ジョセフ中心 全年齢


  勝の遺産


 現役を引退して以後、ジョセフは妻のスージーQと過ごす時間が増えた。かなりの年月共に過ごしてきたが彼女の事は今でもとても大切に想っている。
 今日もまた昼前の温かな陽射しを浴びられるバルコニーに椅子2つとテーブルを出し寛いでいた。
 午後からは散歩に誘うのも良いのう。
 これだけの天気の良さだ、きっと快適に違い無い。互いに杖なりシルバーカートなりは手放せないが、未だ2本の足で歩けるのだ。
 問題は、この子じゃが……
 幸せそうに窓の外と手元とを交互に眺めているスージーQの、その腕に抱かれて眠る赤子。名前は静・ジョースター。
 生まれも血筋も日本だが国籍――漸く取得出来た――は、ここアメリカ。ジョセフの第三子で、暫く前に初めて存在を知った第二子に会いに行った際に『拾って』きた。第三子と言っても血の繋がりは無い。
 連れてゆくか、シッターに預けるか。気の良いシッターなので頼めば同行もしてくれる。
 未だ立ち上がる事すらままならない幼女なのだから屋外に連れ出されても喜ばないかもしれない。しかし静を曾孫のように可愛がるスージーQから引き離すのもしのびない。夫より娘と居たいと言われそうだ。
 わしはこんなに一緒に居たいんじゃがのう。
「貴方? どうしました?」
 目を伏せ溜め息を吐く夫の様子に声を掛けてきた。
「いやなに、どちらにしようか訊きたくてのう」
「また遺産の話ですか」
 意外な返しに伏せた目を丸くする。
 確かに先日、久々に遺産相続の話をした気がする。昨日だったか一昨日だったか。
 何故その続きを今からすると思われたのか――2人きりで温かな日を浴びているからか。
「この子は未だ聞いてもわからないでしょうけど」
 そうだ、2人きりではない。静も居る。彼女にも大いに関係が有る事だ。
 この件の為に静を引き取ったと言っても決して過言ではない。
「別に貴方の好きなようにして良いんですよ。まあ私が貴方の後を追うまでに細々とでも生活出来るようにしてもらえれば、というのは有りますがねえ」
 年のわりにはハキハキと喋る。何本か抜歯しても、自分のような総入れ歯とは違うなと思った。
「それに案外、私の方が先にポックリ逝ってしまうかもしれないじゃあありませんか」
「参ったな、それだけは駄目じゃ。絶対に認めんぞ」
 自分はもう長く生きた。これ以上愛する者を弔いたくない。
「でも事故が起こるかもしれないし、何より私だっていい年……それを言ったら貴方も同じね」
 ふふ、と笑う様子は初めて会ったあの日から何も変わっていない。老いてシミと皺と弛みと白髪だらけになろうと、元気な笑顔を見せてくれればそれで良い。
 だから。
「離婚、か」
 最良の選択肢はこれしか思い浮かばない。
「一体何を言っているんですか貴方は」
 眼鏡――老眼鏡――の奥の目は笑っていない。寧ろ怒りを込めて睨み付けられているようにすら見えた。
「じゃが……」
「貴方何故私と結婚したんですか! あの日のプロポーズの言葉を自分で忘れてしまったんですか! そんなだから可愛い孫にボケ老人呼ばわりされるんですよ!」
「よさんか、あんまり大声を出すと静が起きてしまうぞ」
 それに血圧も上がり毛細血管が切れかねない。
「全く、誰の所為ですかッ! はあ……静が沢山眠る良い子で良かった……」
 息を荒くしたスージーQの腕の中で、一体どんな良い夢を見ているのかすやすやと眠っている。
 もしかすると本当は起きていて、しかし起こされた原因がスージーQに有るから寝たフリをしているのでは。
 ジョセフが物音を立てればすぐに起きて大泣きするというのに。宥めればけらけらと笑ってくれるが中々寝直してはくれない。
「離婚なんてしてやりませんよ、この子が本当は貴方が更に別の女との間にこさえた子だったとしても、絶対にしてやりませんとも」
 自分こそ絶対にしたくない事の最上位に挙げる位に離婚はしたくない。
 だが。
「慰謝料には税金が掛からん。不動産王と呼ばれたわしからならたんまりと取れる筈じゃ。ただ「17年前の不倫が許せない」と言うだけで良い」
 ジョセフばかりが一方的な悪人になれる。
 老いぼれた者が随分と昔の事をと言われるかもしれないが、それだけ夫婦愛に情熱的な証だと胸を張れば良い。
 この年になれば老い先短いのだからといったような別の皮肉を叩かれるかもしれないが。
「それに養育費は毎月じゃ。1度払って終わりじゃあない」
 静が成人するまで、今後20年近く払われ続けるのだ。
「それで、また離婚と遺産とどちらが良いかなんて言い出すつもりだったのね」
「まあそんな所じゃ」
 今どちらにするか訊こうと考えていたのは全く別の事だが。
「離婚なんて絶対にしません。大体離婚したら私が静を引き取るのは可笑しいと言われるじゃあありませんか」
「じゃから静はわしが誰かに生ませたわけじゃあ――」
「そんな事はわかっていますよ。世間はわかっていなくても私はよくわかっています」
 どんどんヒートアップし早口になってきた。
「だけど世間は勘違いをするし、私に「貴方が育てる必要は無い」とか言い出すものなんです。静を取り上げられてしまうかもしれないのよ!」
「そうならないように――」
「貴方に何が出来るって言うんですか? 余所のお嬢さんに子供を生ませた貴方に!」
 それを言われると弱い。ジョセフは痛む頭に手をやった。
 遺産の分配は遺言状を書かなければ伴侶が5割、残りを子供達で均等に分ける。
 今から遺言状を書いても充分に有効だが、果たして何と書けば良いのかジョセフにはわからなかった。
 妻に全てを、とするわけにはいかない。何故なら2人の間に授かった娘の事も妻同様に愛している。
 自分が不貞を働かなければ取り分は丁度半分ずつになっていた。
 東方朋子という女性を愛した事に対するたった1つの後悔。厄介なのは彼女が妊娠も出産も問題無くこなした事ではない。東方仗助は『良い子』だった。彼女の子育ては素晴らし過ぎる。
 自分の代わりに孫が先に向かい遺産の話をした際に真っ先に断った、と聞いた。
 迷惑を掛けたくないから金は要らないと。ただ母親は年の離れた異国の妻帯者であったとしても大恋愛をした事実だけを主張した。ジョセフに向けてきた恋愛以上の親愛を注がれて育っている。
 そんな仗助に自分の死後一銭も入らない、という形にもしたくない。
「貴方の事もそのお嬢さんの事も、私は絶対に許しません。でもね、そこに生まれて育った男の子は、紛れも無くこの子の『お兄ちゃん』なんです」
「……そうじゃな」
 既に嫁いで行った愛娘のホリィの弟で、新しく我が家に来た愛娘の静の兄。
 男の身勝手な願望だが、いつの日か子供達3人でお茶でも飲む日が来てほしい。
 となるとやはり遺産相続か。妻に半分、子供達は3分の1ずつ。
 仗助の分を減らしたいわけではない。スージーQの分を増やしたい、彼女に夫を欠いた後も裕福で不自由の無い暮らしを送ってもらいたいだけ。
「末娘の成長を末永く見守っていきたいもんじゃのう」
「見守っていくんですよ、末永く。私達夫婦は」
 どれだけの間一緒に居られるかはわからないが。
 だが一緒に居る間は、一人立ちするまでの間は静が受け取る遺産はスージーQが受け取ると考えても良い。養育費だってそうだ。結ばれたあの日から、その時失くしていた片手以上に大事な存在。そんな彼女を裏切ってしまった。裏切りの証の仗助を愛おしいと思ってしまった。
 離婚という罰――ジョセフにとっては何より苦しい――を受ける覚悟をしていたし、もしも赦されるのならば罪の象徴への想いよりも君の方が上だと伝えられるようにしたかった。静を拾い上げた理由はそこに有る。
 なのに。
 もし静がもっと、端的に言って『可愛くない』子供であれば、それだけの為に連れてきたのだと言い切る事が出来たのに。
「なあ、わしは午後から散歩にでも行こうと思うんじゃが」
「あら良いですねえ」
「一緒に行かんか?」
「ええ勿論、お供させてもらいますよ」
 これだけ心地良い陽射しの中を歩くのだから気分も文字通り陽気になれるだろうとスージーQは静を見る時の穏やかなそれとは少し違う、ぱきりとした明るい笑顔を見せた。
「わしとお主と静の3人でどうじゃ?」
 強過ぎる日光は赤子の肌に悪いとか、眠っていては楽しめないが起こしたくもないとか、老人2人よりもシッターの方が安心だとか、色々と問題は有る。
「やっぱり親子3人で居るのは楽しいからのう」
 その問題を飛び越えて一緒に居たい。1人すっかり寝入っている今も、とても楽しい。
「ベビーカーを用意させておかなくっちゃあね」
 その眠る娘を腕に抱いたまま立ち上がった。
 何て気の早い。こちらはきちんと「午後から」と言ったのに。テキパキしていると言えば聞こえは良いが、ようはせっかちではないか。
 変わらないそんな所を、変わらなく愛している。


2019,12,14


アメリカの相続制度知らないけれど。そして黄金の遺産ではない。
4部の始まりはジョセフの遺産相続から始まってますからね。誰より長生きしそうなのにね。
<雪架>

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