首を振った。
「それだけじゃあなくて」
 声の震えを抑えようと、陣はゆっくりと息を吸い込んだ。凍矢はそれを、黙って待っていてくれた。
「さっきオレ、凍矢に『命令だ』って言ったんだ。これは魔忍の命令だからって」
 それは、解毒剤を飲ませたいがために咄嗟に口にした言葉だった。2人が幼い頃、師匠からの命令は絶対だった。「今すぐ自害しろ」と命じられれば、本当にそうしていたかも知れないほどに。直接の師からのそれでなくとも、“上”からの指示に逆らうことは決して許されることではなかった。子供の凍矢から見れば、強い妖力を持つ陣は、間違いなく目上の者であると判断したのだろう。しかも陣は風使いのトップであると名乗った。真偽を見極める術があるのかは定かではないが、凍矢はそれを信じた。陣も、信じさせることが出来ると信じた。そして凍矢は従った。
「もう、魔忍なんて捨てたのに。……捨てたって、思ってたのに…………」
 咄嗟に取ったその行動が、彼の本質ではないと、何故言い切れるだろう。
「凍矢は、鈴木の道具の所為で昔に戻っちまったけど、オレはそうじゃあなかった。自分から、あん時に戻ってっちまった。闇なんてもう……、要らないって、持ってないって、思ってたのに……」
 陣は鼻を啜りながら「だから」と続け、すぐに言葉を詰まらせた。
「自己嫌悪?」
 凍矢に尋ねられ、陣はこくりと頷いた。
 凍矢はふうと息を吐いた。そして、「それも気にする必要はない」と、きっぱりと宣言した。その意味が分からなくて、陣は瞬きを繰り返した。そうしていると、凍矢の手が背中へと伸びてきた。凍矢の体温は、常人よりも少し低い。にも関わらず、陣はそれを温かいと感じた。妖力が低下し、“氷”の性質が弱くなっているからなのだろうか。
「オレ達が魔忍の一員だった過去は、どうやっても消せない」
 凍矢は静かな口調で――しかしはっきりと――告げた。
「だが、“今”は違う。重要なのは“今”だ。過去なんて、都合のいい時にだけ、精々利用してやればいい。実際にそう割り切るのは難しいが、少なくとも、オレはそうありたいと思っている」
 凍矢の言葉が全身に浸透するのを待つように、陣はゆっくりと呼吸をした。吸い込んだ空気は、少し冷たかった。
「……なんか、意外だべ」
「うん?」
「凍矢がそんな風に言うのって」
「オレはもっとウジウジしているか?」
「そんなことッ……!」
 陣は焦ったように顔を上げた。凍矢に対して、そんなことを思ったことは1度もない。そんなことを考えるやつだと思われるのは心外だ。しかし凍矢はくすくすと笑っていた。
「やっと離れたな」
「あ……」
「実際は、かなり引き摺っているさ。たぶん、お前よりもな。だが、そう望むのと、何もせずにいるのとは大いに違う。そうだろう?」
 陣は黙って頷いた。すると、今度は凍矢の方から陣の肩に体重を預けてきた。緑色の前髪が頬をくすぐった。
「お前が教えてくれたんだ」
「……オレが?」
「そう。お前を見ていたら、そんな風に考えられるようになっていた。いつの間にかな。それを反対にお前に教えているというのは、なんだか不思議だな」
 陣は凍矢の身体に腕を廻して力を込めた。「重い」と抗議の声が上がった。しかし、その口調は優しい。
 実のところ、陣は心の中で凍矢の言葉を否定していた。『お前が教えてくれたんだ』。それはきっと違う。むしろ陣は過去は捨てたと、頑なに信じ込もうとしていた。『都合の良い時にだけ利用してやれば――』なんて思うことは、考え付きもしなかった。凍矢が感じたことはただの錯覚で、本当は、誰の手を借りることもなく、彼自身が自分の力で辿り着いた考えなのだろう。だが陣は、そんなことはもうどうでも良いと思っていた。凍矢がそう思いたいのであれば、それで良いのだ。実際はどうであれ、そう思おう。何故なら、凍矢がそう言ったのだから。望むのと、何もしないのとでは大いに違うと。難しく考えるのは、自分らしくない。凍矢の代わりに鈴木に怒りの鉄槌を与えに行くくらいの方が、自分には似合っている。
「元気出ただ」
「それは良かった」
「早速行ってくるだ」
「どこへ?」
 陣は答える代わりに、片眼を瞑って笑ってみせた。


2014,05,11


本当は子供の日にアップしたかったのに間に合わなかった!!
トラウマ持ちとポジティブをたまには入れ替えてみました。
それにしても鈴木さんのアイテムは便利だ!!
<利鳴>

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