陣凍小説を時系列順に読む


※幼少期の設定が一部の他作品と多少異なっておりますので、それらの作品との接点はない別の話としてお読みください。


  隣を歩いていたいから


 近く『最終試練』が行われる。陣にそう伝えたのは、久方振りに姿を見せた凍矢だった。凍矢はすでに正式な魔忍の一員として、様々な任務に就いている。そのことは、本人の口から聞いて、陣も知っていた。だが、まだ同じ立場に進むための評価を与えられていない陣は、彼がどんな仕事をこなしているのかを聞くことは許されていない。同じ組織内の者であっても、“中”の者と、“外”へ出る者の間には、越えられぬ壁があるのだ。その壁の所為で、陣は以前――幼少の頃――のように頻繁に凍矢に会うことが出来なくなってしまっていた。物理的な壁ならば、修行場を抜け出す時のように簡単に飛び越えてしまえるのに、厳重に守られている魔忍の掟だけはどうすることも出来ない。凍矢の所在がどこにあるのかすら知れぬまま、陣は課せられた修行を続けるしかない日々を過ごしていた。もっと力を付ければ、自分も“外”の任務に就けるようになる。そうすれば、また凍矢に会うことが出来る。それを一番の励みにして、とにかく今は耐えるしかない。そう自身に言い聞かせた翌日に思いがけず果たされた再会は、これまた予想外なことに、凍矢の方から陣を訪ねてくるという形で成された。
「凍矢っ。帰ってただかっ?」
 もっとたくさん話したいことがあったはずだったが、何の準備も整理も出来ていなかったために、最初に出てきた言葉はそんなありふれた質問にしかならなかった。
「毎日外に出ているわけではない。それに、“これ”も任務のひとつだ」
「“これ”?」
 淡々と喋る凍矢に、陣は首を傾げる。
「お前に伝えに来た。そうするようにとの命令だ」
 なんだ。では空いた時間にわざわざ会いに来てくれたわけではないのかと、陣は少々落胆した。それで凍矢の表情が幾分硬いように見えるのか。だが、凍矢の用件――任務――が早く終われば、少しの雑談をする時間くらいは作れるかも知れないと、前向きに考えることにして、陣は先を促した。
「えっと、なんだっけ。試練?」
 挨拶の言葉さえなしに告げられたセリフを思い出しながら尋ねると、凍矢は頷きを返した。
「近日中に、上層部の者がやってきてお前をテストする。それをクリアすれば、正式な任務を与えられるようになる」
「任務!」
 陣の表情はぱっと明るくなった。待ち望んでいた報せが、ついに。あとどれだけ耐えていれば良いのだろうかとやきもきしていた日々に、ようやく終止符が打たれる。それを聞かされて、陣は喜ばずにはいられなかった。純粋に、自分の力が認められることは嬉しい。それ以上に、また凍矢の傍にいけることが嬉しい。
「やったー!」
 陣が両手を上げると、視界の隅で凍矢の表情がふっと和らいだような気がした。が、そう思って視線を向けてみても、凍矢は「話を最後まで聞け」と言いながら小さな溜め息を吐いただけだった。
「浮かれるのはまだ早い。試練があると言っただろう」
「でも、試練だったらもっと前にもやっただ」
「それは師からの修行を終えるためのものだろう。完全に別物だ」
「そっか。でもあの後も結局修行は続けねーとだし、あんまし変わった感じしないだ」
 直接指導する者がいなくなったという程度の違いこそあれ、何かが劇的に変化したということはなかった。その時は。だが今度のは違う。いわば、これでようやく一人前であると証明出来るのだ。
「凍矢も受けただか、その試練」
「そうでなければ“外”の任務には就けない」
「どんな内容だった?」
「オレのことはどうでもいい。試練の内容は、個々によって違う。お前にはお前専用の課題が与えられる」
「オレ専用……」
 その言葉に、陣は己の中に緊張感が生まれたのを自覚した。それと同時に、その時がくるのが楽しみで仕方がない。
「試練の内容は上層部の中でも一部の者しか知ることは出来ない。日程は確定次第、改めて伝えられる。オレが報せるようにと言われたのは、それだけだ」
 きっぱりと言うと、凍矢はふうと息を吐いた。それを合図にしたように、彼が纏っていた雰囲気――陣はそれをよく風に例えている――がわずかに和らいだ。彼のことをよく知る者――自分こそがその筆頭だと陣は自負している――でなければ絶対に気付けないような小さな変化ではあったが。
「……任務終了?」
 陣が顔を覗き込みながら聞くと、凍矢は「ああ」と応えた。それでも「それじゃあこれで」と、彼が立ち去ってしまう様子はない。つまり、まだ一緒にいて良いのだと判断して、陣は再び笑顔になった。
「そっかあ。試練かぁ、どんなんだべか。わくわくすっだなぁ!」
「わくわく?」
 不安の間違いではないのかと、凍矢はかすかに眉を顰める。当事者である陣よりも、彼の方が心配そうな顔をしている。いや、“申し訳なさそうな”だろうか。
「オレは、本当に何も知らないんだ。何のアドバイスも出来ない」
「分かってるって。大丈夫! 何がきたってぜってークリアしてみせるだ!」
 元より、凍矢の助力に頼ろう等とは考えていない。例えそれが可能だったとしても、己の力で越えられなければ意味がないのだ。凍矢だって、それを果たしたからこそ今の役割を与えられている。
「ずるなんてしないだ。どっからも文句付けらんねーくらいの満点で合格してみせるだ!」
 陣が拳で胸を叩いてみせると、ようやく凍矢も表情を緩めた。感情を表に出すことの少ない彼には、それが笑顔の代わりのようなものだ。
「でも、本番まで何すんのか分かんねーってことは、今からなんかしても無駄ってことだべな」
 独り言のようにぽつりと呟いたのを、凍矢は聞き逃しも、聞き流しもしなかった。「ありとあらゆる事態に備えろ」と言ったその表情は、にわかに厳しさを帯びた。そういう顔だけは分かり易く外に出るのだ。
「終業の試練と同じレベルだと思うなよ。体力や妖力はもちろん、知識や判断力、洞察力、与えられた指示に対する理解力、全て試されると思え!」
「うええ、厳しい。ってゆーか待ってけろ。覚え切れないだ。メモしていいだか?」
「記憶力もだ! このくらい覚えられないでどうする。頭の中にメモしろ。言っておくが、極秘の任務が与えられた時に、記録なんて取れるわけはないんだからな!」
「ええー」
「情けない声を出すな! メモなんて取って、それを紛失したらどうするっ。そうやって情報漏洩が起こるんだ!」
「うー、ホントに厳しい」
 それでも、こうして凍矢と話をしていられることが嬉しい。それを顔に出せば、おそらく「真面目に聞け」と怒られるのだろうが。
「そもそも、お前が言ったんだろうが」
 いつの間にか、凍矢は顔を背けていた。その所為か、声はあまり大きくは聞こえなかった。陣が「え?」と首を斜めにしていると、蒼い瞳がちらりとこちらを見た。
「それも、忘れたか?」
 長い前髪の下にある表情はほとんど読み取れなかった。しかし、普段は健康状態が心配になるほどに白い頬が、かすかに赤みを帯びていることに陣は気付いた。
「……一緒に、外の任務に就こうと……」
 その声が耳に届いた瞬間、陣は咄嗟に手を伸ばし、凍矢の肩を掴んで自分の方を向かせていた。少し驚いたように開かれた瞳に、自分の姿が映っているのが見えた。
「そんなの、忘れるわけねーべ!」
 いつかきっと、一緒に戦おう。それは、2人がまだ幼い頃にした約束だ。陣の目標ともなったそれを、凍矢が覚えてい――てくれ――たのが、陣には少し意外だった。陣は、はっきり言ってそれほど記憶力が良いわけではない。だからこそ他の何を忘れてしまったとしても、その思い出だけは手放すまいと常に心に留めていた。反対に凍矢は、機会があれば様々な知識を己の物にしようと励んでいる。だからこそ、あんな口約束等、もう忘れてしまっていると思っていた。彼にはもっと覚えるべきものがたくさんあって、やるべきことも山のように存在しているから、と。覚えているのは自分だけ。それでも良いと、陣は思っていた。自分さえ忘れずにいれば、きっといつかその“約束”は果たされるのだから――凍矢がそれを認識することがなくとも――、と。だが実際には違っていた。凍矢も、あの日のことを忘れずにいてくれた。そしてそれを果たそうと、こうして陣のために少しでも助言をしようとしている。厳しいように聞こえる言葉は、全て陣のために。そして、凍矢自身のために。
 困惑するほどの喜びに駆られて、陣は凍矢に抱き付いた。小さく驚きの声が上がったが、聞こえなかったふりをした。
「オレ、絶対合格するだ!」
「根拠がないな。今すぐこの腕を解いて、試練に備えた方が建設的だと思うが?」
「じゃあ、“約束”するだ。絶対合格するって」
 あの時のそれも、根拠なんて欠片もなかった。それでも凍矢は、それを忘れずにいてくれたのだ。
 今度は凍矢は、「根拠がない」等とは言わず、諦めたように小さな溜め息を吐くに留まった。
 しばらく抱き付いたままでいると、腕の中の凍矢がぽつりと呟くように声を発した。
「……明日、非番なんだ」
「えっ、じゃあ?」
 凍矢は頷き、顔を上げた。
「試練の対策を練るぞ。みっちり」
「うわあ、やっぱし厳しい」
 陣は頬を引き攣らせるように笑った。


2016,05,04


『○○は笑った』って終わり方多すぎな気がしたので確かめないでおきます(笑)。
わたしが書く陣はいつも浮いてて歩いて移動していることがほとんどない設定なので、タイトルは陣じゃあなくて凍矢側の心境。
気付いてもらえなかったらさみしーから、頼まれてもいないのに自分から進んで解説しちゃうよー。
そう言って利鳴はヤケクソ気味に笑った。
<利鳴>

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