陣凍小説を時系列順に読む


  キスしよう


 先程から陣が暇そうにしていることに、凍矢は気付いていた。なぜなら、彼もまた、暇だったのだ。戦いに明け暮れていた日々を思えば、こうして何もない時を過ごすことも、それ程悪くはない。だが、それも長く続くと、持て余してしまう。久々に魔界へ出向いて行って、特訓の相手でも探してみようかと思い始めた頃だった。
「なあ凍矢」
 なにか思い付いたように声を上げた陣は、つい先程までの退屈そうな表情の代わりに、無邪気な子供のような笑みをその顔に浮かべていた。陣の笑顔は、見ている者の気持ちまで晴れやかにする。自分の表情もいくらか穏やかになっていることを自覚しながら、それがなんだか少しくすぐったく、照れ臭いことのように思えた凍矢は、平静を装いながら氷と水を入れたコップに手を伸ばし、「なんだ?」と尋ねた。
 胡坐をかいていた陣は、膝と手を床に付けて、身を乗り出してきた。鮮やかな青色をした瞳は真っ直ぐ凍矢へと向いている。
「な、キスすっべ」
 凍矢は咽た。
「うわっ、大丈夫だかっ?」
 尋ねられたが、あまり大丈夫ではなかった。
「おま……ッ、いき、なりっ、なにをっ……!?」
 げほげほと咳をしながら、凍矢は陣を睨み付ける。だがそれで陣がうろたえた様子は皆無だ。
「駄目ぇ? 今なんもしてねーし、誰もいねーし。別に問題ねーべ?」
「そういう問題じゃない!」
 まだ咳をしながら、しかし口元に拳を当てているのはそのためだけではない。不意打ちを食らって赤くなった顔を、少しでも隠す目的の方が大きかった。陣は何がいけないのか分からないと言うように首を傾げている。
「お前の言動には脈絡がなさ過ぎる! どうしてそういきなりなんだッ」
 びっくりするだろうがと怒鳴ると、陣は首の傾きを逆にして、考え込むような顔をした。
「いきなりは駄目だかぁ」
 それも1つの個性ではあるのだろうが、正直言って、振り廻される側は心臓に悪い。いくら今が夏だからと言っても、暑さのピークは超えているはずだ。にも関わらず、どうしてこんなに暑いのだと、凍矢は肩で息をした。
「じゃあ、明日すっべ」
「はあっ!?」
「いきなりが駄目なら、明日! 今から決めておいたら、『いきなり』にはなんねーべ?」
 予告された抜き打ちテストはすでに抜き打ちではない。そういうことを言いたいらしい。だが実行のタイミングが予定されていたとしても、その提案自体はやはり『いきなり』だ。そんなことを言い出せば、提案の提案をしろ等と無茶な話になってしまうのだが。
「陣のクセにそんな屁理屈を……」
「今のさりげなくひどくねぇ?」
 さっきから顔が熱い。陣の視線が熱をその場に打ち止めているかのようだ。
 陣は、実に上機嫌そうだ。自分の提案が素晴らしい思い付きだと信じて疑っていない。表情だけ見れば、子供のような無邪気さは消えずにそのままだ。だが本当の子供なら、こんなとんでもないことを言い出しはしないだろう。
 凍矢は一先ず落ち着こうとした。が、駄目だった。『それ』が『いきなり』ではなく、先のことに設定されてしまった所為で、却って『そういうつもり』でいなければならない時間が大幅に延びてしまった所為だ。
「っ……おい、陣!」
 すっかり満足してしまったらしい陣は、先程までいた場所に戻って両足を投げ出すように座り、爪先をリズミカルに左右に振っていた。肩越しに振り返った顔は、至って普通だ。ヒトの気も知らないで。
 今度は凍矢が陣に詰め寄る番だった。上半身を捻ってこちらを向いた陣の胸倉を掴んで引き寄せる。近くなった顔は、少しだけ驚いたような表情をした。それがまた気に食わない。『少しだけ』ではなく、もっと驚け。翻弄されているのが自分だけなのは面白くない。
「今するぞ」
「へっ?」
 明日までずっと『そのつもり』でいさせられるよりは、今済ませてしまった方がよっぽどマシだ。嫌なことは早く終わらせてしまうに限る。それとも『膳は急げ』だろうか。凍矢は絶対にそうとは認めないだろうが。
 陣は先程よりも、もう少しだけ驚いたようだった。だがすぐに余裕の笑みが戻ってきた。かと思うと、「どうぞ」と言うように、眼を閉じて顎を少し高くした。
 完全敗北だ。少し眉を顰めてから、凍矢は自分の唇を陣の口元に押し当てた。すぐに離れようとしたが、いつの間にか腕を掴んでいた陣の手がそれを許さなかった。結局全て、陣のペースだ。いつも通りに。いつかなんらかの形で報復に出ることは出来ないものかと思いながら、凍矢は抵抗することをやめた。
 あとからどれだけ思い返してみても、『しない』という選択肢が消えたタイミングがいつだったのかは、全く分からなかった。


2014,08,18


本当は10月8日の凍矢の日にアップしようと思って準備していた話だったのですが、
あまりにもアホっぽくなった&別の話を思い付いたので、
これはこれでなんでもない日にアップしてしまうことにしました。
陣は天然故の無邪気さとなんだかんだで魔忍故のなんかそういうの(笑)を両方持ってると美味しいと思います!
100%天然無邪気なお子様ではあれやこれや(笑)は書くの難しいですわたしには。
<利鳴>

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