露康 全年齢


  Chum


 最終ページの最後のコマまできちりと完成させて岸辺露伴は大きく伸びをした。
 書く手を止められず寝食を忘れて打ち込んだ話の完成に、胸は達成感で満たされている。
 という事はそろそろ食事と睡眠をとらなければ。食べる事も寝る事も漫画を描く為に、もとい生きる為に絶対に必要な行為。
 疲れの滲む目でアナログ時計を見ると11時を過ぎた所だった。
 となると睡眠を優先するべきか。興奮状態に近いので眠たくはないが、眠る事でしか『体力』は回復しないとも聞く。
「いや……」
 違和感を覚えてデジタル時計の方を見た。最近買った壁掛けの、余り大きくないが現在時刻の他に月日と温度と湿度がデジタル数字で表示されている。それによると23時ではなく11時、日付も1日進んでいた。
「……思ったより集中していたか」
 締め切りを目前に必死で描き終えた、という状況だったらさぞ焦っただろう。その状況に陥った事が無いので想像だが。
 これから昼食――日付から考えると今日初めての食事だし、起きてからで数えると2回目ではないのだが――を準備すれば理想的な時間に食べる事が出来る。
「何を作ろうか……」
 声に出して溜息を吐く。自炊の趣味は無いのですこぶる面倒だ。包丁で怪我をしたりコンロで火傷をしても困る。だが『漫画を描く』以外の事をしていなかった、着替えず風呂に入らずいた体で外食には行けない。今からその両方をするだけの気力と体力は無かった。
 シンクの上の棚と冷蔵庫を探して和風スパゲティを用意する事に決めた。イタリアンならすこぶる美味い店を知っているが、和風のスパゲティは出さない。
 スパゲティを茹でる為の湯を沸かしながら、いつ何の為に買ってきたのか全く覚えていない玉葱とベーコンと茸とほうれん草の準備をしているとインターホンの音がした。居留守を使っても良いがしつこく鳴らされるより食べ始める前の今追い払った方が良い。手と火を止めて玄関へ向かう。
「露伴先生、こんにちは」
 玄関扉を開けると、何と来訪者はやや困ったような顔をしている広瀬康一だった。
 今日は平日ではないので学生服ではなく私服を着ている。
「……ああ、こんにちは。どうしたんだい?」
「お仕事中でしたか?」
「終わった所だよ。昼食の準備をしていた」
「準備? 露伴先生、自炊するんですか? でもそっか、朝ご飯が終わって昼ご飯の前にって思ったけど、丁度作ってる時間になっちゃいましたか。午後からは漫画を描くだろうから午前中に来たんですが」
 朝は食べていないし昨晩も食べていないし、漫画は描き終えたのだがそれは置いておいて。
「何か用事が有って来たのか」
「ええ、まあ……その、頼み事が有って。簡単な事だし露伴先生なら引き受けてくれると思うんですけど」
 それも11時を過ぎてから手ぶらで来ても午前中の内に、昼食を取る前に終わりそうな事。
「じゃあ上がってくれ。折角だから一緒に昼を食べようか」
「良いんですか?」
「僕は余り他人と食事をするのは好きじゃあないが、頼み事が有るからと食べ終わるのを待たれるのはもっと嫌だ。それに君と一緒なら多少は「誰かと食べると美味しい」が分かるかもしれない。料理の味は誰と食べても変わらないけどね。有るのは食欲の増減だけだと僕は思うよ」
 勿論と付け加えると康一は安堵して上がってきた。
「2人で食べるなら出前を取るのも有りだな」
 廊下の電話を見て思い付いた。だが今から戻るキッチンにはもう適度な大きさに切られた食材が有る。
「1人前だけだと届けてくれませんもんね」
「ああ。それに1度背中に張り付いたスタンドが悪戯に宅配業者に電話をした事が有って、どうにもブラックリストに入れられているみたいなんだ。千円以上から宅配するとチラシが投げ込まれていた店、電話を掛けても繋がらない」
 それで「ならば自分で作ってやる」と食材を買いに行き、使い切れない物が冷蔵庫に残っていたのだと今思い出した。
 康一にはダイニングテーブルで待つよう言いシンクの前に立つ。
 火を付け直し沸騰したら麺を――2人前なので予定の2倍――入れ、具材を調味料で炒め、茹で上がった麺をその具材と絡めるように炒めて完成。味見はしていないが市販の調味料の味がするだろう。揃いの皿に2等分して片方を自分が座る所へ、もう片方を康一の前に置いた。
「凄い、スパゲッティだ!」
「別に凄くも何とも無いよ。飲み物は水と、あとは烏龍茶を買ったんだったな。どっちが良い?」
「お気遣い無く……でももし良ければお水を下さい」
 冷蔵庫から水を、それから食器棚からフォークを出す。
「頂きます」
 目の前で美味しそうに食べる様子は微笑ましい。実際に「美味しいですねぇこれ!」言ってくる。茹で時間は守ったし調味料も測って入れたので失敗する筈が無いとか、これだけ簡単なら誰にでも作れるとか、そういった言葉が口から出そうになったがスパゲティと共に飲み込んだ。
 康一も共に食べるならスープを用意すれば良かった。サラダにする葉物野菜は無いが、スープならばスパゲティに使った玉葱やベーコンが具材になるしコンソメで味を付けるだけで良い。
 食後のデザートも無い。スーパーに行ったのだからと買ったアイスクリームは、このスパゲティの前に取った最後の『食事』だ。
「それで、頼み事って言うのは?」
「ああ、えっと……食べ終わってからお願いしますから」
「今言えないような事なのか? 食事中には話せないような汚い話?」
「違いますッ!」
 康一はフォークを置き水を一口飲み、はぁと深い溜め息を吐いた。
「僕のスタンドの事なんですが」
 呼ばれたからか康一のスタンドが姿を現す。
 本体とシルエットのよく似た人型のスタンドのエコーズact3。
「岸辺露伴先生ニオ願イガ有リマス!」
 そのエコーズがビシリと姿勢を正して煩いに近い大きな声で言った。
 スタンドって喋るのか……
 今更だが驚いたというか呆気に取られたというか。
 スタンドが各々意思を持っているのはわかる。だが喋る、周囲の人間に話し掛けてくるスタンドは本体を持たなかったり本体を乗っ取るイメージが強い。
 あるいは本体の代わりに本体の声を伝える為の声帯。エコーズももしや康一の言葉を代弁しているのだろうか。
「……何だい?」
「サインを下サイッ!」
 どこからか取り出したサイン色紙を突き出してくる。
「エコーズ、今はお昼ご飯を食べてるんだから、それは後で出しなよ」
「マスターはズルいデス! アノ岸辺露伴ノ手料理ヲ御馳走ニナルナンテ!」
「だ、駄目だよ、これはあげないからね! スタンドが物を食べたら本体の僕がどうなるかわからないんだから……それにエコーズは露伴先生の漫画が好きなんだろ? ご飯じゃあなくて」
「ソンナ事ヲ言ッタラ、サインじゃあナクテ漫画ガ欲シイッテ話ニナッテシマイマス!」
「まあ確かに」
「早ク来週分ガ読ミタイ!」
「わかった、わかったから。露伴先生も食べてる所なんだから我慢しなくちゃあ駄目だよ。あ、露伴先生」こちらを向き「後でエコーズにサインを書いてやってもらえませんか?」
「……それは、構わないが」
「有難ウゴザイマスッ!!」
 勢い良く頭を下げた。
「ほら僕達未だ食べてるんだから、後で書いてくれるって言ってくれたんだから、ちょっと静かにしていてよ」
「承知シマシタ」
「すみません、露伴先生。一緒に『ピンクダークの少年』を読んだら、エコーズってばすっかりハマっちゃって」
 スタンドって漫画を読むのか……
 本にするスタンドが居るのだから本を読むスタンドだって居るだろう。
 だからここはスタンドが読む事よりもスタンドに読ませた事に驚くべきか。ましてや一緒に読むとは。
 部屋でさあ読もうと本棚からお気に入りの漫画を取り出すのにスタンドを呼び出す『必要』は無い。
「僕の漫画を気に入ってくれたのは嬉しいよ。エコーズ君へ、と書けば良いかな」
「有難ウゴザイマスッ!」
「だから声量下げてよ……」
「好きなキャラクターは居る? 昼食が終わってから少し時間を貰えるなら描くよ」
「ええっ!? 良いなあ、ズルいなあ」
「康一君にも描いてやるさ」
 サインだけで、こちらの名前だけで良いなら今すぐに書いたって良い。サインペンならキッチンにも置いてある。
「良いんですか? 何だか悪いなあ」
「ココハ有難ウデスヨ、マスター」
「そうだね、有難うございます」
「描く代わりに1つ教えてほしい事が有る」
「何ですか?」
「他の奴らも、例えば仗助や億泰なんかも、自分のスタンドとそんな風に仲良くしているものなのか?」
 仲良しという表現に康一は目を丸くした。
 エコーズの方は大して表情を変えない。表情筋が無いのだろう。そもそも人間とは違うのだから、目や口に近い形を乗せているから頭部に見えるだけで尻尾に相当する部位かもしれない。
 しかし大喜びしている、ムッとしたようだ、とわかる辺りエコーズを「表情が無い」と表現するのは違う気もした。
「どうなんでしょう、喧嘩をしたって話とかは聞いた事無いですけど」
 喧嘩をする程何とやらという言葉も有る位だから、この前誰それのスタンドが喧嘩をして家を出て行ったと言われた所でそれはそれで仲が良さそうだ。
「僕のスタンドも」ヘブンズ・ドアーの姿を出し「喋らないが――」
「凄イッ! コレハドウ見テモ、『ピンクダークの少年』ノ主人公ダッ!」
 康一のスタンドが露伴のスタンドに、今まで見せた事の無い早さでタックルを仕掛ける。
 否、抱き着いた。否々、両の肩を掴み激しく揺さぶった。
「ちょっと、エコーズ! 駄目だよ! 嫌がってるじゃあないかっ!」
 ヘブンズ・ドアーもまた人の形をしたスタンドで、それこそ他の人型のスタンド以上に表情が『有る』ように見える。口に当たる部分を真一文字に結び、眉間に当たる位置に深い皺を作っていた。
 これは確かに嫌がってると言えるな。
「それで僕のスタンドも喋らないが、僕のする事を嫌がったり、僕が嫌がる事をしたりというのは無い」
「露伴先生、何普通に喋ってるんですか……」
「話の途中だから喋りもする。互いに嫌な気分にさせない、というのも仲良しの1つなら僕と僕のスタンドも仲良しという事になるんだろうか」
「ヤッパリ君がモデルにナッテイルンダネ!」
 もしヘブンズ・ドアーが喋る事の出来るスタンドだったとしても、ここまで激しく揺さぶられていれば返事が出来ないだろう。
 本体同士を無視してスタンド同士が話している、というより露伴自身と康一のスタンドが康一自身と露伴のスタンドを無視して一方的に喋っている。
「エコーズ、あんまり露伴先生やヘブンズ・ドアーを困らせると、サインしてもらえなくなるよ」
 その言葉に慌てて手を放す。が、ヘブンズ・ドアーの顔を「逃がさない」とじっと見詰めていた。
「ライナーノーツじゃあないが、別に僕はスタンドをモデルに漫画を描いているわけじゃあない。スタンド能力に目覚めるより先に漫画を、『ピンクダークの少年』を描き始めている。この容姿なのは恐らく「僕の半身に姿が有ったら描いている漫画の主人公と同じだろう」という意識が有るからだと思う」
「ソウナンデスカ……」露伴の方を見て数回頷いた後、再びヘブンズ・ドアーをじっと見て「……貴方ガ『ピンクダークの少年』ノ物語ヲ作リ、岸辺露伴先生ガソレヲ漫画ニシテイルンデスネ」
 実に良い表現をする。
 露伴は時に漫画を描いているというより描かされているのではと思う事が有る。神だとかの高次元な人間よりも上位の存在が露伴の漫画を気に入り描かせている。生まれながらにしての逆らえない運命(さだめ)のような。その運命が形を持つとヘブンズ・ドアーの姿をしているのでは。
「もしかするとスタンドじゃあなく、君のスタンドのエコーズが特別に人と仲良くなれるのかもしれないな」
「え、そうですかあ?」
「僕のスタンドともすっかり仲良くなったみたいだし」
「それは、ちょっと違うんじゃあ……」
「食べ終わるまで向こうで2人で遊んでいてくれ。ああくれぐれも描き終わった漫画は未だ見ないように」
 作業机に有るのは完成原稿だが読者には未だ見せられない。決してクオリティが低いからではなく、直近の雑誌に掲載されている分よりも幾つか後の話だからだ。
 1話完結型が描けないわけではない。ただ描きたい事が膨大に有るとどうしても長編になるし、1つの場面を見せるにも週刊誌に掲載するページ数では足りない。月刊誌でも足りない。もっともっと描きたい。
 言い付けは絶対に守るとエコーズはヘブンズ・ドアーの腕を引きダイニングを出て行った。
「露伴先生、良いんですか? エコーズはああ見えて、っていうか見た通りに積極的っていうか、結構我儘っていうか……あ、そういう所って」
「そういう所って?」
「な、何でもありませんっ」慌てて首を横に振り「露伴先生のスタンドが心配だから急いで食べますね!」
 再びフォークを手にがつがつと食べ始める。
「……先刻言っていた事は本当かい?」
「何ですか?」
「このスパゲッティが美味いって事は、本当かい? 本当に君の口に合っているのか?」
「はい、すっごく美味しいです」
「良かった」
 他人と仲良くなるには気を遣わなくてはならない。それはとても面倒臭い。独りでいる方がずっと楽でずっと良い。
 かといって気を遣わなくて良い相手イコール仲良しとは限らない。それは仲良しの場合も有るだろうが、多くは「どうでもいい」だけだ。
 だからきっと仲の良い相手とは、気を遣う事が苦ではないと感じる相手なのだ。


2021,03,28


一人ぼっちの反対は?という事で『仲良し』がお題の話。
露康って書いてるけど多分エコーズ→ヘブンズドアの仲良し(×ですらない)
<雪架>

【戻】


inserted by FC2 system