ディオジョナ 全年齢


  お針子の娘


 そろそろ夕食に呼ばれる時間帯、丁度1冊本を読み終えたディオ・ブランドーは先に食堂に向かうべくその廊下を歩いていた。
 ふと奥の使用人達の作業場に通ずる階段の前にジョナサン・ジョースターの姿が見えた。ディオがこの屋敷に来てから数年しか経っていないが、こうして離れて後ろから見ると背がかなり伸びているのがわかる。
 更に伸びそうな背に隠れる位の大きさの誰かと話しているようだ。大股に、しかし足音を立てずに近付いた。
「有難う」
 ジョナサンの声に対して。
「あのね、ジョジョ様に似合うと思ったの!」
 舌足らずな返事。影になっていたのは5歳位の幼い少女。確か屋敷に住み込みで働いているお針子の娘だ。
 お針子はその名前の通り裁縫を主な仕事とする。貧困あるいは平凡な家庭でも、妻・母がする家事の1つを職業として設けているのはジョースター家が貴族の証。
 そんなお針子となり娘共々住み込みで働く母親は何の特技も無いのだろう。
 何かをジョナサンに手渡しニコニコと笑う娘の顔の作りは良い。仕立ての良い服を着せればそれなりに見えそうだ。
「――ジョジョ、何を話しているんだい?」
 呼び掛けに振り向いたジョナサンの手には庭で摘んできたであろう名も無き可憐な花が握られている。
「ディオ様、こんにちは!」
「あぁ……その花は、その子供が?」
「綺麗なお花だから摘んできました! まるでジョジョ様のお目めみたいな色なの」
 確かに花弁とジョナサンの瞳の色は似て見えた。
「ジョジョ、僕達は貴族だ。その子供とは階級が違う」顔を顰めて(しかめて)娘を見やり「君は未だ誰からも教わっていなくて知らないかもしれないが、君達使用人が貴族に『物をあげる』のは良くない」
「そうなんですか?」
 丸くした目をぱちぱちと瞬かせた娘は間抜けそうに口を開いたまま。
「これ位良いじゃあないか。この子は未だこんなに小さいんだし、それに僕はこの前誕生日だったから」
 確かに誕生日に使用人一同よりと贈り物をする事位は咎められはしないが。
「ディオ様のお誕生日はいつですか?」
「……何?」
 今この小娘は生まれた日はいつかと尋ねたのか?
「俺にそんな物は無い」
「ディオ様は貴族なのに、お誕生日が無いんですか?」
 貴族の子は望まれて生まれてくる。故に生まれてきてくれて有難うと毎年毎年飽きる事無く祝われる。
 しかし身分の低い人間はそうとは限らない。望まれて、とは限らない。堕胎するだけの金が無いから生み落とし、しかし育てるだけの金が無いから疎まれる。下層であればある程それは顕著だ。
 家畜ですら生を喜ばれるのに。
「じゃあディオ様の――」
「無いと言っているッ!」
 娘もジョナサンも驚きに言葉を失っている。この屋敷に来てから数年、ここまでの大声を張り上げるのは久し振りだった。

 誕生日を祝う、という習慣がそもそも腹立たしい。作法は乱さず、しかし美味いの一言も無しに夕食を済ませたディオはその足で使用人達の持ち場とも言える地下へ向かう階段を降りた。
 貴族が階段を下るのも使用人が階段を上るのも互いに生活していく為に必要な事なので誰も咎めない。
 しかし貴族の『子供』であれば自ら仕事を言い付けに行く必要が無いので話は変わってくる。
 使用人の子供も然り。それをあの娘はのこのこと上がり外へ出ては花を摘み取り、更には自らジョナサンに手渡した。
「ディオ様!」
 階段を降りきる前に気付いた執事がその名を呼ぶと、階段を降りてすぐの会議――専ら休息に使われている――部屋にいた使用人全員が立ち上がってこちらを向き姿勢を正す。
「いやはや珍しい、ディオ様がここへ降りてこられるのは。何か有りましたかな? 従者の者に何でもお言い付け下さって構いませんよ」
 年嵩の執事長が細く皺の多い顔で笑った。
 一瞥するまでもなく目的の人物を2人共見付けたので、ディオも平然を装い笑顔を作る。
「皆、そんなに畏まらないでくれ。ちょっと聞きたい事が有ったんだが、ジョジョにも『お父さん』にも聞けないから立ち寄ったんだ。質問しても良いだろうか?」
「何なりと」
「僕の生まれは正直貧しい」
 表情も声のトーンも落とすと、途端に場の空気が重たくなった。
「あの街では貴族の家に奉公に出る人間も居たし、貴族から施しを受ける家庭も有った。だからなのかもしれないけれど『市民が貴族に物を渡す』事はいけない事とされていたんだ」
 施しを与える者と受け取る者。その関係を決して違えてはならない。
 見栄が全ての貴族にとって下の身分の人間から物を受け取る事は恥ずかしい事、だけでは済まされない。没落を予言されたようなものだ。
「国も言葉も同じなのだから、ここでもそうだと思っていたのだけど」
「ディオ様……それは……」
「別に僕とジョジョの違いを嘲笑うつもりでやった、とかではないだろうけど……幼い子供の目には僕とジョジョは兄弟には見えないんだろうね」
 酷く寂しそうな表情を浮かべて見せたが、殆どの者はディオの方を見ていない。
 幼い子供、と聞いて青ざめたお針子の女とその傍らの娘を親の仇(かたき)と対峙した時のような目で見ている。
「僕は何とも思っていないから良いんだ」
 渡されたのはジョジョの方だしな。
「知らないままじゃあいられないと思って聞きたかっただけさ。それじゃあまた。おやすみ」
 返事を待たずに踵を返して階段を上る。憤りを抑えているのか防音効果がしっかりしているのか、使用人達の声は聞こえない。
 上りきり廊下へ出て、鼻歌でも口ずさんでやろうとしたディオの目の前に1人の少年が立っていた。
「ジョジョ……どうしたんだい? 日に2度もこんな所に来るだなんて」
「それは僕の台詞だ」
 険しい表情にわざとらしい低い声。どうやらご機嫌が宜しくないらしい。
「その階段がどこに続いているか、まさか知らないなんて筈が無い。君は聡明だから、この家に来た時の最初の説明でどこにどんな部屋が有るかを覚えている」
「買い被り過ぎだ」
 使用人部屋に通ずる道等覚える気は無い。それでも数年暮らせば頭に入るし、最悪消去法で割り出せる。
「あの子の事を話してきたのか? あの子が僕に花をくれた事を」
「だとしたらどうする?」
 また殴り合いでも始めるつもりか?
 使用人部屋へ通ずる階段の前で喧嘩を始めれば、話はよりジョナサンの望まない方向へ進むだろう。そしてそれはディオの望む方向だ。
「あの子が折檻を受ければ良い。そんな風に思ったのか?」
「ジョジョ、君は勘違いをしている。僕はあの子に『常識』を身に付けてもらいたいんだ。どこの世界にも暗黙の了解という物が有る。貴族と使用人の間にも」
「それは……確かに君の言う通りかもしれない。でもあの子も言っていたように、僕はこの前誕生日を迎えたばかりだ。君も祝ってくれたじゃあないか」
 祝う? このディオが、誕生日を祝ったと思っているのか?
 場に合わせて取り繕ってやっていたのは事実だ。あの日は取り分けて美味い物が飲み食い出来た。
「誕生日はこじつけだろう? 小汚い野花をお前に押し付ける為の」
「綺麗な花だし、僕は嬉しかった」
「毒が盛られているかもしれない」
「花に? まさか」
 毒と言えば飲む物、あるいは塗る物という先入観を持つらしいジョナサンはわざとらしく笑って見せた。
 もしくは『子供』には出来ないという思い込みか。
「今俺が毒を盛り貴様が倒れたら」我ながら面白い喩えに声を弾ませ「疑われるのは俺じゃあない」
 どんなに違うと本人達が主張しようと、実際に違おうとも、疑われるのは小さな花を手渡した娘。
「お前が風邪を引き高熱を出しただけでもあの小娘やその母親が疑われる。どんな『言い訳』をするか見物(みもの)だな。お前はそれを庇いきれるのか? ジョジョ」
 ディオが言葉を済ませると寒々しく感じる程の静寂に包まれた。
 否定のしようが無いからこそ、これ以上追い込む必要も無い。元よりジョナサンに下らない嫌がらせをしたかったわけでもない。ただジョナサンにもお針子の娘にもその他の使用人達にも、ディオ・ブランドーは今や貴族の側であると知らしめたかっただけ。
 下らないのは自分か、とディオは溜め息を吐く。
「……ディオ、もし君の誕生日が何月何日かわかったとして」
「誰が知っていると言うんだ」
「小さな花で祝われたら、嬉しいと思わない?」
「思うわけがない」
「綺麗な物を見た時に自分を思い出してもらえたら、それを自分にあげたいと思ってもらえたら、僕はとても嬉しい。だから誕生日が有って良かったって思ったんだ。だから君にも――」
「このディオに誕生日など無いッ!」
 金切り声のような奇声が自分の口から出るとは思わなかった。
 あんな地に生まれ落ちた事を祝われて堪るものか。
 醜く狡猾なばかりの父や美しいが頭が弱く早々に死に行った母に望まれて堪るものか。
 おめでとう、生まれてきてくれて有難うと、先日のジョナサンのように持て囃されて堪るものか。
「……俺はもう寝る」
「おやすみ」
 その言葉に敢えて返事はせず、毛足の長いカーペットでも掻き消しきれない程の靴音を鳴らしてディオは自室へ向かう。
 誕生日を小さな花で祝われていた事が羨ましいなんて思って堪るものか。

 生きていれば愉快な事も不愉快な事も有る。
 ディオにとって先日のお針子の娘の言動は不愉快で、そんな小娘にも愛されるジョナサンの存在は更に不愉快だった。
 思えば愉快な人間は殆ど居ない。この年頃になれば上流階級であればある程女達は男達と距離が出来る。
 その日を過ごす金さえ有れば幾つであろうとどんな身分であろうと見目だけは良い女が寄ってきたロンドンの片隅とは大違いだ。決してあの糞尿臭い地に戻りたくはないが。
 つまり1番良いのは金持ちの中の金持ちだが、次に良いのは貧乏人の中の金持ちになるのか。貧困層の中で貧困に喘ぐという事は飢えて渇くだけだが、金持ちに囲まれた貧しい者は更に惨めさも加わるのか。
 ジョースター家に仕える使用人達は高名な屋敷で働けてはいるが、主人達と己の身分の違いを常々感じてはいないのだろうか。従者なら未だしも、下僕ともなればただの下層の人間よりも世を怨んでも可笑しくない。
 という事をディオはクラスメイトからの相談を受けている間やそれから着いた帰路でも考えていた。
 クラスメイトは頭の可笑しな男だった。爵位は無いが身分は悪くない。しかし学を身に付け執事学校に進学し、そのまま執事になりたいらしい。
 首席のディオにより良い勉強の仕方を請い、そして大勢の使用人を抱えるジョースター家の人間から見てどんな使用人が求められているか尋ねてきた。一応答えてやった。悪く言えばしつこく、だが良く言えば話が弾んでもう夕暮れの差し迫る時間だ。
 屋敷の重たい扉の前に2人の人影が有った。視線を合わせるべくしゃがんで見上げているジョナサンと、そんな貴族を立ったまま見下ろしているお針子の娘。
 嗚呼、2人共何もわかっていない。
「ジョジョ」
 未だ距離は有るが歩きながら声を掛けると2人は揃ってこちらを向く。
「ディオ!」
 やたらとディオを警戒している事の多い――至極当然だし良い事だとすら思うが――ジョナサンが晴れやかな笑顔を見せて立ち上がった。
 ジョナサンはやはりかなり背が伸びた。娘の横に立ち並ぶとかなりの身長差が有る。
「ディオ様お帰りなさいませ!」
「ジョジョ、お前は何をしているんだ」
 娘の方には目もくれず。残る理由が無いからとそのまま帰った筈のジョナサンだが、夕食の為の着替えも未だしていない。
「2人で君の帰りを待っていた、かな」
「待っていた? 俺の帰りを?」
 ぎりと睨み付けても穏やかな笑みを浮かべたまま。そして幼い娘の背に手を当て促した。
「ディオ様」
「何だ」
 小さな子供ならば逃げ出しても可笑しくない低い声を出したつもりだが、娘は全く意に介さずにこにこと笑顔のまま両手を差し出す。
 その手の中には一輪の小さな花。
 色合いは少し毒々しい。敷地内――但し庭園ではない――に自生している特に毒の無い雑草。
「これを、ディオ様に!」
「……貴様、余程このディオを愚弄したいようだな」
 下賤な人間が高貴な人間に贈り物をしてはならない。ディオの言葉だけでなく、母や他の使用人達に教え込まれたのではなかったのか。
 2度と忘れぬよう体に叩き込んでくれようか、と拳を握った。
「ディオ様の、お誕生日に! お祝いの日にはね、お2人やお館様に物をあげても良いって!」
「だから俺に誕生日は――」
「君が来た日を『誕生日』として毎年祝おう、と決めたんだ」娘の手から摘むように優しく取り「父さんにも話したよ」
 そうして娘の手からではなくジョナサンの手から改めて渡そうと向けてくる。
 ジョースター卿ならば間違い無く了承するだろう。そして従者に息子の義兄弟愛の話をし、従者は使用人達に今日の議題と称して報告して正確な時は何月何日だっただろうかと話し合うのだ。
「この子から受け取るのが『怖い』なら、僕から受け取れば良い」
「怖い、だと?」
「熱を出したり腹を壊したり、もしそんな事が有ったらこの子が疑われる。よく考えれば、それは怖い事だ。僕はそこまで考えが回らなかった」
「ジョジョ、まさか貴様、このディオが……」
 子供が毒を盛らないか怯えていると馬鹿にしているなら許さない、と言うつもりだった。
 だがそうではない。
 ジョナサンはディオが娘から物を受け取った後に体調を崩したら娘の責任になるから受け取れないのだと思っている。
 そんな理由が有る筈も無いのに。
「……くそッ!」
 小汚ない言葉を1つ吐いてディオは、ジョナサンの手からそれと比べると小さ過ぎる花を引ったくった。
 こんな物! こんな物ッ!
 地面に投げ付けて踏み潰してやるつもりだったのに、それが出来ずに右手に花を握り締めている。
 捨てる事が出来ない。これ生まれて初めて貰った――
「誕生日、プレゼント……」
 生まれて初めて祝われた。生まれてきて、この屋敷に来てくれて有難うと感謝の贈り物をされた。
「……有難う」
 掠れた声の返事に。
「どう致しまして、ディオ様!」
 お前に言ったのではないと怒鳴りたいが、そうすればジョナサンに言った事になってしまう。
 どうすれば良いのだろう。
 まさか花瓶に挿して飾ったりは出来ない。だがゴミ箱に放り捨てる事も出来そうにない。
 部屋の机に無造作に放り置いておけば良いのか。そうすれば枯れるまでの短い間、いつでも見る事が出来る。


2018,04,28


若干タイトル有りきのお話。あとディオの誕生日とか血液型が『不明』との事で。
ディオジョナ感無いですけど、私の中ではディオ→←ジョナです。
本当は仲良くなりたい…とまでは言わなくても、仲良くなってみたかった2人。あと中世英国貴族好きなもんで。
<雪架>

【戻】


inserted by FC2 system