陣凍小説を時系列順に読む


  お互いを好きにならないと出られない部屋


 目蓋を開けると、見知らぬ部屋にいた。白い壁。白い床。そして白い天井。ひとつだけ飾り気のない――やはり白い――ドアがある以外は、窓もなければ家具や装飾品の類も一切ない。照明器具のような物も見当たらないのに、床の隅、天井の角に至るまで、一定の明るさが保たれている。おかしな空間だ。寒くもなければ、暑くもない。床の面積だけ見れば、寝室として使うには少し広過ぎるといったところか。ただし、床の一辺と同じくらい、天井が高い。おそらくこの部屋は立方体の形をしているのだろう。巨大なサイコロの内部にいるような状態か。
「……ここは……?」
 小さく呟いた凍矢の声は、反響することなく周囲の白に吸い込まれていった。静かだ。静か過ぎる。自分は魔界――黄泉が治める癌陀羅――にいたはずではないのか。城の中を行き来する者の足音も、暗い空で轟く雷の音も聞こえない。
 起き上がると、体に何かが触れた。振り向くと、白い空間に背くような鮮やかな赤い髪の色が視界に飛び込んできた。
「陣!」
 彼の青い瞳は閉ざされていた。異様な状況下で横たわるその姿を見て、凍矢は一瞬ぎくりと肩を強張らせた。が、すぐに小さな呼吸の音が聞こえることに気付いた。つい先程まで凍矢がそうしていたように、陣も眠っているようだ。安堵の息を吐きながら、その肩に触れた。
「陣、起きろ」
「んん……」
 陣は唸り声を上げながら身じろいだ。早く起きろと急き立てると、ようやく彼は目を開けた。
「んにゃ……? どこだここぉ?」
 きょろきょろと辺りを見廻す彼の後頭部で、髪のひと束が芸術的な撥ね方をしているのを見付け、凍矢は思わず笑いそうになった。が、笑っている場合ではない――おそらく――。
「起きたか?」
「あ、凍矢。オレ、なんでこんなとこで寝てるだ?」
 凍矢は宛がわれたひとり用の部屋で眠っていたはずだったが、陣も、自発的にここへやってきたわけではないようだ。となれば、寝ている間に連れて来られたか。古くからの黄泉の部下の中には、突然やってきた自分達のことを快く思っていない者も少なからずいるようだったなと思い出す。だがそういった敵意を持つ者に侵入されて、それでもなお目を覚まさないなんてことは考え難い。すると、なんらかの能力を用いられたと推測するのが自然だろう。この妙に現実味を欠いた空間その物が、敵(暫定)の妖術であるというのは、むしろ納得がいく。ただひとつ、危機感を全く覚えないことだけが奇妙だ。陣も、呑気に欠伸をしている。明らかな異常事態であるにも関わらず、危険な“におい”が全くしない。本能が危機的状況ではないと完全に悟ってしまっているようだ――例えるなら、人間が近くを走る自動車には警戒しても、目の前を横切る蟻にはなんの注意も払わないように――。それとも、感覚を麻痺させるのも敵(同じく暫定)の力か……。
 辺りを見廻していた陣はドアの存在に気付いたようだ。普通に考えれば、あのドアがあっさりと開くはずはない。あるいはなんらかのトラップが仕掛けられている可能性もある――開けようとして触れた途端に電流が流れるだとか――。頭ではそう思っていても、「まあ平気だろうな」と思っている自分もいる。まったくもっておかしな状況だ。
「あそこから出られるんだべか」
「オレもまだ1歩も動いてないんだ。今起きた」
「そっか」
 陣は躊躇った様子もなく立ち上がり、ドアへ近付いて行った。彼に続こうとした凍矢は、床に何かが落ちて――置かれて、だろうか――いることに気付いた。今まで陣の体の陰で見えなかったようだ。
 それは手紙のように見えなくもない、一枚の白い紙だった。筆で書かれたらしい黒い文字は、悪筆過ぎてほとんど読むことが出来ない。逆さまにしてみても、さては縦書きかと90度廻してみても、それは変わらなかった。どちらかと言うと短いひとつの文章であるようだということ以外、何も判別出来ない。
「凍矢ぁ、何してっだぁ?」
 陣の声に顔を上げると、彼はもうドアノブに手を伸ばそうとしていた。
「今行く」
 判読出来ないのでは仕方がない。凍矢はその紙切れを捨てた。
 何者かによってこの部屋に連れて来られたのだとしたら、そのドアは開かないだろう。直接的な害を加えてこないところを見ると、それほどの力は持っておらず、精々相手を異空間に閉じ込めておくことが出来るだけ。といったところか。だがドアが存在している以上、外へ出る方法もあるはずだ。彼等が一時的に姿を消すことによって、メリットを得る者がいるのだろうか。あるいはただ、おちょくられているのかも知れない。先程の紙切れが敵(略)からのメッセージである可能性は高いが、如何せんあれでは……。
 陣が手を伸ばしたドアノブが、ガチャリと鳴った。かと思うと、それはあっさりと外向きに開いた。
「開いた」
「は?」
 嘘だろうと思ってみても、確かにドアは開いている。その向こうに見えるのは、見慣れた癌陀羅の長い廊下だ。雷の音も聞こえる。
 2人は揃って顔を出してみた。
「これ、出てもいいんだべか」
「誰にもとめられないということは、そういうことなんだろうな」
「そっか。んじゃあ帰るべ。勝手にうろうろしてたら、怒られるだ」
「怒られたことがあるのか」
 まだ半信半疑のまま、廊下へと出た。とめに来る者は誰もいない。
「ここはどの辺りだ?」
「たぶん3階の東側だべ。でもあんな部屋なんてなかったと思ったけど……」
「詳しいな。なるほど、それだけ把握するほど勝手に出歩いていれば、怒られもするだろうな」
 振り向くと、今出てきたばかりのドアが消えていた。やはり実在する物ではなかったようだ。
「なんだったんだろうな」
「なんだべな」
 案外、時間が経てば勝手に開錠されるようなものだったのかも知れない――そんなに長く眠っていたつもりはないが――。あるいは、気付かない内に外へ出るための条件をクリアしてしまっていたのだろうか。
「鈴木の新しい道具の失敗作とか」
「なるほど、ありそうだ。とりあえず与えられた部屋に戻ろう。咎められても言い訳のしようがない」
「分かっただ」
 そう応えると、陣は右手を差し出してきた。
「一回窓から外に出んのが一番の近道だべ」
 笑顔で言われて、凍矢は大人しくその手を取った。陣の妖術で巻き起こった風が2人の体を床から浮かせた。


2018,10,08


他ジャンルで「部屋」は書いたことがあるのですが、ジャンルとオチが違えばまた書いてもいいよね! ということで書きました。
細かい設定は全く考えていません。
好きにならないと出られないっての見て、最初から好きあっていたら出放題だなと思って。
<利鳴>

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