ディオジョナ 全年齢


  ダンス・プラティクス


――ガチャ
 ドアが開いた。ノックもせずにジョナサン・ジョースターの部屋のドアを開ける人間は1人しか居ない。
「ジョジョ」
 名を呼ばれ机に向かう椅子に座ったままジョナサンは振り向いた。予想通り声の通り、部屋を訪ねてきたのはディオ・ブランドーだった。
 数年前に父が養子として引き取り家族となった。義理の兄弟の関係だが何が気に入らないのか過ぎた嫌がらせを受けたりもしたが、今は一応落ち着いている。
 なのでこの訪問も悪巧みの1つ等ではないと思いたい。
「――教えろ」
「え?」
「ダンスを教えろと言ったんだ」
「そう……だ、ダンス? ワルツのステップの事?」
「他に何が有る」
「何でまた急に……取り敢えず、入ったら? その、座ってゆっくり話そう。ディオが嫌じゃあなければ」
 はいともいいえとも言わずにディオは部屋に入ってきた。
 テーブルに向いた一人掛けのソファーに座る。ジョナサンも椅子をそのテーブルの方へと向けて座り直した。
 ジョナサン自身にも言える事だが、成長途中でありながら手足が長く学級でも背の高い方だ。優雅なワルツを踊らせればさぞかし華やかだろう。ディオは運動神経も良いのですぐにマスターする筈だ。
 というより、ダンスが出来ないのか? ディオが?
「この家に生まれ育ったお前はダンスが踊れるんだろう?」
 学校でも家でも、他人には見せない覇気の無い様子。ディオは普段こういった「呆れた」表情を見せない。ジョナサン以外には。
「小さな頃は練習させられたけど暫くやっていないな……」
 嗚呼そうだ、ディオが家に来た頃には練習させられる事が無かった。ジョースター家からダンスの予習が消えた後にディオは来ている。
 学校で習う事でもないし、辺り一帯を治める貴族のジョースター家でさえしていないのだから、ディオがダンス自体を知らなくても可笑しくない。
 貴族の嗜みに、何の実にもならない道楽に過ぎないと思っていそうだ。
 だが「教えろ」と言う事は。
「俺は社交界に出る」
「……未だ、15なのに?」
 優秀なのでもうデビューする事になったのだろうか。
 男は貴族として政治や経済、外交に加わるようになってからそこに足を踏み入れる。大学に上がる前からという早過ぎる例は聞いた事が無い。
 女であっても16歳になってからが一般的だ。上流階級の女性にとって社交界とは将来の伴侶を見付ける場。若いではなく幼い少女がそんな場には上がれない。
「エスコートを頼まれた。1つ上の女に……上級生の女子に頼まれたんだ」
「成程、そういう事か」
 その日に社交界デビューする若い女性はデビュタントと呼ばれ、デビュタントは女王陛下に挨拶をした後エスコート役の若い男性に付き添われ舞踏会の場へと移動する。ディオはそのエスコート役を頼まれ、社交界でダンスをする事になったようだ。
「腕を組んで歩き、ダンスをするだけだと言われたが何の事かわからん。俺は……社交界を未だ知らない」
 いずれその世界の重鎮となる気でいるのだと思っていた。否、本当に言葉通り「今は知らない」というだけで、よく知り身に付けて1番高い席に座るつもりかもしれない。
 ディオの知らない事をジョナサンは知っている。
 教えてあげられる、と思った。自分が上だという意味ではなく、将来共に社交界で様々な人々と関わってゆく事になるのだと、そこへ至る道はこちらだと手を取れるのだと。
 あれだけの事をされたのに未だ友情を築けたらと思っている。どれだけ積み重ねても偽りでしかないのかもしれないが、それでもと願っている。
 ジョナサンに教えを乞う姿勢を見せてくる事は早々無い。初めてかもしれない。恐らく勇気を振り絞った筈だ。きちんと応える事こそ紳士の務め。
「分かる事は全部話すけど、知っての通り僕だって未だ社交界に出ていない。聞いた事を話すだけになるよ」
「構わん」
 態度には表さないがそれだけ切実なのだろう。
「デビュタントは付き添い人、大抵が母親に連れられて女王陛下と謁見する。ディオはその後にデビュタントと一緒に広間まで下りて、一緒に踊る係を頼まれたんだ。その人の言う通り、腕を組んで歩いてダンスをするだけだよ。エスコートするデビュタントが謁見を終えてディオが名前を呼ばれるまでは特に何もしない」
 正装で座って待っているだけ。ディオは誰もが目を奪われる程の美形だ、ただ座っている姿もさぞかし絵になるだろう。輝く髪に鋭い瞳、男だが高嶺の花という表現がとてもよく当て嵌まった。
「俺以外にもエスコートで来る人間が居るのか?」
「エスコートが必要なのはデビュタントだけだけど、ディオにエスコートを頼んだ先輩、なのかな? 彼女以外にもデビュタントは居ると思う。どの位の人数かは、ちょっと」
「そうか……」
 頭に叩き込んでいるのか深く瞬きをする。
「デビュタント全員の謁見が終わるとデビュタントを中心に皆でダンスをするんだ。デビュタント以外は踊っても踊らなくても良い」
 立場が上がれば上がる程踊らない傾向に有る。未だ若い人々の美しい踊りを見ながら最上級者達が話をする世界が社交界と呼ばれていた。
「一応目上の人から話し掛ける決まりが有るそうだけど、今はどうなんだろう。ただエスコートだし15歳だし、ディオからは話し掛けない方が良いと思う。話し掛けられたらそのまま話して。相手が誰でどんな話であっても」
 もし立場が逆なら、ジョナサンがディオに社交界の事を尋ねていたら。ジョナサンを嵌める為にディオは「積極的に話し掛けるべきだ」と吹き込んでいたかもしれない。
 疑う心は有るがジョナサンの方に騙したい気持ちは全く無い。
「エスコートしてあげてるデビュタントに話し掛けるのは良いと思う。その子はきっと緊張しているだろうし。ディオはそういうの、得意だろう?」
「フン」
 好きでしているわけではないが、出来ない・したくないとは言いたくない。そんな気持ちを滲ませて目を逸らす。
 何も無い壁を見て数秒、すぐにジョナサンの顔へと視線を戻した。
「エスコートはダンスの上手さで選ぶわけじゃあないんだな」
「そうだね、実際にダンスが上手いかどうかより、踊る際の体格差を気にすると思う。自分より背が高くて太っても痩せ過ぎてもいない事の方が大事な筈だ」
 理想的な体形にして顔も髪も仕草も美しいとなれば、今までディオにエスコートを頼んだ女性が居ない事の方が驚きだ。来年以降、同い年の女子の中で社交界デビューをする者が居ればきっとディオに声を掛けるだろう。
「先ず会場に行く。デビュタントとは別々で。着いたら係の人がどこに居れば良いか案内してくれるよ」
 そこまで言わなくてももう子供ではない、誰が係の人間がわかるだろうし尋ねるだろう。それに若く美しいを地で行くディオが来たなら係の人間はすぐにエスコートの為に来たとわかる。
「俺が待っている所がここだとして」座るソファーの座面をとんと叩き「ここから女王は見えるのか?」
「うーん……僕はエスコートの控えに居たわけじゃあないけど、直接お目に掛かれないんじゃあないかな」
 そうかと納得して話を続けるように促した。
 ディオが女王陛下の御姿を見たがるようには思えないが、まぁ企みも無いだろう。幾らディオであっても王家は何かを企める相手ではない。恐らく。
「じゃあそのテーブルからこっちが陛下の居らっしゃる部屋として、そこのベッドが陛下が座る場所としよう」
 ジョナサンは立ち上がり窓に背を付け部屋の方を見る。
 この部屋にディオが居るのは不思議な光景だ。ディオが自分の部屋で寛いでいる時もこんな雰囲気なのだろうか。訪ねた事は無いし、訪ねる用件も無いし、入れてもらえないから想像した事が無かった。
「デビュタント達が付き添い人と待っている。そして名前が呼ばれる。「ジョナサン・ジョースター」「はい」こうしてデビュタントと付き添い人だけが陛下と謁見する」
 ベッドの前まで静かに歩き、無いドレスの裾を持ち上げ片膝を付く。
「ジョナサン・ジョースターです」
 他に何を名乗るのだろう。貴族や名士である父の名前だろうか。ディオよりも知ってはいるが、それでも詳しいわけではない。
 もしもこれが本当に社交界の場であれば女王陛下に笑われてしまったかもしれない。それとも他のデビュタントも緊張しきって上手く挨拶すら出来ないものなのだろうか。
「……これで挨拶が終わって陛下達の部屋から出る」
 背筋を正して歩き、ドアと座るディオとの間辺りで立ち止まった。
「広場に向かう時にエスコートをする人の名前が呼ばれるからデビュタントの所へ行って」
「返事は声に出すのか?」
「ううん、立ち上がるだけで良い。「ディオ・ブランドー」」
 1つ深い瞬きをしてディオが立ち上がる。
 毎日寝起きしている見慣れた部屋でいつもと髪型も服装も変わらないディオがこちらへ歩いてくる。それだけなのに、お伽噺の世界に入り込んだような気がした。
 まるでお姫様にでもなったかのような。嗚呼デビュタントは皆女王陛下に認められ姫になるようなものだ。美しく着飾り頭にティアラを乗せ、ディオのような完璧な王子様の腕を借りる。
 ディオはジョナサンの左に立ち右の肘をこちらに差し出す。その腕に手を掛けた。
「……女の子はハイヒールを履くからこの位の背になっているかもしれない」
「ああ」
 ハイヒールは歩く為ではなく脚を美しく見せる為の物。ディオと殆ど身長差の無い、寧ろ肩幅の差でこちらの方が大きいかもしれないジョナサンと同じ位になる事も有る。
 そして歩きやすさは一切考慮されていないのでふらつかないように、間違っても階段から落ちてしまわないようにエスコートが必要なのだ。
「広場まで連れて行き、それからダンスか」
「ダンスの練習は広い玄関でしよう」
「ああ。途中こうしてドアが閉まっている事は有るか?」
 エスコートの練習を兼ねてこのまま歩いていくらしく、ディオは腕を貸したまま部屋のドアを視線で指した。
「閉まっている事は無いし、ドア自体が無いかもしれない。万が一有っても開けるのはエスコートの仕事じゃあない。開けるから、ちょっと待ってて」
 腕から抜けてドアを開ける。幸いにも廊下には誰も居ない。
 幸い? 誰かが居たら困るのか?
 ディオと腕を組んで歩いている所を見られたくない。何故だろう。女の真似事をしていると思われたくないからか。
 腹の中は真っ黒であろうディオも表面では「この兄弟にして友人とはとても仲が良い」と見られたい筈だ。ダンスが出来ない、社交界の事を何も知らないと思われなければ見られても何も困らないだろう。
 だから2人にとって悪い事等1つも無いのに。
「廊下に何か有ったか?」
「ううん」
 いつまでも戻らないジョナサンに焦れた声が掛かる。
 急いで戻りディオの腕を取った。
 本物の淑女はこんな忙しない仕草ではない。本番でディオが困らないように、全力で練習しなくては。ディオがまさかの失敗をしたら後から何か言われるのはジョナサンの方だ。
「広場に向かう途中は何も話さないで。駄目だって決まりが有るかはわからないけど、誰も話していなかったから」
 本来なら緊張で声も出ないだろうが、ディオならばそれも乗り越えかねない。
 わかった、と頷いたディオが1歩踏み出す。
 腕を組み寄り添い歩く。ドアを開けたまま廊下を渡り、ゆっくりと階段を降りた。ずっとこのジョースター家を見守ってきた美しい彫像以外には誰にも見られなかった。
 玄関広間の中央で足を止め「これでエスコートは終わりだな」と言うディオの言葉に従い腕を離す。
「次はダンスの仕方だね。入っている楽団が前奏を始める。ワルツだから1、2、3、1、2、3ってリズムだけが流れるから、その時に中央近くの人とぶつからない所へ出て、えっとディオが男子の側だから……右手で僕のここを支えて。押さえるっていうか、添える位に」
 ジョナサンは左手で自身の腰を指した。
 ドレスの女性であればコルセットを締め上げ括れている部分。ディオの右手がそっと触れる。
 身の引き締まる思いがした。ジョナサンは背筋を但し左手をディオの右肩に乗せた。
 何かで見たのか自然とそうさせるのか、ディオが手の平を上に左手を差し出してくる。
 右手を重ね乗せる。手と手が触れ合った。握ったり握られたりはしない。ディオの方が体温が低いのか、ほんの少しひんやりと感じた。
「次は?」
「……ああ、えっと、曲が始まったら、曲の主旋律が始まったらステップを踏み出す」
「1、2、3の」
「ダンスだから女性を如何に美しく見せるかを意識して男性がリードする。ステップは足を出す、下げる、その繰り返しだけでダンスになる」
「女がついてこられればな」
 自分の方にミスは無いという自信。過剰は時に困るが時に――或いは人により――役に立つ。
「ハイヒールを履き腰を塞がれているから大きく外れるヘマはしないだろうが、足を踏まれる可能性は有るな」
 痛いし苛立つし、何より次のステップに繋がらなくなる。練習はそういった場合も想定して行わなくては。
「曲は用意出来ないからディオの考えるリズムでいこう。1で右足を出して。2で僕が左足を出すから、3左足を出して。次の1で僕が右足を出すから、2ではまた君が右足を今度は下げて」
「それを繰り返すだけでダンスになるのか? まあ女の歩幅に合わせたり、他に踊っている奴にぶつからない位置へ移動したり、人形のようにかかくばらないようにと考える事は沢山有るか」
 実際にダンスホールで踊ってきたかと思う位に『知って』いた。
「取り敢えずやってみるか。1、2、3位のテンポでいくぞ」
 うんと応えるとディオの脳内で前奏が始まったらしく顔付きが変わる。
 きっと多くの女性達はその真剣な瞳に心奪われるのだろう。だがジョナサンは違う。男だからではなく、ディオの内面を知っているから。どれだけ綺麗な顔をして上品に振る舞った所で、その内側には醜悪な本性を渦巻かせたまま。ただ何事にも器用なディオはそれを隠す事にも長けていた。
 三拍分の間の後に踏み出した1歩は目張りでもしてあるかと思う程に迷いが無い。余りの続きやすさに幼少期を思い出した。その時の教師の背筋のしゃんとした美貌の女性とディオが重なる。
 リードのし方を教えているのに、ステップを踏む毎にリードのされ方を学んでいるような気がしてくる。常に同じテンポで無駄に体は揺らさず、先程降りてきた階段の前まで踊り進んでいた。
「実際は多くの人間が居て、流れている聞き慣れない曲に合わせるのか」
 骨が折れるとでも言いたそうだが決して言わない。難無くこなすのがディオ・ブランドー。
 誰にも負けない、自分こそが唯一の頂点でありたいという野心家。だが欲と夢は紙一重だし、今はそれでも良い。
 大勢に囲まれ厳かな楽曲が演奏されている気になってくる。普段通りの服を着ているのに、その場に居る誰よりも正装が映えているように思えてくる。
 このままずっと永遠にダンスをしていられれば良いのに。
 2人の足音しか聞こえなくても良い。生い立ちだとか何だとかは全て放り投げて、ただこうしてダンスをする関係だけであればと願ってしまった。
 乗せている、触れ合っている手がふわと離れる。
 急に体が放り出されたような感覚。しかし恐怖の類する感情は抱かなかった。
 自然と支え続けているディオの右手を軸に体を逸らして離す。編み上げて絞ったウエストを見せるように、蕾が開花するように腕を広げる。
 存在しないが2人にだけは聞こえている三拍子のリズムに合わせすぐに体を戻し、再び手に手を重ねた。
 たどたどしかったかもしれないが誇らしかった。ディオがダンスをした事が無いとは信じられない。沢山の少女を社交界に招き入れてきたとしか思えない。
 このダンスの為だけに教養を身に付けてきた少女達をお姫様にしてくれる王子様。
 曲が終われば夢も終わる。少女達にとって社交界は夢ではなく現実となり、ジョナサンにとってディオは王子ではなくディオ・ブランドーになる。
 文武両道で眉目秀麗な貴族の、極度の野心家で命を奪うような残忍な事を素知らぬ顔で出来る少年に。
「曲が終わったらどうするんだ?」
 早く教えろと言いたい筈なのに、何故か穏やかな問い掛けに聞こえた。
「礼をして終わり。その後は……ディオなら、別の女性が踊ってほしいって言ってくるんじゃあないかな」
 それをわかっているデビュタントは、きっと楽曲が終わらないでほしいと思うだろう。今のジョナサンのように。
「お開きの言葉が有るまで帰れない、というわけか」
 未だ若いから、を言い訳に早々に引き上げても誰も咎めないだろう。
 だが帰らないでほしい。終わらないでほしい。ずっとこの音楽が流れていてほしい――否、『今』は実際には音の1つも鳴っていない。
 曲の終わりは、このダンスの練習の終わりはディオが決める。
 もうすぐ終わろうと一言有ってほしいが、ピタと止まられても可笑しくない。それで躓いた所を――人前ならば「大丈夫か?」と尋ねるが、こうして誰も居なければ心配のフリすらせずに――嘲笑う方がずっとディオらしい。
 だというのに踊り続けているという事は。
「女王陛下も悪趣味だな」
「ディオ!」
「だってそうだろう? 社交界に漸く入れた若者が陳腐に踊りながら心を交わす様を見たがるだなんて」
「……そうかもしれないね」
「良いのか、ジョジョ」
 お前がそんな事を言っても、とディオはくつくつと笑う。
 女王陛下だろうと誰だろうとお許し下さるだろう。
 ディオは「踊る姿」とは言わなかった。踊りながらする「心の交流」と言った。
 ダンスをした2人の絆が深く繋がると思った何よりの証。
 存在しない楽団の奏でる音楽は暫く鳴り止まない。国の方針を定める社交界ではないが、2人の少年の複雑な世界は在り続ける。


2020,12,31


ガチの社交界は知らないけど。いや成金の社交界も知らないけど。
アメリカとフランスの良い所取りをした架空のイギリスの社交界という事で。
もっとダンスの浮かぶ光景を描写しきりたかった…バイトが忙しくなり筆力が低下してしまいました。
だけど2020年をディオジョナのダンスで締め括りたかったのです。
<雪架>

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