陣凍小説を時系列順に読む


  背伸びをしたいお年頃?


「陣、屋内で飛ぶなと何度言われたら……。おい凍矢。あれなんとか出来ないのか?」
「無理だな。オレの物心が付いた頃には、すでに『ああ』だった。というか、オレに言うな。オレは陣の保護者じゃない」
「そうかぁ。2人は幼馴染なんだね」
 修行の間のわずかな休憩時間のことだった。毎日続く過酷な修行の中にいてなお動き足りないとでもいうのか、陣はその身に風を纏ってあちこちを飛び廻っていた。先の会話からも分かるように、それが建物の中でもお構いなしだ。つい先日、襖を破壊して幻海師範にこっ酷く叱られたことも、すでに気にしていないようだ。あるいは、もう忘れているのかも知れない。
「子供の頃からあんなんだったんだねぇ」
 そう言ったのは鈴駒だった。外見は明らかに彼の方が歳下なのだが、はしゃぎまわる陣を見る眼は、子供に向けられたそれのようだ。凍矢にとって、そんな彼の口から発せられた『幼馴染』という言葉には、なんだか照れ臭いような響きがあった。未熟な頃のことはあまり人に知られていたくない。それだけが理由だろうか。
「ガキの頃の凍矢か。なんか想像しづらいな」
「しなくていい」
「オレには酎の子供の頃の方が想像出来んぞ」
「陣は結構簡単に想像出来るね」
「今でもガキみてーなツラしてるもんな」
 そんな会話をした、数日後のことだ。
「誰か陣を見なかったか?」
 休憩と食事を兼ねた短い昼の時間帯、酎、鈴駒、それから死々若丸が休んでいるところへ、凍矢はひょっこりと顔を出した。彼は、相棒の姿がそこにないことを確認すると、「全く、どこに行ったんだ」と溜め息を吐く。そんな顔で「オレは陣の保護者じゃない」などと言われても、説得力はまるでない。
「そういえば、鈴木もいないね」
 おそらく、与えられた部屋にこもってなにやら怪しげなアイテムでも作っているのだろう。一度騙されて実験台にされた経験がある酎は、渋い顔をしている。
「ところで」
 そう口を開いたのは、鈴木のこちらは保護者と呼ぶよりも監視人――今はその役目を放棄しているが――の死々若丸で、開け放ったままの襖の向こうにある廊下を指差している。
「『あれ』はなんだ?」
「『あれ』?」
 全員の視線がそちらへ向いた。そこにいたのは、小さな子供だった。
「……いつの間に?」
 一体どこからやってきたのだろうか。ここは山奥と呼んでも差し支えないほどには人里から距離もあり、充分辺鄙な場所である。人間の子供が1人でやってこられるような場所ではない。いや……、
「待って。あれって……」
 その子供の頭には、小さな白い角が生えていた。だとすれば、人間であるはずがない。ぼさぼさの髪に埋もれて見辛いが、そう、陣のそれに良く似ている。そう思って見ると、髪形も、その色も、顔付きまでもが、陣そっくりに見えてくる。まるで、陣をそのまま縮小したような……。
「っていうか、……本人?」
 状況を理解していないらしく、ぽかんと間抜けな表情をしているその子供は、一見すると陣の隠し子かと疑いたくなるような外見をしていたが、彼等は知っている。鈴木が持つ道具を使えば、1人の人間を――陣は妖怪だが――幼児期にまで戻してしまうことなど、造作もないことなのだと。
 凍矢は他の3人の眼が自分に向くのを感じ取った。この中で、子供の頃の陣の姿を知る者は彼だけだ。時間の経過とともに記憶は不鮮明になってはゆくが、眼の前に現れた小さな姿は、かつての陣のものに間違いなかった。あのマッドピエロめ。何をしてくれたんだと思いながら、凍矢はつい先程まで探していた人物をここに見付けたことを周囲に告げた。
「あーあ。こんなに小さくなっちゃって……」
「すげー。顔全然変わってねー」
「どうだ。驚いたか」
 気が付くと、彼等の背後には鈴木が立っていた。何故か得意げな顔をしている。無言で立ち上がった死々若丸が、早速その首を絞めにかかった。
「いっぺん死ね」
「お前なぁ、仲間を実験台にするなって言っただろッ」
「やっちゃえ死々若ー」
「お前も簡単に盛られてるんじゃない。少しは警戒しろ」
 マッドピエロ――あるいはマッドサイエンティスト――への処罰は死々若丸に任せ、溜め息交じりに言った凍矢に、幼い姿の陣は首を傾げた。
「……陣?」
「どうした凍矢」
「なにか様子が……」
「ここ、どこだ?」
 呑気な口調で、陣が尋ねた。その声は、幼い子供らしく、本来の陣のものよりも高かった。
「おめーらダレ? オレ、ここでなにしてるだ?」
 きょろきょろと辺りを見廻す仕草は、幼児そのものだ。
 鈴木の首から手を離した死々若丸は、質問する代わりに腰の魔哭鳴斬剣に手をかけた。
「前世の実、バージョンアップ版だ。今度のは外見だけではなく、精神や記憶まで若返る!」
 びしっとポーズを取って言う鈴木の首筋に、今度は剣先が当てられた。悲鳴を聞きながら、凍矢は再び溜め息を吐いた。
「じゃあ、見た目だけじゃなくて中身も本当に子供なんだ?」
「オレ達のことは知らないってことか」
「でも凍矢のことは知ってるんでしょ? 事情を説明してあげたら?」
「しかし……」
 先程から、凍矢が向ける視線に応じて、蒼い眼が彼の方を向いてはいた。しかし、それ以上の反応はなにもない。やがて陣は「おめーダレだ?」と再び首を斜めにした。
「やはりな」
「今の姿じゃ分かんないかー」
「じゃあ、薬の効き目が切れるのを待――」
「効果の持続時間は従来品の約3倍! 濃縮カプセルで呑み易く――」
「おーい死々若ぁー。そいつやっちゃってー」
「なんで怒られるの分かっててやるのかなぁー」
「ぬおおおおおおおっ、真剣白刃取りぃぃぃッ!!」
 見知らぬ大人たちが暴れ出すと、陣は不思議そうな顔でそれを眺めていた。だがすぐに飽きてしまったのか、1人で外へ駆け出そうとする。屋内であるにも関わらず、ふわりと風が吹いた。
「あ。駄目だよ」
「こら。勝手に動き廻るな」
 鈴駒と凍矢にとめられると、陣は不満そうな表情を隠そうともしなかった。
「なんでだ? オレ、こんなとこ知らねー。つまんないし、帰るだ」
「帰るって言ってもねぇ……」
 彼にとっての帰るべき場所は、現在とは違う時間にしか存在しない。もし今の状態の彼が魔界まで辿り着くことが出来たとしても、それは“彼”が住んでいた魔界ではないのだ。それどころか、明らかに弱い子供の妖力では、修行のために放たれた妖怪がいるこの山から無事に出られるかどうかすら非常に危うい。
「とりあえず、外は駄目だ。今説明してやるから……」
 とは言っても、この状況を子供――しかも陣である――が理解出来るだろうか。凍矢はこめかみの辺りを押さえた。軽い頭痛がする。
「凍矢」
 名を呼ばれて振り向くと、死々若丸が鈴木の首根っこを掴んで立っていた。すっかり懲らしめられたらしい鈴木はぐったりしている。
「こいつに解毒剤を作らせる」
「それまでそいつがどっか行っちまわねーように、ちゃんと見とけよ」
 死々若丸に続いて酎もそう言うと、2人は鈴木を引き摺って部屋を出て行った。あの状態で解毒剤なんて作れるのだろうかと心配にもなったが、そうでなければ自然と薬の効力が切れるのを待つより他ない。
「結局は待っているしかないのか」
「凍矢、オイラも手伝うよ」
 その場に残った鈴駒は、同情するような表情で微笑んだ。
「すまん」
「いいよ。子供は子供同士ってね」
 そう言って笑うと、鈴駒は「よし」と声を出し、陣の正面に座った。「陣も座って」と促すと、陣はしぶしぶながらも、それに従った。
「あのね陣、陣は悪い妖怪の所為で、子供の姿にされちゃってるんだ。その所為で忘れちゃってるけど、本当はオイラ達の仲間なんだよ。今元に戻るための薬を作ってるから、それが出来るまでは外に出ちゃいけないよ。危ないからね」
「悪い妖怪? そんなの、オレがぶっ飛ばしてやるだ!」
 悪い妖怪こと鈴木がすでに制裁を与えられていることを知らない陣は、勢いよく立ち上がった。それを、鈴駒は慌てる風でもなく宥めた。
「うん。でも、それは陣が元に戻ってからにしようよ。子供にされる前の陣は、今よりももっと大きくて、ずっと強いんだから。ね、凍矢」
 あの陣――しかも子供の――が大人しく言うことを聞いている。大したものだと感心していた凍矢は、急に話を振られてうろたえた。正直言って、子供の扱い方等なにも分からない。普通に接することが出来るのは、鈴駒の年齢――いくつなのかは知らないが――でぎりぎりだと思っている。酎と死々若丸が率先して鈴木の監視係に廻ったのも、――100パーセントではないにしろ――同じ理由からではないだろうか。今の陣は明らかに鈴駒よりも幼い。
「とーや?」
 凍矢がぎこちない相槌を打ち切るのも待たず、陣は首を傾げた。鈴駒の前から離れると、凍矢の顔を真っ直ぐに見上げる。
「おめー、とーやってゆーのか?」
 そんな顔を、どこかで見たことがある。凍矢はそう思った。
「あ、ああ……」
 頷いてみせると、陣はこの姿になってからは初めての笑顔を見せた。
「オレが知ってるやつにも、とーやって名前のやつがいんだ! 同じ名前だ!」
 それは、幼い頃の凍矢のことを言っているのだろう。そういえば陣のこの姿は、初めて会った頃の彼と同じくらいの時期のものに見える。そう思った直後に、凍矢は思い出していた。先程どこかで見たことがあると思った陣の表情。初めて彼に会った時、初めてお互いの名前を教えあった時、彼はちょうどあんな顔をしていた。ぽかんと口を開けて、凍矢の名を初めて呼んだ日。だが当然と言えば当然だが、先程のそれと、あの日のそれとでは、陣の目線の高さがずいぶん違う。記憶の中のそれよりもずっと低い位置から見上げられ、そうか、自分達はそんなに小さかったのかと少し笑った。そして、それが遠い昔の出来事となるだけの時間を、共に過ごしてきたのかと思うと、なんだか不思議だった。おそらく、凍矢が過ごしてきた年月の中で、陣と知り合うまでの時間は、知り合ってからのそれの方がすでに長い。半分家族のようなもの。仲間。腐れ縁。それとも……。呼び方はなんでも良い。とにかく、なんだか温かかった。凍矢は本来であれば熱を苦手とする氷の妖怪だが、この感情は心地良いと思った。
「その凍矢って、この凍矢と同一人物なんだよ。陣が大人になった頃には凍矢もこうなってるってわけ。2人は大人になってからもずっと仲間なんだよ」
 もしこの陣が過去からタイムスリップしてきたのだとしたら――そんなことが出来ればの話だが――、本当ならまだ知りえないはずの未来の話を聞かせてしまっても良いのだろうかと心配していたところだ。そんなことを考えずに状況を説明出来るという点にだけは、感謝しても良いかも知れない。
「おめーが凍矢?」
 陣は凍矢の顔を見上げたまま近付いてきた。そんなことをしても、首の角度がきつくなって見辛くなるだけだろうに。
「うーん? ちょっと似てっかなぁ?」
「陣は今の陣と結構似てるよ」
 鈴駒の声を聞いているのかいないのか、陣は凍矢の姿を凝視している。いや、睨み付けていると言っても良いほどだ。少し怒ったような眼が、凍矢の爪先から頭の上までを往復する。
「陣?」
「身長はっ?」
「は?」
「オレ、大人になってんだべっ? 背は? どんくらいになるだっ!?」
 陣は共に修行をしている6人の中でも背が高い方だ。その陣でも、子供の頃はそんなことを気にするような性格だったのかと思うと、微笑ましかった。しかしうっかり笑うと、すぐさま睨み付けられた。
「陣はオイラ達よりも大きいよ。さっきそこにいた髪の長い人見た? 死々若っていうんだけど、陣は死々若よりも大きいんだよ。オイラ、いっつも見上げてるなぁ」
 比較の対象に陣の次に背が高い鈴木ではなくその次の死々若丸の名前を出したのは、おそらく鈴木が自力で立つことなく引き摺られていたからだろう。陣は今はそこにいない人物の姿を懸命に思い出そうとしているようだ。そして視線は再び凍矢に向く。
「凍矢よりも?」
「は?」
「この凍矢とオレ、どっちが大きい?」
 2人を知る者にとっては考えるまでもない愚問だ。
「陣の方が大きいよ」
「比べるまでもなくな」
 そう答えてやると、陣は先程以上の笑顔を見せた。長い時間一緒にいて慣れたつもりの凍矢でさえ、眩しいと思う程の笑みだ。
「そっか!」
 いかにも子供らしい、邪気のない表情だが、不思議と現在の陣と大差ないようにも見える。この笑顔を見て、かつての凍矢は思ったのだ。きっと“光”とは、この笑顔のようなものをいうのだ、と。
「そんなに大きくなりたいの? 陣って、そういうのに拘るタイプだったんだ?」
 鈴駒が尋ねると、陣は「だって!」と声のボリュームを上げた。
「オレ、強くなりてーんだ!」
 そうだ。あの頃はいつもそんなことを言っていた。強くなろう。強くなって、外の世界を見に行こう、と。それは今、こうして叶えられているわけだが、『強くなりたい』と思う気持ちは、いつでも変わってはいない。
「強くなったら外の世界に行けるべ? オレ、今からなんまら楽しみにしてるだ! でも凍矢はあんまり楽しそうじゃねーんだ。ってゆーか、いっつもだけど、凍矢ってあんまし笑ったりしないんだべ。もしかしたらオレがちゃんと外の任務出来るんだべかって心配してんのかも知れないっちゃ。それとも、凍矢は自分がちゃんと出来るか心配なんだべか? とにかく、心配ぶっ飛ばしてやるには、もっともっと強くなるのがいいべ? 凍矢のこと守れるくらい! そんくらい強くなりてぇだ! だから、凍矢よりもちっこいのは困るんだべ」
 途中から、凍矢は顔を背けてしまっている。鈴駒はその顔が真っ赤に染まっていることに気付いていないふりをしてくれているようだ。
「そっか。それなら大丈夫! 陣は凍矢を守れるくらい大きくなれるし、強くもなるよ」
「ほんとかっ? やったぁ!!」
「でも、陣って凍矢よりも小さかったの?」
「んだ。あっ、でもっ、ちっちぇーって言っても、ほんとのちょびっとだけだぞっ!?」
「そうだったの?」
「……忘れた」
 そう答えたのは、先程の照れがまだ残っていたからだけではない。本当に覚えていないのだ。いつだって陣の視線は上から向けられていたと思ったのだが……。
「そうか。飛んでいる所為か」
 幼い頃からすでに、陣は地面に降りているということをあまりしていなかった。修行の一環として普段からそうしていろとでも指示されていたのだろうか。とにかく、それならいつも視線が上にあったことも、陣の方が背が低い時期があったのだという記憶がないことも、両方頷ける。
「なるほどねぇ」
 そう言った鈴駒は、妙に納得しているような顔をしていた。まるで、凍矢以上になにかを理解しているかのような表情だ。凍矢が訝しげな視線を向けると、「あとでね」と意味深な笑みを返された。
 その後、鈴木が作った解毒剤を呑んで、陣は元の姿に戻った。その薬にもなにか仕込まれているのではないかと疑った者もあったが、鈴木にとってもこれ以上修行を中断するのは望むところではないらしい。元に戻った陣は、とりあえず異変も副作用もないようだった。ただし、子供の姿に戻っていた間のことを、なにも覚えていないらしい。
「ふーん、オレ、子供になってただか。どんなんだった?」
「今とおんなじ」
「あ、ひでえ。それじゃあオレが成長してないみてーだべ」
 だが、怒ったように頬を膨らませる様子は、確かに子供の頃のままだと言われても仕方ないだろう。
 そんなやり取りも一通り終わり、修行は再開された。陣は、6人の中で1番体格の良い酎と手合わせしているが、少しも押し負けていない。それを横目に、凍矢は鈴駒に声をかけた。サボっていることを他の者に気付かれないように、こっそりとだ。
「鈴駒、さっきのはなんだったんだ?」
 鈴駒は凍矢の質問を予想していたのか、くすくすと笑った。
「陣がいっつも飛んでる理由」
 鈴駒は眼で陣の方を指した。陣の足は、今も地面から離れている。
「凍矢の身長を追い越したいからだったんだね、きっと。それで今でも癖になっちゃってるんだ」
 では、屋内を飛び廻って壁や家具を壊すのは自分の所為なのかと、凍矢は頭を抱える。もうとっくにお前の方がでかいのだからやめろと言っても、おそらく無駄だろう。本人も本来のその理由を忘れてしまった上に、鈴駒も言ったが、その行為は無意識のものになってしまっているに違いない。
 凍矢は溜め息を吐いた。
「いいじゃない。子供らしい可愛い理由で」
「今も子供なら許せたかもな」
「3つ子の魂100までだね」
「子供の台詞じゃないな。お前はいくつなんだ」


2013,05,05


子供の日なので幼児化させてみた!
陣の定位置は凍矢の斜め上。
それも、凍矢の右手側がいいと思います。
反対側だと前髪で顔が見えなさそうなので。
これまでに書いた過去設定小説とは若干矛盾する点があるかなぁーと思ったので、別の世界での出来事なのだなと思って読んで頂けると幸いです。
六人衆の中で、鈴駒が一番常識人なんじゃあないかと思っています。なんとなく。
<利鳴>

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