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 「今夜は雨が降るらしい」と、凍矢が言った。今はまだその気配はないが、昼間のそれと比べると、空に浮かぶ雲は多くなってきているようだ。ならば、忘れない内に閉めておこうと思って近付いた窓から、少しひんやりとした空気が流れ込んできた。風呂を出たばかりの肌に、それはこの上なく心地良かった。やっぱり、人工的に作り出された風よりも、自然に吹くそれの方が好きだ。陣は改めてそう思った。
 少し前までは1日中暑い日が続いていた。陽が落ちてからも気温が下がらず、吹く風も湿気を帯びて重たく肌に纏わり付く。気温が高いのはそういう季節なのだから仕方ないにしても、せめてカラッと晴れてくれればまだましなのに。陣がそう言うと、「それもそういう季節なんだろう」と凍矢が返した。曇天を睨み上げてみても、陣の願いを聞き入れてくれる者はその雲の上には存在しないようだ。
 基本的に明るい性格の持ち主である陣ですら辟易せずにはいられなかったのだ。元より暑さに弱い凍矢には、少々過酷な時期だったことだろう。本人は認めようとはしなかったが、傍目からでも疲労が蓄積していっていることは明白であった。考え付く限りの手を使って暑さを軽減出来ないかと苦戦しながら日々を送ってきたが、このままなんとか乗り切ることが出来そうだと陣は息を吐いた。ようやく、夏は終わりを迎えようとしている。
 と言っても、日中は天候と運動量によっては汗ばむようなことはまだ珍しくはない。完全に秋がきたとは言い難いようだ。そもそも、夏と秋――に限らず、季節――の明確な境目というものは、存在するのだろうか。何がその基準になっているのだろう。月が替わったら? 気温が一定の数値を下廻ったら――そもそも今は何度だ――? もし『夏=暑い、秋=暑くない』という公式があるのだとしたら、朝の内はもう秋なのに、昼にはまた夏に戻ってしまっていることになる。季節が逆に廻る等、あっていいことのはずがない。
(いっそ誰かが教えてくれりゃあいいのに)
 「おや、今日はあまり暑くないな」と思ったある日、謎の男が現れて告げるのだ。「今日から秋ですよ」と。なんて分かり易いんだろう。本当にそうなっていたら良いのに。
 夏が終わったら、陣にはやりたいことがあった。それは、1つの布団で凍矢と共に眠ることだ。と言っても、なにもいやらしい気持ちを持っているわけでは一切ない。ただくっ付いていたいだけ――それのどこがいやらしくないのかと問われれば弁明は困難を極めるかも知れないが――、近くにいたいだけなのだ。
 魔忍から追われる生活をしていた頃が特にそうだった。いつ敵が現れるか分からない、信用出来るものが何もない状況で、凍矢の存在だけが唯一無条件に心を許せるものだった。常に周囲を警戒しつつも、彼のことだけは疑いなく受け入れてしまっても良い。“絶対に大丈夫”と確信出来るものがあるということに、どれだけ救われたか分からない。彼がいなければ、今の自分はここに存在してすらいなかっただろう。凍矢の傍にいると、いつしか心の底から安堵している自分がいることに気付いた。その頃の名残なのだろうか、今でも、凍矢が傍にいるだけで陣の心は安らぐ。無理に気を張る必要なく、素の自分でいることが出来る。本人が聞いたら「勝手にヒトを精神安定剤にするな」とでも言われそうだが。それはおそらく、凍矢が陣にとっての“光”であるからに違いない。凍矢も同じように思っていてくれたら、とは思うが、他人の胸中を正確に知ることは不可能だろう。今は、傍にいることを許されている、それだけで満足だ。そんな満足感と安心感の中で眠りに付けたら、どれだけ幸せなことだろうか。すでに追われる身ではなくなり、平穏な生活を脅かされる要素等何もなくなったが、それでも。
 ところが困ったことに、凍矢は氷の妖怪であるが故に暑さを嫌う。夏の暑さの中で無理にくっ付こうとすれば、本人がはっきりとそうは言わなかったとしても、不快に思われるだろうことは明らかだ。凍矢に嫌われてしまったのでは元も子もない。本当は魔界に帰ればそれで済んでしまう問題なのだが――魔界には人間界のような四季が存在しない上に、常に氷や雪で覆われている土地も少なくはない――、人間界で生活することは2人が自分達で望んで決めたことだ。簡単に投げ出してしまうつもりはない。そうやって凍矢は我慢して過ごしているのだ。ならば陣も、彼が暑さに耐えているのと同じ期間、スキンシップ不足であることくらい我慢出来ないでどうする。夏さえ終われば……、涼しくさえなれば……。
(でも凍矢の“涼しい”とオレの“涼しい”って同じだべか?)
 これも誰かが教えてくれればいいのに。「スキンシップの解禁日は3日後だぜ」といった風に。
 そんなわけで、陣は夏が終わって秋が訪れたことの明確な証拠を探しながら毎日過ごしている。
(太陽が出てる時間は短くなったべ? 風もちょっとだけど冷たくなってきただ。でも、まだ暑い時間もあるし……)
 いくつ秋のサインがあれば夏ではないと言い切れるのだろう。
「陣? 何をしている?」
 窓に手をかけたまま動かなくなった陣を不審に思ったのか、凍矢が声をかけてきた。硝子に映った彼は首を傾げている。
「ちょっと涼しくなってきたなーと思ってただ」
 窓を閉め、振り向きながら言った。凍矢は「そうだな」と返してきた。いつもの彼と変わらぬ、淡々とした声だ。
「湯冷めするぞ。寝ないのか?」
「んー、寝る」
 季節が替わったと確信出来るまでは、早まらない方がいい。そう考えて陣は、もうしばし、我慢の時を続けることにした。元忍なだけに、耐えるのは得意……なはずである。凍矢に「おやすみ」と言いながら笑顔を見せ、自分の部屋に引き上げていった。布団を敷いて仰向けに寝転び、夏と秋の違いを考えている内に眠りに落ちた。
 陣の意識が再び浮上したのは、かすかな物音を聞き取ったためだった。時間はおそらくそれ程経ってはいないだろう。目覚め切っていない頭は「今の音はなんだろう」と考えるよりも、再び眠気に呑まれていくことを望んでいる。たぶん、凍矢の部屋――陣の部屋の隣――の戸を開け閉めする音が聞こえたのだろう。風呂に入っていたか何かで――お湯の温度がある程度冷めるのを待たないと凍矢は入ろうとしないので、いつも陣の方が先に済ませている――、部屋の主は今ようやく寝に行ったに違いない。そう決め付けて、改めて意識を手放そうとする。が、その直後に、今度ははっきりと、自分の部屋の戸が静かに開けられたと分かる音が聞こえた。戸に鍵は掛かっていない――元より鍵が掛かる構造をしていない――ために、誰かがそれを開けるのは実に容易だ。だが何のために? 凍矢が寝惚けて部屋を間違えたのだろうか。今までそんなことは一度もなかったはずだが……。
 戸が開けられても、部屋の中の暗さは変わらなかった。閉じたままの目蓋越しにでもそれが分かる。廊下の明かりも消えているらしい。差し込んでくる光はない。暗闇の中をひっそりと移動している者があると考えると少々不気味だが、危険は全く感じなかった。殺気やそれに類するものは微塵も向けられていない。やはり凍矢か。こんな山の中に強盗がくるとは端から考え難くはあったが。
 「なんだろう?」と思いつつも、それが凍矢であることを確信した意識はますます目覚めから遠ざかってゆく。何らかの危機でも感じれば一気に目が覚めるのだが、逆に、揺り篭に揺られているような心地良さに、身体は動くことを拒んでいる。これもある意味金縛りだろうか。
 凍矢は一向に声をかけてこなかった。何か急な用があって来たということではないのだろうか。例えば、凍矢の持ち物が誤って陣の部屋に紛れてしまっただとか、その程度のことなのかも知れない。明日起きてから「昨夜なんかあっただか?」と聞けばいいだろう。今は眠い。
 戸が閉まる音がした。暗いままでは探し物は出来ないが、明かりを点ければ陣を起こしてしまう。そう思って諦めたか……。
 寝返りを打とうとした時、しかし先に空気が動いた。慣れ親しんだ、少し冷たい空気だ。
(……え?)
 身体にかけてあった薄手の毛布が捲り上げられた。
(え?)
 かと思うと、そこに出来た空間にするりと“何か”が潜り込んできた。
(ええっ?)
 腕に冷たいものが触れた。すぐにそれがヒトの手の形をしていると分かる。鼻先を石鹸の匂いが掠めた。
「と、凍矢っ?」
 流石に目が覚めた。横を向いた顔のすぐ間近に、凍矢の顔があることは暗がりの中でも分かった。やっぱり寝惚けているのかと思った凍矢の眼は、しかししっかりと開いて陣の方を向いている。
「何してるだ?」
「なにも」
 凍矢はさらりと答えた。実際に、彼は何もしていなかった。大人しく陣の布団に横になっているだけだ。
「えっと……」
 もしかして、
(夢?)
 寝惚けているのは自分の方か。
「秋の虫が鳴いている」
 夢だから、会話の流れが唐突なのか。
 いきなりそんなことを言われてわけが分からないながらも、陣は耳をすませてみた。が、聞こえる音は何もない。ただ、先程窓を閉めた時にりんりんと鳴るそれを聞いたような気がしないでもない。
「セミの声もやんだ」
 今度は「そういえばそうだ」と思った。数日前には喧しいくらいに鳴っていた音を、今日は聞いた記憶がない。
 「それがどうかしたか?」と促すつもりで凍矢の眼を見た。暗闇の中で、その眼がかすかに笑った気がした。凍矢は唇を動かした。
「おやすみ」
 くすくすと笑うように言うと、彼は眼を閉じてしまった。
(えーっと……)
 凍矢の手は陣の寝巻きの襟元を軽く握っているようだ。そこに頭を寄せるような姿勢で、彼は眼を閉じ、ゆっくりと呼吸をしている。自分の部屋へ戻る気はないようだ。
 陣はようやく気付いた。凍矢は、「もう秋だぞ」と教えに来たのだ、と。
(……ってことは? でも、……あれ?)
 まだ少し頭はぼんやりしたままだったようだ。が、今度こそ起きた。
「ちょっと待った。ホントに何にもしねーで寝る気だか?」
 額を触れ合わせるようにずいっと詰め寄ると、凍矢は声を出さないまま、わずかに肩を震わせるように笑った。
 下心はない。とは言っても、別にあっても構わないというのが陣の本心だった。凍矢が拒む素振りを見せないのであれば、むしろ「いつでもばっちこい」と言っても過言ではない。
 蒼氷色の髪に指を差し入れると、すっかり暗がりに慣れた眼が、日溜りの中でまどろむ猫の仔のような表情を捉えた。
「明日なんかある?」
「仕事?」
「うん」
「ない」
「やった」
 陣がそう言うと、凍矢はやはりくすくすと笑った。


2015,09,10


早い話が夜這いです(笑)。
陣に振り回され凍矢が好きなんですが、逆もたまにはいいよね!
逆っつってもリバは自分の中ではありえないけどね!!
あえて九凍の日(9/10)にアップしてみた!(笑)
すまんな九浄、九凍ネタは思い付かなかったよ。
そしてわたしは九凍いいと思うけど断固陣凍前提派なんだ。
<利鳴>

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