陣凍小説を時系列順に読む


  ナツカゼ


 業務連絡――と言っても、毎回『特別伝えなければならないようなことはない』ということの確認程度のものでしかないが――が終わると、蔵馬は「大丈夫ですか?」と言って凍矢の方を見た。
「顔色、悪くないですか?」
「いつものことだ」
 真顔で言った凍矢の冗談に、しかし蔵馬は笑わなかった。人間界で生活をしている妖怪達の把握が自分の仕事であり、その中には各人の体調管理も含まれているとでも言いたげな眼を、彼はじっと向けている。凍矢は仕方なく溜め息を吐くように返した。
「少し、寝不足なだけだ」
「本当に?」
「ああ」
 蔵馬は真偽を見定めんとするかのように凍矢の顔を覗き込んだ。かと思うと、その視線は今度は凍矢の隣にいる陣へと向く。「何だ?」と尋ねるように首を傾げた陣と、凍矢を見比べるように眼が動いた。
「元気ですねぇ」
「……ん?」
「……?」
「…………あ、夏バテの方か」
「おいっ! 今何を想像した!?」
「へ? 何? 何の話してるだ?」
 今年もまた人間界で暮らしている彼等の許に夏がやってきた。連日のように燦々と輝く太陽に、氷の妖怪である凍矢は容赦なく体力を奪われつつあった。いや、それは陽が沈んでからも続いていた。夜になっても気温が下がらない日は珍しくなく、昨夜もきちんと寝た気がしないまま過ごした。このままではいずれ本格的に体調を崩してしまうだろう。
「やっぱり夏の暑さは天敵なんですね」
 蔵馬がそう言うと、凍矢は不機嫌そうな声で反論した。
「オレがそんな弱点をいつまでもほうっておくと思うか?」
「どこかで聞いたことのあるセリフだな。なにか対策が?」
「『心頭滅却すれば火もまた凉し』という言葉があるだろう」
「つまり?」
「つまり」
「なんまら我慢してる?」
「それはもう」
「解決になってないじゃないですか」
「なんとかなんねーだか?」
 本人以上に困った顔で尋ねる陣に、蔵馬はあっさりと返した。
「エアコン買ったらどうです?」
 するとやはり凍矢が反論する。
「贅沢は敵だ」
「でも鈴木家にはありますよ、エアコン」
「まじで?」
「いつの間にそんなものを……」
「一度見せてもらっては? 今日これから向こうにもよる予定ですけど、一緒に行きます?」
「行く!」
 陣は子供のようにはしゃいだ声で言うと、勢い良く立ち上がった。暑さにも負けず、いつでも明るい陣を見ていると、「やはり自分のためだけに贅沢をするわけには」と凍矢は思ってしまう。というか、実のところ、“贅沢の仕方”がよく分からないのだ。今までなにも持たずに生きてきた所為で。人間界に住居を構えたのは昨日今日のことではない。にも関わらず、彼等の住まいの中はあまり物が増えていない。元々物理的な物に対する執着心が少ないのだろうかと最近では自己分析してみたりもするのだが、そんなことをしたところでこの暑さがどうにかなるわけではない。
 蔵馬と陣に続いて、徒歩数分の距離にある鈴木と死々若丸の住まい――通称『鈴木家』――を訪ねた。魔界側で用意したその建物は、外観も内装も、凍矢達が住んでいる物とほとんど同じだが、締め切られていた居間の戸を開けると、明らかに違っている空気が流れてきた。
「おおー! 涼しいー!」
 陣が声を上げた。鈴木が「大袈裟な」という顔をしている。彼にはもう“これ”が“普通”なのだろう。部屋の真ん中では、小鬼の姿の死々若丸が座布団の上にうつ伏せになってくつろいでいる。まるで猫の仔のようだ。その場所が“特等席”というわけか。
「ね、どうです? 凍矢」
 天井付近で冷たい風を吐き出している機械を見上げながら蔵馬が尋ねる。
「これなら夏場も平気ですよ」
「いや、だがしかし……」
「まだ言いますか」
「ん? どうした?」
 首を傾けた鈴木に、蔵馬は陣と凍矢が同行してきたわけを簡単に説明した。
「暑いの駄目なくせに、意地になってエアコンを買いたがらないんです」
「別に意地になっているわけでは……」
「ほう。それならいっそのこと夏の間だけでも魔界に戻ってはどうだ? 向こうの方が暑くないだろう」
「それは最初の夏にもう言いました。散々」
「凌ぎ切るのは困難だ。かと言って逃亡は嫌。となれば、つまらん意地を張っている場合ではないだろう。こいつを買った時の資料が残っている。見るか?」
「見る」
 鈴木がどこかから取り出してきた紙の束を見て、陣は戦線離脱を決めた。難しい話は凍矢に任せると宣言し、うつ伏せになってごろごろしている死々若丸の横に寝転がった。
「あー、ここ涼しー。いーなこれ!」
 あるいは眠っているのかと思った死々若丸が口を開いた。
「やらんぞ」
「くれなんて言ってないだ」
「お前達なら空気を冷やすくらい簡単ではないのか?」
「オレ達の能力、戦闘用だかんなー」
「加減出来んのか」
「余計妖力消耗するだ」
「使えんな」
「ひでえ。それにしても人間ってすげーな。妖力がなくてもこうやって機械で風作れちまうんだから」
「こいつはすごいんだぞ。自分で考えて寒くなり過ぎないようにも出来るんだ」
「へぇー」
「冬は暖かい風も出せるし」
「おー」
「除湿も出来る」
「ふーん」
「今も全力を出してはいないしな」
「じゃ、もっと涼しくも出来んのかぁ」
「ふふん。見せてやろうか? スズキ2号の実力を」
「すずき2号……? なんかそんな歌なかったべか……」
「こいつの名前だ」
「……死々若、ひょっとして鈴木のことも便利な道具のひとつとしてしか見てねーんじゃ……」
「スズキ2号! お前の実力を見せてやれ!」
「あっ! こら死々若! め! 身体冷えるから温度下げすぎるなと言っているだろう! リモコン貸しなさい!」
「べー!」
「うわっ。死々若、これちっと寒くねーだかっ?」
「にぎやかですね」
 凍矢と共にカタログやら電気料金のシミュレーションの資料やらを広げていた蔵馬が笑った。凍矢は黙って頷いた。確かに、無邪気にはしゃいでいる陣の姿は正直微笑ましい。死々若丸のように小さな生き物が無条件で一定以上の可愛らしさを有しているのはおかしなこととは思わないが、陣のあの図体でそれを持ちえるとは一体どういうことだ。はっきり言って、陣はおかしいのではないだろうか。いい意味で。
「凍矢? どうしました?」
「……なんでもない」
「そうですか。まあ、陣の可愛らしさ(凍矢視点)は置いといてですね」
「貴様いつから読心術を……。というか、なんだその『カッコオレ視点』というのは」
「オレの主観だと思われたら困りますからね」
「誰にだ」
「そんなことより、ほら。どうなんですか、エアコンは」
 促されて再び資料に眼をやった。ひと口に『エアコン』と言っても、様々な種類があるのだなと、まずは素直に感心した。先程死々若丸が陣に話していたように、いくつかの機能があるようだ。本当にそれ等全てが必要なものなのか、凍矢には良く分からないが。
「とーやー。どんな感じだぁ?」
 床に寝そべったまま陣が尋ねる。凍矢はちょっと待ってろと応えた。
 暇になってしまった陣は立ち上がり、その機械をまじまじと見た。顔に冷たい風が降りかかる。一体どういう仕組みになっているのだろうかと首を斜めにしてみても、陣にそれが分かるはずもない。
「あると便利だぞ」
 いつの間にか隣に鈴木が立っていた。彼は、死々若丸がその『便利な機械』に付けた名前のことを知っているのだろうか。
「ただ冷やすのではなく、温度の調整も出来る。……と、これはさっき死々若が言っていたな」
 ちらりと視線を向けると、死々若丸はさっきと同じ場所で今度は仰向けになっている。昨年の今頃には、彼も「暑い」と言ってうんざりした顔をしていたはずだが、今年はずいぶんと快適そうだ。
「タイマーセットも出来るから、外出から戻る時間に合わせて先に動かしておくことも出来る」
「お、それいいだなぁ」
「それから」
 鈴木は急に声を小さくした。かと思うと、陣の耳元で囁くように言った。
「エアコンがあるのはひと部屋だけだ。お前達が買ったとしても、おそらくはそうなるだろう」
「うん。そんで?」
「各々の部屋まではこの冷気は届かない。暑くて眠れないような日は、2人ともそのひと部屋で寝ることになるだろう?」
「ふんふん」
「“そーゆー雰囲気”に持ち込めるかどうかはお前の実力次第だな」
 鈴木は「自分ならわけないが」と言うように口角を上げた。
「凍矢! エアコン買おう!! すぐ買おう!」
「なにひとりで盛り上がっている?」
 凍矢は訝しげな表情をした。陣と鈴木の会話は彼には聞こえていないようだ。
「な、買おう。オレあれ欲しいだ」
「しかしだな、正直言って初期設備代も電気代もかかりすぎるぞこれは」
「オレがんばって稼ぐから! 家の手伝いもすっからぁ!」
「子供ですか」
「ああもうッ、くっ付くな! 暑苦しい!!」
 縋り付いてくる陣を押しやりながら、それでもこれだけ騒いでいられるのはやはり設置された機械のお陰なのだろう。外、もしくは自分達の住まいで同じことをしたら、今頃暑さでへたり込んでいるところだ。
「探せばもっと安い機種あるんじゃないですか? ここのは確かにちょっと高いですよ」
 カタログに記載された『最新機種』の文字を見ながら、蔵馬は眉を顰めた。
「ずいぶん奮発しましたね」
「ほら、オレには副業があるから」
「怪しげなアイテム販売店ですか」
「意外と鈴木が一番甲斐性があると言うのが解せん」
「もっと型落ちしたのなら……」
「でも下手に旧型にしすぎると電気代が」
「故障した時に部品がなくて直せないなんてことにもなりかねんな」
「それなら多少無理してでも長く使える物の方が」
「頭が痛くなってきた」
「エアコンに当たりすぎるのも良くないですよ」
「そういう意味ではなくて」
 凍矢はこめかみの辺りを手で押さえた。それを見て鈴木が眉間に皺を寄せる。
「と言うか、お前達だって金銭的にそんなに苦しいということはないだろう? 生活費が足りなければ魔界に請求出来るんだから。オレには無理な節約をする意味が分からん」
「凍矢は真面目すぎるんですよ」
「鈴木と違ってな」
「死々若。どうしてお前はそういう時ばっかり会話に参加してくるんだ。自分だってしっかり涼んでいるくせに」
「正直夏場は収入が減るんだ」
「それは凍矢が不調だから簡単な仕事しか廻さないように魔界側も気を使っているからでしょう」
「悪循環だな」
「そもそもオレ達の役目はなんだ? 人間界の生活を学ぶことだろう? なら、文明の利器を有効活用しないのは果たして正しいことか!? 無理に暑さに耐えるのは人間界らしい過ごし方か!?」
「ぐっ……。鈴木のクセに正論を……」
「大丈夫だ凍矢。エアコンはトモダチ。コワクナイ」
「ああもう、分かりました」
 蔵馬がひと際大きな溜め息を吐くと、残りの者の眼がそちらに集まった。蔵馬は「こうしましょう」と言って人差し指を立てた。
「とりあえず、少しの贅沢から慣らしていきましょう。と、言うわけで、今年は扇風機を買う」
「旋風拳?」
「扇風機」
 本体代も電気料もエアコンよりもずっと安い。その分冷却の効果も少ないが、ここは町中ではなく山の中で、元の気温もいくらか低いのだから、よっぽどの暑さにならない限りはなんとかなるだろうと説得され、結局その日の内に、陣と凍矢は蔵馬を通して羽を回転させて風を起こす機械を購入することとなった。
 暫定的に部屋の隅に置き場を与えられたそれは、薄い水色のボディをしている。円形の金網のような物に覆われていて、中の羽に触れることは出来ないようだ。「羽には触らないように。指が飛びますよ」と蔵馬に言われたが、本当なのだろうか。そんなに強い相手なら、いつか勝負してみたいと陣は思っていた。
「これで動くはずだな」
 説明書を見ながら凍矢が言う。エアコンと比べると特に難しい操作は不要らしいと聞いて、彼は密かに安堵していた。エアコンの購入を渋っていたのは、使いこなせる自信がないというのも理由のひとつであった。だがこの扇風機なら、コードを1本、壁に繋ぐだけで済む。
「オレ、スイッチ入れたい!」
「好きにしろ」
「よっしゃ、いくだ! 修羅旋風拳っ!」
 陣の指がスイッチを押すと、その機械が聞いていた通りの動きを始めた。3枚の羽は残像で円を描いている。様子を見ていた2人の髪が靡いた。陣が「動いた!」と言ってはしゃいだ。もちろん、動いてくれなくては困るのだが。
「おお、意外とちゃんと風強いだ」
「なるほど。風自体は冷たくないが、結構違うな」
「涼しいだか?」
「意外と」
「おお、やっただ!」
「なんでお前がそんなに喜ぶ?」
「秘密だべ」
「おかしなやつだ」
 風に煽られて飛んでいきそうになっている説明書を凍矢が読もうとしている傍から、陣は直感で色々なスイッチを触り出している。風量の強弱はすでに把握したらしいその表情は、玩具を与えられた子供のようだ。
「名前付けるべ」
「機械にか?」
「えーっと、じゃあスズキ3号」
「なんだそれは」
 その時たまたま陣の指がどこかに触れたらしく、扇風機は首を振るように左右に動き出した。
「ありゃ」
「気に入らないみたいだな」
 凍矢は堪え切れずにくっと笑った。
「これ、どうやったらとまるだ?」
「どこを触ったんだ」
「分かんねー」
「ちょっと待ってろ」
「んー? どれだぁ?」
 凍矢が説明書に該当の項目を見付けた時――途中で陣が威力を“強”にした所為で、その紙切れは一度部屋の隅まで飛んで行った――、陣は廻り続ける羽に向かって「あー」と声を出していた。何かの拍子に風――それとも羽だろうか――に当たった声が震えることに気付き、それが面白かったらしい。扇風機の動きに合わせて陣も身体を左右に動かしている。お前がそうやって常に真正面にいたらこちらには風が来ないのだがなと半ば呆れつつも、凍矢はその光景を微笑ましいと思った。この機械の導入で、残りの夏の過ごし易さがどの程度変わるのかはまだ分からない。それでも彼は、――エアコンと比べると本当に安かったと言うこともあるし――すでに元は取ったかなと、そんな気分になっていた。


2015,07,12


前に書いた陣凍がちょっとシリアス気味だったので、ちょっとアホな話書こうと思って書きました。
が、前に書いたやつもしっかりアホなシーンありましたね。
<利鳴>

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