ディオジョナ 全年齢


  少年達の王国


 今夜のメインディッシュは牛の内臓のハチノスをやや辛口に煮込んだ『トリッパ』で、異国情緒すら有る濃いめの味付けでパンがよく進んだ。
 汁の滴る料理でも目の前のディオ・ブランドーは相変わらず上品に食べる。
 ジョナサン・ジョースターもハイスクールに上がってからは他者に誉められる位には食事のマナーは向上していた。
 紳士であらねばと思うからか、それとも内心でディオには負けていられないと思っているからか。
 下僕(げぼく)がパンを寄越そうとトレイを近付けたので1切れだけ受け取った。食べても食べても腹の減る年頃だし消化も追い付く。
 寧ろもっともっと食べなくては。近頃は膝が痛む程に背が伸びていた。
「ジョジョ、ディオ」
 一家の長である父親、ジョージ・ジョースターの呼び掛けに揃って顔を向ける。
「ラグビー部はどうだ?」
「『今日』1番活躍したのはジョジョですよ」
 ディオはナイフとフォークを八の字に置いた。
「組み付かれても振りほどかずに進んで行きますからね」
「それは頼もしいな」
 食べた分だけ血肉になっている証拠。
 ジョースター邸に来たばかりの頃は殆ど変わらない体格だったディオよりも恰幅が良くなっている。
「でもディオも凄いですよ。今日、女学校の子からお菓子を貰っていたんです」
 さらりと流してもらうつもりだったので手を止めずにパンを口に入れた。
 父もそうかと微笑んでワイングラスに口を付ける。
 食事を再開しないのはディオのみ。彼だけがこの話題を『気に入らなかった』ようだ。
「練習試合の様子を見に来ていたのに、ラグビーのルールも余りわかっていない人間の話か」
「そうなのかい? つまりラグビーではなくディオ、君のファンなんだね」
 人目を引く金の髪をしているし、顔立ちは整い過ぎている。勿論立ち振舞いもだ。
 同じ制服を着ていても他のクラスメイトとは違うのが誰の目にも確かだった。
「女学校のレディが来る程とは」
 満足そうに頷く父の言葉にも納得がいかない様子を見せている。共に暮らして3年も過ぎれば些細な表情の変化もわかる。
 確かに軟派な人間のように思われそうな事を言ってしまったかもしれない。
「ジョジョ、あのスコーンは美味かったかい?」
「え? 美味かった……けれど……」
 君も食べただろう、の言葉が出ない。
 父の前で『ディオが貰った菓子を食べてしまった』事にされてしまった。
 帰り際に貰ったから食べようと部員の皆に振舞ってきたのはディオの方なのに。このまま否定しないままでは――
「ジョジョ」
「はい」
「ラグビーは続けられそうか」
「はい!」
 父の言葉に強く頷く。
「とても面白い競技です。全身を使うし先を読む事も必要だし、何よりチームワークが重要です。僕はラグビーを通じて心身共に鍛えたいです」
 嘘偽りは全く無い。既に始める前と比べると肉体に限らない意味での己の成長を感じていた。
 ラグビーを始めてからというもの、クラスメイト達との関係も少し変わってきている。
 以前はディオの冗談――本人に悪気は無いのかもしれない。だが幾許の嘘が混じり誤解を招く――を真に受けていた面々からの『距離』が消えた。
 単に腕力に物を言わせて解決されると怯えている部分も有るかもしれないが。そんな事をするつもりは無いのに。
「ならば合っているのだろう。将来は学者になりたいと言い出したお前が、きちんと体を動かす趣味を持っているのは良い事だ」
「有難うございます」
 父が下僕を呼び空にしたグラスを向ける。
 同じくラグビーを始めたディオに聞かないのは、今までは彼の方が点を取っていたからだろう。
 何しろ噂を聞いて焼き菓子を差し入れに女学校の生徒が来る程だ。父の耳にも色々と入っているに違い無い。
 真実がきちんと届いていれば良い。ジョナサンも再びパンを食べ始める。
――カンッ
 珍しくディオがナイフを皿にぶつけて耳障りな音を立てた。

「ジョジョ」
 部屋へ入ろうとした背中にディオの声が掛かる。
「もう寝るのかい?」
 正装に近い夕食時の服のままのディオはわざとらしく口に笑みを乗せた。
「そのつもりだよ」義兄弟に向けるには堅苦しい笑みを浮かべ「おやすみ」
 しかしその肩をがしと掴まれる。
「……どうしたんだい、ディオ。夜更かしがしたいのかい」
「夜更かし? 未だそんな時間じゃあないだろう。君と少し話をしたいんだよ、ジョジョ。部屋に入れてくれないか?」
「僕の部屋に? それは、構わないけれど……一体何の話だい?」
「それは君の部屋でゆっくり話すさ。兄弟なんだから、そんな時間を持つのも悪くないだろう?」
 今にも爪を立てんばかりの強い力で肩が痛い。
「良いよ、話そう」
 手で振り払うのは忍びないので、肩を大きく動かし振り返ってディオの手を退けた。
「家の中でも話をしたいと言ってもらえて嬉しいよ」
 出会った時に仲良くする気は無いと言った通り、会話を持ちたがる様子を一切見せないというのに。
 一方で学校では友人と話している時によく話し掛けてくる。
 よもや『誰か』と話しているのを阻害したいだけかもしれない、と疑っていた。
「それじゃあ従者に飲み物でも用意させよう」と廊下に向かい「おい! 居ないのか!」
 大きな声を聞いて従者が顔を出す。
「レモネードを2つ、ジョジョの部屋に持ってきてくれ」
「畏まりました」
「2人で話をするんだ。盗み聞きはしないでくれよ」
 軽口に従者はにこりと笑った。
 貴族は言うならば支配階級。使用人を使役し対価を払う事こそが貴族の仕事。ディオは他人を『使う』事に長けている。
 まるで生まれながらの貴族だ。ジョナサンは未だ出来ない事を頼んでいる、といったスタンスのままの己を恥じた。

「有難う」
 テーブルに2つのグラスを置いた従者はジョナサンの言葉に笑顔で頭を下げて部屋を出る。
 ドアが閉まり部屋という密室にはジョナサンとディオの2人きりとなった。
 出会ってから今まででディオと2人きりになった時にはろくな事が無いので妙に浮き足立つ。
 敷き詰められたカーペットのお陰で夜も暖かな部屋。着替えの為に従者が、掃除の為に下僕が来る時を除けば自分しか居ない――愛犬を喪ってからは。
 窓が大きく昼は明るい。夜は寝る為にしか使わないので、部屋の照明は弱く薄暗い。
「……今日の夕食も美味かったね、ディオ」
 互いに椅子に座り向かい合った状態で黙り込んでもいられない。ジョナサンは自ら口火を切った。
「そうだな、特にあの肉の煮込みは美味かった」
「僕もそう思うよ」
 あの程良い辛さが良かった。しかしそれを食べ過ぎたからか口の中がやや渇いている。
 レモネードを口に含むとその冷たさが美味くて溜め息が漏れた。
 砂糖の甘味の後から来るレモンと炭酸水の刺激で再び口の中は再び妙な辛さになる。
「やはり料理は料理人が作る物に限る。大した知識の無い素人が作ったり、それを面識の無い人間にやるなんて可笑しな話さ」
 ディオが言うのは今日差し入れを寄越してきた女子の事だとすぐにわかった。
「でもあのスコーンは美味かったと思うよ。皆も喜んで食べていたし。それにディオ、君だって食べたじゃないか」
「俺が皆に毒味をさせたかもしれない、とは思わないのか?」
「ディオ!」
「そう怒るなよ。俺だって何もあの女子が毒になる物を入れた、なんて疑っちゃあいない」
 記憶を辿れば全員が一口食べてからディオも漸く口を付けていた。ジョナサンは顔を顰める。
「毒というのは誰が何に盛ったのかをわからないようにしなくちゃあ意味が無いからな」
 ディオは椅子の上で優雅に足を組んだ。
 容姿だけではなく、その仕種の1つ1つが洗練されているように美しい。
 しかしその美しさは冷ややか過ぎる。
 心の温まる『ぬくもり』と呼べる物の正反対に位置した微笑――嘲笑にも見える――を向けてきた。
「恋人にしてほしいと頼まれたよ」
「そうか……その子は本気でディオの事が好きなんだね」
「さて、どうした物かな」
 白々しい溜め息を吐いてディオは己の指に顎を乗せる。
 同じ年頃の女子ならば確かに見惚れて恋人になりたいと思うのだろう物憂げな優雅さが有った。
「……交際してみても良いんじゃあないかな」
 本当に悩んでおり相談をしたくて部屋を訪ねてきたのかもしれない。
 低い可能性に賭けたジョナサンはレモネードをテーブルに置く。
「君に恋人が出来るなんて妬けるけど、僕は良い事だと思うよ」
 恋は素晴らしい。『彼女』に恋をしていた僅かな期間は、人生が文字通り薔薇色に輝いていた。
 ディオもそんな恋をすればジョナサンに向けてひねくれた言動を取る事が無くなるかもしれない。
 そして真に友として兄弟として向き合えるようになるかもしれない。
「ジョジョ、君は勘違いをしているようだな」
 自身のグラスをジョナサンのそれに「乾杯」とでも言うように軽くぶつける。
「俺は何と言って断れば良いか、と悩んでいるんだ」
「そ、そうなのか……それは、その女の子にとっては残念かもしれないけれど、君にその気が無いなら仕方無い」
「君ならば何と言う?」
 手作りの焼き菓子を贈ってくる少女を如何に傷付けないか。
「難しい問題だね」
 経験は無いし、何と言おうと失恋に変わりは無いので傷付けるだろう。
 自分がその立場であれば同じようにディオに相談していたかもしれない。
 このレモネードで喉を潤す姿すら様になるディオに。
「参ったよ、キスの1つでもしてやるべきかな」
「キス?」
 グラスに触れた唇に目が向いた。
「綺麗な思い出にしてやった方が良いとは思わないか?」
「どうだろう、ね……」
 冷たいレモネードを飲んでいるのに頬やら耳やらが熱くなってくる。
 何故か顔を見ていられなくなりジョナサンはグラスを取り、それを見詰めるフリをして俯いた。
 グラスや氷に映る顔はすっかり赤い。
「ジョジョ? どうしたんだい?」
 心配する口調が妙にわざとらしい。
 見下されていると思い込んでいるからだ。ジョナサンは何でもない、と首を横に振る。
「嗚呼、君は」声に明らかな嘲笑が混ざり「キスをした事が無いのか」
「……無いよ、無いさ。僕にはそういう事をする相手は未だ居ない」
 膝の上に置くように両手で持ったグラスに力を込める。手の平でグラスの汗と自身の汗とが混ざり気持ち悪い。
 そもそも女子とキスをしたいと思った事は無い。いずれする――ような仲になる――だろうと思っていた事なら有ったが、それも随分と前の事だ。
 あの頃が懐かしい。眠る前にカーテンを開け、窓の外の夜空を眺めて『彼女』を思ったりもした。
「……君は有るんだったね、ディオ」
 ディオにとってあれが初めてか否かはわからない。しかし『彼女』にとっては初めてだっただろう。
「好きな人が相手なら、美しい思い出になるかもしれない」
 だが好きでもない人間に他者への嫌がらせの為に奪われたのなら違う。
 ほんの少しの皮肉を交えたつもりで言い捨ててジョナサンはディオの方を向いた。
「ディオ?」
 彼は音も無く椅子から立ち上がっている。
 つい先程までグラスを掴んでいた両手が肩に乗せられた。
「どうし――」
 それから続く言葉を飲み込むようにディオが口を口で塞ぐ。
 ジョナサンの顔を上に向けるのではなく、わざわざ屈んで下から潜り込むように。
 目を開けているのか、それとも閉じているのかも見えない程に顔が近い。
 鼻孔を爽やかな柑橘の香りが抜けていく。後を追うようにより甘い香りもした。
 熱い鼻息が掛かってくすぐったい。甘い匂いはレモネードのそれではなく、恐らくディオ自身の匂いだ。
 角度が僅かに変わり触れる面積が増える。
 このまま心臓がはち切れるのでは、と思った矢先に唇が離れた。
 距離が出来た事によってディオの顔がよく見える。睫毛に覆われているので憂いすら感じる目を向けられている。
「君の初めてのキスの相手は俺になった」
 静かな囁きに胸が一層高鳴る。確かにこれでは交際を断られるにしても素晴らしい思い出になるかもしれない。
「嫌じゃあないだろう?」
「……嫌じゃあ、ない」
 友達としては有り得ない程距離を縮める接吻は、言い換えれば兄弟として近付いた証かもしれない。
 そんな言い訳が胸の奥で熱く回っていた。
「君は『彼女』と同じ体験が出来た。それに『彼女』との間接キスだ」
 不意の言葉に口をぽかんとだらしなく開いた。再び『彼女』の、エリナ・ペンドルトンとの思い出が頭の中を埋め尽くす。
 エリナにとっては辛く悲しい出来事で、もしかすると今も尚苦しんでいるかもしれない。
 だというのに、僕は!
「……嫌じゃあないさ、良い別れの予行練習だろう?」
 決して取り乱してはならない。
 彼女はディオの前で頭を抱えたりしなかっただろう。紳士である自分が、守ってやれなかったエリナよりも更に弱い部分を持ち合わせる等許さない。自分自身が許せない。
「でももう2度としないでほしい」
 唇へのキスは恋人同士の物だから。
 そう思っているが自分や『彼女』の手前、ディオには言えない。
「僕達は……その、男同士だ」
 躊躇いは有ったが目を逸らさず、突き刺すような冷たい視線を真っ向から見返して言い切った。
 法律で禁じられているがジョナサンは同性愛者に偏見を持っていない。だからこそ同性同士で戯れにこんな事をするのは、愛を貫く人々を馬鹿にしているような息苦しさに陥る。
「……レモネードの味で消えてしまったが、今晩の肉の煮込みは美味かった」
 ディオはいつもと変わらない口調だが、しかし『味』という単語の所為で二の腕にぞわと鳥肌が立った。
「君はあの牛がオスなのかメスなのか知っているかい?」
「知らない、わからないよ」
 魚であれば子持ちか否かで違いが有るが、大きな牛の中の内臓の1つでは見当も付かない。ジョナサンはトリッパに使われているのがハチノスだという事もわかっていない。
「そう、知らないしわからないし興味も無い。何故なら『肉』だからだ。肉の老若男女に関心を抱く奴は居ない。子牛の方が良いなんてのは味の問題だ」
 耳を傾けたくなる声を発し続ける唇は濡れているように見える。
 自分の所為ではない、飲み物を飲んでいるからに過ぎない。なのに目が離せない。
「美味いか不味いか。肉なんて物はその2つに分けられると思わないか?」
「ディオ、君にとって僕は……」
 食べて消耗する肉なのか?
 義兄でも友達でも、目の上のこぶですらなく。
 短い質問すら出来ない程口の中がからからに渇いてきた。
 潤す為に何か飲まないと。しかし今レモネードを飲んでは、ディオとの口付けも反芻する為に飲み込むように見えてしまいそうだ。
「俺は今『それなりに美味い』と思っているよ、ジョジョ」
 ディオは立ったまま自身のグラスの中身を綺麗に飲み干す。
 そして空になったグラスをテーブルにどんと置いた。
「話が出来て良かった。従者に下げさせる時には甘酸っぱい子供向けの味が美味かったと伝えておいてくれ。その赤ん坊みたいな真っ赤な顔が元に戻ってからな」
 そのまま部屋を出ようとしたディオが足を止めて振り向く。
「ジョジョ、その様子じゃ寝付けなさそうだな」
「……従者には、ハーブティーを淹れてもらうよ」
 平気だと嘘は吐けない。ディオならばこの高鳴る鼓動を聞いているかもしれない。
「それは止めておいた方が良い。寝小便を垂れるぞ」並びの良い歯を見せて「ラグビー部のナンバーワンエースともあろうジョナサン・ジョースターがな」
 ドアの閉まる音を聞き、言い残された呪詛をジョナサンは反芻した。
 ラグビーで1番を取っただけで、1番『初め』のキスを奪われた。これからも何かしら奪われ続けるかもしれない。
 だからと言って下手に甘んじてはならない。何故ならジョナサン・ジョースターは、紳士であらねばならないのだから。
 残るあの唇の触れたグラスはすぐに従者を呼び片付けさせた。


2017,04,22


べろちゅーさせたら成人向けの空気になったので丸々カットした所、台詞の端々が少し可笑しい気もしますが全年齢作品という事でご了承下さい。
此の子達も未成年というか1×歳だから…暈しておきますね。
<雪架>

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